第四百七話 聞かれてないと思っていた鼻歌を聞かれていたときの恥ずかしさは言葉に出来ない。
左右がはっきりしていなかったり、上下が明確でなかったり、明暗が判然としていない奇妙な風景を目の当たりにして、キアが少しよろめいて俺にもたれかかった。
「ギル、なんかここ……気分が悪い」
「大丈夫か?キツいようなら、剣になっとけ」
「うん……そうする」
俺の提案に素直に頷くと、キアは刀剣形態へと変化した。視覚に頼らない分、少しは気持ち悪さも軽減されるだろう。
それにしても……落ち着かない空間だ。俺の中の桜庭柳人の感覚が、ここは不自然だと喚いている。おそらく、普通の人間がここにいたら数時間もしないうちに精神をやられてしまうんじゃないか。
それだけ、斬新な空間だった。
〖創世神は、どこにいるんだろう?〗
「多分、ここは見た目ほど広い空間じゃない。そう遠くないところにいるはずだ」
用心深く、俺はキアを手にして歩き出す。
今さら、雑魚どもが襲ってくる危険は考えていなかった。警戒すべきは、創世神ただ一人。
ざしゅ、もにゅ、ふよん、ぶに。
一歩進むごとに、足元の地面を踏みしめる感触が変わる。見えている景色も、万華鏡のように移り変わっていく。平衡感覚なんて、あって無きが如しだ。
ふわふわした手触りの岩山の向こうから、声が聞こえた。聞き覚えのある声。懐かしい声。
それは、確かに俺の知るアルセリア=セルデンのものであるのだが、しかし今はそうではないということは分かっている。
さらに近付くと、声はだんだんとはっきりしてきた。
これは……歌ってるのか、あいつ?
「るんるんらーん、らんらんるーん、山が高いと誰が言ったー海が広いと誰が言ったー、既成概念ぶっち壊せー♪」
「いや、どういう歌だよ」
……思わず、ツッコんでしまった。
歌詞の無茶苦茶さもさることながら、その調子っぱずれの音程に、黙っていることが出来なかったのだ。
「へ?これですか?これは、私のオリジナルソングで……………」
反射的にこちらを振り返ったエルリアーシェが、俺たちの姿を見て満面の笑顔のまま固まった。
「……って、えええ!?ヴェル?なんで?なんでここにいるんですかぁ!?って、今の聴いてました?恥ずかしい!!」
赤面し慌てふためいて頭を抱えるアルシェ。落ち着きの無さは、ずっと前から変わらない。
アルシェのすぐ横には、サファニールもいた。こちらは、取り乱すことも驚愕することもなく、俺を冷静に見つめている。
俺がここにいる理由も、その経緯も、分かっているのだろう。それが主への裏切りだということも、おそらく。
「えー、ちょっと待ってくださいよ。ヴェル、なんでここが分かったんですかぁ?まだ準備途中だから、招待するのは少し先…」
「アルシェ。その身体の持ち主を返して欲しい」
エルリアーシェを遮って、俺は問う。慌てているくせに焦りは見られず、あまり悠長にやっている時間的余裕はなさそうだ。
「返すって、どういうことですか?これは元々、最初っから、私のものなんですけど」
「それは違う。お前は確かにそう設定したのかもしれないけど、その身体で十数年を耐えて学んで生きて来たのは、間違いなくアルセリア=セルデンだ」
エルリアーシェの表情が、すぅっと温度を下げたのが分かった。明らかに、苛ついている。
「……ヴェル、なんか………つまんなくなっちゃいましたね」
「ああ、そうかよ。今の俺がつまらないっていうなら、つまらない男上等じゃねーか」
不思議なことに、アルセリアたち(特にヒルダ)に「つまらない」なんて言われた日には俺の繊細グラスハートはこの上なく傷ついてしまうと思われたが、エルリアーシェにそう言われても、何も感じるものはなかった。
ずっとずっと、誰よりも何よりも永い時間を共に在り続けた、自分の片割れ。かつて自分と同じだった存在。拠り所であり、基準だった、たった一人の家族。
俺とアルシェの絆は誰よりも強く深いはずなのに、俺の心は彼女から遠く離れてしまっているような気がした。
「そう、ですか……。分かりました。今の貴方は、私には相応しくない」
「それに関しては、同感だ」
ゆらり、とこちらに向き直ったアルシェからは、完全に親し気な雰囲気は消えていた。敵意でも、憎悪ですらない、それは
