番外編 世話焼き魔王の妹、ちょっと世界を救ってきます。その15
ブラーン、ブラーン。
逆さまに、世界が揺れる。
実際には、逆さまになっているのは世界ではなくて俺…なのだが、まぁ神格を抱くこの俺を中心にして物事を考えたって何も問題ないのだから、ここはもう世界が逆さまなのだと言って差し支えないだろう。
……なんて御託は置いといて。
俺は今、スマキである。スマキの上、逆さ吊りである。当然のことながら、自分で望んだことではない。
ならば、誰の仕業かって?
そんなの…決まってるだろう。
もう、手あたり次第に女性に手を出さないと悠香に誓い、話はそこで終わるはずだった。はずだったのに。
空気を読まないどこぞの姫巫女のおかげで、この有様だ。
怒りが再燃した悠香と勇者一行の説教&お仕置きフルコースは半日以上続き、現在、俺はスマキで逆さ吊りで放置なのである。
……そりゃ、俺にもいけないところはなくもなく…もなくもない…と思うよ?でもさ、それ相手が直接俺に文句言うなら分かるけど、なんで第三者の悠香とかアルセリアとかビビとかヒルダとかに言われなきゃいけないのさ。
てか、アルシェ!結局はあいつが元凶じゃないか。あいつこそ、第三者なのに(いや、そりゃ元は同じものだったけど)わざわざ悠香を日本から召喚したり神託を降ろしたりしてアルセリアたちまで巻き込んで俺を追い詰めて、何がしたかったんだよもう!
……と、納得いかないところは多々あるのだが、俺は既に諦めの境地である。どのみち、俺がどれだけ道理を説いたところで感情的になった女性陣に理解してもらえるとは思わない…思えない。
なので、愛すべき彼女たちの怒りを少しでも和らげるべく、彼女らの好きなようにさせるのがこの場合において最も正しく無難な選択だ。
要するに、抵抗しても無駄…ということ。
あー、頭に血が昇る。おなかすいた。ちょっと寒い。一人でブランブランするのも飽きた。俺、いつまでこうしてればいいのかな?
降りようと思えば降りれるけど、お許しも出てないのに勝手なことしたら刑期が伸びる一方だし。
何か気の紛れることを考えようとしていたそのとき、悠香が部屋に入って来た。
なお、ここはグリードの私邸である。なので俺が極めて非人道的な仕打ちを受けていても、誰も助けてくれないし同情もしてくれない。
「ゆ…悠香?まだ何か……って、あれ?」
俺はてっきり、まだ気が晴れなくて悠香がお仕置きの追加をしに来たのかと思った、のだが。
悠香は、制服に着替えていた。鞄と靴も、学校指定のもの。俺のプレゼントしたポシェットを除き、こっちの世界に来たときと同じ格好をしている。
「どうしたんだ、悠香。制服なんて着て」
あ、そう言えばまだ悠香に服を買ってやってなかったな。お仕置きが終わったら、ゆっくり店を回りたいところ…
「お兄ちゃん、反省した?」
「……うん、した」
尋ねる悠香の口調と表情からは、完全に怒りが消え去っていた。どうやら俺は彼女に許してもらえたらしく、いつもの愛らしくて茶目っ気のある悠香に戻っている。
「…そっか、良かった。悠香、神さまのお願いはちゃんと叶えられたんだね」
けれどもその笑顔の中に隠された寂しさに俺は気付く。気付いた瞬間に、俺の中に生まれたのは不安と焦燥。
自分が、大切なものを失ってしまうかもしれない、という恐怖。
悠香を見れば分かる。彼女の帰還の時が、迫っているのだ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ悠香。もう行くのか?急すぎないか?」
半ば無意識に自分の拘束…スマキと荒縄…を解いて下に降りると、俺は慌てて悠香に駆け寄った。
いつかは、そう遠くないうちに、彼女は帰らなければならないと、分かっていた。しかし、いざその時が来てみると心の準備が全然出来ていない。
もっと、話がしたかった。
もっと、二人でこの世界を見て回りたかった。
もっと、二人で並んで何もしないゆっくりとした時間を過ごしたかった。
もっと、隣に悠香を感じていたかった。
この期に及んで心構えが出来ずにオロオロする情けない兄貴とは真逆に、悠香は既に別れを受け容れて、覚悟しているようだった。
彼女の、晴れ晴れとした寂しさは、きっとそのせいだ。
