学校へ行こう。 第二十五話 魔王陛下は堅苦しいのがお好みではない。
それは、本当にどこにでも転がっているようなありふれた、ありきたりな話だった。
あるところに、男と女がいた。
しかし男は貴族階級、女は何処の生まれとも知れぬ流浪の民。さらに、男には両親の定めた許嫁がいた。
それなのに、二人は出逢い、まるでお約束のように惹かれ合った。現実だけじゃなく芝居でもよく見られる題材である。
身分の差。家族の反対。許嫁の存在。物語を構成する要素は大体同じだ。そして、その恋が成就するか否かで物語の結末も左右される。
則ち、ハッピーエンドか、バッドエンドか。
……いや、違うな。成就したからって、ハッピーエンドとは限らない。現に、俺の同期であるヨシュアのとこは、全然ハッピーじゃなかった。俺の息子の師匠である彼の娘が、その一番の被害者だ。
結局重要なのは、周囲に認められるかどうか。この一点に尽きるだろう。
その点、ユディットの話は完全なハッピーでもなければバッドでもない、実に中途半端な状況に終わった。
男は、女と結ばれないなら家を捨てると宣言した。家名も地位も富も名声も、必要ないと。その宣言に臆したのは、男の両親である先代のクラウゼヴァルツ侯爵夫妻の方だった。
夫妻が懼れていたのは、醜聞が広まること。旧態依然の考えが根強いクレムハイツ王国で、旧家である侯爵家の人間が身分卑しい女と駆け落ちする、などという事実が知られれば、ゴシップの格好のネタになってしまう。
堅苦しい規律が跋扈する国だからこそ、民衆は抑圧された思いの捌け口を求めるものだ。当時の侯爵は、どうしてもそれは避けたかった。
息子の幸せよりも、家の安泰の方が彼にとって重要だった。
しかし、皮肉にも侯爵が家の安泰のために選んだ手段は、息子の幸せを叶えることにもなった。
侯爵は、息子は病魔に侵されたということにして療養のために息子と女を領地の隅の隅に押し込めた。病気を理由に婚約は破談になり、男と女は小さな屋敷に必要最低限の使用人だけを伴って蟄居した。
男は自分の宣言どおり、地位も富も名声も失うこととなったが、代わりに愛する女との生活を経済的に何不自由ないまま手に入れることが出来た。女は、もとより男に地位も富も名声も求めてはいなかった。そして侯爵は、家門の名誉を守ることが出来た。
それが可能だったのも、男が侯爵家の嫡子ではなかったから、に他ならない。
男は、侯爵家の次男だった。そしてその男女こそが、
「……それが、私の本当の両親。だから、侯爵夫妻は本当は私の伯父伯母ってわけ」
だからユディットは、愛されていない現状を諦めと共に受け容れていたということか。
けれども、彼女が両親の兄夫婦のところで娘として暮らしている、ということは……
「その、それじゃ本当のご両親は…?」
考えなしに訊ねてから後悔した。そんなの、少し考えればすぐ気付くことなのに。
けれどもユディットは、俺の無神経さに腹を立てるでも傷付くでもなく、あっけらかんと肩を竦めるだけだった。
「両親とも、私が幼い頃に死んだわ。馬車の事故だって聞いてる。それで私は、父の兄である侯爵のところに養女として迎えられたの」
「そっか……なんか、悪い」
そういや、母親は既に亡くなってるって聞いてたんだった。あのときはてっきり、彼女の母は侯爵の前妻か何かだと思ってたんだけど。
「気にしないで。私は恵まれているもの。両親が死んでも、こうして侯爵家に引き取られて何不自由なく暮らせているし」
……恵まれている、という彼女の言葉を鵜呑みにすることは出来ない。これが仮に、彼女が今の家族とうまくやっているところを目にしていれば信じることも出来ただろうが、俺が見たのはその反対の光景だ。
養女に冷たい父と、無関心な母。よそよそしい弟。
ただ生活に苦労していないというだけのことで、彼女が恵まれているだなんてどうして思えよう。
「今の両親は、私のことを持て余してるのよね。兄弟仲が悪かったとは聞いていないけど、侯爵は自分の弟が身分違いの女性を選ぼうとしていることに、父親以上に反対してたらしいし。それなのに弟は自分の意志を貫き通すし、挙句の果てに私を遺して死んでしまうし」
