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世話焼き魔王の勇者育成日誌。  作者: 鬼まんぢう
新世界編
424/492

第四百十八話 アルセリア=セルデン




 それは、貧しい農村地域の風景から始まった。

 視点の低さと、視界に映る手足の小ささから、先ほどまでの映像よりもさらに幼いと思われる彼女は、あかぎれで血の滲んだ手で土を掘り、雑草かと見紛うちっぽけな根菜…ほとんどただの根っこ…をいくつか()()すると、荒れ地とほとんど大差ない畑からその脇に立つ掘っ立て小屋へと戻った。

 崩れた土壁と、ボロボロの萱が乗った薄い屋根。中は、台所として使われている土間と部屋が一つだけ。外の風景からすると寒い時期だろうに、暖をとるための設備や道具は見当たらない。

 幼い彼女が、竈の前に座り込んでいる女性に、収穫してきた作物を見せた。女性は、疲れ果てた表情で笑顔もなく、娘の小さな手から作物をひったくるようにして受け取った。

 

 これは…アルセリアの生家…なのか。そしてこの女性は、彼女の母親?よくよく見てみれば、彼女に似ていなくもない…が、それにしては女性の、アルセリアに対する態度は冷淡に思えた。

 それとも、貧困家庭では珍しくないことなのだろうか。桜庭柳人の人生の中で、地球上には生きていくことすら困難な人々がいるということを学んだ。それは日本においてもありえなくはないことで、そして世界が変わっても同じような境遇の人々は多いのだということも、今の俺は知っている。

 だが、いざそれを目の当たりにしたときに、自分が如何にそれを他人事だと突き放していたかということに思い至った。



 ここが、アルセリア=セルデンのルーツ。彼女が生まれ、育った場所。彼女が決して語ることのない、故郷の風景。

 ここで彼女が過ごした年月は短いものだったそうだが、それでも彼女の根幹を成す部分はここでの生活で育まれたりしたのだろうか。



 やがて、ひょろりと痩せた男が小屋へと帰って来た。様子から見て、これがアルセリアの()()()父親なのだろう。

 だが…他人様の父親を捕まえてこんなこと言いたくはないが、俺はアルセリアの父親が誰かという問いには迷うことなくグリード=ハイデマンの名を挙げようと思う。そのくらい、好ましいとは言い難い男だった。

 途切れ途切れで場面が移り変わるので確実なことは言えないが、男がまともに働いている様子はなかった。少なくとも、幼いアルセリアの視界に入るそいつは、大抵安酒をかっ喰らって酔いつぶれているか、女房と娘に当たり散らしているか、どちらかだった。

 妻が荒れた畑で作業をしているときも、幼い娘が家事を手伝っているときも、男は動こうとはしない。そのくせ、ふらりと家を出ては泥酔した状態で帰ってきて、それを咎める妻を殴りそれを止めようとする娘さえも平気で殴り飛ばす、控えめに言ってもただのクズだった。

 そんな日々が少し続き、ある日男は珍しく上機嫌で、しかも素面に近い状態で帰宅した。上機嫌のまま、何かを妻に熱く語って…いや、説得しようとしていた。

 最初は躊躇っていた妻も、夫の僅かな説得であっさりと頷いた。ちらりと娘を見遣る視線に込められた罪悪感と憐憫は、一瞬で消え去ってしまった。

 両親は、娘の手を引いて街へ出た。街の光景が珍しいのか、アルセリアの視線はあちらこちらに忙しなく移っていた。

 両親にはどこか目的地があるようだったが、二人はふと一つの露店の前で足を止めた。大して目を引くところもない、ありふれた店構えだった。

 店主と一言二言交わすと、男は木彫りのペンダントのようなものを購入し、ヘラヘラと笑いながら娘の首にそれをかけた。

 娘…アルセリアは、かけてもらったそれを手に取って見る。手彫りの、木で出来た円環とその中に鳥のモチーフ。稚拙な技巧の安っぽいガラクタのようなそれは、俺とアルセリアを結び付けた例の聖円環セルクーだった。