「なあ、悠香。お前を召喚したアルシェに言ってさ、もう少しここにいさせてもらうって出来ないのか?だってこれじゃ、あんまりにも忙しないっていうか、だってほら、アルセリアたちにもきちんと紹介出来たって言えないし、タレイラ観光だって中途半端だろ?まだまだ見せたいものはたくさんあるし、話したいことも…」
「お兄ちゃん」
何かに急き立てられるように喚く俺を、悠香は優しく制止した。妹のはずなのに、俺なんかよりよっぽど大人びて見えた。
「悠香も、もう少しお兄ちゃんと一緒にいたかったけど……でも、もういかなくちゃ。すっごく楽しかったよ、お兄ちゃんともいっぱいお話し出来たし、なんか色々ありすぎてワケわかんないけど、だけどすっごく楽しかった」
「だろ?こっちもなかなか、いい世界だろ?だからもうちょっとだけ長居したっていいじゃないか」
見苦しく縋りながら、それでも俺の願いは叶わないのだろうという予感はしていた。俺がどれだけ望んでも、縋っても、駄々をこねても、きっとそれは覆らない。
「もう、お兄ちゃんたら。いい加減、妹離れしなきゃダメだよ?」
「いいんだよ、俺はどうせシスコンだし、シスコンのままで……」
妹離れだなんて、何万年経っても世界が滅びても、出来そうにない。
悠香を手放したくなくて、往生際が悪く不貞腐れたような声になってしまった俺に、悠香は優しく微笑んで、頭を撫でてくれた。
「それじゃ、悠香もう行くね。元気でね、お兄ちゃん」
「悠香……!」
無駄だと分かっていながら、俺は悠香を抱きしめようとした。そうすれば、彼女を留めておけるかもしれないと思ったから。
しかし、俺の腕は空を切った。
俺の脳裏に笑顔の残像だけを焼き付けて、悠香は…俺の最愛の妹は、一瞬のうちにいなくなっていた。
まるで、最初からいなかったかのように、この世界に何の痕跡も爪痕も残さずに。
喪失感がすぐには追い付いてこないくらい、あっけない別れだった。
「……………………バカヤロー、最後に少しくらいカッコつけさせろってんだ……」
恨みがましく呟いてみても、返事はなかった。
俺は、しばらくその場を動けなかった。ただ立ち竦んで、自分の中の悠香の名残を惜しんでいた。
最初の別れのときには俺の事故死という事情もあって悲しんだり嘆いたりする余裕はなかったけど、今回は違う。
いつか別れが来ることを知っていて、中途半端に一緒に過ごすことが出来たせいで、悠香が今ここにいないという事実は、予想以上に深く俺にぶっ刺さった。
悠香ともう一度会えたことは物凄く嬉しかったけど、もし彼女がこの世界に来なければこんな寂しさなんて知らずに済んだのに。
……アルシェの奴、やっぱりこれは俺への嫌がらせに違いない。
トボトボと部屋を出て、なんとなくリビングに足が向かう。
ここはグリードの屋敷の中でも完全にプライベート用の区画で、アルセリアたちもたまにお邪魔するらしい。リビングに行けば、誰かしらいるだろう。
何となく今は、一人でいたくなかった。
リビングのドアを開けると、そこには全員が揃っていた。
俺はその光景に、言いようのない安堵を感じた。
「…どうしたのよ、リュート?ひっどい顔してるわよ」
真っ先にアルセリアが俺の異変に気付いた。多分、傍から見ても俺の憔悴っぷりは明らかなんだろう。
「悠香がさ、帰っちまったんだ」
アルセリアたちと悠香との間に、ほとんど接点はない。彼女らにとって、悠香はあくまでも「俺の妹」という存在でしかない。
しかし彼女らは、俺がどれだけ妹を大切に想っているかを知っている。だから俺の喪失感も少しは理解してくれるに違いない。
…と思ったのだが。
「……ユーカって、誰?」
アルセリアは、キョトンと首を傾げた。
「へ?だ、誰って……」
何を言い出すんだ?とぼけてるようには見えない…けど……
「……ってアンタ、まさか女の子連れ込んだんじゃないでしょうね!?」
「えええええ、何言ってるんだ!?」
「…おにいちゃん、ねぼけてる…?」
「あらあら、リュートさんたら女性の夢ですか?相変わらずお好きなんですね」
形相を変えて俺に詰め寄って来たアルセリアの後ろで、ヒルダとビビまでそんなことを言う。
どういうことだ?みんな悠香に会ってるはずなのに??
