番外編 世話焼き魔王の妹、ちょっと世界を救ってきます。その3
せっかく良い夜を過ごせたというのに。
翌朝俺は、ギーヴレイからの通信によって心地よい眠りから叩き起こされてしまった。
尤も、時間帯は朝というより昼に近いと言って差し支えなかったので、文句は言えないのだが。
「陛下、おやすみのところ申し訳ございません」
スマホもどきの通信アイテムをONにした瞬間、俺が寝起きであることに気付いたギーヴレイが真っ先に謝罪してくる。
いつものギーヴレイだったら、こういう場合は一旦通信を切って、後でまたかけなおしてくるものだ。しかしその日は、その様子がなかった。
と、いうことは…何がしかの、トラブルの予感。
「どうした、何かあったか?」
まだ眠くて頭が半分以上働いてないけど、ギーヴレイが俺の眠りを妨げてまで報告を寄越してくるほどの案件を前に、うーんむにゃむにゃあと五分…などとやっている場合ではないことくらい分かっている。
「……は。実は昨日、陛下のお命を狙う刺客が魔王城に侵入いたしました」
「…………ほぅ」
感嘆で眠気が覚める。
今まで、俺の命を狙う輩は多くはなかったが皆無というわけでもなかった。何しろ、魔王を倒したとなれば次期魔王である。現実はそんなに単純ではないのだが、残念なことに魔族には単純な奴が多い。
強さが全て。勝者は敗者の全てを奪うことが出来る…と。
まぁそんなわけで、たまーに叛乱を起こしたり従者に成りすまして城に入り込んだりする奴らが現れる。
……が、離れたところで武装蜂起だとか身分を偽って潜入するだとかならまだしも、外部から魔王城に侵入するだなんてなかなかの手練れである。
城には、俺による結界の他、イオニセスが警戒用の陣を敷いている。許可を得ない者が入城しようとした場合、自動的に魔界の隅のマグマの池に飛ばされる仕様だ(イオさん怖い…)。
それをかいくぐったということは、武王であるイオニセスの術を無効化するほどの能力を持っているということ。
「それで、排除したのか?」
そいつは面白い。是非とも、面を拝んでみたいと思うのだが…
「いえ、少々気になることを申しておりましたので、拘束するに留めてあります」
おお、流石はギーヴレイ。俺が興味を持ちそうだと分かってるんだな。
ただ…気になることって、何だろう。
「その者は、自らを創世神の使者と名乗っておりました」
「…………!?」
え?ええ!?何、アルシェの使者?って、刺客が?
何それ何それ、どゆこと?
「信憑性は低いと思われますが、わざわざ魔界にて創世神の名を酔狂で出すとは思えません。処分するにせよ、陛下のご裁可を頂きたく」
「分かった、すぐにそちらに向かう。創世神の手の者ならば、油断は禁物だ。我が行くまで下手に接触はするな」
「御意」
ギーヴレイに念を押すと(そんな心配は無用だろうけど)、俺は急いで身支度して、アルセリアたちには書き置きを残して(面と向かって話したら絶対面倒なことになるから)、そそくさと魔界へと帰還した。
創世神、エルリアーシェ=ルーディア。
この俺の、対等にして同格にして対極にある、半身。この世界の、神。その力は、この世界の上では確実に俺を凌駕する。
そんな創世神の刺客が、俺の命を狙って魔王城へ。これは、ゴズレウル一派やらマウレ一族率いる西方諸国連合やらリゼルタニアやら“原初の灯”やらとは比べ物にならない、強敵かもしれない。
…まぁ、神威の体現者とか言われてる神託の勇者がアレだから、考えすぎかもしれないが……
用心するに越したことはないだろう。
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「……消えた、だと?」
「申し訳ございません、陛下!正確には、連れ去られたようです」
慙愧と悔恨で小さくなりながらも情報を訂正するギーヴレイ。
ド派手な戦闘になるかもしれないと、最初から“星霊核”に接続した状態で魔界に帰還した俺を待っていたのは、珍しく取り乱したギーヴレイと、昨日侵入したという刺客が姿を消した…じゃなくて、何者かに連れ去られた、という事実だった。
「破壊された牢に残った魔力反応から、おそらくはナヤグ=キューレンの関与が疑われます」
ナヤグ=キューレンは文官である。身分的には、大臣的なポスト。だが、第八騎兵連隊との繋がりが強く、本人も古くからの名家の出身であるため、少しばかり増長の気が見える奴ではあった。
ポッと出の魔王(二千年前を知らない若造連中からすれば、俺はポッと出に見えるらしい)のことが気に喰わなかったのだろうか。
俺にはやたらとビビりまくってたのでよく分からなかったが、他の臣下たちの評判はあまりよろしくない。
文官より武官の方が大きな権力・権限を持つ魔界においては放置しても構わないだろうと思っていたのだが……なんでそいつが?