 父親が、何を思って娘にそれを買い与えたのかは分からない。だが、映像の中の暮らしぶりを見るに、生活に必須ではないものを娘に買ってやれるような余裕はなさそうだった。そしてその金の出処がどこであるかなんて、考えるまでもない。



 街の外れで、三人を待っている集団がいた。冷たい眼をした恰幅の良い商人と、護衛らしき数人と、大きな幌馬車。馬車の中は見えなかったが、中身は見なくても想像出来た。

 商人と両親が何やら言葉を交わし、商人は男に掌に収まる程度の布袋を渡した。男はその中を覗き込み、にやにやしながら媚びるように商人に頭を下げていた。

 妻の方は、そんな夫に嫌悪感を隔そうともしていなかったが、特に何も言わなかったし何もしなかった。

 

 そうして、アルセリアは商人の幌馬車の中身の…在庫の一つとなり、両親は対価として幾許か…どうせ大した額ではないだろう…の金子を手に入れた。

 

 その映像は、馬車が走り去るところで終わっていた。幌馬車の後ろから外に顔を出して必死に両親に手を伸ばすアルセリアの視界には、立ち去る両親の後姿。二人が、娘の方を振り返ることはなかった。



 俺には、よく分からなかった。

 人買いに娘を売り渡す両親の頭の中身が、ではない。ただ、端金欲しさに娘を売った親が、別れの間際に信仰と救いの象徴である聖円環セルクーを娘にプレゼントするという悪趣味さと、それを「大切なもの」だと言い、実際に大切そうに胸に抱いて涙ぐんでいたアルセリアの心中が、だ。

 俺はあのとき、てっきりあれは親とか大切な人にお守りで渡された…或いは形見として遺されたものなのだろうとばかり思っていたのだが。

 まさかこんな、愛情の欠片も見当たらないような適当で皮肉なプレゼントだったとは…


 彼女の記憶をなぞる映像の数々は、ここで終わりのようだった。この先に行けば…アルセリアに会えば、その疑問も解消するのだろうか。


 階段の先は突き当たりになっていて、鉄格子のはまった扉が一つ。格子には頑丈な鎖と錠が付いていて、簡単に開きそうにない。

 それは、彼女の記憶をなぞった光景なのか、彼女が他者の立ち入りを拒んでいるからなのかは分からない。後者であれば、本当なら無理矢理にこじ開けない方がいいのかもしれない。暴かれることを望まない傷は外気に触れると容易に腐り落ちる。それを避けるためには、時間をおいて彼女自身が開放したいと思うまで待つしかないのだ。

 しかし、今はそんな時間はなかった。酷なことかもしれないが、彼女の傷にむりやり触れなければならない。

 俺は、力任せに鎖を引き千切った。ここはアルセリア=創世神エルリアーシェの内部であり、また今の俺はパスを切られている状態のため、神力マナは行使出来ない。やむを得ず自分自身を世界へ留め置くための楔…なけなしの存在値を削って強引な手を使ったのだが、思いの外、彼女の鎖は強固だった。

 それだけ、彼女は外を拒絶している。


 扉を開けると、そこは暗くて狭い牢屋のような部屋だった。ジメジメしていて埃っぽくて、ざらついた空気。どう考えても、健全な青少年の育成に相応しい空間とは言いかねる。


 部屋の真ん中に、一人の少女が固く膝を抱えて座り込んでいた。頭もぴったり膝に押し付けるようにしているので、顔は見えない。

 


 「……何してるんだ?」


 最初に何て声をかければいいのか分からなくて、俺はそんな下らない質問をしてみた。少女を怯えさせないように、出来るだけ優しい声色で。

 声をかけられた少女の肩がぴくり、と震えた。それから恐る恐る顔を上げて俺を見た彼女は、寄る辺の無い心細さに目を泣き腫らしていた。


 「……おにいちゃん、誰……?」


 外見は、俺の知るアルセリア=セルデンのまま。しかし中身は、まだ俺とも二人の親友とも養父とも知り合う前の、幼子のままであるかのようだった。


 ここで一つ、言い訳をさせてもらいたい。

 こんな事態、こんな状況であるに関わらず、あのアルセリアに震える声で「おにいちゃん」だなんて呼ばれた瞬間にキュンとしてしまったのは、俺の中の桜庭柳人…すなわち俺が創世神の中で自我を保っていられる功労者とも言えるわけだが、その桜庭柳人を構成する要素の八割方がシスコン及びその関連から生まれているからなのだ。

