番外編 世話焼き魔王の妹、ちょっと世界を救ってきます。その2
背中からの誰何に振り返ると、目の前に一人の男が立っていた。
悠香は、その男をじっくりと観察する。
雪のような真っ白い髪に、銀色の瞳。冷たいけれど整った容貌。うん、確かに美形だ。
さっきの自称神は、魔王はモテると言っていたから、きっとこいつが…
「答えよ、貴様は何者だ?どうやってここに侵入した?」
「貴方が、魔王さんですか?」
身構えながら問う男に構わず、悠香は訊ね返す。とりあえず、魔王とやらの女癖の悪さをどうにかすれば、このバカげた夢からも目覚めるだろうと思って。
しかし、
「何を抜かす!私如きが魔王陛下だなどと畏れ多いにも程がある!」
あっさり、否定されてしまった。
「え……違うんですか?」
緊張感のない悠香に、男は戸惑っている。戸惑ってはいるが、同時に敵意や戦意も見えないので、どう動けばいいのか分からないようだ。
「私は、ギーヴレイ=メルディオス。畏れ多くも、偉大にして絶対の支配者、魔王陛下にお仕え申し上げる者だ。もう一度訊ねる。娘よ、貴様は何者だ?」
「えっと……私、悠香っていいます。桜庭悠香、です。なんか神さまに依頼されて、魔王さんを懲らしめに来ました」
「!?!?!?!?」
どうせ夢なんだから、と馬鹿正直に告げる悠香。ギーヴレイと名乗った男は、驚愕に目を見開き手にした錫杖(どこに持っていたのか悠香には分からなかった)を掲げ、悠香を睨み付けた。
「そうか、身の程も知らず陛下のお命を狙う不届き者が、未だに残っていたとはな。ならば、貴様の背後にいる者の名を答えてもらおうか」
ギーヴレイのその台詞は、言うなれば挨拶のようなものである。これからお前をとっちめてやるから覚悟しておけよ…的な。
しかし、平均的女子中学生でありそういうバトルものなノリに馴染みのない悠香は、当然のことながらそれを真に受けた。
「黒幕…って、私、なんか神さまって名乗る女の人に言われてきたんですけど」
「……神…女だと?」
まさか素直に返事が返ってくるとは思わなかったギーヴレイはやや気勢を削がれつつも、悠香の口から飛び出してきた聞き捨てならないフレーズに眉を顰めた。
「一体、それは何者だ」
「さぁ?あ、でも、名前はエルリアーシェだって言ってました。エルリアーシェ…ルーディア、だったかな?金髪の、すっごく美人さんでした」
「!?!?!?!?!?!?」
ギーヴレイ、驚愕。これは、非常にゆゆしき事態だ。
このタイミングで、まさか創世神エルリアーシェが魔王に刺客を送り込んでくるなどと。
そして、改めて目の前の不審者をじっくりと見定めようとする。
魔力は…まるで感じられない。体つきも仕草も、武術の心得があるようには見えない。どこからどう見ても、ただの廉族の小娘…雑魚の極みだ。
しかし、ならばこの余裕は何なのだろう。単身魔王城へ侵入し、武王筆頭である自分に発見されてもまるで動じることもなく、さりとて戦意さえ感じさせることがない。
「あのー…それで、魔王さんは今どちらに?さっさと懲らしめて家に帰りたいんですよ」
因みに、そう言う悠香にも、魔王を懲らしめる方法についての妙案はない。ただ、夢の中であることだし、夢の中とは言え神さま(自称)が懲らしめろと言っていたのだし、魔王に会えば何か分かるんじゃないかなー…程度の考えで。
対するギーヴレイ、思案する。
ここで、この娘を始末するのは容易い。創世神の刺客(それは神託の勇者みたいなものだろうか?)である以上は、魔王に対抗する何がしかの手段を持っているのかもしれないが、今こうしている彼女は何の武力も持ち合わせていないように見える。
そもそも、神格を抱く原初の意思たる魔王に純粋な武力で対抗出来る者など、創世神以外にはありえない。たとえその命令を直接受けていたとしても、そのための加護や恩寵を受けていたとしても、真っ向勝負は最初から計算外なはずだ。
だとすれば、彼女はそれ以外の切り札のようなものを与えられていると考えるのが妥当だろう。
そこでギーヴレイは、自分の推察が正しいのかどうか、試してみることにした。
