学校へ行こう。 第十九話 魔王陛下には人の心が分からない。
気まずい静けさ。
逃げ損ねて一部始終を見てしまった生徒たちと、俺の背後で一部始終を見てしまった教師たち。へたりこんで、虚空を見詰めるユディット。冷たい眼差しで俺を睨み付けているシエル。
うぅ……とりあえず状況は収まったけど、さてこの後どうしよう…?
「…サクラーヴァ、君?あなた…」
「先生!今回は非常事態の発生ということで、この決闘は無効にしたいと思います。いいですね!?」
ヴァネッサ先生がおずおずと声を掛けてきたのを遮って、俺は強い口調で言い切った。このまま強引に話を進めて誤魔化してしまおう。
「え、え……?」
ヴァネッサ先生は、普段の彼女からは想像も出来ないくらい狼狽えていた。こうもイレギュラーが立て続けに起こったのだから無理もない。
…つーかこのくらいキョドってる方が可愛いと……いやいや今はそれどころじゃなかった。
「ひとまず、俺がクラウゼヴァルツを落ち着かせますので、先生がたは生徒たちの避難誘導をお願いします」
本当はもう避難なんて必要ないんだけど、そんなの先生たちには分からないだろう。
「え…でも、危険では……」
「大丈夫ですから、お願いします」
問答に付き合うつもりも、彼女の疑問を晴らしてやるつもりもなかった。反論を許さない強い口調で、一度も自分たちの方を見ることなく言い切った俺に、先生たちはそれ以上食い下がることが出来なかった。
戸惑いながらも、残った生徒たちを闘技場から外へ導く教師陣を横目に、俺はユディットへと近付いた。
炎翼が消えた瞬間から、彼女は一言も発していない。驚愕や衝撃というよりも虚ろな表情で、ただただ虚空を見つめ続けている。
もしかしたら、精神に後遺症でも残ってしまっただろうか……だとすると、ちょっと厄介だな。魔王が他者の精神に下手に手を加えれば、その者を変質させてしまう。
…いくら何でも、ユディットまで俺の眷属にするわけにはいかないだろ。
「…ユディット……大丈夫か?」
しかし、俺の懸念は杞憂であることがすぐに分かった。
俺の問いかけにピクリと反応し、ユディットがゆっくりと俺に視線を移す。それから我に返ったように、辺りを見回し始めた。
……うん、この反応は普通のものだ。消耗はあるけど、精神の欠損はなさそうで一安心。
ユディットも救えたし、生徒たちにも教師たちにも被害は出なかったし、ついでに闘技場も無事だった。ちょっとこの後のことが…先生たちにどう言い訳するか、とか…心配だけど、この結果だけ見れば上等じゃないかな。俺、ちゃんと立会兼審判の職責を果たせたよね?
「ユディット、とりあえず医務室に行こう。一応は医者に診てもらった方が……」
結果に満足しながら、座り込むユディットに手を差し伸べた俺だったが。
乾いた音と共に、左頬に衝撃を受けた。
次いで訪れるヒリヒリとした痛み。
間違いない、俺は今、ユディットに平手打ちを食らったのだ。
……平手打ち?なんで?俺、ユディットを助けたんだよね?あのままじゃ、彼女は周りの大勢を殺した挙句に自分も命を落とすところだったんだから。
なのに、どうして彼女は………
どうして彼女は、俺をそんな目で見るのだろう。
どうして彼女の眼差しには、深い憎悪の色が見えるのだろう。
どうして彼女は、憎悪の目に涙を浮かべているのだろう。
「……に、」
食いしばった歯の隙間から、震える声が漏れてきた。
「炎翼に……あの子に、何をしたの!?あの子は、どうなったのよ!!」
爆発する彼女の叫び。ユディットは弾かれたように立ち上がると、茫然とする俺の胸倉を強く掴み上げた。
俺は、息を呑んだ。
彼女の平手打ちなんてポンコツ勇者のツッコミに比べれば蚊に刺される程度のものだし、胸倉を掴む手だってその気になれば簡単に払い除けられる。
けれどもそう出来なかったのは、彼女の叫びが、慟哭のように聞こえたから。
彼女の怒りと憎しみが、俺を真っ直ぐに刺し貫いていたから。
「ユディット…」
「答えなさい!あの子は何処?何処にやったの!?あなたはあの子に、何をしたのよ!?」
我が子を奪われた母親のように、必死の形相で俺を揺さぶるユディット。精霊の寵愛を受けていた彼女は、その存在を感じ取る能力も持っていたのだろう。
そして、それ…炎翼の存在が何処にも感じられないことに気付き、その指し示す意味に気付いてしまった。それが俺の仕業だということにも。
何処にやった、と問う彼女だったが、おそらくその答えの想像はついている。
何処にやった、と問われる俺は、答えることが出来なかった。
彼女の涙を前に、答えることなんて出来なかった。
俺は……間違えたのか?
