第四百十一話 助っ人来たる
最初の勢いは、そう長くは続かなかった。
「くっそ!倒しても倒してもキリがねーじゃねーか!」
ムジカが悪態を付いた。その直前の彼の攻撃は、幻獣に直撃したものの致命傷には至っていない。
レベルの低い技を使ったわけではない。魔力が枯渇しているわけでもない。
ただ、続く戦闘に消耗した精神が、彼の拳を鈍らせる。
消耗しているのは、ムジカだけではなかった。ライオネルもフレデリカも、ベアトリクスもヒルダも、そして他の兵士たちも、怒涛のように押し寄せる幻獣の群れを前に疲労困憊だった。
魔力に関しては、ライオネルの聖剣の持つ特殊効果のおかげで魔晶石が手に入るため、いくらでも補充が可能だ。
しかし、精神的肉体的な疲労は魔晶石では回復させることが出来ない。特に、常に死と隣り合わせにある緊張からくる精神の摩耗は、想像以上に彼らを蝕んでいた。
ベアトリクスは、自軍の兵士たちに視線を向ける。その大半は、既に絶命もしくは戦線離脱していた。
いくら“聖母の腕”の恩恵を受けていると言っても、ただの兵士でしかない彼らでは幻獣に対して非力すぎる。数が勝っていれば戦い方もあったのだろうが、三万対八千ではどうしようもない。
「このままでは、突破されてしまいますわ!」
フレデリカが、悲鳴のような叫びを上げた。
全ての幻獣が、彼女らに群がっているわけではない。離れたところでは、壊滅状態になった部隊を踏みつぶすようにして、じわりじわりと幻獣の群れが前進を続けている。
兵士たちによる堤防は、今まさに決壊しようとしていた。
「止めなくては!ここを抜けられたら、ロゼ・マリスはすぐそこです!!」
ベアトリクスの声に応じるように、魔導兵たちの連結術式【地鎖影縛陣】が発動した。大地を這う黒い帯が、戦線を突破しようとする幻獣たちに絡みつき、その動きを止める。
そこに、フレデリカの魔導矢とヒルダの術式が炸裂し、幻獣の数を減らしていく。
「…ダメだ、数が多すぎる…!」
ライオネルが歯噛みしたのも無理はない。一度に足止め出来る数には限りがある。一部を止めても、別のところから幻獣が押し寄せる。それら全てを排除するほどの攻撃を持つ者もいない。
一対一ならば十分に対処可能な敵であっても、数に任せて押し切られてしまえば、止める術はない。
これ以上進まれては、完全に突破されてしまう。
彼らが、戦火に包まれるロゼ・マリスを想像し血の気を失った、そのとき。
雪崩るように進んでいた幻獣の一群が、急に動きを止めた。
否、止めたわけではない。現に、今も前進しようとしている。だが、見えない壁に突き当たっているようで、一向に前へ進めていない。
「……何なんでしょうか…?」
「あそんでる…?」
「んなわけねーだろうが」
パントマイムの大道芸人のような滑稽な幻獣たちを見て茫然とする彼らだったが、
「見ていられぬな」
上から降って来た言葉に、思わず空を見上げ、そこにいる人影…一対の翼を背に持った…に気付いた。
藍色の髪、青みがかった翼、そして神々しくはあるがどこか陰気臭い容貌。
本来ならばここにいるはずのない、高位生命体。
「…天使……なぜここに…」
ライオネルとフレデリカ、ムジカの三人は呆けているが、ベアトリクスとヒルダにはその天使に見覚えがあった。
それほど関りが深いわけではなかったが、幾度か言葉を交わしたこともある、その天使は…
「貴方は…ええっと……グリュー………グリューガスさん…でしたっけ?」
「グリューファスだ」
ベアトリクスのボケにツッコミではなくマジレスを返し、陰気臭い表情のまま地上に降り立った、四皇天使の一人…風天使グリューファス。
「今までどちらに……?」
地天使ジオラディアは創世神側についたということは、リュートから聞かされていた。そして風天使グリューファスは消息不明だ、ということも。だからてっきり、グリューファスは逃走し身を隠しているのだとばかり思っていたベアトリクスだったのだが。
「御神のご意志に疑問を感じ、身を隠していた」
……大体、そのとおりだったようだ。
「ここで身を晒すつもりはなかったが……汝らを見殺しにするのも寝覚めが悪い」
「お力を、お貸しいただけるのですね?」
「このような無様な姿を見せられては、介入したくもなろう」
どうやら、風天使は素直ではないらしい。
しかし、最高位天使であるグリューファスの参戦は大きい。圧倒的兵力差は変わらないが、戦闘力で言えば文字どおりの千人力、否、万人力である。
「お、おいベアトリクス。こいつ…じゃなくてこの天使様は、俺らの味方なのか?」
おずおずとムジカが問いかけた。天使と言えば創世神の配下、則ち自分たちの敵であるという認識なので、グリューファスのことが俄かには信じられないのだ。
「はい、この方は、天界の支配権を握っていた四皇天使のお一方です。以前に、色々と助けていただいたことがありました」
と言いつつあまりグリューファスの助けを受けた記憶のないベアトリクスだったが、この場は分かりやすくそう説明しておいた。
「なんと心強い!これもきっと、ギーヴィア様のお導きなのですね!!」
一人勘違いを暴走させてうっとりしているライオネル。聞き覚えの無い名称にグリューファスは首を傾げるが、然程の興味も抱かなかったようで思いっきりスルーした。
「ここより先は、空間を断ったゆえ進むことは出来ぬ。あとは、あれらを駆逐すれば良いのだろう?」
いまいち影の薄かった(とベアトリクスは思っている)グリューファスであるが、そして魔王を基準にするものだからそれもやむを得ないのだが、それでも最高位天使の力というのは想像を超えている。
自分たちがあれほど必死になって、それでもどうにもならなかった局面を、一瞬で打開してしまうのだから。
「憐れな幻獣たちよ。己らが、何のために生み出されたかすら知らされぬまま、破滅のために使役されるとは…」
憐憫にしては無機質な声でそう呟くと、風天使グリューファスは空高く飛翔した。
「せめて、汝らに安息が訪れんことを」
そして彼は、鐘の音を導く。天使族の奥義にして、聖属性最強の極位術式。
【断罪の鐘】…破邪の光が、戦場を覆い尽くした。
あやうく、グリューファスさんの存在忘れるところでした。影が薄いんですよこの人。