「キューレンの他、数名の千騎長、百騎長が部隊と共に行方をくらませております」
「計画的な謀反…というわけか。しかしそれで何故刺客を連れ去る?」
刺客だったら、放っておけば魔王をやっつけてくれるかもしれないじゃん。なんでわざわざチャンスを無駄にするんだ?
「いえ、確かにある程度準備は進めていたとは思われますが、今回の件は連中にとって渡りに船、だったのでしょう」
「どういうことだ?」
「創世神の刺客は、陛下に対する切り札になり得るからです」
……………。
…………あ、そっか。
連中は、刺客を捕らえたのではなく、スカウトした…ってわけか。
魔王を殺すのが目的なら、協力しないか…みたいな。
「刺客の件は、情報統制を徹底してはいたのですが……どこからかキューレンに嗅ぎ付けられてしまったのは、私の失態にございます。如何ような罰でもお与えください」
ギーヴレイはひたすら申し訳なさそうにしょげ返っているのだが、今まで彼にかけてきた迷惑やら苦労やらと今までの彼の忠誠やら功績やらを考えると、罰なんて与えられるはずがない。
他の臣下ならば許すことが出来ない罪であっても、きっと俺はギーヴレイだけは許してしまうのだろう。
今回は、それほどの罪ってわけじゃない…のかな?よく分からないけど、俺自身はそんなに彼を責める気にならないし、そもそも創世神の刺客って時点でギーヴレイの手に負える存在ではないのかもしれないし、寧ろギーヴレイがそんな奴相手に無事でいてくれたことの方を喜ぶべきだ。
「気にすることはない。ナヤグ=キューレンが連れて行ったというならば、奴を見付ければいいだけのこと」
正直、文官レベルの魔力反応を探し出すってけっこう大変だったりするんだけど、千騎長や百騎長とそいつらの部隊も一緒なんだろ?その規模なら、“天の眼地の手”を起動するまでもない。
刺客とやらが、どれほどの手練れかは知らない。が、こともあろうにこの俺の命を狙うというのならば、当然、それなりの実力は持っているんだろうな。
せいぜい、楽しませてもらうことにしよう。
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「ちょっと、いい加減にしてもらえませんか!」
石造りの砦。悠香は、その一室で自分にしつこく言い寄る一人の中年男…ただし目が三つで角も生えている…に抗議した。
言い寄る、と言っても、別に交際を申し込まれているわけではない。中年男が申し込んでいるのは、魔王に対する共闘だ。
「さっきから言ってますよね。私、乱暴なことは出来ないし好きじゃないって!!」
そう言う割には恐怖も見せずに中年魔族に食って掛かる悠香の胆力を、その中年魔族…ナヤグ=キューレンは勘違いする。
魔族の軍勢に取り囲まれても動じないほどの能力を、この娘は有しているのだ…と。
まさかまさか、悠香本人が未だにこれを夢だと思い込んでいるから…などと、予想だにしていない。
「しかしお嬢さん、貴女は魔王を滅ぼすために創世神からこの世界に遣わされたのでしょう?であれば、我らの目的は同じはずだ」
「でーすーかーらぁ。滅ぼすんじゃなくって、懲らしめるだけなんですってば。何回言ったら分かってもらえるんです?」
悠香はナヤグの理解の悪さに辟易とするが、争いと言えば斬ったはったの殺し合いしか浮かばない魔族である彼には、滅ぼすと殺すと懲らしめるの区別は付かないのだ。
「……ふむ。解せませんね。利害は一致しているというのに、なぜ拒むのですか?」
「一致してませんて。絶対ズレてますって」
「なるほど、まだ我々の力を信用していただけてないのですな」
「だから違いますて。なんでそうなるんですか?」
あれ、おかしいな。もしかして、この人に私の言葉は通じてないのかな?
