学校へ行こう。 第二十七話 魔王陛下、ちょっと兄貴面してみる。
ずっと談話室にいたい気分だった。
ずっとここにいて、ギネヴィア先生に学院の話…困った班員たちの問題行動とか仲良くなったクラスメイトのこととか授業であった面白エピソードとか学食の名物メニューのこととか…を聞いてもらいたかった。
本当はそれだけじゃなくてもっと色々話したくなってしまうのだけど、それはなんとか思いとどまった。
懐かしいような恋しいような寂しいような時間はあっという間に過ぎて、気付けばもう消灯時間が迫っていた。
うむむ……まだまだ話したりないし名残惜しいけど、仕方ないかー…。
「あら、もうこんな時間。そろそろお開きにしましょうか。今日は楽しかったですよ、ユウト、シエル」
「こちらこそ。また、話を聞いてくれますか?」
「ええ、喜んで」
立ち上がったギネヴィア先生に、自分でも驚くくらい素直な一言が飛び出した。
俺は今、純粋に猛烈にユディットが羨ましい。
互いにおやすみなさいの挨拶を交わして、ユディットとギネヴィア先生は離れの自室へ、俺とシエルは本邸のそれぞれの客室へ戻る。
戻りしな、シエルはじーーーーーっと俺を凝視しつづけていた。
「……なんだよさっきから、気色悪いな」
談話室にいるときから、シエルはほとんど話さなかった。特にギネヴィア先生が来てからは、相槌以外はだんまりを決め込んでた。
そのくせ、何か言いたげな目でずーっと俺を睨み付けてたのは、どういうつもりなんだよ。
もうユディットも先生もいないんだから、言いたいことがあるなら言えばいいのに。まさかこいつに限って俺に遠慮してるはずもない。
促してやっても、しばらくシエルは黙ったままだった。
気味悪いし、放っておこう。俺がこいつを気にする必要なんてない。
そう思い、シエルを無視して自分の部屋に入ろうとした俺の背中に届いた、シエルの呟き。
「…………今更……」
……え、何?何が「今更」?
それ以外にも何か言ったのかもしれないけど、声が小さくて聞き取れなかった。思わずシエルの方を振り返ったら、あいつはそのまま自分にあてがわれた部屋に引っ込んで俺の目の前で扉を強く閉めてしまった。
………………なんだよ、もう。最近のシエル、変じゃないか?
それとも俺をイライラさせる新手の技に目覚めた…とか。
もしそうなら、奴の狙いはハズレだ。確かに気になることはなるけど、俺が奴のこれ見よがしな態度に一喜一憂する謂れなんてないからな。
向こうが歩み寄ってくるなら拒みはしないけど、あいつは俺の中で大した比重を占めてない。何処で何をして成功しようが失敗しようが野垂れ死のうがどうでもいい存在だ、ただ俺の害にさえならなければ。
あいつが俺を無視して遠巻きにぶつくさ文句を言うだけなら、こっちだって放っておいてやる。その間に、ユディットとギネヴィア先生と仲良くやるもんね。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
翌日。
朝食の席で、侯爵夫妻が物凄く残念そうな顔で報告してきたんだけど、俺としては全く残念ではなく寧ろ好都合なくらいだった。
その報告というのが、もう王都のタウンハウスに戻らなくてはならない、というもの。
まだ王家や有力な家門主催の舞踏会やら晩餐会がいくつも残っているらしく、ずっと領地にいることは出来ないそうだ。
結局、俺に挨拶するためだけに領地に戻ってきたってことだよな。
何と言うか…貴族ってお付き合いのためには労を惜しまないあたり、凄いと思う。
で、俺にとって何が好都合かって、そりゃ勿論、気兼ねなくユディットやギネヴィア先生と遊べるってこと。
ユディットも、義父母がいないほうが気楽だろう。今日の昼には王都へ発つと侯爵が告げたとき、密かに安堵の表情を見せていた。
さーて、ここからが楽しい休暇の本番だ!
何しよっかなー。観光かな?ユディットにおススメとか案内してもらおうかな?
