番外編 世話焼き魔王の妹、ちょっと世界を救ってきます。その11
ケーキとは、名ばかりだった。
それは、マジパンのお化けかと言いたくなるような、ただ甘いだけの物体で、確かに見てくれはピンクやら水色やらで彩られていて可愛くなくはないのだが、単体で食べるには甘すぎるし味も単調。
夢の中とは言え味覚は正常に再現されていて、実際に兄の作ったお菓子はとても美味しかったのだから、これはどういうことだろうと悠香は首を傾げる。
ひょっとしたら、兄の味を美化するあまりに他の味が相対的に貶められている…とか。
そう思いつつ、お茶だけは普通に飲めたので少し救われた。
まったく手をつけないのも失礼な話だし、フォークでついついとマジパンお化けをつつき、少しだけ口に運んでお茶でそれを流し込み、兄を待つ間、先ほどのイライザとかいう女性について思い返してみる。
……あれは、悠香としては気に喰わないタイプの女性だ。
女性の色気を惜しげもなく前面に押し出していて、それを利用することに憚らない立ち居振る舞い。自分が魅力的だという自覚があるからこそだろうが、あそこまであからさまだとちょっと引いてしまう。
男の人って、ああいうのがいいのかな。
自分も大人になればああいう風になってしまうのかもしれないが、あまり想像したくなかった。
しかしあれは、どう見ても兄と只ならぬ関係のようだった。イライザと並ぶ兄の姿は、なんだか悠香の知らない兄のようで、やけにそれが不安に感じられた。
仕事の話って言ってたけど、本当だろうか。ついでに良からぬことでもしてるんじゃないだろうか。
あまり遅いようなら、二人が向かった方に行って様子を見てみようか。
何口目かのマジパンお化けを飲み込んでからそう決めた悠香は、ふと顔を上げる。
「………え?」
目の前に、見知らぬ女性が座っていた。
相席を依頼された覚えはない。だが、女性は当然のように悠香の向かいに座って、悠香を見てニコニコ微笑んでいる。
一体いつからその女性がいたのか、悠香には分からなかった。
「あのー……どちら様…ですか?」
恐る恐る訊ねると、その女性は笑顔を深めた。綺麗な黒髪ストレートの、清楚な美人さんだ。どこか浮世離れした感じもある。
「お初にお目にかかりますわ。私は、ルーディア聖教会の姫巫女、マナファリアと申します」
「…………はぁ」
姫巫女、と言われても悠香には何のことやら。ルーディア聖教という名は兄から聞いているが、姫巫女なんて初耳だ。
だが、巫女の前に姫がついていることから、なんか偉い人なのかなーと思ったりした。
しかし、その偉い人が自分に話しかけてくる理由が分からない。
そしてその理由は、すぐに判明した。
「リュートさまの周囲に普段とは異なる空気を感じまして、ここでお待ちしておりましたの。貴女は、リュートさまのご関係者の方でいらっしゃいますね?」
「え………兄を、知ってるんですか?」
またもや新手か。悠香はここにはいない兄に悪態をついた。
しかしこのマナファリアという女性、どうもそういう気配が薄いというか、イライザとは対極に色気とは無縁というか、表情がまるで幼子のようだ。
なんだか、今までの女性とは違うっぽい……あ、でもお兄ちゃんの部下の人、幼女がどうとか言ってなかったっけ。
「はい。私は、リュートさまの忠実なる伴侶でございますから」
「………………は?」
思わず悠香の声と目が険悪になった。が、マナファリアは全く意に介していない様子で続ける。
「私は、遠く離れていてもあの方と繋がっております。ですので、今回も貴女の来訪に気付いたのですよ」
「つ…繋がってるって………」
