学校へ行こう。 第三十九話 魔王陛下、自分の罪に向き合ってみる。
今も無限に広がり続ける亜空間で俺は、どうしたらいいのか分からずに立ち竦んでいた。
こんな風に途方に暮れるのなんて、一体どれだけぶりだろう。いや、そもそもこんなことって他にはあったっけ。
…と言っても、脱出方法が分からずに…というわけじゃない。こんなもの、俺にとっては児戯に等しい。
正攻法で脱出するには何億年かかるか分からないが、空間ごと破壊して外に出ることなんて朝飯前だ。
そうじゃなくて。
俺が動けないでいるのは、そういうことじゃなくて。
……ユディットの憎しみが、これほどまでに強かったとは。
恨まれているのは自覚していたが、彼女からの赦しを得てすぐに安心出来る程度に、俺は彼女の心を見誤っていた。
…見くびっていた。
道理はこちらにある。彼女もそれを理解してくれたなら、納得は出来なくとも現実を受け容れてくれるだろう、と。
非情な言い方をしてしまえば、諦めてくれるだろう…と。
空間が閉じる前の彼女の顔が、脳裏に焼き付いて離れない。彼女の声が、耳に残って離れない。
――――私は、貴方を絶対に、永遠に許さない。
――――無駄でも、無意味でも、私はこれ以外の道を取るつもりはないわ。
――――この復讐が終わっても、私の憎しみは続くのよ。
憎悪に燃え盛る彼女の声に、嘲笑うようなシエルの声が重なった。
――――いずれ貴様は、己の過ちに気付くことになるだろう。
結局、あいつが正しかった…ということなのか。
俺は、彼らの憎しみを、苦しみを、何一つ分かっていなかったのだろうか。
天地大戦の頃から、俺が幾度となく繰り返してきたこと。
命を奪い、踏みにじり、見下し、嘲笑ってきた。
多くの生命が、俺に憎悪を向け敵意を向け、刃を向けてきた。それらを俺は、ちょっとした娯楽程度の感覚で片付けていた。
そして俺が殺した者を愛する者がまた同じように現れて、俺は同じことを繰り返した。
どれだけの憎しみを浴びたのか、分からない。数えることもなかったし、意識したこともなかった。その罪を罪だとも思っていなかったから、どれだけ積み重ねても平気だった。
なら、俺は……今の俺は、どうしたらいいんだろう。
正直、今も自分の罪を本当に悔いているのかは分からない。
ユディットがこんなに苦しんで、俺を憎んで、シエルも同じように苦しんで俺を憎んでいるから、俺にも奪われたくない大切なものが出来たから、きっとあの頃の俺は今の俺の基準からすれば間違っていたのだと思う。
けれども、もしユディットもシエルも俺を憎んでいなければ、自分の大切なものが永遠に安泰でいるならば、こんな風に思い悩むこともなかっただろう。
とすれば、俺のこれは罪悪感と呼ぶのとはちょっと違うような気もする。
俺はよく分からないけれど、罪の償いっていうのはまず罪の意識から始まらないといけないんじゃないかな。
罪を自覚して初めて、償いは意味を持つ。
極論を言ってしまえば、死刑廃止論とかそういうのも、そこからようやくスタートするべきだ。罪を罪だと認識して、それを悔いて、それから為された行為によってそれが償いに値するかどうか。
形だけの反省を見せて言われるがまま償いをしてみせたって、それは張りぼてでしかない。
だったら……俺はどうすればいい?