彼が放ったのは、雷撃系中位術式の【針雷突】。雷光で作られた極細の針が無数に宙を舞い、侵入者の周囲の床に突き刺さった。
「………え、え?えぇ!?」
やはり、侵入者は躱すどころか防ぐことも反応することすらも出来ていない。自分の周りに降ってきた針に、呆けた声を出すばかりだ。
これが、無力なフリをしているだけの手練れであれば、もう少しは怯えてみせるはず。侵入者の態度に嘘はないと判断したギーヴレイは、自分の考えが正しいのだと知った。
この娘は、単純な戦闘力においては中位術式すら防ぎ得ない、脆弱な存在である…と。
「あの、ちょっと、急に何するんですか!」
それが何なのか知らないものの危険なものであるということだけは本能的に悟り、悠香はギーヴレイに食って掛かる。
が、ギーヴレイは彼女の分析を終えたので相手にすることをやめた。
「貴様が創世神より何を与えられたのかは知らぬが、敵地にノコノコと出向くのは愚かだったな。貴様の身柄は拘束させてもらう」
「え?あ、ちょっと!!」
「貴様の処遇に関しては、魔王陛下がお決めになる。覚悟することだな」
たとえ刺客でも、たとえ雑魚でも、創世神の命を受け現れた娘だ。ギーヴレイは、魔王にこのことを報告することにする。少なくとも、無断で始末してしまうのは愚策のように思われた。
「ちょっとー、女の子相手に何するんですか!この外道!人でなし!!」
拘束用の術式で身体の自由を奪われながらも、悠香の威勢の良さは衰えない。それは彼女が未だにここを夢の中だと思っているからなのだが、ギーヴレイはと言えば、そんな悠香の姿に何処か余裕めいたものを感じ、油断は禁物だと自らに強く言い聞かせたのであった。
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「本当に、本当にありがとうございました、勇者様、皆さま方!」
演技ではない本心からの感謝を顔に浮かべ俺たちにそう言ったのは、この国の王女である。
ここは、海上国家エファントス。国土は小さいが海底資源や海産物の輸出で財を成す国家だ。
勇者一行…神託の勇者アルセリア=セルデン、随行者である神官ベアトリクス=ブレア、同じく魔導士ヒルデガルダ=ラムゼン、神格武装クォルスフィア、そして補佐役のこの俺リュウト=サクラバは、聖骸地巡礼のために数日前エファントスに入国した。
そして、エファントス国王の代理である王女から、一つの依頼を受けたのだ。
それは、同じく海洋国家であるシナートがエファントスを属国にしようと画策しているのでそれをどうにかしてほしい…ということだった。
本来、ルーディア聖教会及び神託の勇者は、国家間のゴタゴタには首を突っ込まないというのが不文律である。同じルーディア聖教徒である以上、どちらかの肩を持つことは出来ないのだ。
しかし、明らかにシナートがならず者国家レベルにタチが悪いのと、向こうの王太子がひっじょーに胸糞悪い人物であったため、俺たちは満場一致でエファントスを…正しくはエファントスの王女様を助けて差し上げることにした。
もうどう見ても王族ってより海賊だよねって感じのシナート国王及び王太子をとっちめて、あわや手籠めにされそうだったエファントスのシルヴァーナ王女も無事救い出して、ついでに聖骸もゲットして(本当はそっちがメインなはずなんだけど)、めでたしめでたし一件落着、である。
現在、祝宴の真っ最中。王女が、自分と国を救ってくれたお礼に、俺たちを竜宮城の浦島太郎よろしくもてなしてくれているわけだ。勿論、玉手箱トラップはなしで。
目の前には大量の豪勢な料理と酒、舞姫による舞踏、楽団の演奏。勇者であるアルセリアたちは慣れたものかも知れないが、補佐役になってからこんな風に打算抜きの歓迎をしてもらうのは初めてな俺は、ちょっと面食らってる。
ちなみに、この世界の料理には色々と不満を持っているが、ここのは基本的に鮮度の良さを売りにした海鮮料理。シンプルな分、素材が良ければそれでOKということで、なかなかに美味である。
「…ん?どうしたアルセリア?」
勇者の自覚半分、食い意地半分で出来ているアルセリアが、何故か料理に手を付けようとしていない。こんなに美味しいのに…なんでだ?