臆面もなくそう言ってのけたマナファリアに、悠香は何を言ったらいいのか分からない。が、彼女もまた兄の毒牙にかかったのかと、怒りゲージが再び上昇。
「ところで、貴女の気配は少し変わっていらっしゃいますけど、リュートさまのお身内ということは、貴女も魔界の方でらっしゃるのですか?」
「………そのこと、知ってるんですか…」
兄は、自分が魔王であることは秘密だと言っていた。そのことを知る者は限られているのだと。
実際、エファントスの王女さまも天界の少女天使もさっきのイライザとかいう女性も、知らない様子だった。
しかしマナファリアは知っている…ということは、それらよりも兄に近しい存在…ということではないのだろうか。
それに……彼女は伴侶と言った。それは、夫婦を指す言葉ではなかったか。
「もしかして…………貴女が、お兄ちゃんの本命さん…ですか…」
女癖の悪い男が選ぶにしては、やけに純朴なタイプだなーと意外に思いつつ、悠香が尋ねてみたらば、
「本命も何も、リュートさまは一途に私一人を見つめてくださいますわ」
そんな、衝撃の言葉が返ってきた。
「え…いや、一途にって……」
全然一途じゃないじゃないか。もしこのマナファリアが兄の恋人であるならば、他の連中はどうなるんだ。浮気しまくりじゃないか。それで一途ってどういうこと?あれ?一途って何だっけ。
マナファリアは、兄の女癖の悪さを知らないのか。純粋なのをいいことに、コロッと騙されていたりするのか。
しかし、目の前でニコニコしている彼女にそれを告げるのは憚られた。兄のせいで傷付くかもしれない彼女を助けたいとは思うが、ここで自分がそれを言ったところで証拠はないし、徒に彼女を悩ませるだけではないか。
ここは、こういうことは、身内とは言え第三者の口から話すのではなくて、兄自身の口から正直に白状させるべきだ。
その上でマナファリアが兄を許すかどうかは、二人の問題として。
「えーと、兄は今、同僚の人と話があるって席を外してて…」
悠香はそこで、言葉を止めた。自分とマナファリアのいるテーブルに、見知らぬ男性が二人、近付いてきたからだ。
その二人は、人を探してるようでも待ち合わせをしているようでもなく、まっすぐ悠香たちの方へ歩いてきた。だからてっきり、マナファリアの関係者かと思ったのだが……
「…ご歓談中、失礼いたします。姫巫女マナファリア様でいらっしゃいますね」
そして、確かにマナファリアのことを知っているようではあったのだが。
「はい、左様にございます」
マナファリアも素直に答えるのだが、その遣り取りからすると知り合いということではなさそうだ。
しかし、マナファリアに警戒する様子は見られないので、教会の関係者か何かだろうか。確かに、着ている服も神父さんとか牧師さんのに似ている。
「此度御神より下された神託に関しまして、そこの少女にお力添えいただきたいことがございます」
その男は、悠香を見てそう言った。ということは、彼はマナファリアではなく、悠香に用があるということ。
「……私、ですか?」
「はい。貴女は、貴女こそが御神より遣わされた聖なる乙女と存じます。我らは御神に仕える忠実なる信徒。是非とも、貴女さまが本懐を遂げられる手助けをしたいと思い、参りました」
「手助け……手助け、ですか」
彼の言う御神って、自称神さまのあの超絶美女のことだろうか。だったら、この人は自分の協力者なのかな。女癖を懲らしめるのにどうやって手助けしてもらったらいいのか分からないけど…
もしかして、悠香も知らない兄の女性遍歴とか、知っているのかもしれない!!