今の状態で俺が何をしても、彼女への償いにはならない。彼女がそれで救われることはない。
よくドラマや漫画で、「復讐なんてしても○○が喜ぶと思ってるのか?」とか、「〇〇が望んでるのはそんなことじゃなくてお前の幸せだ!」とか、そういう台詞を聞く。
それは一つの事実なんだろうけど、俺に消された炎霊が感情を持っているならきっと復讐を喜んだ…かどうかは分からないが満足しただろうし、それを望んだだろう。ユディットが俺への赦しより復讐を求めそれを選んだのであれば、何が彼女の幸せかなんて他人が訳知り顔で語るものじゃない。ましてや、憎悪対象の俺がどの面下げて…ってものだ。
償いなんて、ユディットが望まなければ無意味。そして彼女が俺を許さない限り、俺の彼女への罪は消えてなくならない。世界を救っただとか管理しているだとか、魔王がいなければ世界を保てないだとか、そういう問題じゃない。世界と彼女の愛憎には、何の関係もない。
……………………。
ユウト=サクラーヴァは、このままいなくなった方がいいのかもしれない。
当然、そんなことが本当の償いになるはずがないって分かってる。けどそれを言い出したら、俺には償わなくちゃならない相手があまりに多すぎる。
それに、俺はただ、ユディットの救いを考えているだけ。短い間だけど俺と同級生として過ごし、言葉を交わし、大切なものを奪ってしまった彼女の苦しみを、少しでいいから軽くしてやりたいだけ。
…本質的な償いなんて、魔王に求める方が間違っている。そう言い切ってしまえるほどには、俺はやっぱり魔王なんだ。
俺は、他人の幸福のために滅亡を選ぶほど清くも優しくもないし、世界も道連れにしてしまうと分かっていてそれを選ぶほど愚かでも傲慢でもない。
けど、それならばせめて、ユウト=サクラーヴァとしては、彼女の望みどおりにさせてやるべきじゃなかろうか。
…うん、それがいい。グリードには後できちんと説明しておくとして(俺が死んだって聞いても信じない…つーかあの狸爺ならそれだけでなんとなく事情を把握しそうだけど)、クラスメイトたちは悲しむだろう(と思いたい)けど、それほど長く深い付き合いじゃないから傷も浅かろう。
このままユウトは大人しく退場して、形だけでもユディットの復讐を成就させてやろう。所詮は御為ごかしに過ぎないけど、彼女に復讐しか道がなかったように、俺も見せかけばかりそれを受け容れる以外の道がない。
憎悪だろうと、本気の想いには応えてやりたい。そして、空間系儀式魔術まで持ち出してそれを望んだ彼女の想いは本物だ。正しかろうと、間違っていようと。
…………………。
……………………………。
…………………………………………?
…空間系………?
あれ?ちょっと待て……空間……飢喰迷宮?
ユディットの勢いに気を取られてうっかりしてたけど……飢喰迷宮?
ユディットが?廉族の、ユディットが?飢喰迷宮?亜空間操作?
……ってそれ、ありえないでしょ。
空間を扱うなんて、単体で可能なのは最高位の魔族か天使か、或いは古竜か。確かに儀式を用いればその限りじゃないけど、単純に地上界と魔界を繋ぐ“門”だけでも、半年以上の期間と数百人規模の一流術者(人数は術者のレベルによる)が必要なんだぞ?
いくら貴族のお嬢様だからって、一つの家にそんなことが可能なはずがない。ましてや、ユディットが俺への復讐を思いついたのなんてつい先日の話じゃないか。
……てことは、飢喰迷宮の目的はもともと俺への復讐ではなく、それを構築するためにユディットに手を貸した…或いはそれを構築した何者かが、存在している、ということ。
そしてその何者かは、廉族ではない可能性が高い、ということ。
何故ならば、空間系迷宮は地上界に知られている技術ではないから。それを知っているのは…それに精通しているのは…………
物凄く、嫌な感じがする。
これ以上、このことについて考えたくない。考えて、その結論に至ってしまうことが俺には恐ろしい。
何も気付かなかったことにしてしまいたい。
俺の心の平穏のためにも。
楽しかった思い出を守るためにも。
心の中に灯った小さな温もりを、守るためにも。
だけど、多分それは許されないことだ。魔王としても人としても。
もし俺の推測が正しければ、シエルにすら荷が重い状況が発生していることになる。
形ばかりの無意味な償いよりも、俺のちっぽけな願いなんかよりも、優先しなくちゃならないことがある。
その後どうしたいかは、どうすべきかは、全てが終わった後で改めてユディットと自分自身に問うこととしよう。




