学校へ行こう。 第三十七話 魔王陛下、真実を突きつけられる。
俺たちが行く廃教会は、昨日行った山の麓。とは言っても昨日の登山口とは反対側にある。
直線距離的には屋敷からそこまで遠くないんだけど、山をぐるっと回らなきゃならないので実際には結構歩くことになるんだな。
病魔退散のご利益で有名だったのにどうして廃れてしまったのか不思議だったが、道中で納得。
とにかく、道が不便なのだ。
もともと、オルート・ルブラ(この地域一帯の名称だ)は山と山に囲まれた平地(ほとんどが葡萄畑)の、長閑な田舎。決して交通の便がいいとは言えない。
それでも馬車があれば大抵のところには行けるのだが、廃教会のある山の北東側は集落もなく街道もなく、獣道に毛が生えた程度の道が山やら森やらの間をくねくねと抜けていく。
道は整備されておらず大きめの石が転がってたり木々に侵食されてたりして、とてもじゃないが馬車が通れるような状態じゃなかった。
「昔はこの辺りにも人が住んでたのよ。この山じゃないけど鉱山が近くにあって、それなりに賑わってたんだって。教会もその時代の名残みたい。けど、なんだか色々あって鉱山が閉じられて近くの集落はみんな廃村になっちゃった。今じゃ、来る人もほとんどいないし、私はそれが寂しい」
歩きながらユディットが、ポツリと漏らした。
田舎の過疎問題って、こっちの世界にもあるんだなー。鉱山が閉じればそれもやむを得なしかもだけど、賑わっているうちに別の振興策を見付けることが出来ていたなら、きっとここにも賑やかな人々の営みが続いていただろうに。
「確かに寂しいことですけどね、それもまた自然の流れですよ」
…とは、ギネヴィア先生。現実的な意見だけど、そう言う彼女だってどことなくアンニュイな表情になってる。
少しだけ悲しげな先生も、やっぱり綺麗だと思った。
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「へー、結構綺麗に残ってるじゃん」
辿り着いた廃教会を見上げて、俺は率直な感想。
もうだいぶ前に使われなくなったって話だし、もっとボロボロかと思ったら思いの他しっかりしてる。
石組みは古いけど崩れてるところはないし、ステンドグラスも健在。言っちゃなんだが、リエルタ村のエルネストの教会の方がもっとボロっちかったぞ。あっちは現役だったのに。
もしかしたら、誰かが定期的にメンテナンスしてるのかな。
扉に鍵はかかっていない。俺は、中に入ってみた。
小さな聖堂だ。正面奥の高い所にステンドグラス。色彩は少ない。その下には大きな円環の一部がぶら下がっていた。多分、聖円環の残骸だろう。
さらにその下に、創世神の像と祭壇。俺は引き寄せられるように、像の傍に寄った。
……やっぱり似てない。なんでこう地上界の創世神像ってこうも実物に似てないのばっかりなんだろう。
けど、似てないのに俺は胸がギュッとなってしばらく立ち尽くしていた。
創世神はもういない。彼女の存在を証明するのは、俺の記憶とこれらのまるで似ていない彫像だけ。
そのことが、酷く淋しい。
ユディットと先生が言ってた「寂しい」っていうのと、同じ感情なのかな。
……いかんいかん、俺までアンニュイになってしまった。せっかく今は魔王を忘れるって決めてたのに。
俺は自分の周りに纏わりつく寂寥感を振り払った。
そう、今の俺はユウト=サクラーヴァ。休暇を利用してクラスメイトのところに遊びに来た平凡な学生なのだ。
当然、創世神のことなんてよく知らないし顔を知ってるはずもない。その喪失に孤独を感じることもない。
…うん、よし。これでもう大丈夫。
あとは、まぁ一応はシエルの親父さんのためにお祈りでもしてやって、それからこの付近の散策でもしよう。
ユディットがあれだけ素敵な場所って強調してたんだから、きっと素晴らしい風景が待っているに違いない。
「…って、あれ?」
俺は振り返った。
気付けば、ユディットも先生も中に入ってきていない。入口の外に並んで立ってこっちを見てる。
「何してんだよ、二人とも。入んないの?」
俺は二人の方へ足を向けて、その直後。
「…………あれ?」
自分の足が、まるで地面に縫い止められているかのように動かないことに気付いた。
俺の足元には……暗くてよく見えなかったけど、これ…何かの陣?
