第三百九十三話 アリアの選択
アリア=ラハード。絶滅した天空竜の、最後の生き残り。そして、創世神の最後の吐息…祝福を浴びた者。世界の行く末を見守るという役目を負い、永い時間を生き続ける者。
創世神が復活した今となっては「最後の祝福」ってのは変な表現だが、しかし現在のエルリアーシェは一度バラバラに散らばった欠片を継ぎ接ぎして形成されたものであり、かつてと完全に一致するものではないという風に考えれば、やはりアリアは「創世神の最後の祝福」を受けた存在ということになる。
俺は、アリアは俺のやり方に賛同してくれているものとばかり思っていた。聖骸集めに協力しているときも、天界でべへモス召喚阻止のため動いていたときも、彼女が俺の行動を阻止しようとすることはなかったし、どちらかと言えば全面的に乗り気ですらあったと思う。
けれどもあの日、エルリアーシェと俺が再会した日、彼女の傍に付き従っていたアリアの満ち足りた表情を思い出すと、やっぱり彼女にとって創世神は特別な存在なのだ、と痛感する。
創世神の存在、その言葉。それらは、世界中の他の何もかも全てをひっくるめたよりも、重要で神聖なもの。
そう、例え共に時を過ごした仲間たちに背を向けたとしても、悔いることがないくらいに。
そんなアリアは、今のアルシェについて何か思うことはないのだろうか。
世界の行く末をアリアに委ねたかつてのアルシェと、自分の手で世界を壊してしまおうとしている今のアルシェの違いについて。
聞いてみたいと思ったが、やめた。
彼女の表情を見れば、そんなことは分かり切っているらしいことはすぐに分かる。
アリアが大切にしているのは創世神そのものであって、その変化だとか願いの変遷だとかは二の次なのだ。
「では、始めるとしようか」
アリアは宣言と共に、再び雷撃を放った。
さしもの彼女も、先ほどのような高出力かつ広範囲の攻撃は連発出来ないとみえて、今度はそれよりも規模が小さい。
指向性を持った雷光が、俺とキアを襲う。
規模が小さいと言っても、まともに食らうのは遠慮したい。俺は、自分の正面に剣を掲げ、雷撃を切り裂いた。
範囲攻撃と違って標的がはっきりしているならば、対応することが出来る。キアの刃に両断された雷は、虚空に消え去った。
念のため、キアの様子を確認。
……うん、大丈夫そうだ。さすがに剣だけあって、斬るという行為そのものでは然程の負担にはならない模様……力加減さえ気を付ければ。
「……ふむ。流石にこの程度では貴様を斃すのは無理か」
攻撃を防がれたアリアだが、落胆も驚愕もない。彼女は自分が何を相手にしているのか、充分に承知している。
本来ならばそこに恐怖の感情が生まれてもおかしくないはずなのだが、創世神への深い畏敬がそれを阻んでいた。
アリアは、再び翼をはためかせ、浮上する。そのまま二十メートルくらい上昇すると、態勢を整え……勢いをつけて、急降下してきた。
翼による推進力に加え、重力も利用した突撃は、とんでもないエネルギーを孕む。雷のような特殊攻撃が効かないのであれば、物理的に押しつぶしてしまおう、という腹か。
俺とキアは、ギリギリまで待つ。逃げても彼女はすぐさま軌道を修正するだろう。天空竜の機動力は侮れない。だから、寸前まで引き付けて……
彼女の鋭い、小太刀並みの爪が俺を切り裂こうと迫る瞬間、それをかいくぐるようにして跳躍する。
すれ違うような形で、アリアの首を薙ぐ。
斬撃と、血しぶき。しかし俺が斬ったのは、彼女の首ではなかった。
咄嗟に、尾でガードしたのだ。猛スピードでしなる彼女の尾に長く深い傷が走るが、こちらもその勢いで態勢を崩される。
傷の痛みも相当だろうに、アリアはそれに構わず身を翻すと、再び爪を振り下ろした。
彼女の攻撃は、見えている。が、空中でさらに姿勢制御が出来ていない状態では、受け止めることが精一杯。
当然、足場のない空中であることから、俺とキアは易々と弾き飛ばされた。そのまま、地面に叩きつけられる。
竜の膂力をまともに味わい、一瞬息が止まった。
〖ギル、大丈夫?〗
「な…んとか……。けど、超痛い」
〖軽口叩く余裕はあるみたいだね〗
キアはそう言ってくれるが、痛いものは痛い。だから俺の痛み耐性は大したことないんだってば。ビビの“聖母の腕”が働いていれば少しはダメージも軽減するんだろうけど、残念ながらあれは俺には全くの無効なのだ。
ついでに言うと、今気付いたんだけど、多分エルネストの治癒能力も俺には効かないんじゃないかなー。
ビビの【癒しの光】であれば通常の魔導術式だから、効果あるだろうけど。
……って、そんなことを言ってる間に、アリアが追い打ちをかけてきた。
翼を一層大きくはためかせ、真空波を放つ。
げげげ、ヤバい!数的に、全部切り落とすのは無理っぽい(俺の腕では)。
仕方ない、影を起動するか?けど、魔王がここにいると兵士たちには知られたくないし……
躊躇した俺だったが、結果的に真空の刃は俺の手前で弾かれた。
これは……魔導障壁?アリアの真空波は多分、特位か超位術式並みの攻撃力を持っている。それを防ぐなんて大したもんじゃないか。
