学校へ行こう。 第四十一話 魔王陛下、まだ除け者。
圧倒的な力量差のある相手との戦い。
勝算は、相手の油断のみ。
そんな状況で、駆け引きは無力だ。時間をかければかけるほど、分は悪くなる一方。
それが分かっているからシエルは、最初の一撃に全てを込めた。
勝機は一瞬、一度きり。
ケイガンは自分を侮っている。シエルの剣など、羽虫の一撃程度だと思い込んでいる。その隙だけが勝利の糸口だった。
「ハハッ、威勢がいいじゃねーか小僧!」
自分に向かうシエルを見ても、ケイガンは未だに余裕を崩さなかった。しかし流石に無抵抗で刃を受けるつもりはないのか、それを迎え撃とうと身構える。
そこまでは、シエルも想定済みだ。問題は、シエルの刃が届くほどにケイガンの油断が深いかどうか。
だが、思考は不安を生む。不安は、刃を鈍らせる。だからシエルは、一切の思考を放棄する。
今はただ無心で、手にした剣にだけ集中する。この一撃に、全てを賭ける。
刃が届く寸前に、練り上げて体内を循環させていた魔力を瞬間的に剣に注ぎ込む。それに気付いたケイガンが警戒する暇を与えないように。
シエルの剣が、ケイガンの爪が、閃いた。それらは互いに交差する軌道にあったが、僅かにシエルがケイガンの懐に入り込むのが先だった。
ケイガンは、竜魔族の中でそれほど大柄な方ではない。それでも、どちらかと言えば小柄なシエルと比べるとその差は大人と子供のよう。
さらにケイガンは、廉族であるシエルが自分の攻撃をかいくぐるほどの速さを持つとは思っていなかった。
だからケイガンはおそらく、自分の間合いに入る寸前にシエルが姿を消したと思ったことだろう。正確には、その寸前にシエルは“神速”の得能を発動させ、それに加えてさらに両足に魔力を集束させ爆発的な推進力を得てケイガンの懐に飛び込んだのだ。
そうそう連続で使える技ではない。得能“神速”はたとえ対となる“身体強化”と同時に使用したとしても肉体にかなりの負荷を与える。そこに魔力を上乗せしようものなら、下手をすればしばらくは両足が使い物にならなくなろう。
しかしシエルは躊躇わなかった。
どのみちこれで相手を倒せなければ自分に勝機はないのだ。その後で歩けなくなろうが動けなくなろうが、心配する必要などない。
「【天堕】!!」
解放した魔力に包まれ一筋の光条と化したシエル。吸い込まれるようにケイガンの間合いの内側に飛び込むと、下段からその胴体を大きく斬り上げた。
地上界最後の護り手と呼ばれた神聖騎士団の秘奥義。
魔王の前には児戯に等しかったその技も、魔族にとっては決して侮れない威力を持つ。
「が…ああぁあああ!」
予想外の痛みに、ケイガンが苦悶の声を上げた。怒りに血走った眼でシエルを見下ろし、その頭を握りつぶそうと腕を振り下ろす。
シエルの攻撃は、これで終わりではない。
これで終わるとは、思っていない。
返す刀で、深々とケイガンの胴を貫いた。
そして間髪を入れず、もう一つの秘奥義を放つ。
「【死を滅する矛剣】」
七色に揺らめく光が、ケイガンの中で炸裂した。
【天堕】、そして【死を滅する矛剣】は、魔導剣技だ。通常の魔導術式とは違い相手に直接攻撃を叩きこまなければならないのが欠点ではあるが、いかなる堅牢な鎧に身を包んでいても内側で発動するそれらを防ぎうる生物は存在しない。
術式位階は、超位。本来ならば、廉族には届かない境地。
その高みに至った者を、勇者ないしは英雄と呼ぶ。
「お……あ…ぁ…」
短い呻き声を漏らし、ケイガンは仰け反った。瞳が虚ろな硝子に変わり、痙攣が止まる。
そして、重い音を立てて仰向けに倒れた。
ほぼ同時に、シエルも倒れ込んだ。