「馬鹿な男」
突然のことに思考停止した俺の耳に、ユディットの声が届いた。
ただし、すぐに彼女のものとは分からなかったくらい、酷く冷たくて昏くて静かで激しくて、憎悪に満ちた声。
「ユディット……?」
顔を上げて、彼女を見た。
最初は逆光で、外と中の明暗差に目も慣れなくて、彼女の表情が見えなかった。
そして目が慣れてきて、太陽が雲に隠れたのかユディットを背後から照らす陽光も薄まって、彼女の姿が露わになる。
さっきの声と同じ。
冷たくて、昏くて、静かで、激しくて……憎悪に満ちた彼女の顔が。
どうして……どうして彼女は、こんな顔をしているんだろう?
ついさっきまであんなに楽しく語らってたのに。あんなに楽しく遊んでいたのに。
あんなに楽しそうに、笑ってくれていたのに。
愕然とする俺を前に、ユディットの口が笑みの形に歪んだ。
それは、シエルが俺に見せるのととてもよく似た、憎悪混じりの嘲笑だった。
「ほんと、おめでたい頭をしてるのね。まさか、私が貴方を許したと、本当にそう思っていたの?」
「それ……どういう……」
許す?許すって……
「炎翼のこと……か?」
「そうに決まってるでしょう!!」
唯一の、もう解決したとばかり思い込んでいた心当たりを口にすると、ユディットは叫んだ。
「許せるはずがないじゃない!家族を殺されて、それでどうして許せると思うの!?」
彼女は、ユディットは……俺を、許してなかった…?
俺は、許されてなかった……のか。
ユディットの横に立つギネヴィア先生は、激昂するユディットとは違って落ち着いていた。落ち着いていたけど、その静かで冷たい眼差しは、彼女がユディットに寄り添っているのだという事実を示していた。
ユディットは、口元だけは嘲笑を浮かべたまま、そして瞳には涙を浮かべたまま、叫び続ける。
「これだから公爵家のお坊ちゃんは!家族を殺された私が、こんなに簡単に自分を許すと思ったわけ?思ったのよね、きっと貴方は今まで、いつだって、何をしてもすぐに許してもらえてたのよね!何でも好きなように振舞って、他人からそれを許してもらえて、自分でもそれが当然のことだと思ってて、そうして幸せに生きてきたのよね!?」
ユディットの言葉が、耳に、胸に、突き刺さる。
それは………否定、出来ない。
自分ではそんな風に考えたことなかったけど……こうして突き付けられると、それらが全て事実であることに気付く。
厳密に言えば、俺を許していない者は数多くいるだろう、シエルのように。
けれども、俺が許しを必要とする人たちは皆、すぐに俺を許してくれる。
我儘を言っても、好き放題振舞っても、ちょっと失敗しても。
俺にとってはそれが当たり前のことで、強く意識したこともなかった。
俺は何をしても許される。それは当然だ。だって俺は……
ああ、そうか。だって俺は、魔王なのだから。
「だからこんな手に引っかかるのよ、だから馬鹿な男だって言われるの。分かる?最初から、貴方に復讐するためだけにずっと自分を偽り続けてた私の気持ちが、貴方に分かる?」
「最初から………このつもりで?」
俺を侯爵邸に招待したのも、俺と打ち解けたフリをしたのも、全ては復讐のため。
俺を油断させて、確実にそれを実行に移すため。
「貴方に怪しまれないようにラングレーも誘うことになったのは予想外だったけど、ほんの少しの間だけ遠ざけられれば問題はないわ。貴方が消えた後なら、なんとでも説明出来るもの」
「あいつの親父さんのことも……でっち上げだったってわけだ…」
偽の電報を打って、シエルをこの地から遠ざけて。
アレクシスが一緒に来れない日を選んだのも、彼を巻き込まないため。
彼女は……彼女はどんな思いで、今まで俺に接していたんだろう。
その目に燃え盛る炎を見れば、彼女の憎しみの深さが分かる。シエルに勝るとも劣らない…いや、それよりもさらに激しい、怒りと憎悪。
家族を殺した仇を前にした、復讐者の瞳。
そんな感情を抱えて、それを押し殺して、俺に笑顔を向け楽しそうに振舞って、まるで心を許した親友みたいに。