「神託を実現するため、どうか我らと共にお越しください。そして姫巫女、これも何かのご縁です。貴女様にもご協力いただければ、心強いのですが……」
柔らかな物腰のその男は、マナファリアにもそう頼んだ。
そしてマナファリアは、考える間もなく頷く。
「承知いたしました。そういうことでしたら、微力ながら尽力いたしますわ」
そう言って立ち上がったので、悠香もつられて立ってしまった。そして流れ的に、悠香も男の申し出を受諾したみたいな感じになってしまった。
「ああ、慈悲深き御心に感謝いたします。さぁ、こちらへ」
感じ入ったように深々と頭を下げてから、男は悠香とマナファリアを連れて店を出た。その時点で、兄の言いつけを思い出した悠香だったが、
「あ、あの、すみません。すぐに戻らないといけないんですけど…」
何しろ、兄の悪行を聞かせてもらえればそれで充分なのだ。ついでに何か証拠的なものもあるとなお良いのだが。
だから、話を聞いたらすぐに戻るつもりだった。
「そうですか、お忙しい中お時間をいただいてしまって申し訳ありません。安心なさってください、すぐに先ほどの店にお送りしますので」
男も了承してくれたので、一安心。兄とイライザは大事な話があるっぽかったし、10分やそこらなら帰ってこないだろう。その間に戻ってくれば問題なしだ。
何も知らない悠香は、呑気にそう考えていたのだが。
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「陛下、お帰りなさいませ……陛下?」
俺を出迎えたギーヴレイが怪訝そうな声を上げるのには構わず、俺は一直線に地下へ。
逸る気をなんとか抑えつけ、“天の眼地の手”を起動する。
そして出力全開で走らせてから、重要な事実に気が付いた。
悠香は、この世界の存在ではない。この世界にいながら、まったく別の世界の理の下に生きている。
…と、いうことは、だ。この世界の森羅万象の観測装置たる“天の眼地の手”では、知覚対象外…ということ。
その事実に思い至った瞬間、俺の脳内は絶望的な恐怖で埋め尽くされた。
探しても見付からないのではない。探す術がないのだ。俺の力では、悠香が何処にいて何をしているのか、無事なのかそうでないのかすら、知ることができない。
全ての制約を取っ払っても、俺の力はこちら側の存在にしか及ばない。
…………じゃあ、どうすればいい?このまま放置だなんてできるはずがない。悠香は無事に日本に帰さなければならないのだ。こんなことなら、俺の我儘でこっちに長居させるんじゃなかった……
「陛下、どうなさったのですか?それに、姫殿下は……?」
俺は、相当酷い顔をしていたのだろう。見たことないくらいの焦燥を浮かべてギーヴレイが尋ねた。
「……いなくなった」
「姫殿下が…ですか?それは、どのような状況だったのでしょうか」
俺は、ぽつりぽつりとギーヴレイに説明した。
地上界で、ほんの少し悠香から目を離してしまったこと。
その時間は、おそらく半刻にも満たないこと。
悠香がいたのは、治安も良くて人通りの良い地域だったこと。
俺の知らない、同行者がいたこと。
四つある都市の街門をあたってみたが、それらしい通行人は目撃されていないということ。
そして、この世界の住人ではない悠香は魔力を持っておらず、“天の眼地の手”を用いても捕捉することができない、ということ。
黙って聞いていたギーヴレイは、俺が話し終えてから少しの間、考え込んでいた。いくら彼でも、理の違う異世界からの来訪者に関しては門外漢だ。神たる俺がどうにもできないのだから、魔族であるギーヴレイに解決策があるはずも……
「地上界の、タレイラ近郊を重点的に捜索すべきでしょう。おそらく姫殿下は、そう遠くへは行っていないはずです」
…あるはずも、ないのだが……やけに確信めいた口調が返ってきた。
「しかし、あれからだいぶ時間が経っている。それに、タレイラ内は隈なく探した」
「陛下がお探しになったのは、都市の表部分のみではないでしょうか。ある程度の規模の都市であれば、表向きには知られていない場所も多くございます」
………それ…は、確かに……そうかも。
俺は、それこそグリードの屋敷にも押しかけたし(グリードは留守だったけど)、勿論大教会にだって行ってみた。七翼の職権を使いまくって、一般市民が立ち入れないところも探しまくった。
だけど、自分が探したのがタレイラという都市の全てなのかというと、断言するにはあの街のことを俺は知らない。
「私も、その都市については多少調べたことがございますが、門の警備状況はそれなりに質の高いものだったと記憶しております」
