学校へ行こう。 第三十六話 魔王陛下、ちょっと複雑。
俺たちは連日、とにかく目一杯遊びまくった。
川、湖の次は山にハイキング。ちょっとしたキャンプ紛いのことなんかもしてみたりして、もともとアウトドア好きだった俺にとってはこの上ない楽しい時間だった。
連休は二週間ばかり続くが、一応の予定としてはその半分をユディットのところで過ごすつもりだ。特にこれといった用事があるわけじゃないけど、休みの間ずーっとお邪魔しっぱなしってのも無遠慮が過ぎるだろう。
それに、魔界でのテロ?未遂は結局まだ解決してない…つーか、その後の進捗を聞いてない。
別に魔界に戻らなくてもいくらでも連絡は取れるんだけど、なんとなくそれが憚られたのだ。
万が一ユディットたちにバレたらマズい…とか、そういうんじゃなくて。
なんだろう…今は俺、魔王から離れていたい気分。
そりゃ、俺が魔王であるというのはどうしようもない事実だしそれを否定するつもりも拒絶するつもりもないけど、ちゃんと立派な魔王でありたいとも思ってるけど、何て言うか今だけは、そういうことと無縁でいたい。
今の俺はユウトで、ごくごく普通の学生で、クラスメイトの実家に遊びに来てて。
まぁ設定自体は英雄の息子ってことになってるから本当の意味で「普通」かどうかはさておき、魔王だの勇者だの創世神だの世界の存亡だの、そんな話とは完全に無関係なわけで、だからここにいる間だけは、完全にリュウト=サクラバも、ヴェルギリウス=イーディアも、忘れ去ろうと思ってる。
だからゴメン、ギーヴレイ。帰ったらちゃんと魔王するから勘弁してくれ。
◆◆◆◆◆◆◆◆
侯爵邸の滞在もあと二、三日となったところで、一通の電報が届いた。
ユディット宛ではなく、受取人はシエルだった。
「…電報…オレに?」
シエルは首を傾げて受け取っていた。封を開けて中身を読んで、さらに怪訝そうな顔になる。
「何が書いてあったの?」
決して愉快とは言えないシエルの表情を不思議に思ったのか、ユディットがシエルの背中から覗き込む。俺も一緒になって、奴の背中ごしに電報を読んでみた。
…いや、不作法とは思うけどさ、シエルも別に拒否ってなかったからいいよね。
で、その電報に書かれていたのは…
チチキトク、スグカエレ
……だった。
「え……チチキトク…父危篤って、大変じゃないラングレー!」
思わずユディットが声を上げる。シエル本人よりも、慌てた感じで。
対するシエルは、自分の肉親のことなのに全く取り乱す様子はなかった。ただ、怪訝そうな表情だけは変わらない。
それは父を心配しているというよりも、何かを訝しんでいるかのようだった。
つーか、危篤って……シエルのとこの家族って、あれだろ?一応は爵位貴族なのに領地に出た魔獣を一家総出で討伐しちゃうような剛の者揃いなんだろ?