 繰り返そう。桜庭柳人は、八割方シスコンで出来ている。

 そんな俺に、悠香ともヒルダとも違う調子で「おにいちゃん」だと。理性を失わなかっただけ、褒めてもらいたいくらいだ。


 しかしまぁ、ここでいきなり抱きついて頬ずりして「そうだぞおにいちゃんだぞアルセリアー!」とかやったりなんかしたら、俺は不審者まっしぐらである。間違いなく、アルセリアは永遠に俺に心を閉ざしてしまう。

 だからそうしたい衝動を鋼の意志で抑え込んで、俺は何でもないような顔をして彼女の横に腰掛けた。


 「んーと、俺は…まぁ、通りすがりの悪いヒトだよ」

 「おにいちゃん…悪い人なの…?」

 「ん、まぁ、概ねそう言って差し支えないと思う」


 俺の自己紹介に、アルセリアは視線を下に落とした。ぼそぼそと呟くような声で、


 「…悪い人とは、お話ししちゃいけないって言われたの」

 「誰に?」

 「みんな。おかあさんも、神父さまも、みんなそう言ってる」


 そう言いながらも彼女が俺と会話してくれているのは、彼女の中にそうしたいと思う気持ちが芽生えているからだ。


 「なんで、悪い人とは話しちゃいけないのかな?」

 「だって……悪い人は、悪いことを教えるからだって。悪いことを教えられたら、悪い子になっちゃうんだって」

 「別にいいじゃないか」

 「……え?」


 驚いたように、彼女は顔を上げた。悪い子になってもいいだなんて、彼女の中にはなかった答えなのだろう。


 「お前は、今まで良い子だったんだよな?」

 「…………うん」

 「良い子になって、何かいいことがあったか?」

 「いいこと……いいことなんて、なにもない」

 「お前に良い子になれって言ってた人たちは、お前に何をしてくれた?」

 「…………………」

 「お前のことを、助けてくれたか?守ってくれたか?」


 なんか俺、メフィストフェレスになった気分。アルセリアの無垢な部分に斬り込んで彼女を誘導しようとしているのだから、似たようなものか。


 「他人に強いられた正しい振舞いってのは、決してお前を救わない。お前が自ずと正しくありたいと望んで初めて、それはお前の力になる」

 「むずかしいこと、よく分かんない……」


 俺の言葉から逃げるように、彼女は再び俯いた。分からないと言っているが、そして確かに幼子には難しいかもしれないが、彼女は幼い部分が表出しているだけの状態だ。彼女の中のアルセリア=セルデンは、きっと俺の言葉を理解している。


 俺はなおも、彼女の内面に潜り込もうとする。

 これまで彼女が打ち明けようとしなかった、彼女の剥き出しの声を聞くために。


 それはもしかしたら彼女の中に消えない傷を残すかもしれないが、それすらも彼女が生きる理由にしてくれればいいと、そう思う。





 

考えてみたら、ヒルダとビビの過去はそれなりに描いたけどアルセリアに関してはほとんど触れてなかったなーメインヒロイン(一応)なのに…と思ったので、せっかくだから終盤付近にぶっこんでみました。

そしたら存外に重くてちょっと引いてます…

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― 新着の感想 ―
[一言]  ……ちょいと重い話ですね。  なんというか、どんな"親"でも子供にとっては"親"なんだよねぇ。  まぁ、その後は"捨てる神あれば、拾う神あり"のごとくグリードに拾われ、親友2人にも巡り合え…
[一言] うーん、このシスコン…悪の道に誘うんじゃなくて悪いことと言われても自分の信じた道を進めって感じ?どっちにしろ不審者ではあるが そして設定作った本人がなんで引いてるんですかねぇ…
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