第四百九話 大変なのは主役だけに限ったことじゃない。
第一陣の戦果は、散々なものだった。
極力、ロゼ・マリスから遠く離れた地を戦場とするべく、足止めのための第一陣が出発したのは一昨日の夜半のこと。
そして今朝、衝突が起こったという報告が上がったのだが、やがて連絡は途絶えた。
当初の計画(希望とも言える)では、前回の戦が行われた平原よりもさらに南東に広がる砂漠地帯で敵を足止めするはずだった。だが、そろそろ昼過ぎになろうかという現在、既に味方の第一陣は戦況連絡すら不可能なほどに壊滅的被害を受けていると予想された。
おそらく、敵の侵攻速度は衰えていないだろう。このままでは、ロゼ・マリスや人口密集地帯が戦場と化してしまう。
「猊下、私たちが出ます」
「出番、がんばる」
申し出たベアトリクスとヒルダに、グリードは即答出来なかった。
ベアトリクスの“聖母の腕”があれば、味方軍の大幅な戦力アップが期待出来る。さらにその恩恵を受けたヒルダの高位術式と“黄金の幻獣”は、きっと目覚ましい活躍を見せることだろう。
しかし。
急拵えの第一陣とは言え、有象無象を搔き集めたわけではない。搔き集めたのは、出来得る限りの熟練兵たち。
ロゼ・マリスとその近郊の国々に所属する正規兵の他、高位遊撃士パーティや高名な大魔導士、名のある傭兵団、そして精鋭の教会騎士たち。
数こそは不十分だったが、各々の能力は非常に高水準だったのだ。
それが、数刻もしないうちに壊滅。
幻獣という存在を侮っていたわけではないが、伝承でしかその力を知らなかった彼らは、彼我の戦力差がここまで絶望的だとは思っていなかった。
そんな戦場に、ベアトリクスとヒルダを送り込むという危険を、父としても枢機卿としても、軽々しく容認することは出来ない。グリードは、決意と覚悟を双眸に宿らせる愛娘たちに、首を振ろうとした。
「猊下、僕たちもよろしいですか?」
「いい加減、待つだけってのは性に合わないんすよ」
「同感ですわ。時間が経ちすぎると、モチベーションだって下がってしまいますもの」
そこに参戦してきたのは、勇者2号一行。状況は当初よりも悪くなる一方であるに関わらず、その闘志は旺盛。
「早く敵を食い止めないと、大変なことになります。猊下、ご裁可を」
援護射撃に力づけられたベアトリクスが、グリードに詰め寄る。
「このままでは、第二陣の準備が整う前に、敵がロゼ・マリスに到達してしまいます」
グリードは、決断しなくてはならなかった。
ここにいる者たちは、地上界の主力である。碌に準備も整わないうちに戦場へ駆り出し損耗させるというような、粗末な扱いをするわけにはいかない。
だが、同時にベアトリクスの言うことも尤もだ。ここで主力を出し惜しみしたせいで、敵本陣が最終防衛ラインを突破してしまうことがあれば、地上界は抵抗の旗印を失うことになる。
どちらをとっても、理想とは程遠い結果が待っている。で、あるならば。
「……分かった、許可しよう。ただし、無茶無謀は避けること。慎重に、行動してくれ給え」
苦渋の決断を下し、最速で彼女らに万全の援護体制を用意すべく脳裏で算段を整え出したグリードの発言は、奇しくもリュートが常々彼女らに口煩く言い続けてきたのと同じ内容だった。
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「…ヒルダ、大丈夫ですか?」
「へーき。これ、むしゃぶるい」
ヒルダが僅かに身を震わせ、ベアトリクスがそれを案じる。
彼女らの視界には、大地を埋め尽くさんばかりの異形の群れが。最初の報告から、ほとんど数が減っていないように見える。第一陣の兵士たちは、敵の足止めはおろかその数を削ることすらままならなかったようだ。
グリードが突貫で用意した八千の兵と共に、彼女らは戦場に立っている。なお、第一陣として派兵されたのは、およそ二万。