それは、俺も思う。入都審査の厳しさには、初めてのときに苦労させられた(あれはタレイラじゃなくてケルセーだったけど。タレイラの方がよっぽど管理が厳しい)。身分証明書の提示もしくは入都許可証の提出が必須だし、物資も密輸入を防ぐためか検閲があって届けにないものは持ち込むことも持ち出すことも出来ない(常識的な日用品や装備品は除くけど)。
「陛下は、タレイラに向かわれる際に“門”をお使いになられましたか?」
「あ…ああ、手っ取り早いと思ったから……」
そう、俺は身分証があるけど悠香にはないし、審査が面倒だったからタレイラの郊外の人目につかないところに“門”を繋げたのだ。
「であれば、姫殿下は入都記録も住民登録もない人物、ということになります。もしそのまま出都しようとすれば、間違いなく門で止められるでしょう」
「……あ…………」
そうだ、そうじゃないか。焦ってばっかりで考えもしなかったけど、悠香はタレイラにはいるはずのない人間。外に連れ出されるにしても、絶対に門のところで足止めを食らって調査が入る。
「それと陛下、姫殿下は魔力を有しておられない、とのことですが、それはどういうことでしょうか。魔力とは存在の核を担うもの。殊に生命体であれば、その反応は必ず見られるはず」
ギーヴレイの疑問は、俺の説明不足のせいだろう。
確かに、魔力…霊力も神力もひっくるめて霊素と呼んでしまうが、それは万物の生命の根源である(有機とか無機とかいうのとは別次元で)。世界に存在しているものは、多寡こそあれ全てが霊素を有しているのだ。
悠香が異世界の人間だと言っても、この世界できちんと生きている以上、霊素を全く持っていないだなんてありえない。それは生命を持っていない、存在していない、ということと同義だから。
「正確に言うと、彼女の存在は我らに馴染み深い霊素では測れない、ということだ。それに類する反応はあるのだろうが、異世界のそれを、こちらでは知覚することが出来ない」
あるんだけど、透明、みたいな。
「……知覚、ですか。………陛下は、この世界の存在であれば、全て知覚することが可能なのですよね?」
「無論だ。この世界のことならば全て把握できる」
…言いつつ、ちょっと大言壮語。
不可能ではないんだけど、完全ではない。何しろ、今のこの世界は創世神の縄張りなのだ。俺が好き勝手できる領分ってのは、けっこう限られてたりする。
……が、悠香のためであればそんな限界なんてみみっちいことは口にしない。不可能だろうが何だろうが、力づくで可能に変えてやる。
と言っても、悠香はこの世界の存在じゃないから困ってるのだ。
「ならば、知覚できないものを探せばよろしいのではないでしょうか」
「……………?」
何を言ってるんだ、ギーヴレイは。見えないものを、どうやって探せというのか。見えてたって砂漠でコンタクトレンズを探すみたいなレベルだってのに。
「この世界の全てが知覚できるのでしたら、その中に知覚できないものがあれば必ず空白が生じるはずです」
「…空白…………そうか…!」
ギーヴレイに言われて、俺の脳裏に浮かんだのはブラックホールの写真。
光さえも吸い込んでしまうあれが見えるのは、見えないからだ。
周囲の光が重力で屈折して、その傍らに無明の闇がわだかまっている様を、新聞記事か何かで見た覚えがある。
周りが見えるものだらけなら、見えないことでその存在を証明できるんじゃないか!
「流石だ、ギーヴレイ。誉めてつかわす!」
「勿体ないお言葉にございます」
俺はギーヴレイに礼を言うと、再び“天の眼地の手”を起動。範囲を極小…タレイラとその近郊に留め、その代わりに精度はMAXに。
ここまでやると、かなり精神に堪える。俺の精神…すなわち俺の本体が処理に追いつかなくてチリチリとまるで灼けるような感覚が全身に走った。
だが、こんな痛みは、悠香の無事に比べたら大したものじゃない。
意識を、深く深く潜らせる。
僅かな見落としもないように。それこそ、砂の一粒一粒さえも鮮明に、感じ取る。
視覚情報ではなく霊素の流れが、タレイラの全てを俺に伝える。
行き交う人々、立ち並ぶ建物、街灯、街路樹や花壇の草花、都市を巡る用水の、水の流れ。
全てが、俺に流れ込んでくる。
街灯の火が灯される様子も、些細なことで言い争う夫婦の様子も、用水路にゴミが溜まっている様子まで。
一体、どれだけの時間が経っただろう。1平方メートル単位で区分してその中を隈なく探知することを繰り返し、タレイラ中を網羅するのはそう簡単なことではない。
だが、焦って見落としがあっては何の意味もない。じれったい気持ちを無理矢理押し込めて、地道な作業に没頭した。
そして、存在に埋め尽くされた一枚の絵に、俺は一つだけ小さな空白を見付けた。
マナファリアの脳内お花畑が、怖いです。外堀から埋める気でしょうかね?




