第三百九十四話 らしさとかよく分からないけど感傷的な魔王がいたっていいと思う。
背後で、ビビとヒルダが息を呑むのが分かった。
けれども、俺とキアは動かなかった。動けなかったわけではなくて、動く必要がなかったからだ。
同様に、アリアも俺に牙を突き立てる寸前の、正に襲い掛かる姿勢のまま、動かなかった。こちらは動く必要がなかったのではなく、正真正銘、動けなかったのである。
「…………?」
停止したまま、アリアは視線だけを動かして…彼女が自由に動かせるのはそのくらいだった…自分の足元を見た。
足元から身体に這い上る、氷晶を見た。
白銀水晶。
魔力も物理的な力も、およそエネルギーと呼べる力の全てを捕らえ封じ込める性質を持った鉱石。かつて俺が、キアの眠りを守るために用いていたものである。
「これは……貴様の力か」
アリアの声は静かだった。既に、それから逃れることは出来ないということを悟ったのか。
この選択は果たして正解なのだろうかという思いを持ちながら、俺はアリアに告げる。
「お前としては、もう散々長いこと眠ってて、寝飽きたとは思うけど。もうちょっとだけ寝ててもらうよ」
そう言っている間にも、氷晶はどんどんアリアを呑み込んでいく。
陽光を反射し白銀に煌めく結晶が傷付いた竜を包んでいく様は、なかなかに目を奪われる光景だった。
「何故……殺さぬ?」
首まで氷漬けになったところで、アリアが尋ねた。
彼女は、死をも覚悟して俺と敵対することを選んだ。
俺は魔王で、彼女は創世神の使徒。俺が彼女を生かす理由など一つもないということも、当然分かっているはず。
だから彼女にとって、敗北から続く死は、想定内のこと。創世神の意志に従って命を落とすならば、悔いはないのだろう。
……だが、「悔いはない」のは、彼女に限ったことであり。
「まさか、情が湧いた…などと腑抜けたことを抜かすのではあるまいな」
アリアの声に、軽蔑と失望の色が混じった。
神格を抱く存在でありながら、魔王でありながら、ほんの僅かな時間を共に過ごしたというだけの相手に、それが明確な敵であるに関わらずとどめを刺すことが出来ないなどと、
「そのようなつまらぬ感傷が、許されると思っているのか?」
彼女はそれを、自分に対する侮辱と受け止めたのかもしれない。
けれども俺は、そんな彼女の抗議を一蹴した。
「うっせーな。許すとか許さないとか、誰に向かって言ってんだよ。俺は自分がやりたいことを、自分がやりたいようにする。俺以外の奴にとやかく言われる筋合いはないね」
「………!」
開き直った俺の発言に、アリアが目を丸くする。
魔王が情けをかけるということに驚いているのか、或いは俺がそれをあっさり認めたことに驚いているのか。
……おそらくは、後者…かな。
「確かに、情が湧いたのは事実だ。俺は、お前を殺したくない……単に、感情的な理由で。けどそれだけでもなくってさ」
勿論、感情的な理由だけで十分だったのだが、それとは別に、意地でもアリアを殺したくないと思ってしまう理由もあった。
「お前を殺したら、アルシェの思うツボじゃねーか。あいつは、俺に俺の大切なものを壊させたがってるんだから」
世界への未練を断ち切れるように。
振り返ることなく、新しい世界へ踏み出していけるように。
彼女は、そうすることで俺が過去を振り切ることが出来るように、仕向けている。
それは多分、アルシェの優しさ……なんだと思う。実に余計なお世話ではあるんだけど。
……そう、余計なお世話なのだ。
俺は、何でも自分の思うとおりになる世界だとか、自分を無条件で受け容れてくれる世界だとか、誰もが自分のことを愛してくれる世界だとか、そんなものには興味ない。
かつてはあれだけ切望していたものだったのに、今はまったく欲しいとは思わない。