「ふむ、しかし雌に逃げられるとは、夢の中でも情けない奴よのう」
「いいえ、リュートさまは私に誠実なだけですわ」
アリアも、マナファリアも。悠香という名前に、何の反応も見せない。
…………ああ、そうか。
これが…世界が違うっていうこと、か。
悠香の存在がすっぽりと抜け落ちてしまっている面々を見て、俺は気付いた。
悠香は、異世界人。この世界にとっては、異質な存在。本来は、在るべきではない存在。
だから、悠香はこの世界に何も遺すことが出来ない。働きかけることが出来ない。この世界から消えてしまえば、記憶にも記録にも残ることが出来ない、幻のようなものだから。
彼女が関わった全ての物事は、彼女が消えたと同時に辻褄を合わせるために改変される。彼女は最初からいなかった、という前提で、矛盾のないように。
おそらく、今のアルセリアたちの中でも、俺がここにいる理由とかエシェル派の連中のこととか、世界に都合の良いようなストーリーに置き換わっている。
「…ちょっとどうしたのよ本当に。なに、そんなに夢見が悪かったわけ?」
アルセリアが、怪訝そうに尋ねる。悠香のことを知らない彼女は、悠香を失った俺の哀しみも知る由がない。
皆が、悠香のことを覚えていない…覚えていられないことは、寂しいと思う。
だが同時に、それが救いだと感じている自分がいることも確かだった。
「いや………最高の夢だったよ」
だから俺は、そう強がることにした。
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気が付いたら、横断歩道を渡りきっていた。
商店街の目の前で、賑やかな人々のざわめきとBGM(商店街のテーマソングらしい)と車の行き交う音を聞きながら、悠香はボーっと立ち竦んでいた。
「え……あれ?私、何してたっけ?」
なんだか、夢を見ていたような気がする。とても長くて変てこりんで、幸せな夢を。
その余韻は確かに悠香の中に残っていたのだけども、それがどんな夢だったのか、思い出せない。
「……って、いやいや。昼間っから夢なんて、そんなわけないよね」
きっと、兄が死んで初めて訪れた現場に、感傷的になって色々と思いを馳せてしまったのに違いない。
「いけない、お買い物して急いで帰らなくちゃ」
自分が商店街を訪れた目的を思い出し、悠香はお目当ての店へ向けてアーケードを進む。
不思議な気分だった。
心の中が、暖かいようなスッキリしたような。そして、ぽっかりと穴が開いて風がスースーと通り抜けていくような。
今の悠香には、その気持ちに名前を付けることが出来なかった。
「やっほー、悠香。買い物?」
「あ、サトちゃん。サトちゃんも?」
ばったりとクラスメイトに出くわした。グループは違うがたまに話をする仲で、同じく家事を負担しているという共通項もあって、商店街で会うことも多い。
「んー、今日の家事当番はお姉ちゃん。私は、今日は自分の買い物なのさ……って、ねぇ、悠香」
サトちゃん…磯貝聡美という…は、悠香のポシェットに目を付けた。
赤い、猫を模したファーのポシェット。
「やだー、これ可愛い!どこで買ったの?」
聡美に言われて、悠香は自分が肩から下げているポシェットに気付いた。
それをそっと手にとって、柔らかく滑らかな毛皮を撫でながら、彼女の中に去来したのはひどく懐かしい姿と、声。
「あれ?もしかして、誰かからのプレゼントだったりする?」
その悠香の様子に何かを嗅ぎ取ったのか、聡美は冷やかすように尋ねた。彼女自身、悠香が誰かと付き合っているという噂は聞いたことがないが、同時に悠香が男子生徒から人気があることを知っている。
聡美が期待していたのは、その後の恋バナに結び付けられそうな悠香の反応…顔を赤らめたりだとか慌てて否定したりだとか誤魔化そうとするとか…だったのだが、そんな彼女の期待を裏切るかのように、悠香は穏やかで清々しい笑顔を見せた。
「……うん、そう。お兄ちゃんが、買ってくれたの……私の、宝物なんだ」
「あ……そっか、お兄さんの………………その、ええと、ゴメン…」
聡美が謝ったのは、悠香に兄の死を思い出させてしまったと思ったから。
しかし悠香は、怒ることも嘆くこともなかった。
聡美が驚くほどに、彼女の笑顔は清々しくて、強がりも曇りも見られなくて、満ち足りていた。
「ううん、気にしないで。大事なことはちゃんと分かってるから、大丈夫」
悠香はそう言うと、聡美と別れて商店街を進んでいった。
心は軽やかで、足取りも軽やかで。
大事なものが沢山詰まった赤いポシェットが、彼女の腰で揺れていた。
はい、番外編完、でございます。そしてようやくこの作品も終幕とあいなります。
今までお付き合いくださった方々、ありがとうございました。
ひとまずこの作品は終わりますが、続編的なのも書かせていただきますので、ぜひともその際はよろしくお願いいたします!
追記:4月18日、続編の投稿を始めました。「魔王子殿下は一途であらせられるので。」、お暇なときにでも読んでやって下さいませ。シリーズ設定してあります。




