学校へ行こう。 第三十話 魔王陛下、謙遜してみる?
「くっそー、あとちょっとだったのに…」
「それでも初めての割には凄いじゃないユウト。ラングレー、貴方もね」
悔しい俺と、慰めるユディット。
釣りを終えた俺たちは、良い感じの木陰でピクニックランチ兼結果発表の真っ最中である。
釣果は、
ユディット…十二匹
ギネヴィア先生…四匹
アレクシス…一匹
俺…八匹
シエル…六匹
というわけで、予想どおりユディットの優勝だ。
俺はシエルに勝てたのでとりあえず一安心だが、一度針に掛けておきながらバラしてしまったのが数匹あったので、それがやっぱり悔しい。
シエルは、多分俺に負けて相当悔しいはずだろうに、シレっとした顔をしていた。まぁ、釣りの勝ち負けなんてそれほど重要じゃないんだろうけどさ、少しくらい悔しがる顔を見せたっていいじゃないか。可愛げのない奴。
…で、シエルとは対照的に可愛げの塊なのがアレクシスだ。一匹しか釣れなかったというのに、満面の笑み。それもそのはず、
「大きさなら、アレクシスが一番ですね」
「…えへへ、嬉しいです」
ギネヴィア先生の賞賛に顔を赤くするアレクシス。最後の最後で彼が釣り上げたのはそれは立派なニジマス(っぽい魚)で、頭から尾びれの先まで三十センチ以上はある。
なお、釣れた魚は食べる分を除いて川に戻してある。キャッチ&リリースは、資源を守るためにも大事なのだ。
本日のランチとして、ユディットは屋敷から色々と持ち出していた。
と言っても弁当を作る時間はなかったので、バゲットと、レタスとトマト、それとハムを丸々一本とチーズの塊。
この場で切ってパンで挟んで、サンドイッチにして食べるのがまた旨い。
で、釣れたての魚は串に刺して焚火の周りで炙られている。やっぱ川魚は塩焼きが一番。
…余談だが、今ここにハムとチーズがあるのも実は俺(と魔界の食品開発部長エルネストと流通責任者ヴォーノ)のおかげだったりする。
食に対する熱意がイマイチだったこの世界で、俺たちはそれまでなかった食品の開発に尽力した。正確には、俺の知識にある地球の味覚を再現することに尽力した。
それまでは薬品と宗教儀式にしか使われていなかった乳製品やハーブ類を食品として広めたり、肉の保存といえば塩漬けくらいしかなかったところに燻製の概念を持ち込んでみたり、他にもまぁ色々。
全て述べるとそれだけで一つ長編小説が書けてしまいそうなので割愛するが、とにかく俺たちは頑張った。情熱〇陸やプロジェクト〇に取り上げられてもいいくらいに頑張った。
おかげで、ここ十数年でこの世界の食事情は大幅に改善された。流石に地球並みとはいかないが、それなりに満足できる結果だ。
…とまぁ、密かに自画自賛してたりするのだが、当然のことながらユディットたちはそんなこと知らない。けど、美味しそうにハムチーズサンドを頬張る姿を見るのは、なかなか嬉しいものだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ランチの後は、木陰で午睡。
これがまた、最高の時間だった。
時折、吹き抜けるそよ風。葉っぱの隙間から降り注ぐ木漏れ日の温かさ。せせらぎの音。頭上からは、鈴を転がすような軽やかな鳥のさえずり。流れる雲と、どこまでも高く青い空。野花の周りを舞い踊る蝶。
およそ春の素晴らしさを全て詰め込んだようなひととき。
ふと横に目をやると、アレクシスはぐっすり寝ていた。その隣のユディットも…寝息を立てている。
シエルは多分、起きているのだろう。けど目を閉じて、まるで瞑想してるみたいだ。
自然の中で昼寝するのは大好きなんだけど眠ってしまうのも勿体ないような気がして、俺は周りに目を遣る。と、ギネヴィア先生と目が合った。
先生は、目が合った瞬間に微笑んでくれた。
…なんだろう、心の中がほわっと温かくなる。
それは、ポンコツ勇者組と一緒にいるときの忙しない感情の動きとも、魔界にいるときの安心感とも、どこか違う。
嬉しいような切ないような、けれどもその感覚が決して嫌ではない。
「ギネヴィア先生は、ユディットを教えて長いんですか?」
この時間を無駄にしてしまうのが惜しくて、俺は先生に話しかける。他の連中が寝てるので、小声で。
「そうですね、もうだいぶ経ちますよ。ユディの母親と出会ったとき、ちょうど彼女はユディを妊娠してた頃です」
「え、それじゃ…」
そういやユディットの年齢を聞いてなかった。中央教導学院は義務教育じゃないので同学年でも年齢はバラバラなのだ。が、見た感じ十五、六といったところじゃないだろうか。
そう考えると、ギネヴィア先生は随分と若いときにユディットの先生として侯爵家に招かれたことになるよな。今が多分、二十代後半?三十代前半?だから、そのときはまだ十代じゃないか?
