第四百八話 腹が減っては戦は出来ぬって要するに補給路は大切だってことだよね。
地平線が、姿を変えた。
否、姿を変えたのではない。ただ、遠くに見える、地を覆い尽くすかのように蠢く影のせいで、形が変わったように見えただけだ。
物見台から送られてきた映像を食い入るように見つめるのは、最早地上界の先導者に(いつの間にか)されてしまっているルーディア聖教会枢機卿グリード=ハイデマンを始め、彼よりも一歩下がって主導権を委譲していることを暗に示しまくっている教皇や、他の枢機卿たち。それと、ベアトリクス=ブレア、ヒルデガルダ=ラムゼン、勇者ライオネル=メイダードとその随行者たち。
言わば、地上界防衛部隊のような面子である。
「これが、先ほど送られてきた最新の映像だ。解析の結果、幻獣の大群だということが判明している」
険しい顔と声でグリードが解説すると、部屋の空気がいっそう張り詰めた。
予想はしていたが、いざ目の当たりにするとなると平静を保つのは難しい、ということだ。
「ざっと見ただけでも……万は下らない数ですわね」
エルフの射手、フレデリカ=ルシェがポツリと呟いた。全貌はまだ見えていないことから、それが果たして数万で済むのかどうかは、怪しいところ。
「我々は、どうすべきだろうか…?」
「迎え撃ちましょう」
頼りなげな教皇から問われたグリードは、即答した。状況の厳しさは十分過ぎるほど分かってはいるが、そう答えるより他はなかった。何故ならば、
「このまま座して破滅を迎えるわけにはいきません」
黙っていれば、世界そのものの滅亡を待つことなく自分たちは終わってしまうから。
地上界とその存続を第一に考えるグリードに、諦めるという選択肢はなかった。
「しかしグリード猊下、相手は幻獣ですよ?しかも、これほど大群となると、その、我らに……」
「勝ち目はない、と申されるか、レンブラント殿」
グリードに縋り付いたのは、枢機卿ヒース=レンブラント。いつぞや魔王に盾突くという暴挙に出た彼ではあるが、その一件のおかげで分を弁えるということを学んだのであった。
「それは、その……そこまで言い切るわけではありませんが………」
認めるのが恐ろしくて、レンブラントは自分が言いかけたことに躊躇を見せる。
「ならば、どうすべきと?まさか、あれらに対話を呼びかける…などと言われるのではないだろうね?」
知性を持つ一部高位魔獣や霊獣と違い、幻獣には知性も理性もない。あるのは、入力された命令に従おうとする性質だけだ。
それが、地上界を滅ぼせだとか廉族を鏖にしろだとかいうものであった場合、たとえ白旗全面降伏したとしても、無駄なこと。
「我らに許されたのは、抵抗するか否かの二択だ。どちらに希望があるのかは、言うまでもない」
グリードの宣言に、その場にいる全員が頷いた。レンブラント枢機卿も、渋々ながら頷くしかなかった。
「聖下、各地の諸侯へ急ぎ通達を願います。最早、出し惜しみしている場合ではないでしょう。世界中の総力を以て、事態に対処しなくてはなりません」
「承知した。教会を通じ、即座に派兵を命じよう」
どちらが上役なのか首を傾げてしまう光景だが、素直に教皇はグリードの指示に従うべく退室する。数名の枢機卿がそれを補佐するために続いた。
「……さて。我々聖教会も、前回以上に厳しい戦いを強いられそうだね」
「仕方のないことです。こうなった以上、やるだけのことはやりましょう」
振り向いて言うグリードに、ベアトリクスは力強く答えた。リュートには置いてきぼりにされた彼女とヒルダではあるが、地上界での戦に関しては蚊帳の外を自分に許すつもりはなかった。
しかし、ならばこちらの方が事態が軽いかと言えば、そうとも限らない。
無論、創世神と戦うことに比べれば可愛げのある事態かもしれないが、無責任な希望的観測を除いて彼女らが万を超える幻獣の大群に勝利する可能性は、非常に低い。抵抗は、ただの悪足掻きに等しい。
だが、座して死を待つことこそが最たる敗北なのだと、彼女だけでなくここにいる全員が悟っていた。
「そう言えば、ベアトリクス嬢。君たちの補佐役は今どこに?」
ライオネルが部屋を見回して、姿の見えないリュートに言及した。前回の戦での最大の功労者はリュートであると彼も分かっている。主力たり得る彼がいないことに、疑問と不安を抱くのも当然のことであった。
「リュートさんは……」
「彼には、勇者アルセリアを迎えに行ってもらっている」
ベアトリクスの代わりに答えたのは、グリードだった。
「と言うか、助太刀に近い…かな?だから我々は今回、勇者アルセリアもリュート=サクラーヴァも抜きでこの事態を切り抜けなければならないわけだ」
「そう…ですか……?」
いまいち理解出来ていないライオネルではあるが、グリードの視線にそれ以上の追及は許されていないのだと悟り、とりあえずは引き下がる。
幻獣たちの進む速度は、それほど高くない。だが、ロゼ・マリスを戦場にするわけにはいかない。
「一両日中に、第一陣を出撃させる。目的は、敵の足止めだ。君たちには、態勢の整った軍勢と共に第二陣として出てもらうことになるだろう。……覚悟はいいね?」