「ねぇユウト、シエル。屋敷の近くにとても綺麗な川があるの。よかったら行ってみない?」
朝食後、ユディットが提案。
そう言えば、来る途中にも川が見えた。水が凄く綺麗で、もっと暑くなったら泳ぐのにも良さそうな、小さな清流だ。
「私のお気に入りの場所の一つなのよ。よくそこで釣りをしたり泳いだり。泳ぐのはまだちょっと早いけど…」
「それじゃ、今日はみんなで釣りでもするか!」
俺は海釣りしか知らないが、川釣りにも興味はあった。
予想していたキャッキャウフフなスクールライフにしてはやや地味なアクティビティかもしれないが、綺麗な自然の中で釣りに興じるのも悪くない。
何より、ユディットが自分のお気に入りの場所に俺を連れて行ってくれるというのが純粋に嬉しい。
「シエルは、それで構わないかしら?」
「……オレは別に、なんでも」
相変わらず、シエルは気の無い返事。釣りに興味ないなら留守番してればいいのにさ。そしたら俺はユディットとギネヴィア先生と三人で仲良くやるってのに。
……あ、その前に。
「えっと……アレクシス、だっけ?君も一緒にどうだ?」
俺は、ユディットの弟に声を掛けた。彼は、侯爵夫妻が席を立った後もグズグズとダイニングに残っていたのだ。
そしてその理由は、なんとなく想像出来た。
「え……僕も…ですか?」
おずおずと、こちらを窺うような目つき。チラチラと、姉に視線を送っている。
……うん、これは間違いなく、自分も仲間に入れてもらいたいんだよね。
昨日の夕食、そして今日の朝食の様子で分かった。
ユディットの二歳下の弟アレクシス=クラウゼヴァルツは、両親と違って姉(血縁的には従兄妹)を嫌ってはいない…別に侯爵夫妻がユディットを嫌ってるとは言わないけど。
ただ、姉によそよそしい両親の手前、大っぴらに懐くことが出来なくて距離を置いていただけだ。彼の姉を見る目には冷たさも無関心も嫌悪もなく、どちらかと言えば構って欲しいオーラが染み出てきている。
このままユディットと弟の仲を取り持ってやれば、この先ユディットが侯爵家で過ごす際も気まずさは薄れるだろう。上手くいけば、ユディットを庇ってくれるようになるかもしれない。
「うん、君は領地に残るんだろ?だったらせっかくだし、一緒に遊ぼう」
「…………いいんですか?」
「構わないさ。な、ユディット?」
ユディットにいきなり話を振ったら、少しだけ驚いたようだったけどすぐに頷いた。やっぱり彼女の方も、弟に対して悪感情はなさそう。
「ええ、そうね。あなたはいつも部屋に籠ってばかりだから、たまには外で遊んだ方がいいわ」
「それじゃ…………よろしくお願いします」
アレクシスは、素直に頭を下げた。はにかむような笑顔が可愛い。
俺は自他ともに認めるシスコンだし妹至上主義だったりするが、こんな素直な弟だったらいてもいいかも。
そうして、俺とシエル、ユディットとアレクシスとギネヴィア先生の五人は、ユディットおススメの小川へ遊びに行くことになった。
釣り竿は、いつも庭師のおじちゃん(趣味:釣りと釣り道具制作)に借りているらしいので、今回もそうする。五人分の釣り道具なんてあるのかと思ったら、おじちゃんの趣味ルームには店かと紛うほどにズラリと竿やら仕掛けやらが並んでいて、無用の心配だった。
小川までは近いので、みんなで歩いていく。
歩きながら俺は、さりげなーく、ギネヴィア先生の隣へ。
「先生もよく釣りをするんですか?」
「いえ、実は私は初めてなんです。ユウトは?」
「あー、俺も川釣りは初めてで。海なら昔よく行ってたんですけど」
ううーん、ちょっと残念。川釣りに詳しかったら、先生に色々教えてあげられたのに。そしたら「まぁユウトはとても詳しいのね先生感心してしまったわ」とかなんとか、褒めてもらえたのに…
……いや、場所が違っても釣りは釣り、何か共通点はあるはずだ。いっちょ良いところ見せてやる。
「あ、姉上……川って、落ちたら溺れたりしませんよね…?」
「浅い川だからすぐに立ち上がれば大丈夫よ。ただ川底が苔でぬめっているからいつまでも立ち上がれなくて溺れてしまうかもしれないけど」
「え……えぇー……」
「大丈夫だってば、すぐに助けてあげるから」
ユディットとアレクシスは、予想以上に自然に会話していた。両親の目がないからだろうか。
そして、臆病な弟を真顔で揶揄うユディットとその冗談を真に受けるアレクシスが可愛い。
俺は、空を見上げて胸いっぱいに空気を吸い込んだ。
天気は快晴、雲一つなし。そよ風が、春の向こうに初夏の気配を運んできている。鮮やかな若葉の森。遠くに見える葡萄の丘。
……うん、今日はとても良い一日になりそうな予感。
願わくば、普段の毎日もこんな風に穏やかだったらいいのに。