だから、俺はアリアを殺さない。俺は俺の大切なものを、誰一人として殺さない。誰一人として…殺したくない。
「貴様は……神に相応しくない……」
「だからなんだよ、そんなこと自分が一番よく分かってるっつの。下らないことで悩んだりつまらないことで笑ったりどうでもいいことでジタバタしながら、しょーもない人生送るのが俺の夢なんだよ悪いかコンチクショウ」
その夢が、神やら魔王やらには許されないってんなら、そんな呼び名はこっちから願い下げだ。
俺の宣言に、アリアは神妙な顔をしていた。
だがその中に、どこか呆れたような安堵したような、俺のよく見知った表情が混じり始めたことを、俺は見逃さなかった。
「……そうか、それが貴様か…………ならば、ワタシは……」
彼女は何を言おうとしたのだろうか。
アリアのことだから、きっと何か格好つけた、とっておきの台詞を披露するつもりだったに違いない。
だが、残酷にもその瞬間に氷晶は彼女の口元までを覆ってしまった。
それからアリアは、恨めしそうに俺を睨んで、その後観念したように目を閉じて、氷結に身を任せた。
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戦場に、巨大な氷塊が生まれた。
太古の化石の如くその内に眠る竜を抱く荘厳な結晶に、敵も味方も息を呑んで見入っていた。
「あーーーーー、疲れた。ほんっと、疲れた」
〖……お疲れ様、ギル〗
何かを察してる感じの、キアの憐憫混じりの労い。普段なら強がるところなんだけど、ここは素直に甘えるとしよう。
「なんかもう、色々疲れた。くたびれた。……俺、もう帰っていいかな?」
〖ダメに決まってるでしょ、甘えないの〗
……拒絶されてしまった。ちょっと悲しい。
それはさておき、戦況はどうなったかな?アリアとの戦闘で、他に目を向ける余裕はなかったけど…
やはり、絶対的な物量差ってのは大きい。
あれだけ削ったにも関わらず、数の上ではまだこちらが劣勢だ。
勇者2号たちは敵中央部隊の大半を引き受けて疲労困憊だし、ビビも絶えず“聖母の腕”を展開し続けているせいで消耗が激しい。
ヒルダはまだ余裕っぽいけど、こっちの魔導士部隊はそれこそ完全にガス欠だ。“聖母の腕”では、魔導の威力は劇的に上がるが魔力総量はそれに見合うほど向上するわけではない。
エルネストは……随分とピンピンしてるじゃねーか。何サボってやがるんだよ。……って廉族たちの前で瘴気を出すわけにもいかないし、回復しか出来ないから仕方ない…のか?
とは言え、中央の敵は俺とアリアの戦闘と氷漬けになったアリアの姿を前に、完全に気勢を削がれている。
両翼の戦況も気になるし……ここいらで、一掃してしまおうか。
俺は確かに情に流される腑抜けた魔王かもしれないが、同時に如何にも魔王!って感じにイヤーな面も持ち合わせていると自覚している。
その理由は、俺の術式選択にあった。
言い訳をさせてもらうとしたら、俺が見知っている魔導術式の中で、目の前の軍勢を一網打尽に出来るだけの威力と効果範囲を持ったものが、それしかなかったのである。
【天破来戟】では、範囲が狭すぎる。
だから、俺が選んだのは……
「【断罪の鐘】」
それは本来、神の軍勢こそが行使する力。創世神の寵愛を受けた天使族が、悪しき者たちに下す裁きの光。
間違っても、魔王が神の使徒に使うもんじゃない。
が、上記の理由から俺は遠慮なく天使族の奥の手を使わせてもらう。
俺の頭上に、揺らめく光のカーテンが生まれた。同時に、何処からか響く重厚な鐘の音。茫然と見上げる敵兵たちは、それが何なのか理解しているのだろうか。
そして、黙示録の光は奔流となって、その場を覆い尽くした。