「……だったら、排除しないと」
ただの、嫌悪でしかなかった。
「それに関しては、御免被る」
アルシェの戦闘態勢に気付き、俺もキアを構えて意識を集中させる。アルシェがどこまで調子を取り戻しているかは分からないが、届いてくる圧からして楽観は出来ない。
かくして、二千年ぶりの壮絶なる姉弟喧嘩が幕を開けた。
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創世神が羽衣の様に纏う光の粒子が収束し、まるでSF映画かロボットアニメのビームサーベルみたいな刃と化した。
それは、俺の“影”と同じ。彼女の力であると同時に彼女を形作る彼女の一部。則ち、それに対抗するには彼女に対抗するのに等しい存在値を必要とする。
ゆえに、キアでそれを防ぐことは出来ない。俺も自らの影で、襲い来る光刃を迎え撃った。
幾度かの剣戟(と呼んでもいいのだろうか?)の後で、ふと気付く。
確かに彼女の攻撃は密度といい速度といい重さといい、神に相応しいものだ。生命体であれば、一瞬で細切れだろう。
しかし、二千年前と比べるとやや精彩に欠けるというか、自分との差をあまり感じない。
本来、俺とエルリアーシェは同格・同等の存在である。したがってその力も同等であるべきなのだが、ここが彼女の構築した理の上に統制された世界である以上、その管理権は彼女にある。
二千年前は、“星霊核”との接続を制限されて大ピンチだった。完全に、というわけではないが、彼女の光に触れるたびにこっちの神力がごっそり吸い取られるし、補充しようにも糸の多くは彼女の手に渡っていて思うようにいかないし。
例えるならば、10秒間に500ポイントの自動回復能力を持っているが、敵の攻撃で10秒間に約800ポイントのダメージを受けてしまう…みたいな。
ゲームじゃない例えをするなら、三歩進んで二歩下がる、ならぬ二歩進んで三歩下がる、である。
しかし、今回はそれほどでもない。確かに打ち合う度に若干の脱力を感じるが、行動に問題のあるレベルではない。今のところ、核との接続も、異常なし。やや彼女に流れ込む霊素の方が多いような気もするが、決定的な差が出るほどではない。
……やはり、思ったとおりだ。
エルリアーシェは、未だ肉体の支配権を完全には握っていない。どこかに、アルセリアの意識が残っているのだ。しかも、かなり完全な形で。
そのせいで、今の彼女は「人間の肉体に宿った神」或いは、「神の力を手に入れた人間」でしかない。出来ることにも、振るえる力にも、限界がある。
これは、予想外のチャンスかもしれない。何より嬉しいのは、アルセリアが無傷に近い形なんじゃないか、ということだ。
創世神に乗っ取られた時点で、ある程度は諦めなければならないと思っていた。肉体的な外傷はなくても、桁違いの存在に呑み込まれてアルセリア自身の精神が摩耗したり損傷を受けたり、ということは十分に考えられる…というか、そうなるだろう、と。
救い出したとしても、記憶や感情に欠落があったり、自我が半壊していたり、下手をすると日常生活すらままならない怖れもあった。
だが、そんなボロボロの精神では、ここまでエルリアーシェを制限することは出来ない。
俺と斬りむすぶアルシェの顔色も冴えない。思っていたように力を振るえていないからか、或いは思っていたように俺の力を阻害出来ないからか。
これは………いけるかもしれない。
あとは、どうにかアルセリアに呼びかける方法を考えないと。
〖そうだね。そこんところは、私に任せてほしいかな〗
俺の思考にキアが応えた。
俺がエルリアーシェの光とチャンバラ繰り広げている間は、キアは完全フリーである。その間に、何か手を探ることも出来るだろう。少なくとも、「任せてほしい」と言うからには、策が皆無なわけじゃない。
よっしゃ、頼んだぞ!
心の中だけでキアにそう答えると、俺は再びこちらの時間を稼ぐために、エルリアーシェに向かった。
自分、基本的に原付移動の人間なんですけど、仕事帰りとか夜にふんふんふーん♪と鼻歌を歌ってたらすれ違う歩行者(あんまり大きな道路じゃない)にチラッと見られたりして居たたまれない気持ちになることがたまーにあります。あれ、ものすごい恥ずかしい。




