学校へ行こう。 第十五話 魔王陛下、安請け合いを後悔する。
学院には、日本の学校につきものの「職員室」というものがない。
それは中央教導学院に限ったことなのか、この世界に共通していることなのか、そこのところは分からない。
その代わりに各教師にはそれぞれの教員室があてがわれており、そこで授業の準備をしたりテストの採点をしたり生徒指導を行ったりするのだ。
なお、教師同士の情報交換や会議等には会議室が使用される。
その日の放課後、担任に呼び出された俺は彼女の教員室で、困り果てた顔の彼女と向かい合って座っていた。
「サクラーヴァ君。あなた、シエル=ラングレーとユディット=クラウゼヴァルツの決闘で立会兼審判を引き受けたそうですね」
「え、あ、はい…そうですけど…………」
あ、あれ?俺、叱られるようなことしたのか?
いや、先生の表情は怒りではない、困惑だ。となると、俺のせいで困ってる……?
そんな馬鹿な。下らない意地の張り合いで決闘騒ぎを起こそうとしている二人ならまだしも、俺は先生を困らせるようなことはしてないぞ。
はぁあーーーーー、と先生は深い深い溜息をついた。ここまでされると、納得はいかないし理由も分からないけど、俺が彼女を悩ませているのだと認めざるを得ない。
「あの……いけませんでしたか?」
昨夜の食堂での騒ぎの後、念のため学院規則…要するに校則だ…に目を通してみた。
そこには決闘条項なんてものもあって(!)、そんなものがあるということは決闘自体は禁止されてはいないのだろうと思うんだけど…
「いえ、あなたが悪いわけではないということは分かっています。分かっていますけど……」
そう言いつつ、ヴァネッサ先生の目は俺を責めてるみたいだ。
「我が学院では、生徒同士の決闘に際し色々な規定が定められていることを知っていますか?」
「あ、はい。必ず学院の許可を得ること、立会人を設けること、一対一で行うこと…ですよね」
それぞれがまた細かい項目に分かれてた気がするが、大まかに挙げるとこの三点だ。
これは理解出来る。無許可で決闘なんてされたりしたら学院が無法地帯になってしまうし、立会人がいなければ結果の公平さが疑われることになる。それに多数対多数での決闘なんて起こったら、それはただの乱闘だ。
「分かっているなら話は早いですね。そのとおりです。そして学院側としては、生徒同士の決闘などというものは極力避けたいと考えています」
「あー…それはなんか、分かります」
俺だって一生徒なわけだし、教師が生徒に対し学院側の都合を喋ることに関してはちょっとどうかなーとは思うが、彼女の言うことはよく分かる。
決闘なんてしても、トラブルの種にしかならない。
そもそも、中央教導学院は次代のリーダーを育成するための機関。武芸が中心にはなるが、ここで教えられる武というのは、国を守り困難を切り抜けるための力、だ。
それは魔獣との戦いであったり、国同士の戦争であったり、災害への対策であったり。
しかし、決闘という行為にはそういった要素が皆無だ。
所詮は、個人的な感情或いは都合により行われる私闘。そこに大義名分など存在しない。
「クラウゼヴァルツ家は当学院への援助も多くしてくださっている一門です。そこの一員であるユディットの意向を軽んじるわけにもいきませんが、それで生徒に万が一のことがあったりしたらもっと大問題です」
ああ、ユディットがあんなにブイブイ言わしてるのはそういう背景もあるわけね。
…つっても、多分俺も周りには同じように思われてるんだろうなー、学院の最大の後援は聖教会だし。
「ですから、学院は決闘の許可を取りに来た彼女に条件を出したんです。立会人と審判は、生徒の中から自分たちで選べ、と」
…あ、ユディットもそんなようなこと言ってたっけ。
「本音を言えば、そんな重責を引き受ける生徒なんて現れないと思っての条件だったんです。彼女が条件を満たせなければ決闘申請は却下となりますから」
ふむふむ、最初から決闘なんて許可するつもりはないけど門前払いを食らわせるわけにもいかないから、無理な条件を押し付けたわけか。
………って。
んん?それって、どういうこと?