侯爵からすれば、弟の決定は厄介で面倒なものだったのだろう。跡取りとして家門に責任を感じていたならなおさらだ。
しかし一人残されたユディットを見捨てずに養女として引き取ったという点は、評価できる。
…だったらもう少し優しくしてあげればいいのに、と思うのは部外者の勝手な考えか。
「だから、侯爵が私に厳しいのも、仕方のないことなのよね。私が弟のように道を踏み外さないか、心配みたい」
「踏み外すって……そういう話じゃないだろ」
誰と誰が愛し合って結ばれるか、という話に正道も邪道もありはしない…浮気とか不倫とかはまた別の話として。
「そういう話なのよ。仮にも責任ある貴族の一員であるならば、それに相応しい振舞いを心掛けなくてはならない。自分の欲望は、二の次じゃなきゃいけないのよ。それが、人の上に立ち裕福な生活を保障されている私たち貴族の義務なんだって、事あるごとに侯爵から聞かされてる」
…ふぅーん。貴族ってのは面倒だな。守りたいのが血なのか名誉なのか知らないが、本当はそんなものに何の意味も価値もないんだって、分からないのか、認めたくないのか。
或いは自分たちの持つ特権の大義名分を、そこに求めているのか。
「なんか窮屈な話だな」
「フフ、公爵家のご令息の言葉とは思えないわね」
……あ、しまった!サクラーヴァ公爵家も貴族だった!!
俺の反応は、どっちかっつーと平民のものである……仕方ないじゃん前世?は一般市民だったんだから。
「サクラーヴァ公爵家は自由な家風なのかしら?」
「え、あ、えと、あー…うん、まぁ、比較的好きに過ごさせてもらってる……かな」
ど、どう答えればいいんだろう。このあたり、設定の作り込みが甘いから変なことを言うと矛盾点が出てきそうで怖い。
「そう。ラングレーのところは?」
「うちは放任だよ。腕っぷしだけで爵位を手に入れた一族だから、強ければ文句は言われない」
「そ…そう、豪快なのね…」
シエルの家は、なんだか予想どおりだ。一家総出で魔獣狩りに行ったりもするみたいだし、ほとんど平民と変わらないっていうのもそういう事情があるわけか。
「…と、こういう事情があるわけ。だから、ここで私の肩身が狭いのも仕方のないことなのよ」
「仕方ないって…まるで諦めてるみたいだな」
事情は分かるけど、ユディットには何の罪も責もないことだ。それなのに彼女一人が貧乏くじを引かされているみたいで、彼女ともあろう者がそれを受け容れていることが、気に食わない。
「諦めてるって言うか……家族仲を除けばそんなに酷い生活じゃないのよ。それに私には先生もいるから、淋しくないもの」
「先生……そういや、前にもそう言ってたな。尊敬する先生がいるとかなんとか」
そのときユディットが見せた笑顔は、さっき見たのと同じ心からの笑顔だった。
「ええ、そうなの!素晴らしい方だから、是非二人にも紹介したいわ」
ああ、そうか。ユディットが紹介したいと言っていた離れの住人とは、家族ではなくその先生とやらか。
随分とユディットに高評価を受けている先生みたいだから、俺も一度会ってみたい。
「待ってて、今お連れするから。きっと二人のことは気に入ってくださると思うわ!」
そう言うと、ユディットは俺たちの返事を待たずに部屋を飛び出した。家族の前にいるときとはまるで違う、年頃の少女らしい快活さで。
おそらく、彼女が俺たちを自宅へ招待したいというのも、その先生を紹介したかったからに違いない。彼女にとって他人に自慢できるのは、家族ではなく先生だ、ということ。
それも淋しいことだとは思うけど、それでも誰もいないよりはずっとマシだ。ユディットの話を聞く限り良識的な御仁らしいし、彼女と親睦を深めるためにもお近付きになっておいて損はない。
よっしゃ、優等生アピールで好印象ゲットだ!
……と、俺が一人で意気込んでいる横で、シエルは物凄く冷めた目で俺を見ていた。
その視線の中に、侮蔑だとか嘲りだとか呆れだとかいうのとは別に、どうしてだか憐憫めいたものさえ漂っていた理由は、そのときの俺には分からなかった。