「ユディットには、剣を教えてるんですか?それとも魔導?」
「両方ですし、それだけではありませんよ。他にも、一般教養や歴史なども教えてきました」
「へー…なんでも出来るんですね」
実にマルチな教師じゃないか、ギネヴィア先生。
普通、家庭教師ってのは教科ごとに違う人を雇うもんだ。剣なら剣士を、魔導なら魔導士或いは魔導学者を、一般教養ならマナー講師を、その他学問ならそれぞれの教師を。
それらを全て一手に担うというのは、言葉にするほど容易ではない。
まぁ、一般教養と学問ならなんとかなるだろうけど、それら学問系と武芸系は完全にカテゴリが違う。さらに剣術と魔導の両方を教えられる教師…則ち剣にも魔導にも精通した人物なんて、そう多くはない。
所謂、魔導剣士と呼ばれる職は意外にレアなのだ。
だってそうだろ?剣術も魔導も、普通は一生をかけて学び極めていくもの。その両方に手を出せば、どちらも中途半端になる可能性が高い。
そのため、魔導剣士はどっちも半端な三流か、どちらも極めた強者か、どちらかに分かれる。
なお、剣帝リュート=サクラーヴァも分類としては魔導剣士になってる…らしい。
余談だが、剣士の中にも魔導剣(魔導具の一種だ)を用いる者は結構多い。が、それらは厳密に言えば魔導剣士とは呼ばないそうだ。
例えばうちの息子がベタぼれしてる第一等級遊撃士メル……なんだっけ、ああ、メルセデス=ラファティも魔導を付与できる武器を用いているが、彼女は純粋な剣士だ。
この世界でいう「魔導剣士」ってのは、剣に魔法を付与して戦う戦士のことじゃなくて、剣も魔導も使える戦士のこと。俺の知り合いで言えば、ヴィンセント=ラムゼンがそれに当たる。
…と、話が逸れたが、その分類でいくとギネヴィア先生も魔導剣士ってことだろうか。
魔導剣を使う剣士連中は、魔力の扱い方は知っていても術式に関してはほぼ素人だ。ましてや、精霊との付き合い方を教えることなんてまず不可能。
「…その、やっぱりユディットに炎翼の扱い方を教えたのも…?」
思わず、声がいっそう小さくなった。
自分が間違ったとは思っていないが、それでも俺が炎翼の件でユディットを傷つけてしまったことは事実。
俺の気まずさに気付いたのか、先生が起き上がった。
「少し、あちらで話しましょうか」
「え、あ……はい」
先生と俺は、皆から離れて別の木陰へ移動した。
「その件なんですけど」
先生は単刀直入に切り出す。
「ユディットが、迷惑をかけてしまったみたいですね」
「え、いえ、別に俺はそこまで…」
実際、俺の手間はそれほどじゃなかった。巻き込まれた感はあるが、どちらかと言えば自分からうっかり首を突っ込んだのに近い。
炎翼のことにしたって、俺にとっては負担というレベルじゃない。だから、先生が俺に謝る必要もないわけだ。
「あの子には、常々言い聞かせていたつもりなんです。精霊は確かに大きな力を貸してくれますが、それらの行動原理は人とは違う、その好意に甘えていてはいつか取り返しのつかないことになりますよ…と」
ギネヴィア先生の表情が曇る。彼女は、ほぼ正確に精霊のことを把握しているようだ。
意思は持つが自我が希薄で感情を持たない精霊は、確かに通じ合えば良き伴侶のような関係を結べるが、それでも人とは違う存在なのだということは肝に銘じていなければならない。
特にユディットと炎翼の場合、ヒルダと黄金翼獣やシエルと風獅子、或いはハルトとクウちゃんのような強固な絆で結ばれているわけではない。ただ、炎翼が一方的にユディットを気に入って寵愛を与えていただけ。
だからこそユディットは炎翼を制御出来なかったし、制御を外れた炎翼は暴走しユディットをも危険に晒してしまったのだ。
「ただ、私も精霊のことは僅かに知識にあるだけで、それ以上のことを教えることは出来ませんでした。結果としてこんなことになってしまって……ユディットは、貴方にとても失礼なことをしたそうですね」
失礼なこと…ああ、平手打ちのこと?
「いえ、大したことじゃないんです。その後で謝ってくれましたし……ああ、そう言えば先生が彼女を説得してくれたんですよね?」
「最初にあの子から報告を受けたとき、あの子は全てを貴方のせいだと決めつけていて、私は思わず叱りつけてしまったんです。状況を聞けば、貴方がどうしてそうしたのかなんて明らかなのに、感情的になったあの子はそんなことも分からなかったみたいで」
…まぁ、俺も確かに理不尽な言いがかりだと思わなくもなかったけど……
「けど、気持ちは分かります。大切なものを奪われてしまうのって、理屈じゃないですし、俺のせいで彼女が傷付いたのも事実ですから」
そう、理屈じゃないのだ。ユディットと周囲の人間を救うためだという理由があったとしても、それで炎翼を殺されたユディットの痛みと怒りがなくなるわけじゃない。その点、先生からの説得があったからといってあっさりと俺を許してくれたユディットの度量には感心するしかない。
「……優しいのですね、ユウトは」
「へあ?え、俺が?」
突然しみじみと言われると、照れてしまうじゃないか。そういや、あんまり優しいって言われた記憶ないぞ、俺。
こういうの……優しさっていうのかなぁ?