悠香がそう思ってしまうほど、ナヤグとの意思疎通が上手くいかない。
「もしかすると、我らが魔族だから…ですか?」
ナヤグは、勝手に一つの結論に達しようとしている。目の前の少女は創世神の命を受け送り込まれた刺客。当然、創世神を崇拝し信仰するはずだ。そんな少女がいくら目的が同じとは言え、魔族である自分たちと組むなどと決して受け入れられないのではないか…と。
「魔族って、悪魔…みたいなものですか?おじさんは、魔族なんですか?」
そうか魔王は魔族の王だから魔王と言うのか。では最初に会った白髪の美青年も魔族?けど見た感じ人間っぽかったんだけどな…と首を傾げる悠香。
魔族を知らない悠香に驚く、ナヤグ。
「まさか、お嬢さん…魔族を知らない……と?」
大昔とは違い、確かに現在の地上界で魔族を直接見たことのある廉族はほとんどいないだろう。
しかし、見たことがなくてもその存在は常識の中の常識である。かつて魔族とそれ以外の種族とで大きな戦争があったことも、魔族は廉族にとって恐ろしい敵であることも、伝承や歴史書に触れればすぐに分かることだ。
それなのに、彼女は魔族を知らないと言う。
「知りませんよ。ここに来て初めて会ったんだし。私の周りには魔族なんていなかったんですから」
常識知らずを咎められていると勘違いした悠香はむくれた。夢の中の滅茶苦茶な常識なんて、知ったことではない。
「そ……そうですか。それは余程、外界を知らずに過ごしてこられたのですね…」
「いえ、そんな箱入りじゃありませんけど」
そういえば、確かに。ナヤグは、悠香の姿を改めてじっくりと観察した。
彼女が身に纏う衣装は、彼が今まで見たことのないデザインである。最初は相当な辺境の部族かとも思ったが、それにしては洗練されているし素材も上等。
「貴女は…もしかして今まで、創世神の下にいたのですか?」
「はい?創世神って、自分を神さまって言ってる美人さんのことですか?だったら、確かに私はその人のところから来ましたけど…」
「…………………!」
ナヤグ、驚愕。
創世神から神託を受けたわけではなく、創世神の居所で共にあった少女。もしかしたらこの娘は、創世神の虎の子ではないのか。
ますます、逃すわけにはいかない。
「そ…そう、ですか。では、貴女は我ら魔族に対し嫌悪や侮蔑を抱いてはいないのですか?」
「え、いや、だって…見ず知らずの人に抱くものじゃないですよね、それ?」
当然のことながら、悠香に魔族を憎む理由などない。
彼女にとってはごく当たり前の感覚なのだが、この世界の民であるナヤグには非常に新鮮な意見だったりする。
「ならば尚更、貴女の力をお借りしたい!!」
悠香の手を握りしめて力一杯懇願したナヤグに、悠香はたじろいだ。さっきからこのオジサンは、一体自分に何を求めているんだろう?
「え、あの、ちょっと」
「敵は恐ろしく、また強大です!貴女も、身一つで魔王に相対するのは自殺行為だ。しかし、我らの協力があればことはもっと容易に成し得ましょう!どうですか、ここは一つ、共同戦線といこうじゃありませんか!!」
この娘の力を利用すれば、魔王を滅ぼすことが出来るかもしれない…いや、出来るに違いない。その後、邪魔になれば隙を見て娘も排除してしまえばいいだろう。
そんな外道な目論見を誠実そうな表情の裏に巧妙に隠し、ナヤグは力説する。
「時代は、もはや神代ではないのです。我らも、そろそろ魔王の支配から抜け出してもいい頃合い。そして貴女は、創世神より魔王を滅ぼすべく遣わされた方。私が魔王城より貴女を救い出したことも、貴女が今ここにいることも、きっと創世神の定めた運命に違いありません!」
「ちょっと、唾飛ばさないでください、汚い!」
「さぁ、こちらへ!私の下に集ってくれた、屈強な戦士たちを貴女にもご紹介いたします!きっと安心していただけるはずだ!」
「引っ張らないでください!って、どこ連れてくつもりですか!?」
汚い呼ばわりされたことに何ら頓着せず、ナヤグは興奮しきりで悠香の腕を引き何処かへ連れて行こうとする。
その力は見た目に反して強く、振りほどけない悠香はほとんど引きずられるような感じで彼についていかざるを得なかった。
「どうですか、これが私の部下たち…魔界に新たな風を吹かせるべく立ち上がった勇敢な者たちです!」
ナヤグが悠香を連れて行ったのは、バルコニー。促されて縁まで行くと、悠香の目に映ったのは眼下の広場とそこに整然と並ぶ屈強な戦士たち。
その出で立ちといい、威風堂々とした体躯といい、それは軍隊のようだった。
「……すごい…」
別にナヤグを喜ばせる意図はこれっぽっちもなかったのだが思わずそう呟いてしまった悠香に、ナヤグは顔を綻ばせた。
「そうでしょう、そうでしょう!魔王軍第七・第八騎兵連隊四千名です!精鋭たる彼らと貴女の力があれば、魔王など恐るるに足りません!!」
