第四百話 すっごく欲しかったものなのにいざ手に入るとなると案外そうでもなかったと気付くことがある。
ラスボス戦の前の心の準備的な話が少し続きます。
「…どうしても、行かれると仰るのですね」
俺を案じるあまりに恨みがましくさえ聞こえるギーヴレイの言葉に、俺は心苦しく思いつつも頷いた。
ヴォーノのことを信用しきれない彼の気持ちも分かる。たとえヴォーノ自身にそのつもりがなくても、彼が創世神に利用されている可能性だって否定出来ないのだ。
さらに、創世神の元へ攻め込むにしては準備不足だということもある。ラスボス戦に挑むなら、もっと回復アイテムやら補助アイテムやらを揃えまくって、装備も完璧にして、レベルも十分に上げた上で臨むべきだ、と。ついでに言うなら、パソコン前に飲み物と食べ物も用意しておくと万端だったりする。
それなのに、ただ勢いだけで事を進めようとする俺に、ギーヴレイが不安を覚えるのは当然のこと。
だが、ここで入念な準備やら万全の計画やらに時間を取られるわけにはいかなかった。
時間をかければ、ヴォーノの持ってきた情報が全くの無駄になってしまう。そしてそうなった場合、こちらの勝機は失われる。
ただでさえ、俺に不利な要素が大きいのだ。
この世界は、創世神の構築した理に支配されている。対極にして対等とは言え、この世界で活動する以上、主導権を持つのは彼女。
現に、二千年前もそれで俺は負けている。理の構築やら世界の管理やらでアルシェは消耗していたに関わらず、それでも負けた。まぁ、その後彼女も一旦は消滅しているわけだから、相討ちと言えなくはないけど。
今の世界を温存したまま戦う、という行為そのものが、俺にとっての枷となる。
さらに、厄介な問題。
創世神は、アルセリアの肉体を使っている。
実を言うと、アルセリアに危害を加えないように創世神から引っぺがす方法なんて、思い付かない。出たとこ勝負でいくしかないのだ。
アルセリアの自我が強く残っているのであれば、比較的楽に両者を分離出来るかもしれない。が、仮に分離不可能なほどに同化が進んでしまっている場合は………
…………うん、それはそうなったときに考えよう。
とにかく、状況は圧倒的にこちらが不利なのだ。ならば、少しでも創世神が本調子じゃないときを狙いたい。
そしておそらく、これがその唯一にして最後のチャンスとなるだろう。
「今を逃せば、勝機は失われる。ならば進むしかあるまい」
沈痛な面持ちのギーヴレイに、何か気の利いた言葉をかけてやりたかったが……思いつかない。上辺だけの言葉なんかじゃ、意味がない。
すぐにでも動きたいところだが、最低限の防備だけは整えておかなくてはならない。創世神との戦いになれば、俺は他の事は全て放置して、彼女だけに専念することになる。彼女の目的が魔王の滅殺ではなく世界の崩壊であるなら、その隙に再び兵を動かすことだって考えられるのだ。
他にも色々、やっておきたいこともあるし。
だからせめてそれだけでも片付けてから、出発することにした。
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「あのさ…ちょっといいかな、ヴォーノさん」
「あらぁんユウトちゃん!どうなすったのん?もうお出かけなのん?ちゃぁんと準備はなさったのかしらん?」
色々考えに考え抜いたあげく、俺はヴォーノとはかつての距離感でやっていくことに決めた。なんかこいつ、俺がヴェルギリウスでもリュート(ユウト)でも変わらないし、だったら取り繕うのも馬鹿らしいかなって。
で、これまたなんでか知らんがヴォーノはセレニエレとリゼッタと、お絵かきの真っ最中だった。
………お絵描きて。いい年こいたチョビ髭男が、幼女と一緒に何してんのさ。
三人は、部屋の床に大きな紙を敷いて(どうでもいいけど紙は結構な高級品なんだよ人んちの備品だと思って好きに使いやがって)、色とりどりのクレヨンで思うまま描き殴っていた。
チラッと見てみたら、なんだか随分と賑やかな絵だった。
「準備はまぁ、それなりに。……でさ、ちょっといいか?」
俺はヴォーノを部屋の外に連れ出す。
「あらあらぁん、ユウトちゃんってばなぁに?愛の告白だったらあたくし困ってしまいますわぁん」
「安心してそれは絶対にないから」
世にも恐ろしい戯言を抜かしたヴォーノをきっぱりと遮ると、俺は小さなガラス瓶を彼に差し出した。
「……?ユウトちゃん、これって………?」
訝しげに訊ねるヴォーノ。だが、これこそが彼の求めてやまないモノ。
「アンタはアンタの願いのために、俺に協力してくれるんだよな?だから、こいつがその対価…神露だ」
「……………!!」
ヴォーノの目が見開かれる。
……が、そこに予想していたほどの狂喜は見られなくて、俺は少し戸惑う。
だって、ずっとこれを求めていたんだろ?そのために、邪教集団にまで入信しちゃってさ。
それさえあれば命も惜しくないとまで断言する願いが、今叶ったんじゃないか。
「ユウトちゃん……あたくし、すっごくすっごく光栄で嬉しくて幸せですけれどぉん……随分と、気が早いことですのねん?」
「……え?」
ヴォーノは、差し出された瓶を受け取ることに逡巡を見せている。
まさか、ここにきて気後れしてるとかいうわけじゃないよな。こいつに限って、そんな奥ゆかしいはずがない。
「だってぇ、まだなぁんにも解決していないじゃありませんことぉ?こういうご褒美って、ぜぇんぶ片付いて落ち着いてから賜るものだとばかり思ってましたけれどぉ」
「あーーー、それね」
俺も、そうしようかとは思っていた。けど、今のうちに渡しておいた方がいいと思う理由もあって。
「ま、終わった後だと色々とゴタついてうっかりするかもしれないしさ。だったら、今のうちに渡しておこうと思って」
「……………………」
ヴォーノはしばらく、黙ったまま俺を見ていた。
その瞳の中から疑問の色が消えて、俺は彼が察してくれたのだと気付く。
だが、ヴォーノはそれに関して追及してくるようなことはせず、俺の手の中から神露を受け取った。
「……ユウトちゃんがそう言うのなら。光栄至極にございますわん、魔王陛下」
神露を掲げ腰を落として一礼し、再び顔を上げたヴォーノは、いつものウザさを何処かに落としてきたようだった。
「ねぇ、ユウトちゃん。あたくし、言いましたでしょう?自分の望みとユウトちゃんの望みの両方が叶えばいいと思ってるって」
「あ…うん、言ってたな」
「ただね、ユウトちゃん。ユウトちゃんの望みって、ユウトちゃんが本当に望んでることって、何なのかしらん?」
…………俺の、望み?
そんなの、決まってるじゃないか。決まり切ってるじゃないか。
改めて問われるまでもなく、俺の望みは。
「ユウトちゃんは、自分が何を望んでいるのか、ちゃんと分かってらして?」
分かってるはずなのに。
何故か、即答出来ない自分がいた。
「あたくし思うのですけどねん、本当の望みって、ああしなきゃこうしなきゃって自分を追い立てるようなものではないのですよん。もっと、空っぽの心にぽっと浮かび上がる、シンプルなものなんじゃないかしらん?」
ヴォーノの口調は穏やかで声も優しげではあったが、きっと彼は俺のことを責めているのだろうと、そんな気がした。