それを思うと、とても釈明なんて出来そうになかった。
「そっか……まだ、許してくれてなかったんだな……」
「許せるはずないじゃない!私は、貴方を絶対に、永遠に許さない!!」
俺の呟きを拾って、いっそう激しくユディットは叫んだ。
「俺を…殺すのか?」
「ええ……そうよ。最初から、それ以外は考えてない。こんなことしたって炎翼は戻ってこないって分かってるけど……私には、こうするしかないのよ!」
ユディットは、拳を握りしめて項垂れた。
そして自分に言い聞かせるような震える声がその喉から漏れる。
「無駄でも、無意味でも、私はこれ以外の道を取るつもりはないわ。この復讐が終わっても、私の憎しみは続くのよ」
彼女は、自分がやろうとしていることをきちんと理解している。
その無意味さも、罪深さも、正当性も、過ちも。
「だけど、こうしなきゃ私はきっと、ここから動けない。この思いを抱えながら立ち止まるくらいなら、この思いを抱えたまま前へ進むわ」
それは、彼女の覚悟。
キッと前を見据え、俺を射抜く彼女の眼差しは、俺がかつて戦場で出逢った英雄たちのそれと重なって見えた。
俺は再び、自分の足を止める床の魔法陣に目を落とした。
これは多分、ただの足止めではないのだろう。それよりももっと、大きな力の流れを感じる。
もっと大きくて、深い流れ。
「先生は、私に協力してくれたの。私の想いを理解してくれて、力を貸してくれた」
ユディットは、隣に立つギネヴィア先生の手を握った。おそらくは、彼女にとって唯一の拠り所である手を。
先生は、ユディットを引き継ぐように口を開いた。
「貴方の足元のそれは、とある儀式魔術の一部です。飢喰迷宮と呼ばれる、亜空間に無限に広がり続ける牢獄の入口……」
初めて聞く名前だ。
…にしても、牢獄?殺すんじゃなくて?
「そこに囚われた者は永遠に外に出ることは出来ません。いずれ力尽き、迷宮に喰われその一部となる…死体を含め、一切の痕跡を残すことすらなく」
……ああ、なるほど…
万が一死体が見つかって、それに他殺の痕跡があろうものなら大変な騒ぎになるもんな。何せ、今の俺は公爵家の人間なんだから。
そうなったら、クラウゼヴァルツ侯爵家の関与も疑われてしまう。少なくとも、招待しておいて死なせてしまっては聖教会から責任を問われることになるだろう。
それを避けるには、永遠に見つからないようにして行方不明にしてしまうのが一番、というわけだ。
「…ユウト、私は、貴方が憎いわけではありません。貴方のしたことは、ユディを救うためだったとも分かっています。けれども……ユディの憎しみは理屈で片付けられるものではない。そして私は、ユディを見捨てることが出来ません。彼女の母親と、約束しましたから……」
第三者として、ギネヴィア先生の選択は決して正しいとは言えない。復讐とは、当事者間でのみ通用する言い訳なのだ。先生個人は俺に対する恨みを持たず、またユディットの復讐に加担する正当性も持たない。
けれども先生の静かな佇まいは、そんなこと百も承知だと言わんばかりだった。彼女も、ユディットと同じくらい強く覚悟を決めている。自分の大切な生徒のために、過ちを犯すという覚悟を。
俺は、その場を動けなかった。
魔法陣のせいじゃない。こんなもの、その気になればただの落書き程度だ。それよりも、ユディットの憎しみが、眼差しが、叫びが、俺の動きを止めていた。
臣下でもなくて、敵でもなくて、仲の良い友人だと思っていた相手からぶつけられる憎悪は、初めてだった。
それがこんなにも痛いものだって、初めて知った。
立ち竦む俺の目の前で、ユディットはもう一度笑みを浮かべた。何故だか分からないけど、それは先ほどまでの嘲笑とは少し違ってやけに淋しそうに見えた。
「さようなら、ユウト。貴方とは、あんなことがなければきっといい友人になれたでしょうね……今さらこんなこと言っても無駄だけど」
「ユディ……」
咄嗟に伸ばした俺の手は虚しく空を切って、見えない扉が閉ざされた。