悠香を抱えたまま、得意げになっているナヤグ。悠香としてはさっさと放してもらいたいのだが、なかなか腕の力を緩めてくれない。
そしてそれが、おそらくナヤグ=キューレンの運命を決定した最大要素…だったのだろう。
眼下の軍隊を誇らしげに紹介したナヤグと、白けた顔でなんとか彼の腕から逃れようとする悠香の目の前で。
光が、迸った。
悠香の人生の中で、間近に雷が落ちた経験はない。が、それが普通の雷…雷と言われて普段彼女が思い描くもの…とは明らかに異なるものであるということだけは、誰に教えられるともなく理解した。
…のだが、実際そのときの彼女は自分の知る雷とそれとの違いになんて思いを馳せている余裕はなかった。それはきっと、彼女を捕まえたままのナヤグも同じことだったろう。
鼓膜を破らんばかりの轟音…密度の高い破裂音にも似ている…が空気を揺さぶり、爆風なんだか衝撃波なんだか分からないものもまた空気を伝わって二人を襲う。
「…………!!!」
悠香は、不本意ながらナヤグに抱き付いて自分を吹き飛ばそうという衝撃に抗い、本当に驚いたときって悲鳴は出ないものなんだなー…などと現実味の無い頭で考えていた。
抱きついた先のナヤグの身体が硬直しているのは分かったが、彼が何を考えているかまでは分からなかった。
光が消えて、地面の揺れも収まって、音も衝撃波も過ぎ去った。
先ほどまで聞こえてきていた、大勢の兵によるざわめきや甲冑のこすれる金属音に代わって、恐ろしいくらいの静寂。
何が起こったのか皆目見当が付かず、悠香は恐る恐る目を開ける。
「……………………」
そして、絶句した。茫然と言ってもいい。
眼下にひしめいていた数千もの兵隊たちは、一人残らず消え去っていた。辛うじて残っているのは、炭化したよく分からない物体がちらほらと。
風に乗って、焼け焦げた臭いが鼻孔に届く。一瞬息が止まるくらい、嫌な臭い。
やはり何が起こったのか分からないままの悠香は、視界の隅、自分の頭上に何かの影を見止めて何も考えずに空を見上げた。
見上げて、ああ、こりゃ終わったかも…と、思った。
そこにいたのは、自分とナヤグを睥睨しているのは、自分の知識と感覚では推し量れない何か、だった。
だが、弱者ゆえの本能か、それがとてつもなくヤバい存在であること、そして沢山いたはずの兵隊たちを吹き飛ばしたのはそれの仕業であることを、悠香は何となく察していた。
自分を拘束したままのナヤグの全身が、小刻みに震えて強張っているのが分かった。
突如現れたそれが、ここの連中に敵対しているのだということは確かなようだ。そして、ここの連中と行動を共にしている(させられている?)自分もまた、敵だと見なされるのかもしれない、と。
「魔王……陛下…」
悠香の耳元で、ナヤグがポツリと呟いた声が彼女にも聞こえた。恐怖と敵意がないまぜになった、震える声だった。
「あれが………魔王?」
ちょっとちょっと自称神サマ、これはないんじゃない?どう見てもあれ、世話好きでお人好しで困ってる人を見ると放っておけないナイスガイには、見えないよ!?
悠香は、能天気そうに悠香に世界の救済を頼んだここにはいない女神を内心で恨んだ。
あんなもの、自分に「懲らしめられる」わけがない。何をどうやって、一瞬にして数千の兵を消し去る…それが手品のように一瞬で場所を移動させたとかそう意味ではなく…ような化け物を、どうやって懲らしめろと言うのか。
彼女の頭を占めていたのは、夢の中で死んだらどうなるのだろう?というただ一点だった。
普通に考えれば、そこで目が覚めるのだろう。それはそれで助かるのだが(いい加減この支離滅裂な夢に付き合うのも疲れてきていた)、痛みなどは感じるのだろうか。
出来ればそれは、勘弁願いたい。
それまでは、夢だということで何も怖いことはなかった。
明らかに人間じゃないでしょって感じの異形たちに取り囲まれても、どうせ夢だったら実害はない。
それなのに、今は夢だとか現実だとかを抜きにして、彼女は純粋な恐怖に襲われていた。
何も考えることが出来なくなった悠香だが、ふと、自分を見下ろすそれと目が合った。
目が合って、それの表情が自分やナヤグに劣らず茫然としていたことに、気付いた。
それが見ているのは、ナヤグではなく自分だった。眼を見開いて、悠香を凝視している。ナヤグなどいないものであるかのように、それの視線は悠香に固定されたままだった。
それの唇が、僅かに動いた。
遠くてよく見えなかったし、勿論声も聞こえなかった。
けれども悠香は、自分の名が呼ばれたのだと分かった。
理由など何もなかったが、自然とそう思った。
番外編三話目です。ナヤグさんは捨てキャラなので扱いがぞんざいです。可哀想に。