そこに並ぶ若者たちを見渡して言うグリードに、全員が力強く頷いた。
「覚悟など、とうの昔に済んでいますよ」
「ボクたち、そのためにここにいる…」
魔王に戦力外通告をされたベアトリクスとヒルダは、鬱憤晴らしも含めて暴れる気満々のようだし、
「当然です!ギーヴィア様のご加護がある限り、このライオネル=メイダード、決して敵に後れを取ることはしませんとも!」
「どーせ、覚悟なんてしてもしなくても一緒だしな」
「不謹慎ですわよ、ムジカ。素直じゃないんだから、まったく」
堂々と宣言するライオネルと、気負った様子のない二人の随行者たちにも、悲壮さは微塵も見られない。
「あの、ライオネルさん…」
「なんですか、ベアトリクス嬢?」
「その、ギーヴィア様って…………いえ、なんでもありません」
あまりに自信に満ちているライオネルに、女神(だったか精霊神だったか)ギーヴィアの真実について教えようかと一瞬考えたベアトリクスだったが、今ここで彼の士気を大幅に低下させるのは得策ではないと、すんでのところで思いとどまったのだった。
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「随分と、しつこいですねヴェルってば」
「それはこっちの台詞だっつの。お前そんなに粘着だったっけ?」
俺とアルシェの攻防は、もうかなりの時間を経過しても続いている。時間なんて気にする余裕はないから正確なところは不明だが、もう数日は経ってるんじゃないだろうか。
未だに、決着がつく気配はなかった。
アルシェが本調子でないのと同じレベルで、俺もまた本来の力を振るうことが出来ない。それは偏に、彼女に理の管理権を握られているからなのだが……
…………妙だな。
予想以上に、彼女の干渉力は弱まっている。これだけ長いこと打ち合っていても、こちらの力が削がれていく実感はない。
これをチャンスだと考えればいいのだが、本当にこんなに上手くいくのだろうかという疑問も頭をよぎる。
それに……ここまで干渉力が弱まっている割に、彼女は元気すぎやしないだろうか…?
今の俺も彼女も、“星霊核”への接続は同じ程度に制限されている。片や肉体の支配権が不十分なため、片や理の統制権を握られているため。
同じだけのハンデを負っているせいで、どちらも本気を出すことが出来ずに時間だけがダラダラと流れ続けている。
こちらとしては、アルセリアを助け出す隙を窺うのに時間稼ぎをしたいところなので願ったり叶ったりだが、アルシェの方に時間を稼ぎたい理由などないはず。
決め手がないだけだと言ってしまえばそれまでなのだが、それにしては……彼女の消耗が少なすぎる。
実際、手数も勢いも、徐々にだが彼女が俺を上回り始めていた。
このままだと、やがてこっちが先にガス欠を迎えそうである。
「なぁ、アルシェ。お前、なんかドーピングでもしてる?」
「あらあら、そんな疑われるなんて心外です」
なんとなく漏らした一言に、エルリアーシェは律儀に返答した。
この表情……まさか、ズバリ的中…ってことか?
「……マジかよ。ズルいじゃねーか……」
「なんですかヴェルってば。真剣勝負にズルいも何もないでしょう?それに、ヴェルだって協力してくれたじゃありませんか」
…………………?
協力って……俺が?アルシェに?何の…って、ドーピングの??
「なんのことだよ!」
「あら?まだ気付いてなかったんですか?」
してやったり顔がムカつく。なお、これらの会話の間、俺の影とアルシェの光は休む間もなく攻防を続けている。
「“星霊核”から引っ張ってこれる力が限られてるんですから、他に補給路を用意しておくのは定石じゃないですか」
「他に…補給路?」
「先の戦でたくさん死んでくれたおかげで、神力の補充はバッチリですよ♪」
「…………!」
先の戦……ルーディア聖教徒と、使徒たちとの戦いのことか!
死んでくれたおかげでってことは…………まさか、こいつ…
「あのとき、ヴェルってば核との接続を切ってくれてたでしょう?だから気付かなかったかもですけど、あの場の魂は全部、霊脈じゃなくて私の方で回収させていただきました」
「!?!?!?!?」
「さらに言うと、今も現在進行中で、下僕たちが頑張ってくれてます」
「!!!!!!!!」
それって……前回の戦は、創世神に神力を蓄えさせるために仕組まれた…ってことか?
あの戦場での死者数は、敵味方合わせておよそ八万ほどと聞いている。それらの生命・魂が全て、アルシェに渡ったということは……
……って、「今も」?今もって言ったか、今?
「…お前、地上界に……」
「はい。幻獣の群れをざっと三万匹くらい、地上界に放ってきました。あ、見境なく殺すのでは効率が悪いので、きちんと強い魔力を持った魂を狩れるように、統制してありますから」
無差別殺戮ではなく、軍隊にぶつけるつもり…か。
「って、魂を選別して新世界とやらに連れてくんじゃなかったのかよ?」
「だから、それは選別でしょ?不要な魂は、私が有効活用させていただきます」
そう言って微笑む彼女の光は、未だ衰えを知らずに強靭な輝きを放っていた。




