第四百一話 偉い人の仕事の八割はご高説を垂れること。
ルクレティウスには、魔界の防衛を任せることにしていた。
今回の戦争はその性質上、こちらから仕掛けるということが非常に難しい。であれば、主力軍を無駄に動かすことはせずに、首都の防衛に専念してもらう。
俺がルクレティウスの元を訪れたとき、ちょうど彼は自軍の将校たちに訓示の真っ最中だった。
しまった、もう少し待てば良かった…と思ったのだが既に遅く、俺の姿を見付けたルクレティウスが言葉を止め、それを不思議に思った将校たちが彼の視線を追い、そこに魔王がいることに気付いてしまった。
言うまでもなく、彼らにとって俺は王である。そして、普段なら謁見すら困難な存在。驚きと戸惑いで、統制された将校たちの中にざわめきが起こった。
んーーー、なんか邪魔しちゃったなー。けど、今さら回れ右するわけにもいかないし。
「これはこれは陛下、このようなところへお越しいただけるとは」
流石にルクレティウスは俺に気楽に話しかけてくれるけど、彼の部下たちはアタフタとその場に跪いてこちらの様子を窺っている。
「邪魔をしてしまったようだな、すまない」
「何を仰せですか。うちの連中も、陛下のご尊顔を拝する栄誉に預かれたこと、望外の喜びにございましょう」
……うーん、それもなくはないけど…喜びより畏怖の方が強いよね、絶対。
それなのに、ルクレティウスってば、
「陛下、差し支えなくばこの者たちにお言葉をいただけないでしょうか?」
とか、言い出すし。
……いいのかな。余計なお世話じゃないかな。俺の言葉なんて貰って、嬉しいか?
確かに俺は魔王だし、魔族たちの忠誠ってちょっと半端ない感じだったりはするけど、俺と直接言葉を交わしたこともない彼らには、無駄に緊張させてしまうだけなんじゃ……。
「陛下直々にお言葉を下されば、こやつらの士気もこの上なく高まるというもの。この儂の使い回しの訓示ではそろそろ飽きられる頃でしょうし」
ちょっとルクレティウスさん。訓示を使いまわしちゃダメでしょ。
まぁ、そこまで言うなら……どのみちこのままじゃ締まらないし。
俺は、跪くルクレティウスの部下たちに向き直った。彼らの全身に、一層の緊張が走る。
ここにいるのは、ルクレティウスが率いる第二軍団の、万騎長と千騎長。所謂、師団長とか連隊長とかにあたる連中である。
そして、魔界一の戦上手に率いられた魔界最強の軍団を支える戦士たち。
彼らがいてくれるから、俺は安心して戦いへ赴くことが出来る。
「戦士たちよ」
だから、せめて感謝くらいは伝えておかないと。
「今この世界は、存亡の危機に立たされている。相反する二つの意志は、どちらかが滅びるまで争い続けるだろう」
相反する二つの意志。新世界を望む者たちと現世界を望む者たち。そして、創世神と魔王。決して相容れない二つの未来。
「この場で、取り繕うための気休めは言うまい。敵は強大だ、どちらに軍配が上がるかは分からぬ」
格好つけて、必ずや勝利を!と言うことは簡単だ。二千年前は、テキトーにそんなことを言ってたような記憶がある。
けど、それは彼らにとって失礼なことのような気がした。
「だが、我は誓う。お前たちが我を信じ忠誠を示してくれるのならば、我はその信に恥じぬ戦いを見せよう」
かつての魔王は、臣下からの信頼も忠誠も、どうでもいいと思っていた。とんでもない馬鹿君主だよな、ほんと。
誰だって、俺だって、支えてくれる奴らがいるから其処に居られるってのに。
「戦士たちよ、我が剣たちよ、我はお前たちを誇りに思う。魔界の栄光は常に、お前たちと共にあるだろう」
なんかもう少し勇ましいことを朗々と宣言すればよかったかもしれないが、今の俺にはこれが精一杯だ。そして、これが俺の本心だ。
将校たちの反応が心配だったが、なんだか感極まったみたいに、魔王陛下に栄光を!だとか魔界に勝利を!だとか、ジークなにやら的な歓声が聞こえてきたので、ちょっと安心。こういうのって気恥ずかしいけど、何も反応が返ってこなかったりすると(要するにスベると)、非常に居たたまれなくなるもんな。
とは言え、俺は別に彼らの称賛を浴びたくてここに来たわけではなくて。
「それで…だ。引き続きお前には魔界の防衛を頼むわけだが」
とりあえずルクレティウスを静かな場所へ引っ張っていって、今後の確認。
あと、せっかくだから聞いておきたいこともある。
「イオニセスと協力してやってくれ。基本的に、アスターシャとディアルディオは状況に応じて動いてもらうことになるから、魔界防衛の要になるのはお前だ。頼んだぞ」
今回、アスターシャとディアルディオは遊撃軍である。二人はとにかく攻撃に全振りのステータスの持ち主なので、あまり防衛には向かない。
で、イオニセスはどう考えても防御向き…と言うか、敵を迎え撃つのに向いている。
発動までに時間と準備が必要な呪術ではあるが、その二つさえ揃えばこの上なく有用。俺は彼に命じて、既に陣を張らせている。魔界の大部分を覆い尽くす、とんでもない代物だ。呪術のことは詳しくないが、間違いなく極位級と言って差し支えないだろう。
大規模な儀式と魔力を必要とするが、それに関しては魔王の名において俺が十分に与えてある。
「ほほぅ、あの者と共闘するのは初めてですな、楽しませてもらうといたしますか」
「…お前らが戦うことになる状況は、出来れば避けたいんだけど……」
それって、魔界に攻め込まれるってことだもん。自分の本拠地でドンパチは嫌だなー…。
いくつかの伝達事項の後(ほとんどギーヴレイが決めたことだけど)、俺はずっと気になっていたことを訊ねることにした。
それは、ルクレティウスだけでなく臣下全員に聞いてみたいことなのだけども。
「唐突だけど、お前は何か望むことはないのか?」
「望み…でございますか?」
前振りもなしにいきなり問われたルクレティウスは、少し吃驚したようだ。急に聞かれても、すぐには思いつかないかな…?