なんか……危篤って言われてもいまいちピンとこない。会ったこともない人相手に失礼だけど。
「こんなところに居る場合じゃないわ。馬車を出すから、すぐに帰らないと!」
「なら、私が手配してきますね」
ユディットの提案に、ギネヴィア先生が即座に応じて馬車を手配しに行った。
「せっかく来てくれたのに残念だけど…ご家族の一大事だから仕方ないわね。また学校で会いましょう?」
ユディットは心底残念そうにしていたが、俺はどちらかと言うと気が楽になっていた。
いや、シエルの親父さんが死にかけてるのにそれは不謹慎だけどさ、ただ、俺はシエル父のこと全く知らないし…会ったこともなければ為人も外見も名前すら知らない…、シエルが実家に戻れば残りの二日か三日は、俺は完全に目付け役から解放されることになるわけで。
そりゃ、気も楽になるってもんでしょ。
なにしろ、シエルってばこの休み中、普段みたいに喧嘩を売りまくってくることはないがやけに苛ついた感じで、何か言いたげで、けど何も言ってこなくて、要するに不気味だった。
俺自身、奴に憎まれている自覚もあるからか、妙な後ろめたさのようなものを感じていた。そのせいで、遊んでいてもどこか吹っ切れないっつーか羽目を外しきれないっつーか。
ここでシエルが退場してくれれば、奴に気を遣うこともなくなる。悪いけど、会ったこともない赤の他人の健康に気を揉むほど俺はお人好しじゃないよ。
ギネヴィア先生が手早く馬車を手配して(つっても侯爵家の馬車だからそんな手間がかかるわけじゃない)、シエルはユディットに急かされるように馬車に押し込められ、侯爵邸を後にした。
馬車に乗り込む寸前、シエルが俺の方を見た…ような気がした。例の、何か言いたげな視線。けれども結局何も言わず、奴は俺から目を逸らした。
……うむむ、やっぱり気になる。休暇が終わったら、学校で問いただしてやる。
そうしてシエルが実家へ戻り、残された俺たちはしばらくの間、侯爵邸の前庭でボーっと突っ立ってた。
ユディットはソワソワして、多分シエルの心配(親父さんの心配?)をしているんだろうけど、ギネヴィア先生がそんな彼女の肩に手を置いて元気づけていた。
俺はと言うと、ほんとは今すぐにでも「ひゃっほー解放されたぜそれじゃ遊びに行こうか!」と飛び上がりたかったんだが、いくらなんでもシエルを心配するユディットの手前、それは薄情すぎると思い自重していた。
…で、もうそろそろいいかな?ってところでさりげなーく提案。
「……あー、えっと、それじゃ俺たちは…どうする?なんか遊ぶって気分じゃなくなっちまったけど…」
「そうね……ユウトはどうしたい?もし貴方も帰りたいなら…」
「いや!俺はもう少しここにいたい!!」
俺は勢いよくユディットを遮った。このまま帰るなんて御免だね。せっかくの自由時間、ギリギリまで堪能してやるもんね。
それに、俺たちが神妙にしてたってそれでシエルの親父さんの具合が良くなるわけじゃないんだしさ。
「そ…そう?貴方がいいなら、それでいいけど………」
「だったらユディ、あの教会はどうですか?」
戸惑いながらも頷いたユディットに、ギネヴィア先生が何やら提案した。
あの教会…?あのって、どの教会だろう。
それだけで、ユディットは先生が何を言わんとしているのか即座に察したみたいだ。彼女の表情がパッと明るくなる。
「それはいいですね、先生!ユウト、昨日行った山の麓に小さな教会があるの。今はもう使われていないんだけど、そこは病魔退散のご利益で有名だったのよ」
「…病魔退散て……ああ、そういうこと」
ユディットと先生ってば、ほんと優しいなー。シエルの親父さんのために、教会でお祈りしようってわけか。
「そこは廃墟なんだけど建物もけっこう綺麗に残っているし、なんていうか、とても神秘的な雰囲気でね、普通に観光するだけでも素敵なところよ。今じゃ知ってる人も少なくて穴場だし、行ってみない?」
「あー…うん、いいね」
……教会…教会、かぁー。
なんか、微妙な気分。
いや、俺は魔族連中と違って創世神に対して憎しみがあるわけじゃない。それどころか、確かに色々あったけどやっぱりあいつは俺の唯一の家族で、肉親で、同じ目線で同じ景色を見ることのできる存在だった。
ただ、もう彼女はいない。それを再認識させられるような場所に行くのは、俺としてはどうも複雑な気持ちになるというか何というか……
けど、ユディットたちには関係ないことだもんな。まさかそんな事情を話すわけにもいかないし。
「使われてない教会でも、神さまのご加護は宿ってると思うの。だって本当に素晴らしいところなんですもの。ユウトもきっと気に入ると思うわ!」
「…へー……それじゃ、行ってみようか」
俺は、そう答えるしかなかった。
聖教会の情報操作のおかげで、聖戦後もこの世界で創世神信仰は廃れていない。荒魂は恐れられているが、和魂は今でも人々を守り導いてくれていると信じられているのだ。
俺たちは朝食後、その教会へ行ってみることにした。
残念なことに、アレクシスは家庭教師の来る日なのでお留守番。しょげ返っていて可哀想だが、俺がその分お姉さんと先生と楽しくやってきてやろうじゃないか。
…なお、いくら俺でも相方が祀られている場所で不届きな所業に及ぶほど不届きな者ではないと、ここに明言しておく。




