番外編 世話焼き魔王の妹、ちょっと世界を救ってきます。その6
「お帰りなさいませ、リュートさま。…そちらの方は?」
「あ、どうも。……って、あいつらは?」
エファントスに戻って来た俺を出迎えてくれたシルヴァーナ王女と、帰ってきて勇者一行の姿が見えないことに気付いた俺。
なお、王女にはちょっと聖教会の野暮用で出かける、とだけ伝えてあった。
勇者一行には、ちょっと実家に戻ってるから大人しくしとけって書置き残しておいたんだけど(流石に誰に見られるかも分からない状況で魔界と書くわけにもいかなかった)。
「勇者さまでしたら、枢機卿猊下からのお呼び出しでタレイラにお戻りになりましたわ。リュートさまのご用事とは別だったのですか?」
「え、ああ…まぁ、はい。…あ、紹介します。俺の妹の、悠香です。悠香、こちらはこの国のシルヴァーナ王女。少し前から、お世話になってるんだ」
俺は、とりあえず王女に悠香を紹介した。さらに悠香にも、王女の紹介をする。
「まぁ、リュートさまの妹さんでいらっしゃいますか。ようこそ、エファントスへ。ゆっくりしていって下さいな。私は、エファントス王国の王女、シルヴァーナ=デラ=エフェルリナと申します」
「あ…ご丁寧に、どうも。桜庭悠香といいます。よろしくお願いします」
シルヴァーナ王女はにこやかに悠香を歓迎してくれて、悠香はやんごとない王女様にやや戸惑いつつも警戒心はなくぴょこんとお辞儀して答えた。
なお、当然のことながら悠香は着替えている。魔王城にいたときに着ていたドレスだと、マジもんでどこの王女さま!?て感じなので、今は俺と一緒に平民風ファッション(これもギーヴレイが見繕ってくれた。これはこれで可愛い)。
にも関わらず、正真正銘の王女さまと並んでも全然遜色ない俺の妹ってば、一体どこでこれだけの魅力を習得したのやら。
………ん?
「どうした、悠香?」
なんか、悠香が俺のことをじーーーーっと見てる。やだなぁ照れるじゃないか。
…と思いきや、次は王女と俺を見比べて。
「……ねぇお兄ちゃん。こちらの王女様とは、どういう関係なの?」
袖をくいくいして訊ねるその口調は、若干(何故か)訝しげ…というか温度が低い。何故だ?
「え、ななな何言ってるんだよ悠香。関係って、関係って………あれ?」
どう説明したらいいんだろう?
まだ悠香には、俺がこっちの世界で魔王やってるってところまでしか話していない。勇者一行のこととか、補佐役のこととか、聖骸地巡礼のこととか、説明すると時間がかかりそうだから後にしようと思ってたんだった。
俺が言い淀んでいると、シルヴァーナ王女が苦笑した。彼女は勿論、俺が魔王だとは知らないし悠香が俺の仕事(勇者の補佐役)のことを知ってると思ってるし、多分俺の戸惑いを違う風に勘違いしたんだと思う。
「貴女のお兄様は、私とこの国の危機を救ってくださった恩人ですのよ、悠香様」
「………危機?お兄ちゃんが……救った??」
ああ、悠香ポカーンとしてる。あれお兄ちゃん魔王じゃないんだっけ?みたいな顔して…
「けどお兄ちゃん、まお」
「あーっあーっそう言えば!!」
マズいマズい、俺の正体内緒にしておくようにって、悠香に言っておくの忘れてた!