…と思ったのだが。
俺の予想に反して、彼は即答した。
「それは当然、御身の健やかなることにございます」
…………………。
ちがーーーーーう。
そんな、お行儀の良い答えが聞きたいんじゃない!
それが本心だったとしても、それは確かに嬉しいが、そうじゃなくて、もっとこう、血肉の通った望みってのがあるんじゃないか?
「いや、そういうんじゃなくて……お前自身が、欲しいものだよ。こう…個人的なって言うか……」
「個人的な望み………と仰せられましても…………」
ルクレティウスは、考え込んでしまった。
ちょっと、主のこと以外で望みがないだなんてそんな不健康なのはどうなのさ。
察してあげたくても、俺はルクレティウスのプライベートを何も知らない。生い立ちだとか、家族構成だとか、俺と出逢う前にどんなことをしていたのか、とか。
……あ、でも、そう言えば孫がいたとか言ってなかったっけ。セレニエレくらいの年頃の……
「そう言えば、セレニエレはだいぶ馴染んだか?」
聞くまでもなく、最近のセレニエレはルクレティウスに懐きまくりである。彼女はまだ魔界にも魔族たちにも警戒を解いていないのだが、ルクレティウスにだけは心を許しているらしい。
ルクレティウスもまんざらではないようで、すっかり二人は仲のいいおじいちゃんと孫娘、である。
…まぁ、腹に一物二物抱えてそうな他の武王連中に比べると、ルクレティウスは確かに実直さが際立ってるからな。セレニエレも、彼なら信頼出来ると感じ取ったのだろう。
セレニエレのことを訊ねられたルクレティウスは、珍しく相好を崩した。
「そうですな、まだ周囲とは打ち解けることは出来なさそうですが、臆病なところのある娘ですから、急かさないようにしております」
「お前がついていればいいんじゃないか?」
「とんでもない。今はそれでいいかもしれませんが、あの娘もこれから魔界で長い時を生きていかなくてはならないのですから。今のうちに、そのための術と立場を教えておかねばなりません」
うん、やっぱり孫思いのおじいちゃんだ。
もう会うことの叶わない孫と重ねているのだろうか、ルクレティウスにとってセレニエレは、俺にとってのヒルダのような存在になっているのかもしれない。
まぁ、俺のヒルダ愛に勝るものなんてあるハズないけどね!
……それはさておき。
「ルクレティウス、もしお前が望むなら、セレニエレの管理権をお前にくれてやろう」
「それは……そのようなことが、可能なのでございますか?」
お、食いついた。管理権っつっても、どちらかと言うと保護監督義務に近いけど。
「ああ。あいつを堕としたのは俺だけど、ルガイアたちと違って完全に俺の眷属ってほど結び付きも強くないし、問題ないぞ」
別に管理権をルクレティウスに移したからって何がどうなるということもないが、この結び付きってやつは、言わば家族の絆に似ている部分もある。
要するに、ルクレティウスは何の気兼ねもなくセレニエレを可愛がれる、というわけだ。
感覚的には、引き取った子供と特別養子縁組を結んで正真正銘の家族になる……みたいな?
ルクレティウスの表情は、ちょっと見たことないくらいに穏やかになっている。おそらく彼にとって、二千年前に突然断ち切られてしまった家族との絆は、簡単に諦められるようなものではない。
それでも、忠誠心の奥にその気持ちを押し込めて、何でもないような顔をしていたのだろう。
立場は違うが、俺もまた似たような経験をしているからよく分かる。
うん、よし。彼には、家族と過ごせる環境を与えてやることにしよう。作り物の家族でしかないけれども、世話の焼けるあのチミっ子はきっと、ルクレティウスの支えになってくれる。
「ご恩情に、感謝致します」
深々と礼をするルクレティウス。が、彼はこれからセレニエレに散々振り回されることになるんだろうな。
なんとなく、セレニエレの我儘に頭を抱えるルクレティウスの姿が想像出来てしまったが、ここでそれを言うのも彼の気持ちに水を差すので、黙っておくことにした。
とりあえず、ルクレティウスへの褒美は決まった。
それじゃ次、行ってみようか。
せっかくなのでラスボス戦の前に武王さんたちにご褒美を…と思ったんですけど、思ったより誰も何も欲しがらなくて困ります。もう少しプライベートを充実させておけばよかった……