こうすることが最善だったはず。その他の手段なんて、なかったはず。こうしなければ、大きな被害が出てユディットも死んでいた…はず。
それなのに、間近で俺を見上げる彼女の苛烈な眼差しに、自分の判断が怪しく思えてきてしまう。
いや……俺は、間違えたわけではない。ただ、それはユディットにとっては、正しくなかっただけのこと。
「答えなさいよ!あなたはあの子を…」
「もういい加減にしておいた方がいい、クラウゼヴァルツ」
壊れたレコードのように同じフレーズを繰り返すユディットを冷たく突き放したのは、勿論俺ではない。
横から、シエルが口を挟んできたのだ。
「君も精霊遣いの端くれなら、気付いているんだろう?君の炎翼はもう何処にもいない。永遠に、失われたんだ」
しかしその口から出てくるのは慰めではない。それどころか彼女をさらに突き落とすような残酷な事実。
「なん……ですって……?」
「ここでみっともなく醜態を晒すのは君の自由だけど、そんなことをしても無駄な労力に過ぎない。君は、現実を見るべきだ」
「……………!」
穏やかだが冷酷なシエルの言葉と眼差しを真正面から受けて、ユディットは硬直した。見開かれた目が、徐々に昏く落ち着いてくる。
やがて、彼女は俺から手を離した。そのまま一歩、後ろへ下がる。
……どうやら、シエルの情け容赦ない説得?で、事情を理解してくれた…のだろうか?俯いていて、その表情は見えない。
俺の行為は仕方のないことだったのだと、そもそもは炎翼を暴走させてしまった自分に非があるのだと、そう思ってくれたなら…
…いや、それは俺の願望に過ぎないようだ。見ると、彼女の握り締めた拳がブルブルと震えている。掌に爪が食い込んで、僅かに血が滴り落ちていた。
そうか、彼女は確かに状況を理解した。しかし、決して納得もしていないし、俺を許してもいない。ただここで俺を糾弾しても、何の意味もないと悟っただけで。
「……取り乱して、済まなかったわね、ユウト」
「え、あ、ああ……?」
酷く冷えた声は、怒りを必死に抑えているからか。一度も俺の方を見ずに、呟くような抑揚のない口調。
「もう、こんな迷惑は掛けないと誓うわ。……ラングレーも、悪かったわね」
「……………」
シエルは答えなかった。どこか値踏みをするような目で、ユディットを見据えている。
ユディットは、俺とシエルに背を向けた。
「悪いけど…疲れてしまったの。後のことは任せてもいいかしら?」
それだけ言うと俺たちの返事を待たず、さっさと歩いて行ってしまう。足取りはしっかりしていたが、それでもどこか危うさを孕んでいた。
「……流石は魔王だな、この手のことはお得意ということか」
誰もいなくなった闘技場で、シエルは吐き捨てるように言い残すと、最後に俺を睨み付け…そのくせ嘲りも入っているような気がする…、闘技場を出ていった。
残された俺は、一人でただ立ち竦んでいた。