「そう言えば、ユディットから聞きましたがユウト、貴方はたった一撃で炎翼を消滅させてしまったとか?」
「…あ、あーーーー、えっと…まぁ」
う、そこをツッコまれると痛い。学生相手ならなんとか誤魔化せても、先生相手に通用するか…?
「精霊を排した、ということは魔導術式ですか?」
「えーーー、はぁ、そんなとこ…です」
通常武器による直接攻撃では、精霊を傷つけることは出来ない。魔導武器を使った特殊攻撃か、その精霊の格に見合った魔導術式か。地上界の一般常識では、そうなっている。
廉族の認識の中に、権能だとか魔王の力だとかは存在していない。
先生の関心はいつの間にか、俺のことに移っていた。やはり腕に覚えのある武人はそういうものなのか。
「けど、ユディットとクラスが同じということは、ユウトも剣武科なのですよね?それなのに魔導も修めているのですか?」
先生の瞳には、称賛というよりも興味の方が強かった。学生のうちから剣も魔導も修め、しかもその魔導は中位精霊を排するレベルというのだから、武芸に心得のある者なら大抵はそうなるだろう。
「え…と、そんな修めるっていうレベルじゃありませんけど……」
実際には、魔導なんて修めてないもん。見たことのある術式と同じような効果が出るように勝手に理を弄ってるだけだもん。しかも、炎翼を滅ぼしたときは術式の体裁さえ取ってなかったし…
だから、術式構築だとか聞かれるとひじょーに困る!
「謙遜ですよね?炎翼は、中位精霊です。それを相手にしようと思ったら、少なくとも上位相当の魔導術式が必要になるんですよ?」
………やっぱり、先生は精霊のことをよく知っている。
地上界じゃ精霊についてほとんど知られていないはずなのに…何せ、シエルの使う神代魔法は古に失われた技術だ…、一体どこで学んだんだろう?
…いや、今問題なのは、先生のことじゃない。
「えっと……」
「その年で、上位術式を修めているなんて並大抵のことじゃありません。もっと胸を張ってもいいんですよ?」
「え…えぇーー…」
上位術式程度で胸を張る魔王なんて、臣下に示しが付かないんですけど…
「きっと、とても強い魔力を持っているのでしょうね。やはり、血筋の関係ですか?」
「え、いやぁ…どうなんでしょう」
「確か、お父君が剣帝閣下なのですよね?とても強い方だったと…」
こないだも思ったが、ギネヴィア先生は剣帝のことにはあまり詳しくない。地上界じゃ小さな子供でも知ってるようなことなんだけど。
「ええと、そうみたい…ですね」
「他のご家族もやっぱり、魔導の資質をお持ちで?」
「他の家族?…………ああ、ええと、そんなに家族親戚って多くなくって……えっと、その、双子の兄は遊撃士やってますけど」
と言いつつ、双子の兄って今の等級はいくつなんだろう?まさか未だに第九とか言わないよな。
「まぁ、お兄さんがいらっしゃるんですね。それに現役の遊撃士ですか……やはり、魔導資質における血統というのは大きいんですね」
「そう…なんでしょうか?」
魔導資質に関しては、全然分からない。確かに魔王の息子であるハルトのスペックはとんでもないことになっているが、それはそういう風に俺が作ったからだ。星霊核に接続出来る時点で、魔導の資質なんて意味を為さない。
そうじゃなくて、純粋に生物学的な意味で子供が出来たとして、そうしたら俺の能力はどのくらい受け継がれるものなんだろう?
「今度、ユウトの魔導を見せてもらいたいです。私これでも、魔導学の研究を続けてるんですよ」
「……え!?」
見せてって……それは、マズい。しかも魔導学の研究者?
「正確には、術式構文が専門ですけどね」
「…えっと……」
それはますますマズい。術式構文の専門家に見せたりなんかしたら、俺の魔導がとんだ似非だってバレてしまうに決まってる。
……いや、詠唱破棄って形にすれば大丈夫…なのかな?どうなのかな?専門家って、省略された発動過程も看破しちゃうものなの?けどそれって魔導感知のスキルがなくちゃ不可能だよね?もしかしてギネヴィア先生も魔導感知保有者?
……ダメだ、自分の知識が足りな過ぎて、判断が出来ない。
それに、詠唱を省略しないで見せてくれなんて言われたら、それこそお終いだ。
俺は実際のところ、詠唱を省略・破棄してるんじゃなくて、詠唱なんて出来ない・術式なんて知らない…んだから。
これは絶対、断らないと。だけど、先生には嫌われたくない……
何か、良い言い訳はないものか。先生の好感度を下げずに、やんわりとお断りする方法は……
ああ、ここにギーヴレイかグリードがいてくれたら良かったのに。




