学校へ行こう。 第二十話 魔王陛下、クラスメイトに言い負かされる。
俺の宣言どおり、ユディットとシエルの決闘は無効となった。まぁそれはやむを得ないと思う。
しかしながら、多くの生徒が詳細と顛末を知りたがってウズウズしていた。だが、状況を知るのは当事者である俺たち三人だけで、そして三人ともそれについては黙して話さずだったので、彼らが好奇心を満足させられることはなかった。
ユディットはあの後、学院に謝罪したようだ。しかし悪気があったわけでもなければ事故のようなものだったし被害者もいない、ということで、厳重注意で済ませられたらしい。
俺はと言えば、あれからもユディットとは気まずいままだ。気まずいって言うか…彼女はまだ俺を許してくれてはいない。
正直、理不尽な気もしなくもないけど、炎翼を殺したのは確かに俺だし彼女の感情は彼女の自由であるべきで、だから何も言えなかった。
入学後初の長期連休が迫りどことなく浮かれる同級生たちと裏腹に、俺の気持ちは下がりっぱなしだった。
だってさー、シエルの奴がさー、俺の神経を逆撫でするようなことばっかり言いやがるから。
「……なんだよ」
今も、自室のリビングでお茶にでもしようかと思ってた俺のところにやってきて、何か言いたげな顔で睨み付けてくる。
…と言っても俺に聞きたいこととか頼み事があるとかいうわけじゃなくて、何か言ってやらなきゃ気が済まない…みたいな。
「……ふん、貴様でも多少は殊勝な態度を見せることがあるのだな」
…ほら言い方。
「随分な言い方してくれるじゃねーか。まるで俺が傲岸不遜野郎みたいに」
「みたいも何も、そのとおりだろう?」
……むむむ、相変わらずこいつは、俺のことを昔と変わらない残虐非道で冷酷な魔王だと思っている。
そりゃ、昔はそう言われても仕方なかったし、今だってそういう面が全くなくなったかと言うとそうでもないし、結局俺が魔王であることには変わらないわけで、シエルが言うことも間違いではないと分かってはいるけれども…
…それが今の俺の全てではない、と今の俺は胸を張って言える。
「貴様は、少し思い知った方がいい」
「………それは、どういう意味だ?」
クラスメイトに敵視されて少しばかりアンニュイな俺を嘲笑うような薄い笑みを浮かべていたシエルは、急に鋭い表情になって言った。
しかしそれは聞き逃せない一言だった。
彼は、俺に思い知らせるつもりでいるのか。
もしそうであれば、それはシエル=ラングレー…否、エルゼイ=ラングストンの、魔王への宣戦布告に他ならない。
そしてそうであるならば、俺は彼に容赦を与えることは出来ない。
クラスメイトとしてであれば、多少の不遜には眼を瞑ろう。グリードの顔も立ててやる。
だが、彼が俺への憎悪を何らかの形で実行に移すというのであれば、話は別だ。
シエルは、俺が腹を決めたことに気付いたようだ。再び、例の嘲笑めいた表情を見せる。
「ほう、とうとう本性を表すか?その顔…やはり貴様は、邪悪な魔王以外の何者でもないようだ」
「言っておくが、喧嘩を売ってきたのはそっちだからな。今さら後悔しても…」
「勘違いするな、オレは別に、貴様に武で以て対抗するつもりはない」
む、いきなりの降参宣言、か?にしては、不敵な表情が気に食わん。
「ただ、貴様もこの機会に少しは人の心を知るべきだと思っただけだ」
「……そんなん、知ってるっつーの」
シエルは分かっていない。俺は確かに魔王ヴェルギリウス=イーディアだが、同時に俺の中には人間である桜庭柳人もいるのだ。
かつて人間を経験した俺は、人の心の機微も脆さも強さも、きちんと知っている。
……と、俺は思っていたのだけど。
「…はっ、どうだかな。貴様が人間ごっこをしているということは確かなようだが……本当に、分かっているのか?」
「どういう意味だよ」
人間ごっこ、という表現はいただけない。俺の、普通を楽しみたいというささやかな願望をそういう風に揶揄されるのは嫌だ。
「貴様には、大切な者を奪われた者の苦悩など分かるまい」
「…………!」
低く抑えたシエルの声音が、彼の言いたいことの全てを伝えていた。