なんとか片膝をついて崩れ落ちることだけは耐えたが、しばらくは立ち上がれそうにない。
荒い息を繰り返し、体内で荒れ狂う魔力の名残を鎮める。身体中が、悲鳴を上げていた。
この一瞬に自分の全てを注ぎ込んだのはいいものの、さすがに出力過多だった。我ながら、無謀な挑戦だったと今さらながら思わなくもない。
そんな無茶が出来たのも、敵はケイガンだけだという確信があったからだ。
他の魔族の気配は感じない。ギネヴィアはケイガンほどではないが死にかけているし、先ほどの様子から自分に敵対する可能性は低いと思われた。
「……ラングレー…貴方、一体……?」
ユディットが、茫然と呟いた。
目の前で繰り広げられた人知を超えた戦いにほとんど感覚が麻痺しているのか、狼狽は見られない。
「それ、魔族……なんでしょ?どうして、貴方……」
「それは、どうでもいいことだ」
少しずつ息が整ってきたシエルは、途切れ途切れながらなんとか返事が出来るくらいには回復した。
とは言え、まだしばらくは動けそうにない。
しかし、全てが解決したわけではなかった。
今すぐに寝転んで眠ってしまいたい欲求を抑え込み、シエルはギネヴィアへ視線を向ける。
「それで、あなたは…どうするつもりなんだ?」
大勢の命を贄に自分たちの欲望を実現させようとしたギネヴィアとケイガンの罪は、許されるものではない……それが、実現したのであれば。
しかし、結果としてまだ誰も飢喰迷宮に喰われてはいない…ああ魔王がいたけどアレはどうせ無事だろうしもし仮に万が一本当に喰われたとしたら万々歳だ…現時点では、彼女らの罪は未遂で終わる。
この後もギネヴィアが計画を続けようとするならば止めなくてはならないが…ケイガンの裏切りがあった以上、彼女は果たしてそうするだろうか。
勿論、心情的に彼女らを無罪放免にはしたくない。
シエルにとって何より大切なのは地上界の平穏で、未遂とは言えそれを脅かしたギネヴィアはケイガンと並んで粛清されるべき咎人。
…であるのだが、如何せん自分はもう動けない。
ギネヴィアもかなりの深手だが、驚くことに先ほどよりも瞳に力が戻ってきている。このまま時間を置けば、自力で立ち上がれるようになりそうだ。
力を使い果たしたシエルと、深手を負ったギネヴィア。
傍目にはいい勝負のようだが、回復の速度を考えるとどうもシエルの方が分が悪い。
この状態で、ギネヴィアの罪を問うことなど出来そうになかった。下手に責めて敵対されるのはマズい。
情けない話だが、そんな日和見思考でシエルはとりあえずこの場をやり過ごすことにした。
責めるつもりはないのだが…それでも一応は、ギネヴィアの立ち位置を確認しておきたい。
「私は………」
「あなたは、このケイガンという男にいいように利用されていたのだろう?それを知ってもまだ、宿願とやらに拘るのか」
自分たちだけの新世界を、というギネヴィアの願い。ケイガンには夢物語と揶揄されていたその目的の裏側にある事情をシエルは知らない。
何故彼女らが魔界から逃げ出したのか。何があって魔界に居られなくなったのか。何があって、自分たちだけの世界を望むようになったのか。
しかしそれは魔界の事情であり知ったとしてもシエルに出来ることはない。彼に出来るのは、ギネヴィアにそれを諦めてもらうよう説得する程度。
彼の記憶にある残忍で傲慢な魔族は、廉族の説得になど耳を貸さない。だが、ユディットの身を案じシエルさえ殺すことを躊躇ったギネヴィアの情は、彼に幾許かの光明を与えた。
「………私は……それでも私は、もう後戻りの出来ないところまで来てしまいました。魔界で叛乱を起こしただけでなく…ユディットを騙して利用して…………ユウトまで…」