「だって……これ、なんか動いてるし…」
ホスト側の気分を害さないように、小声で打ち明けるアルセリア。彼女の目の前には、鯛っぽい魚の活け造りと、サザエっぽい貝の残酷焼きが。
うーむ、内陸育ちにはちと刺激が強いか。けど、せっかく用意してもらったものに手を付けないのも悪いような気がするなー。
因みにビビは上手い具合に苦手な食材を回避しており、ヒルダに至っては全く気にすることなく手当たり次第に御馳走を頬張っている。リスみたいになったほっぺが可愛い。キアも好き嫌いはないようで(彼女の味覚の前に好き嫌いという概念は存在しないだろう)、ヒルダほどではないがご満悦でクルマエビ(っぽい海老)の踊り食いに夢中になっていた。
「まぁ、気がつきませんで、申し訳ございません」
シルヴァーナ王女が目敏く手付かずのアルセリアの料理に気付いた。逆に申し訳なさそうな顔で、すぐさま従者に代わりの料理を手配させる。
「いえ、その、お気遣いなく」
アルセリアは恐縮するが(流石の勇者も、一国の王女相手に我儘は言わない)、王女は柔らかな笑みでそれを遮った。
「いいえ、こういった料理は慣れない方々には少し刺激が強いですものね。気が回らなくて本当にすみません」
ほんわりニコニコと言う王女に、アルセリアもタジタジだ。どうも、こういう他意の無い人間、純粋な好意というものがこいつの弱点のようだ。
そしてやってきた王女は、そのままの流れで俺の隣に腰を下ろした。丁度、アルセリアと俺との間である。一瞬面白くなさそうな顔をしたアルセリアだったが、王女相手にはいつもの調子が出ないようで、何も言わずにこっちをしばらく睨み付けていた。
「あの……リュートさま」
宴もたけなわ、といったところで、それまで当り障りのない世間話をしていた王女が、改まったようにぽつりと囁いた。
ヒルダは満腹でうつらうつらしていて、アルセリアは完全に酔いつぶれている(だからあんまり呑むなって言ったのに…)。ビビは流石にそこまで醜態を晒してはいないが、珍しく酔いが回ったのかほんのり赤ら顔だ。キアは未だにエビをひたすら食べ続けている…お腹壊さないだろうな。
「本当に、ありがとうございました。リュートさまがいてくださらなければ、我が国はきっと今頃、シナートの属領となっていたことでしょう」
「いえ、解決したのは勇者である彼女らですよ。俺はあくまでも、補佐役に過ぎませんからね」
実際、直接シナート国王をとっちめたのはアルセリアたちだ。勿論、彼女らがエファントスに肩入れすることで立場を失わないように裏で手を回したり、彼女らの目の届かないところで色々と動いてはいたけど、俺は表立っては何もしていない。
が、どうやらシルヴァーナ王女はなんとなく察しているみたいだった。
「ふふ、ご謙遜を。リュートさまがいらっしゃるから、勇者さま方も自由に安心して動くことが出来ているのでしょう?」
「…そんなもの…でしょうか」
だったら、もう少しあいつらの俺への態度はどうにかならんのか?
「そうですよ。皆様にとても信頼されているのが、傍目にも分かりますもの」
「……そりゃ、どうも」
まぁ、あいつらとの付き合いもそれなりに長いし、それなりにアテにしてもらっている自覚はあるが…第三者からはっきり指摘されると、ちょっと恥ずかしい。
「それに……リュートさまのお言葉で、私も救われました」
……はて。俺の、言葉?…ってなんだったっけ。
「リュートさまは私に仰いましたよね。『王女としての覚悟と、一人の人間としての願望は、どちらも等しく価値あるものだ。けれども、そのどちらもそこにないのであれば、それは貴女の進むべき道ではない』……と」
あー……そういや、なんか言ったわ、そんなこと。ちょっと諦めモード入ってる王女に喝を入れるために、少々キツめに言ったんだった。
「あのお言葉は、私の深いところに突き刺さりました。覚悟も願望も等価値だと言ってもらえて初めて、自分の責務に向き合えた気がします。それまで、そんなことを言ってくれる人は誰もいませんでしたから」
最初に会ったころの王女は、随分と寂しげでどこか追い詰められたような表情をしていた。そして彼女を孤独にしているのも、彼女を追い詰めているのも、実は彼女自身だった。
小さく、それでいて豊かな祖国。病床の国王に代わる唯一の嫡子。周辺諸国との軋轢や腹の探り合い。次期国王として、諦めなければならなかった諸々。