改めて、彼の俺への憎悪の深さを感じる。
彼の言葉には異を唱えたい。
今の俺には、失いたくない者たちが多くいる。かつてそれを失ってしまったかと思ったときには、文字どおりの絶望を覚えた。
だから、彼の言うことは間違っていると、そう断言出来る…はず、なのに……
そう出来なかったのは、シエルの表情のせいなのか、或いは続けられた言葉のせいなのか。
「貴様は、クラウゼヴァルツの精霊を滅するのに何の躊躇もなく、そしてそうした後も呵責を覚えてはいない、だろう?」
「だってそれは……そうするしかなかったから仕方のないことじゃないか」
彼女には悪いが、あれが最も適切な判断だった。人的被害を完全に防ぐには、ああするしかなかったのだ。
「仕方なかった…か。もしかして貴様は、死傷者が出なかったからそれで良かったと、そのように事を収めた自分は正しかったと、そう思っているのではないか?」
「…………そのとおりじゃねーか」
シエルに言われたことは図星だ。俺は、確かにそう思っている。そしてそれは、事実のはずだ。
俺は、誰かに後ろ指さされるようなことはしていないし、恨まれるのも心外だ。ユディットの敵意は、精霊を御しきれなかった彼女自身が非を認めたくないがゆえの逆恨みに過ぎない。
「だから、人間ごっこ、だというのだ」
分かった風なシエルの顔。
「犠牲になったのが人ではなかったからそれでいい…或いは、精霊の一つや二つの犠牲ならば大したものではない…と、そう思ってるだろう?」
「…………む」
それは…………そう言われれば、確かにそのとおり…だけど………だってそうじゃん!あそこでユディットや、教師陣や、逃げ遅れた生徒たちに犠牲が出るよりはずっとマシじゃないか!合理的な判断じゃないか!
「ユディットには、そうではなかった……なぜならば、あの精霊は彼女にとって肉親にも等しい大切な存在だったからだ」
「……………!」
いつの間にか、シエルの傍らには風獅子が寄り添っていた。愛おし気にシエルに頬ずりをして、シエルの方もひどく柔らかな顔でその背中を撫でる。
主従関係にある…としか思っていなかった両者だが、その間にはそれ以上の強くて温かい絆が結ばれていることに、俺は気付いた。
主と従者ではない。人と精霊、という区別も意味を為さない。シエルを慕う風獅子と、風獅子を慈しむシエル。
それは、その姿はまるで……
「オレと風獅子は、家族だ」
その一言が、全てを物語っていた。
「長い時を共に過ごし、数多の戦場を助け合い、支え合ってきた。オレにとって風獅子は、ラングレー家の者たち以上に、かけがえのない家族だ。種が違おうと血を分け合っていなくともそんなことは関係ない。オレは、かつて共に戦った戦友たちのように風獅子を愛し、信頼している」
シエルと風獅子、互いの眼差しに通うのは、俺が知らない何かだった。
ポンコツ勇者四人娘や魔界の臣下たち、息子、グリードや七翼の面々、天界で出会ったローデン父娘…俺がこの世界で「大切だと思う相手」と俺との間には存在しない何か。
「クラウゼヴァルツとあの炎霊も、そうだったのかもしれんな」
「…………」
シエルは狡い。知らないことに対して、俺は何も言えない。知った風なことを言っても無意味だと、俺もシエルも分かってる。
「そんな相手を無慈悲に奪われた者の苦悩と怒りが、絶望と憎悪が、貴様などに分かるはずがない」
それは……それらは、俺がかつてアルセリアたちを失ってしまったと思ったときに感じたのとは、違う感情なのだろうか。俺がかつて、創世神と袂を分かってしまったときに感じたのと、違う絶望なのだろうか。
「それらの感情の前に、合理的な判断など無力だ。何の意味も価値もない。貴様は、クラウゼヴァルツの大切な家族を彼女の目前で無慈悲にも滅ぼした。その本当の意味が、貴様には分かっていない」
「……………………」
「だから、ごっこだと言っているだろう?」
何も言えなくなった俺を勝ち誇った顔で見下ろして、シエルは部屋を出て行った。
「いずれ貴様は、己の過ちに気付くことになるだろう」
そう、言い残して。