二万でも足止め出来なかった敵を、八千で相手にしなくてはならない。そもそも計算では、一人で四体ほどの幻獣を相手出来なければ敗北は確実なのに、実際には一体の幻獣に対し十数人が束になっても瞬殺されてしまう有様。それほどに、戦のために作られた幻獣の力は驚異的なのだ。
一体一体が、高位魔獣を凌駕する存在。いかに勇者やその随行者と言えど、自らの生存は絶望的だと覚悟しなくてはならなかった。
「…へっ。強がりか、チビッ子?」
しかし、そんな状況を目前にして、ムジカはヒルダを揶揄い、ヒルダがムキになって彼をポカポカと殴りつける。
「いてて、おいやめろよ、図星だからって」
「うるさいこのねこおとこ」
「もう、二人とも状況が分かっていますの?もう少し真面目にお願いいたしますわ!」
「そうですよ。ケンカは終わったあとでやってください」
ポカスカを続けるヒルダと茶化しながらも逃げるムジカの二人を窘めるライオネルとフレデリカだが、こちらにも悲壮感はない。
出来ることが限られているのならば、最善を尽くすまで。余計なことを考えている余裕などない。今は、目の前の敵を打ち倒すことだけを考える。
それが、彼らの下した決断。覚悟、或いは前向きな諦め…開き直り。
いずれにせよ、タダでは転ばない面子ばかりだった。
「…来ますよ。準備はいいですね?」
ベアトリクスが全員に呼びかけ、“聖母の腕”を起動させた。
淡い光が彼女を中心に広がり、味方の兵士たちを包み込んでいく。ここにいるのは、先の戦に出ていた者も少なくない。既に“聖母の腕”の恩恵を知る彼らは、澱みなく連結術式の詠唱に入る。
切り込み隊長として、誰よりも早く動いたのは、獣人ムジカ。
しなやかな体捌きで恐ろしい幻獣の真っただ中に躍り出ると、高く跳躍し拳を振りかざした。
「まずは挨拶代わりだ、食らいやがれ!【覇道十二天掌】!!」
ムジカの拳が、彼の魔力によって作られた不死鳥を纏い、一体の幻獣に襲い掛かる。手足の長いトドのような外見をした不気味なそれは、喉元に一撃をくらい悶絶した。
打撃の瞬間、不死鳥は炸裂し、無数の炎の欠片へと変化した。その一つ一つは蝶となり、周囲の幻獣に纏わりついた。
「とりあえず、そこでじっとしてやがれ」
直撃を受けた幻獣は、喉に大穴を開けて地に倒れ伏した。それ以外の、ムジカを取り囲んでいた幻獣たちは、何故か目の前の敵に襲い掛かることはせずに、動きを止める。
【覇道十二天掌】第一式、羽衣蝶。一定時間敵の動きを止める、特殊効果を持った技だ。持続時間は相手のレベルにもよるが、炎の蝶が消えないうちは、破られることはない。
「オラ、せっかくチャンスを作ってやったんだから、テメーらも続きやがれ!」
叫びながら後退し、自陣へと戻るムジカ。いくら周囲の動きを止めたといっても、せいぜい5、6体である。モタモタしていると対処不可能な数に取り囲まれてしまう恐れがあった。
「そうですわね。それでは、お言葉に甘えさせていただきますわ」
「……いちいちさしずするの、うっとうしいけど」
ムジカに答え、フレデリカとヒルダがほぼ同時に術式を完成させた。
「【邪穿閃撃】!」
「【風舞迅雷】」
とても良く似た効果を持つ二つの攻撃。術式を付与された全てを穿つフレデリカの魔導矢に、ヒルダの雷を纏った風が絡みつきその威力を底上げし、絶大な奔流となって動きを止めた幻獣たちに突き刺さった。
それはさながら、指向性を持った竜巻。巻き込まれた幻獣は雷に焼かれ風刃に切り裂かれ一条の光に貫かれ、3体が同時に絶命した。
「ちょっと、何勝手に術式を合体させてるんですのよ!?」
「このほうが、こうりつがいい……」
自分の術式に勝手に横から重ねてきたヒルダの手腕に、突っかかりながらもフレデリカは内心で舌を巻いた。
予め打ち合わせをしていたならばまだしも、自分がどの術式を選択するか知らないはずのヒルダが、お誂え向きの【風舞迅雷】を使ってきたのだ。それは、フレデリカの練り上げる魔力パターンから予想しなくては不可能な業。
