学校へ行こう。 第三十二話 魔王陛下はときどき傲慢たまに残酷。
「厳しい…ですか。そうですね、確かに言葉にしてしまえばそれだけのことですね」
「あの……先生?」
ギネヴィア先生の口調は苦々しさで一杯だった。
彼女のそんな険しい態度を初めて見たもんだから、俺は驚く。
先生は吃驚している俺に気付くと、気を取り直したみたいに肩を竦めて苦笑した。けど、声の棘は変わらないままだった。
「侯爵のやり方は、常軌を逸しています。まだ一人前でもないユディに課すには、あまりにも」
「常軌を逸した…やり方…」
「決して敗北は許されない、逃げ場もない、そんな状況に追い詰めるなんて、どうかしてます」
そう言ってユディットの方に目をやるギネヴィア先生の眼差しには、間違いなく憐憫が籠っていた。
「あの……具体的には?」
「私が勝手に話すことでもないので詳細は省きますが、そういう状況に彼女を追いこむ、とだけ言っておきます」
……いやいやここまで来て勿体ぶらないでよ。気になるじゃん。
それとも、話すのも憚られるような所業だったり?
「そのせいで、あの子の中には敗北に対する強い恐怖が根付いています。勿論、戦う上でそれはとても大切なことでもあるのですが、彼女の場合は幼い頃から植え付けられた感情…洗脳みたいなもので、そんなのは健全なやり方じゃないでしょう」
…でしょう、って言われても、具体的なことが分からなければ返事のしようがない。けど、先生は俺の返事なんて求めてないんだろうな。
「…私も、いけなかったんです。もっと強く侯爵を諫めるべきでした」
…ああ、先生の苦悩はそういうことか。ユディットをそんな環境から救えなかったことに、罪悪感を抱いてる…と。
「でも、侯爵家は先生の雇い主なんだから、それは仕方ないと思います」
俺はそんな下手な慰めを言ってみる。そんなことで先生が自分を許せるとは思わないけど、しかしそれも事実なのだ。
先生は、侯爵に雇われたユディットの教師でしかない。ユディットの家族でも後見人でもない。その彼女が、当主の決定に反対してユディットを庇うのはどれだけ難しいことか。
「……侯爵だけではありません。私は、ユディを説得することも出来ませんでした」
「説得?」
「今の彼女の状況は普通ではないこと。こんな環境は、決して彼女自身のためにはならないこと。強くなる方法は他にいくらでもあること。諭すための言葉は沢山あったはずなのに、私はユディの決意を曲げることが出来ませんでした。教師として、力不足を痛感します」
……てことは、その「常軌を逸したやり方」ってのは、ユディットも受け容れてたってわけか。強くなるにはその方法しかないと(だからどんな方法なんだ?)、だから自分はそれに耐えるしかないと。
慕っているギネヴィア先生の言葉も聞き入れないくらいだから、その決意は相当に強いに違いない。
「だったら、それこそ先生のせいじゃありませんよ。それは、ユディットの選択でしょ?」
「与えられた選択肢がまともではなかったんです。あの子がそれで正確な判断を下せたとは思えません」
「それは…………そういうものじゃないんですか?」
俺の、多分酷く冷酷に聞こえるだろう台詞に、ギネヴィア先生はギョッとしたような顔をした。
俺がそんな冷たいことを言うなんて、想像もしてなかったんだろう。
俺は、ユディットが嫌いではない。ここ数日で、随分と彼女のことが気に入ってしまった。だから出来れば彼女には幸せになってもらいたいし、笑っていてもらいたいし、そのために自分に出来ることがあるのなら協力を惜しむつもりはない。
けど、それと彼女の人生にお節介を焼くのとは、別物だ。
二者択一の選択肢の両方がロクなものじゃない、なんて状況は珍しくない。恵まれた環境にいるのならまだしも、平民やそれ以下の階級の人々なら、それこそ毎日がその連続だ。
その選択肢に不平を言って立ち止まるのも自由だが、そしてそれもある意味でその者の「選択」なわけだが、残念なことに配られたカードに他者が責任を持ってくれることはない。
世界は不公平と不条理の塊で、しかしその世界で生きる以上は受け容れる、或いは諦めるしかない。
もしくは…それが嫌なら、自分の力で打開するしかない。
ユディットは、選んだのだ。
たとえまともじゃないやり方でも、侯爵の指示に従って強くなることを。そしてどんなクソったれの選択肢でも、選んだ瞬間にその責任は彼女のものとなる。
もし彼女が、そこから抜けだすことを望んで、それでもそれが叶わないのだとすれば、俺はいくらでも手を貸そう。
なんなら、物理的に侯爵家をぶっ潰してもいい。グリードに頼んで、裏から手を回してもらうのでもいい。彼女が俺を頼ってくれるなら、いくらでも方法はある。
…けど、彼女はそうしなかった。信頼するギネヴィア先生にすら、助けを求めなかった。
てことは、彼女は自分の意志でそれを貫く覚悟を決めたのだ。
ユディットほどの少女が、何も考えずに他人に言われるまま…なんてことはありえない。ならばそれは彼女の選択。彼女の責任。彼女の覚悟。
そこに、先生だろうがクラスメイトだろうが、横から口を挟むのはちょっと違うと、俺は思う。
「ユディットは、強いし頭もいい。本当に助けてほしいと思うなら、きっと先生を頼ったはずです。けどそうしなかったのは、彼女自身がそれを望まなかったから、でしょ?」
「それは………」
「先生は、ユディットの支えになってると思います。だから彼女は、その…何かよく分からないけど侯爵のやり方ってのに、耐えていられるんです。彼女が先生に求めてるのは、助けじゃなくて、精神的な支えなんじゃないですか?」
どんなに辛くても、苦しくても、ここに帰ってくればもう大丈夫と思える場所があれば、意外に頑張れるものだ。
それが家族ではなく先生だということには何とも言えない気持ちになるが、それでもギネヴィア先生がいてくれることでユディットは大いに救われているに違いない。
「…………………」
ギネヴィア先生は、納得してはいないようだった。
それも仕方ない。何せ、俺はユディットがどんな目に合っているのか知らないまま想像だけで話しているんだから。
もしかしたらとんだ勘違いかもしれないし、事態を甘く見過ぎているのかもしれない。
けど、先生が話してくれないんだから仕方ないじゃないか。
「それに、辛いことばかりじゃないんでしょ?今日もあいつ、凄く楽しそうだった。楽しめるだけの余裕があれば、きっと大丈夫ですよ」
「ユウト………もしかして、私を元気づけようとしてます?」
……う、バレた。バレるとなんか、恥ずかしい。
けど俺は、消沈してるギネヴィア先生を見たくない。
「え…と、まぁ、なんというか、先生が悪いわけじゃないんですし…」
モゴモゴしてたら、先生の顔に笑みが戻ってきた。
「…やっぱり、ユウトは優しい子ですね」
先生の声と言葉と表情はとても柔らかくて温かくて、俺を有頂天にさせるのには充分すぎた。