アルセリアと同年代の女の子が一人で背負うには、彼女の荷は重すぎた。
けれども部外者である俺に出来ることなんてタカが知れていて、結局はそんな無責任な台詞を投げかけるしか出来なかったわけだけど。
どうやら、その無責任さが思いの外彼女には救いになったようだ。
今の王女は、憑き物が落ちたように晴れ晴れとした顔をしている。
「リュートさまは…補佐役、と仰いましたが、勇者さまではありませんの?」
「いえいえ、全然まったく違いますね」
勇者どころか魔王です、はい。
俺の即答に、王女は腑に落ちない表情になった。
「そうなんですか…私は、リュートさまが勇者だと言われても驚きませんわ」
「そいつは…光栄です」
なんかすっごくビミョーな気分。決して貶されているわけではないと、分かってはいるのだが。
「リュートさまは、どうして勇者さまの補佐役に就こうと思われたのですか?」
「え?ええと、それは……」
何故か俺の経歴に俄然興味を持ち始めたシルヴァーナ王女に、当り障りのない説明をするのはやや骨が折れた。
正直、魔王と勇者っていう関係性以外で俺たちの間に何か興味を引くような事情はないのだと思うけれども、聞き上手な王女は俺の話に目を輝かせて、相槌を打ち続けたのだった。
夜も更け、宴は終わった。
めいめいが自分の居室に戻り、俺は酔いつぶれたアルセリアとおねむなヒルダを次々に彼女ら用の客室に送り届けついでにちゃんとベッドに寝かせて布団も被せ(流石に着替えまでは手伝ってない。手伝うわけにはいかない)、ようやく解放された。
「おつかれー。相変わらず、面倒見がいいよね、ギル」
見てたくせにキアは手伝ってもくれなかった。ビビも同様だ。彼女は宴が終わるとさっさと自分の部屋へ引っ込んでいった。
「まぁ……補佐役だからな」
「補佐役って、オカンの意味じゃないっしょ」
言われて苦笑。確かに、神託の勇者の補佐役とは、勇者がその使命を果たすための、諸々の後衛が仕事である。彼女が全力を尽くすことが出来るように、その障害を取り除くこと。
少なくとも、酔いつぶれた勇者を寝室へ送り届けるのはちょっと違う。
「…ま、今さらだけどな」
「そだね、今さらだね」
そう言うとキアは、自分の部屋へ足を向けた。が、少し歩いてからこちらを振り返ると、
「………ほどほどにね、ギル」
…と、謎の一言を残して廊下の向こうへ去って行った。
……ほどほどにって……何を?
たまにキアは、こういうはっきりしない匂わせ方をするのだ。そういうときは大抵、俺に対して強く言い聞かせたいことがあるようなんだが……俺が鈍いのか、それを察することは今まで出来ないでいる。
ま、考えても仕方ないか。俺も寝ようっと。
「リュートさま」
「王女殿下…まだ起きてらしたんですか?」
そこに声をかけてきたのは、シルヴァーナ王女。一度自室に戻ったはずなのに、わざわざ戻ってくるなんて何か用事でもあるのかな?
…………………。
それに…多分、夜着に着替えたのだろう。今の彼女の装いは、何と言うか、無防備に過ぎると言うか、開放的と言うか、非常に防御力が低そうな…ただし攻撃力は最強の…ものだった。
デザインも露出も、決して煽情的でないあたりが逆に煽情的である。
「ええ、高ぶってしまいまして。……今夜は、なかなか眠れそうにありません」
王女はそう言うと、俺の横まで来て廊下の外に目を遣る。
夜の闇と、月明かりと、静寂と、少しぬるい風。
んーー……?これって……
俺に視線を戻すと、王女は少し目を伏せて微笑んだ。
「ですから、もう少しお話につきあって下さいませ」
彼女は、俺の手を取る。
「……王女としての覚悟はお見せしました。ですから、次は、その……私の、その……」
…………。
わーお。なんか新鮮な感じ。
こういう、手慣れてないのに必死で照れながらも…っていうのは、案外お目にかからないパターンなんだよな。
こう、奥ゆかしいんだけど受け身ではないってのが、また。
まぁ、その先を女性に言わせるのは男としてダメダメだろう。
彼女が勇気を振り絞っているのだから、ここはそれに応えないと。
「じゃあ、少し歩きませんか?まだ夜は長いことですし」
……そう、夜は長いのだ。
久々に下衆リュートです。こいつが下衆いことやったりしてるとなんかちょっと安心します(何故?)。しっくりくる、というか。