「なに、お兄ちゃん?」
「どうなさったのですか、そんなに慌てて」
いきなり俺が喚きだしたもんだから、悠香もシルヴァーナ王女もビックリしたようだ。とにかく、悠香が王女に下手なこと話し出す前に、何か理由をつけてここから退散しなければ。
「思い出した!えっと、ええっと……」
とか言いながら、焦ると余計に何も思い浮かばない。
「えええっと……そう、あれだ!なんかグリードからあれ、そのほら、言われてたんだった!!」
ごめんグリード。名前使わせて。
「グリード…とは、ハイデマン枢機卿猊下のことですか?」
流石はグリード。大陸から離れたここでもその名前の通りは抜群だ。
「そうそう、その枢機卿猊下。ちょっとまだ言いつけが残ってて」
「あら、それはいけませんね。猊下直々のご命令でしたら、急ぎませんと」
「そうそう、急ぎませんとねアハハ」
シルヴァーナ王女は、ルーディア聖教会枢機卿筆頭…現段階で最も教皇に近い人物…の名前を聞いて、ありもしない重大任務の存在を察してくれた。
それに乗じて、ここからトンズラすることにしよう。
「それでは、王家の船にてお送りいたしますわ。少しお待ちに」
「いえいえいえいえ、それには及びません!というかそこまでお言葉に甘えるわけにはいきません!足は自分で調達出来ますので、お構いなく。ほんと、お構いなく!」
何が何やら、の悠香を引きずって、俺は王女の申し出をお断りし、その場を立ち去ろうとする…のだが。
「そんな、あれほどお世話になりましたのに、そのような不躾は出来ませんわ。それに今日はもう遅いですし、ご出発は明日になさるべきです」
俺の裾を遠慮がちに引いて、王女は上目遣いで俺を見詰めてくる。どうやら先日の夜の件で、すっかり身も心も打ち解けてくれた…ようだ。
……のはいいんだけど!
「お兄ちゃん……随分と王女様と仲が良いんだね」
ぼそりと呟いた悠香の声が怖い!
「な、何言ってるんだよ悠香。相手は王女殿下だよ?仲が良いとかそんな身分ってものがね」
「まぁリュートさま、私は身分の差など気にはいたしませんことよ?」
………………ん?
いや、シルヴァーナ王女、そこは気にしようよ。なんでそこで若干頬を赤らめつつもきっぱりと断言しちゃうわけ?あと、距離を詰めるのもやめてほしい。
悠香に勘違いされちゃうじゃないか!
「…………そっかー。ふぅーん……」
あ、いや、勘違いっつっても勘違いではないと言うか心当たりはなくはないと言うかけどそういう意味でも関係でもないと…………
「…やっぱり、神さまの言ってたことは本当かも…………」
ゆ、悠香サン!?お顔がマジでらっしゃいますよ?
王女は悠香の呟きを聞き逃したみたいで、
「どのみち、こんな暗い中船を出すなんて危険ですわ。どうか今宵は、城でゆっくりなさっていってください」
悪気はない(と思いたい)のにやけに俺にグイグイ来るんですけど。めっちゃ良い笑顔で。
「でも、殿下もお忙しいでしょ?勇者たちももう出発したなら、追いかけないとだし」
「お気遣いありがとうございます。ですが、ご心配なさらずとも今宵は私、身が空いておりますの」
ああああああれ?ちょっと王女殿下ってば一昨日よりもさらに積極的?
「本格的にシナートとの交渉が始まれば、このような時間を取ることも難しくなります。ですので、それまでは是非……ね?」
「あのすみません王女、このような時間ってどのようなじか」
「悠香!ちょっと、ちょっと部屋戻ろうか!国のこととか、色々機密だったりする情報も多いし、な?俺が使わせてもらってる部屋があるから、そこでちょっと休んでなさい。な?」
何故か悠香の目が据わってる。その目のまま、王女殿下に迫ってく。一国の王女に対して全然物怖じしないのは流石俺の妹だけど、ちょっとこれはマズい。色々マズい。
そして何故かシルヴァーナ王女も、まるで悠香と牽制しあうように笑顔の圧を上げる。俺の前だとどこか控えめで恥じらうような表情だったのに、今はまるで鎧竜の鉄壁の防御を思わせる上品かつ威厳(威圧?)たっぷりの笑顔、俺は彼女のことを思い違えていたのだと知る。
彼女は、ただお淑やかでお上品なだけの王女ではない。病床の父王に代わり、強敵国とのすったもんだで国を守っていた、立派な王族なのだ…と。
……いや、だからってここでこの展開は何?
「リュートさま、お気になさらず。私とて王族の一員ですもの。きちんと、お客様に話してもいいことと駄目なことの分別くらいついておりますわ」
「別にいいよ、お兄ちゃん。私、この国のことは全然興味ないし」
ほぼ同時に二人がこっちを向いて、にこやかな真顔でそう言った。
「あ、そうですわ。よろしければ、妹君もご一緒にどうですか?」
「………………………は?」
それは……あれか、三人でおしゃべりしましょうって意味、だよね……ね?