そんな重責を引き受ける生徒なんて…って言った?そんな重責って、どんな重責?
「あの…先生?立ち合いとか審判って、そんな責任あるものでしたっけ…?」
「…え?」
俺の問いに、ヴァネッサ先生は固まった。固まって、しばらく俺を凝視していた。信じられないものを見ているかのような目で。
俺、そこまで非常識なことを言ったかしらん?
先生はやがて、首を振りながら溜息をついた。それから俺をもう一度見て、もう一度溜息。
「本当に……知らずに引き受けたんですか?」
「え…いや、立ち合いと審判って言うから、てっきり決闘に立ち会ってどっちが勝ったのか決めればいいだけだと……違うんですか?」
まさか、この世界においては全く違う意味合いだとか言わないよな。
「えぇ……それが間違っているわけではありません。が、それだけではないのが問題なんです」
「それだけじゃないって……それだけでしょ?」
「立ち合い人は、決闘において対戦する両者の勝負を預かる役目を負います。また、対戦者と見物人の身体の安全にも管理監督責任があります」
……管理監督責任?なにその、部活動における顧問みたいな責任は?
え?え?この世界の立会人って、そんな役割なの?嘘だろ?
けど、ヴァネッサ先生は冗談を言っているようには見えなかった。それどころか、めちゃくちゃ深刻な顔。
「え…ちょっと待ってくださいよ。それじゃ、シエルとユディットが怪我したら俺の責任!?」
そんな理不尽な!決闘するって決めたのもその原因となった諍いも、あいつらの責任じゃん!あいつらが怪我したってただの自業自得じゃん!
「決闘中の負傷に関してまでは、あなたが責任を負う必要はありません。が、万が一どちらかの命に関わったり後遺障害が残るような重傷は避けるように留意する義務があります。それと、決闘中に周囲に被害が及ばないようにするのも」
「……俺の責任?」
「はい、立会人の責任です」
………う……うそだぁーーー。
「そ、それじゃ、もしあいつらが決闘前とか終わった後とかに喧嘩したりしたら…」
「当事者の責任が一番重いですが、当然立会人もその可能性を考慮し対応する義務が」
「うそだぁーーーー!」
ちょっと待ってちょっと待って!そんなの知らない、聞いてない!
俺はただ、他の連中だと引き受けにくいかなーと思って承諾したんであって……
………うん、引き受けにくいよね、これじゃ。
「……まさか、あなたが知らないとは思いませんでした……ご実家では決闘などはなかったのですか?」
「え、いえ…」
あるわけないじゃん!魔王に決闘を申し込む輩が魔界にいるはずないじゃん!
いや、つい最近テロっぽい事件はあったけどさ。
「ええと、俺、あんまり実家にいることって多くなくて…」
「そうですか……まぁ、今それを言っても仕方ありませんね。それで、どうするつもりですか?」
「どうって……」
それは、立会兼審判を降りるかどうかってことか。
生徒の中から立会人を選ばない限り、決闘は許可されない。俺が降りれば、学校は申請の許可を取り消すことが出来る。
けど……
「うーーーーーん……一度引き受けるって言った以上、やっぱり嫌だとは…ちょっと言いにくいんですよね…」
それに、どこかでガス抜きをしなければ、ユディットはずっと沸騰直前のまま据え置かれることになる。それこそ、どこかで大爆発を起こしかねない。
昨夜の彼女の様子を見ていれば、「時間が経てば落ち着くでしょー」とは言えないよ。
「では、あなたとしてはこのまま立会人を引き受けるつもりだと?」
「んーーーーーーー、話を聞いて極力辞退したい気持ちにはなってますけど……俺が降りることで二人が決闘を諦めるならいざ知らず、多分それは有り得ないでしょうし」
「あなたから二人を説得することは?」
「それも多分、無駄でしょうね」