「あ、奴のことはいいから」
「…え?」
懺悔をシエルにあっさりと遮られて、ギネヴィアは目を丸くした。シエルが何を言っているのかが、分からなかったのだ。
「だから、奴のことはどうでもいい。放置で頼む」
「え、でも……私は彼を」
「重要なのは、あなたがこれから地上界に敵対するか否か、だ。ユディットの赦しは……必要なさそうだろう?」
騙され、利用されていたに拘わらずギネヴィアを庇うように抱きしめているユディットを見て、シエルは勝手にそう結論付ける。勝手だが、おそらく間違いではない。
ユディットはギネヴィアに視線を落とし、彼女がどうやら助かりそうだということに安堵の表情を浮かべ始めている。
蟠りは残るだろうが、二人が憎み合うことはないだろう。
「私は………魔族です。この地上界では、忌避される存在…」
「今までは随分と上手く地上界に溶け込んでたようだ。ならこれからも問題ないような気がするが」
ユディットも、侯爵一家も、ギネヴィアが魔族だなどと疑ってもいなかった。魔王ですら気付かなかったのだ。
ならこのまま、クラウゼヴァルツ侯爵家のご令嬢の家庭教師として生き続けることも、少なくともしばらくの間は不可能ではない、とシエルは思う。
「結局のところ問題は、先ほども言ったようにあなたが地上界の敵となるかどうかだ。あなたの言う「自分たちだけの世界」ってのは…要するに、居場所が欲しいということなんだろう?」
「そう……です。もう魔界には、私たちの居場所はありません。けれども、魔族である私たちには、魔界以外に生きる場所がない。だから……作りたかった…」
「居場所ならもうあるじゃないか」
シエルに指摘され、ギネヴィアは目を見開いた。
「…もう…?」
「他の仲間連中は知らない。子供じゃないんだから、居場所なんてそれぞれが自分の力で見付けるべきだ。このケイガンという男が言っていたのが事実だとすれば、あなたの仲間はすでにそれすら諦めていたようだが、それは彼らの責任、彼らの問題だ。あなたがそこまで負う必要はないと思う」
「私の…居場所?」
「そんな御大層なものを求めてるわけじゃないだろう?住む家があって、職に就いていて生活が出来ていて、自分を慕ってくれる者がいる。他に何が必要だ?」
ギネヴィアはユディットを見上げて、ユディットはギネヴィアを見下ろして、二人の目が合った。
「どうも、あなたは天下取りとかそういうことには向いていないように見える。大切な者がいて、譲れない思いがあるのなら、それを守れる場所にいたらいいじゃないか」
「………………しかし私には、同胞たちに対する責任があります。自分一人の感情で、彼らを見捨てることは」
ギネヴィアが、首を振ったそのとき。
「あー、そのことなら心配することぁないぜ」
シエルのものでもユディットのものでもない声が、彼女の言葉を否定した。
それは……倒れたケイガンから発せられた声だった。
「………貴様、まだ……!」
驚愕に息を呑んで、シエルは即座に攻撃態勢に移ろうとして……思うように動かない身体に絶望した。
ケイガンは、シエルの決死の攻撃により絶命したと思われたケイガンは、そんなシエルを嘲笑うかのようにゆっくりと上体を起こした。
「あーーーー、効いたぜ。すっげー効いたぜ。驚いたな、廉族みてーな虫けらが、この俺様をここまで追い込んでくれるなんてよ」
そう言いつつ、ケイガンの表情に、声に、消耗は感じられなかった。深く大きく斬り裂かれた胴体の傷口も、既に塞がっている。
「…どういうことだ……確かに攻撃は当たっていたはず……」
シエルの剣は、間違いなくケイガンに届いていた。仮に即死でなかったとしても、あの様子では死は免れないはずだった。