「いえ王女様、お構いなく。私、お兄ちゃんと一緒にもうお暇しますから」
「遠慮なさらずに。もし悠香さまにお好みのタイプがございましたらご用意いたしまして」
「ストーーーーーーップ、ストップストップ!!」
ちょっと待って王女サマ今何言おうとした?
ってか忘れてた!そう言えばこの国、というかこの地域、性的倫理観が少しばかりおおらかだったんだ!
出発前にグリードに、くれぐれも自制しろと言われてたの、忘れてた!
「と、とにかく!あのほんとにもう出発しなきゃならないんで!ほんと色々とお世話になりました。また後日、きちんと挨拶には伺いますんで!!」
一刻の猶予もない。これ以上この場に留まることは、俺の破滅を意味する。
俺は悠香を抱えると、驚く王女を置いて全速力ダッシュ。背後で彼女が俺の名を呼んでいたが、聞こえないフリして走り続けた。
「ちょ、ちょっとお兄ちゃん!?急に何なの?降ろしてってば!」
いきなり抱きかかえられた悠香(当たり前だが、お姫様抱っこだ。当たり前だろう)の抗議も無視してしばらく走り、城を飛び出して中庭も突っ切って城門も突破して(俺の顔を知っている門番が唖然としていた。トラブルを起こしたとか勘違いされたらどうしよう)、人目に付かないところまできてようやく悠香を解放した。
……ふぃー。危ない危ない。何が危ないのかよく分からないけど危なかった。
いやー、女の人って分からないよね。あんなに引っ込み思案っぽかったのに実は積極的だなんて。まぁそれは一昨日の様子からも窺えたけどさ。
さてはてとりあえず、魔界に戻ろっかな。この世界での注意事項とか勇者連中のこととか、もう少し詳しく悠香に説明しておくべきだった。地上界に来るのは、その後だ。
「…………ねぇお兄ちゃん。王女様と、何があったの?」
……ぎく。
「ナナナナナ何ッテナニガカナ悠香チャン?」
「お兄ちゃん動揺するとロボになるよね」
「ソソソソソソンナコトハナイヨ?動揺ナンテマッタクコレッポッチモシテナイヨ?」
亀の甲より年の劫。
俺は、くれぐれも自制しろと俺に忠告してくれたグリードの先見の明に感心すると共に、彼の言葉をないがしろにしてしまった自分の愚かさに後悔するのだった。
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「おや陛下、地上界へと向かわれたのではなかったのですか?」
疑わしげな悠香をなんとか宥めて…と言うか誤魔化して魔界へと戻って来た俺だったが、その直後に後悔した。
何故ならば、一番会いたくなかった奴と鉢合わせしてしまったのだから。
…エルネスト=マウレ。半人半魔の神官で、俺の臣下の一人。
本来ならば数少ない魔王の眷属として最も俺に近しくそして最も俺に傾倒していなければおかしいはずのこの男、実際には間違いなく世界で一番魔王のことをコケにしてくれちゃってる輩なのである。
「……いや、ちょっとまだ地上界は時期尚早と言うか説明不足だったと言うか…」
言いながら、悠香を引っ張ってこの場を去ろうとする。またぞろエルネストが余計なことを言い出す前に。
エルネストは、いつもどおりの表情を変えなかった。見慣れぬ少女にも、俺が彼女を紹介すらしようとしないことも、まったく意に介していないみたいで。
寧ろ、俺に引っ張られる悠香の方が、俺に半ば無視されるエルネストを気にしたようだ。
「ねぇ、お兄ちゃん。この人は?」
「ん?気にするな。見かけても無視していいから」
なかなか酷いことを言う俺だったが、やっぱりエルネストはにこやかなままだった。
ただし、彼の笑顔には不可視の猛毒が含まれていることを忘れてはいけない。
「おやおや陛下。今度もまた、随分と愛らしい妹君をお連れで。ヒルデガルダ嬢とは少し雰囲気が異なりますが、あとついでにアルセリア嬢とベアトリクス嬢とも違うタイプですが、何か心境の変化でもございましたか?」
ちょっとーーーー!何要らんこと言いやがる!絶対ワザとだろ!!