さらに、最初から連結術式を用いているのではなく、強引に他人の術式に自分のそれを重ねるなどと、一般的な魔導士からすれば正気の沙汰ではない。変な干渉を起こして、支配不能となってしまう可能性が非常に高いためだ。
「二人とも、いつの間にそんな仲良しになったんですか?微笑ましいですねぇ」
「な、何を仰るのですかライオネル!誤解ですわ!!」
「…ふゆかいきわまりない」
「それ、酷くありませんこと!?」
フレデリカとヒルダの遣り取りを見て笑顔だったライオネルだが、すぐに表情を引き締める…依然として地味顔ではあるが。
「さて、真打登場といきますか」
自分を落ち着けるかのように静かに呟くと、手にした剣を正面に掲げる。
彼の剣は、“聖母の腕”と並ぶ聖教会の秘宝。かつて二千年前の天地大戦において、地上界の最後の守り手と呼ばれた超常の戦士、「逆さ時計のエルゼイ」が用いていた聖剣“罪と罰”。
「あら、真打だなんて聞き捨てなりませんね」
本来ならこういった台詞はアルセリアのものなのだが、いないので仕方なくベアトリクスが代わりに抗議してみる。因みに何が「仕方ない」のかは彼女にもよく分かっていない。
「まぁ、見ていてくださいよ、ベアトリクス嬢。……【破邪暁光斬】!!」
肩越しにベアトリクスにウインクを送り(いやに気障な仕草だがこういう奴だっただろうかとベアトリクスは冷めた目で見ていた)、高らかに吼えるとライオネルは一際巨大な幻獣へと剣を振りかざした。
鈍色の燐光が斬撃へと姿を変え、標的とそのすぐうしろにいた別の一体をまとめて袈裟掛けに斬り伏せた。
断末魔の声と共に崩れ落ちた幻獣の輪郭が曖昧になる。まるで溶けだすように広がり、憑依していた精霊は虚空へと還り、残ったのは依り代として使われた魔獣の死骸。その死骸も見る間のうちに朽ち果て風化し、一握りの小さな貴石を残して消え去った。
その紫暗に透き通る貴石を拾い、すかさず後退するライオネル。
「…それは?」
「魔晶石ですよ。倒した相手の生命、魔力を結晶化したものです。魔力回復に使えますので、どうぞ」
にっこりと笑い、ライオネルはベアトリクスに魔晶石を渡した。
「前回も思いましたが、“聖母の腕”には本当に助けられます。それがなければ、僕たちの攻撃があれらに通用することはなかったでしょうから」
素直な称賛に呆気に取られ、ベアトリクスは思わず魔晶石を受け取る。
「これ、私が使っても?」
「勿論構いませんよ。貴女が力尽きたらそれで終わりですからね」
これが地味顔ゴスロリ男の娘でなければ、こいつもしかしたら意外とモテるんじゃないだろうかと内心で思うベアトリクスだったが、これもまた言わないでおいた。
「…さて。この繰り返しで、どのくらい持たせられますかねぇ」
驚異的な力で幻獣を圧倒した彼らではあるが、それでも仕留めたのはいまだ6体に過ぎない。“聖母の腕”で威力を大幅に底上げした全力の必殺技でこの有様なのだから、先はまだまだ長い…というか、かなり暗澹としていると言わざるを得ない。
「どのくらいも何も、やるだけやらねーとこっちが終わるからな」
「幸い、ライオネルの“罪と罰”のおかげで魔晶石が入手できますし、魔力に関しては心配はいらないですしね」
敢えて明るく言うムジカとフレデリカであるが、状況の厳しさはその表情が物語っている。
確かに彼らの攻撃は十分に幻獣を屠る威力を有しているが、一度に攻撃出来る範囲が決められている。それ以外の広範囲射程を持つ技では、威力が足りない。
そして何より、脆弱な彼ら廉族が敵の一撃を浴びた場合、一撃でほぼ即死だろう。僅かなミスが、不運が、隙が、彼らのみならず味方全軍の運命を左右する。
「かんがえるまえに、てをうごかす」
「そうですね、ヒルダ。今は、立ち止まってる暇なんてありませんね」
しかし、次々と押し寄せる幻獣を前に、考え込んでいる余裕も躊躇する猶予もなかった。
かくして、地上界の勇者たちは、一瞬たりとも気を抜くことの出来ない死地に、身を投じるのであった。