そして驚愕していたのはシエルだけでなく、ギネヴィアもまた目を見開いてかつての同胞を凝視していた。
ただし、彼女の驚愕の理由は、シエルとは些か異なっていた。
「ケイガン……今、何と言いました?彼らのことは、心配することないと……?それは、どうしてですか?」
「あーあーあー、そんな目で見るなって。もう分かってんだろ?そうじゃなきゃ、俺が今こんなにピンピンしてる説明がつかねーもんなぁ?」
ケイガンは立ち上がると、動けずにいたシエルを鋭く蹴り上げた。
「ラングレー!!」
「……がっ………!」
ユディットの悲鳴を聞きながら、シエルは大きく飛ばされる。何度か地面にバウンドし、最後に巨岩に叩きつけられて止まった。
「…へぇ、咄嗟に後ろに跳んで衝撃を和らげやがった。まだそんな力が残ってたかよ」
ケイガンの口調は面白がっているようだったが、その視線は冷えていた。
それから、ギネヴィアに向き直ると途端に破顔する。
「どうせ連中は、俺みたいに現実を見ることもテメーみたいに夢を見ることも諦めた負け犬よ。だったら、この俺の養分になった方がよっぽど価値ある存在になれるだろ?」
「ケイガン……貴方は……喰ったのですか、同胞までも…………!」
ギネヴィアがユディットの腕から離れて起き上がろうとして、痛みに歯を食いしばりながらケイガンを睨み付けた。
もがく彼女の姿が滑稽なのか、ケイガンはどんどん上機嫌になっていく。
「おうよ、完成直前に飢喰迷宮に放り込んでやったさ。亜種魔族総勢四十三人分の存在値が、迷宮を通してこの俺の中に吸収されたのよ」
「なんて………なんてことを……」
わなわなと震えるギネヴィアに、ケイガンはとうとう笑い出した。
「何言ってんだよ、おかげでテメーは連中から解放されたろ?もう責任ばっかり押し付けられることも、期待ばっかり押し付けられることもない!良かったじゃねーか!!」
そしてひとしきり笑うと、ピタリと哄笑を止めた。
ふっと、ケイガンの表情が変化する。残忍で狡猾な中に、どこまでも昏い色が混ざる。
「今、辛い現実からも見果てぬ夢からも解放してやるよ、この俺がな」
ゆっくりと歩き出すケイガンを見て、ギネヴィアは立ち上がった。止めようとするユディットを押し退けて、自分からもケイガンへ歩いていく。
その足取りは未だ覚束なかった。しかし、その双眸は苛烈な炎に彩られていた。
「自分の罪は、貴方を裁いてから受けることにします。貴方を止めることは、私の最後の責任であり、義務です」
「いいぜ、見せてやるよ。テメーらがいかに甘っちょろい夢に浸ってたのかってことをよ」
二人の竜魔族が対峙した。
ギネヴィアの姿が変貌する。
額からは角が、背中からは翼が生え体は一回り大きくなり、皮膚には鱗が。
面立ちこそ人と似通っているが、それは明らかに異形。ケイガンとよく似た、竜の名を冠する魔族の真の姿。
「せんせ…」
「ユディット、離れていなさい」
厳しい声でユディットを遠ざけ、ギネヴィアは振り返らなかった。
空気が、震えているようだった。二人から発せられる魔力が濃すぎるためだ。
長閑な辺境の廃教会は今、凄惨で苛烈な殺し合いの現場になろうとしていた。
シエル君の秘奥義ですが、超位といってもラグナフォールの方は特位寄り…すなわち超位の中でも下の方で、アルタークロイツは中くらいのレベルです。
少なくとも、魔王と初めて会ったころのアルセリアよりは、シエル君の方がレベルが上だったりします。この人、廉族レベルでは間違いなく全キャラ中最強なので。けど、修行?後のアルセリアも同じくらいに達してますよ。ヒロインですからね、一応。