「心境の変化じゃない!彼女は、俺の妹だ、正真正銘の!」
紹介するのも癪だが、下手にこのまま続けられても厄介なので仕方ない。
俺の言葉に、エルネストは今度こそ目を丸くして驚いた。
「妹…正真正銘の、と仰せですか?」
「そう。妹の、悠香。言っとくけど廉族だからな。下手なことしたらぶっ殺すだけじゃ済まさないからな」
俺が連れている時点でその心配は無用なのだが、別の意味でエルネストは油断ならない。
……念押ししたところで無駄だとは分かってるのだが。
エルネストの笑顔が深くなった。さっきの愛想笑いとは種類の違う、心底嬉しそうな表情。
それはそれで、なんか怖い。何か企むんじゃないだろうな。
「それはそれは!陛下に妹君がいらっしゃることは驚きでしたが、このように愛らしい方ということにも驚きました!まるで春の野に咲く可憐な花のようです」
……うむむむ。エルネストの奴、よく分かってるじゃねーか。まぁ、こいつの目の確かさには俺も一目置いてたりするけど?
「そうでしたか…この方が。なるほどなるほど、さもありなん…でございますねぇ」
「……?さもありなん、ってどういうことだよ?」
何か、意味深に言いやがるな。
「いえいえ。このような愛らしい妹君がいらっしゃるのであれば、陛下が幼き娘たちにあれほど執着なさるのも」
「ちょっと待ったーーーーー!!」
こいつ、悠香の目の前で何てこと…
「…ねぇお兄ちゃん。幼き娘たちって、何のこと?執着って、何のこと?」
あああああああああ、悠香が勘違いしちゃった!エルネストの奴、これが狙いか!!
って、もうエルネストが創世神の刺客なんじゃないの!?
「ええっと、こいつはさ、なんつーか軽口ばっか叩いてる奴でさ、こいつの言うこと鵜呑みにしちゃダメだからな、絶対」
「そんな、心外です陛下。私はいつでも、誠心誠意陛下にお仕え申し上げているというのに」
「やかましい!」
何が誠心誠意だ。全身全霊で俺を陥れようとしてばっかじゃないか!
「ねぇお兄ちゃん。幼き娘って」
「ほら!ほらほら悠香!行ったり来たりで疲れてるだろ!おやつにしようおやつ!タルト生地寝かしてあるから、焼きたての食べよう、な?」
「ねぇお兄ちゃん。執着って」
「何のタルトがいい?悠香、ベリー好きだったろ?たっぷりベリーとチーズのタルトにしよっか?」
「しかしながら陛下、リゼルタニア殿やセレニエレ嬢のことはきちんと説明しておいた方が…」
「お前は黙ってろ!!」
もーっ何でこうなるんだよ!くっそ、エルネストの嬉しそうな、水を得た魚みたいな表情がムカつく!!
後ろ手でシッシッとエルネストを追い払い、俺は悠香を貴賓室(悠香用に用意させた)に連れていく。エルネストは流石についてこようとはしなかったが、俺たちを見送る視線が生暖かかった。やっぱりこいつ、俺の破滅を望んでるとしか思えない。
「ねぇ、お兄ちゃんてば!私、神さまに言われてるんだよ、お兄ちゃんの女癖のわる」
「まぁまぁまぁまぁ、治すも何も、俺は女性に失礼なことしてないよ?そんなタイプじゃないよ?悠香は、俺を信じてくれるだろ?」
なおも不審げな悠香だが、こういう言い方をしてしまえばそれ以上の追及は回避できる。兄として少し卑怯なやり方だとは思うが、俺だって我が身が大切なのだ、勘弁してもらいたい。
「さて、タルト焼いてくるから、ここでお茶飲みながら待っててくれ。何かあったら呼び鈴押せば、侍女がすぐ来るからな。あんまり外をうろついちゃダメだぞ」
「………………うん、分かった」
タルトを言い訳にとりあえず時間は稼げた。後は、御厨で今後の対策を考えるか。悠香には地上界のこととか勇者一行のこととかも説明しておいた方がいいかもしれないが、まずは彼女の疑いを晴らす方法を探らねば。
俺は、断じて女癖が悪くなんてない。それを、分かってもらえる方法を。
翻弄される魔王を見ていると、溜飲が下がる思いです。
好き勝手やってるこいつにいっぺん痛い目見せてやるって、ずっと思ってましたから。
けど彼の災難はこんなものじゃ終わりません。