シエルが俺の説得に耳を貸すはずがない。あいつはもともと、本当は決闘になんて興味はないだろう。そんなことをするまでもなく、どちらが勝っているのかなんて奴自身には分かり切っているのだから。
ただ、引っ込みがつかなくなったユディットに合わせているだけ。自分とこの班員を愚弄されて面白くない気持ちもあるかもしれないが、それよりは分からず屋に一度現実を見せてやらなければ彼女が矛を収めることはないと踏んでのこと(そしてそれは俺も同意である)。
そんなシエルに俺が、「決闘なんてやめとけ」なんて言ったら。
絶対、ムキになる。なんでお前にそんなこと命令されなきゃいけない、とばかりに、寧ろやる気をだしてしまうことだろう。
ユディットにしても……俺の言葉には耳を貸してくれるみたいだし、もしかしたら一時的に決闘を諦めさせることくらいは出来るかもしれない。
だが、彼女の自尊心だとか対抗心だとか、そういった感情面まではどうしようもない。説得という形で強要しても、いずれはまた抑えたものが溢れ出すような気がする。
流石に、猛り狂う思春期少女の激情を鎮めるほどの影響力は、ユウト=サクラーヴァにはない。
だったら、早い段階で…まだ彼女のシエルへの敵対心が憎悪に変わる前に、実力差を痛感させておいた方が後々のためじゃないだろうか。
……俺が二人の諍いのケツを持つことになるのは、納得いかないが。
「その、サクラーヴァ君。こういうことで、教皇聖下のお力添えを頂くことは出来ませんか?」
「へ?」
教皇って……グリードの?
たかだか学生の喧嘩に、聖教会トップの教皇を持ち出すの?それ、大人げなくない?
「ユディット=クラウゼヴァルツの家は厳格な聖教会信徒です。聖下からのお言葉があれば、引き下がらざるを得ないのでは…。その、あなたは教皇聖下の後見も受けているのですし…」
「あ、すみませんけどそれはちょっと無理です」
一縷の望みをかけたヴァネッサ先生には悪いが、即断で却下させてもらう。
いくらなんでも、こんなことにグリードの力を借りれるかっつの。
「そ…そうですよね、変なことを言ってすみません。いくらなんでも、そんなことをお願い出来る方ではありませんよね」
「いくらなんでも、あいつにそこまで借りを作りたくないんですよね。出来るだけ対等でいたいから」
ただでさえ、学校に通うためにあいつをアテにしてしまったのだ。これ以上は魔王としての沽券に関わる。
魔王が学校に通うのに教皇の力をアテにするってのが最早意味不明だが、まぁそれはそれ。
…つーか、あんまりグリードに学校生活にまで干渉されたくない。あいつ、あれで結構過保護なところがある。
薄々感じていることだが、多分、あいつは俺にもなんだかんだで甘いんだと思う。三人娘に対するほどではないだろうが、何かと気に掛けて口を出してきそう。
「……あ、あのー……あいつって……その、教皇聖下のこと…です…よね……?」
「え、あ、はい。グリードのことですけど?」
それが何か?と言いかけた俺は、直後に気付いた。
この世界で、地上界で、教皇グリード=ハイデマンがどのような立場にあるのか。
民衆から、信徒から、どのように崇められ敬われているのか。
そんな男を、あいつ呼ばわり&呼び捨てにするという行為の意味。
「え、ええと…サクラーヴァ君、聖下はあなたの後見人で身元ほしょ…」
「あ!あの、ええともういいですか!これから班員と訓練する約束してまして!!」
やばいやばいやばい!下手すると神聖冒涜罪?
「え、ちょっと…サクラーヴァ君!?」
「それじゃ、失礼しまーっす!」
俺はこれ以上先生に何かをツッコまれる前に、慌てて教員室を飛び出した。勢いよく閉めた扉の向こうから何やら先生が喚いているのが聞こえたが、聞こえないふりをしてその場をダッシュ。こっちの世界に「廊下は走らない」って校則がなくてよかった。
…結局、問題は何一つとして解決しなかった。