振り返ると、倒れていたはずの魔導士部隊のほとんどが立ち上がっている。“聖母の腕”によって高められた彼らの連結術式が、俺とキアを守ってくれたのだ。
彼らの後ろに、エルネストの姿が見えた。どうやら、彼が魔導士部隊を全快させたようだ。
「助かった、ありがとな!」
俺は彼らに礼を言うと、再びアリアに向き直る。
後衛のフォローがあれば、このままでもアリアと戦えそうだ。
気になるのは、両翼の部隊。流石にアリアとやりあいながら、そっちまで気を回すことは出来そうにない。
ヴィンセントたち、踏ん張っててくれればいいんだけど。
……いや、他事を考えるのは後回し。今はアリアに集中しよう。
後衛連中の魔導は、攪乱程度にしか使えない。アリアにダメージを与えようと思ったら、少なくとも特位以上のレベルが必要だからだ。
頼りになるとしたら、ヒルダの攻撃術式。彼女ならば、特位術式のレパートリーだって持っているはず。
ビビもそうなのだが、彼女は“聖母の腕”の制御に集中しなくてはならない。あれがなければ、魔導士部隊が途端に烏合の衆にランクダウンしてしまうこと確実だ。
幸いなことに、アリア以外の敵兵は勇者2号パーティーが引き受けてくれていた。いくら最初の攻撃でだいぶ数を削ったとは言え、多勢に無勢であることに変わりない。にも関わらず奮闘する彼らは、確かに勇者と呼んでも差し支えなさそうだった……外見はさておき。
「…目障りだ!」
アリアの体表面が帯電を始めた。再び範囲攻撃をお見舞いしてくるつもりか。
だが、それを食らうとこっちの態勢が大きく崩れてしまう。邪魔をさせてもらおう。
「【天破来戟】!!」
俺は、アリアの全身から雷が放たれる瞬間を見計らって、手加減なしの雷系極位術式を発動させた。
雷で雷を消したり防いだりすることは出来ない。だが、同属性というのは互いに引き寄せ合う特性を持っている。そして、小さい方が大きい方へ吸収されるのは当然の話であって。
アリアが放ったつもりの雷撃は、俺が放った雷に引き寄せられ呑み込まれた。間髪を入れず、俺は次撃に移行する。
「【炎神紅霊滅】!」
自然にはありえない程の鮮やかな紅の炎が、アリアを包み込んだ。魔法防御力に優れた竜種であっても、超位術式をまともに食らって無事では済まされない。
苦悶の雄たけびを上げ、アリアは空中で身をよじった。彼女の翼…皮膜状のため他の部位よりも脆弱な…が熱で溶け、その巨体を宙に留めることが出来なくなったアリアは地面に落ちる。
土ぼこりが収まった後には、全身を焼け爛れさせたアリアが起き上がろうともがいている姿があった。
その瞳は、怒りに燃えている。生命の危機を察知したことによる、本能的な怒りだ。
……やはり、雷ほどの耐性は持っていない。美しかった彼女の鱗は見るも無残に焼け爛れ、ところどころ皮膚が露わになっていた。
「貴様………!」
彼女の血走った目の奥に、揺らぐことのない冷徹な覚悟が垣間見えて、俺は一瞬躊躇する。我を忘れて暴れ狂ってくれたならば、俺だって何も考えずにとどめを刺せたのに。
動きを止めた俺に向かって、アリアが足を踏み出した。
緩慢だが確実な足取りで、近付いてくる。
「【氷雨連穿晶】」
ヒルダの声がした。
頭上から、無数の氷の槍が降り注ぎ、アリアを地面に縫い留めた。初めて見る術式だが、かなりの高位…おそらく特位レベルだろう。
それでも、炎熱系や爆裂系ではなく氷雪系を選択したのは、ヒルダの優しさに違いない。
それを甘さだと断じてしまうには、俺自身がヒルダに甘すぎる。
「…が…あぁ………」
身動きの取れなくなったアリアに、俺は近付く。
〖ちょ、ちょっとギル!!〗
キアは慌てて止めようとするが、俺は止まらない。そのままアリアの目の前まで行くと、その瞳を覗き込む。
「……アリア、この辺にしておかないか?」
「何を愚かな……ワタシが御神のご意志に背くことは決してない。そして、御神はワタシに、貴様の排除を命じられた……ならばワタシはそうするしかない……貴様も排除されたくなくば、ワタシを殺すしかあるまい……」
「それなんだけどさ」
未だ闘争心を失うことなく俺を睨み付けるアリアに、俺は問いかける。
「本当に創世神が、お前に俺の排除を命じたのか?」
「この戦、尖兵どもに勝利を与えよとワタシは命じられた。ならば…そういうことであろう」
答えるアリアに、俺はどう説明しようか迷う。
どう説明すれば、彼女の傷を浅くすることが出来るのか。
それが分からなくて、結局俺は、ただ自分の思うところを伝えることしか出来なかった。
「多分エルリアーシェは、そんなこと望んでないよ」
「……無駄だ、そのようなことで、ワタシを惑わせることなど…」
「そうじゃなくて。その……エルリアーシェは、お前にそんなことは期待していない」
俺は別に、甘言でもってアリアを惑わせようとしているわけじゃない。
「なん……だと…………?」
「考えてみろよ。もし俺が本気になったら……面倒なしがらみとか放り投げて見境なく力を解放したら、お前、自分に勝ち目あると思うのかよ?」
質問になっていない質問。答えなんて、聞くまでもない。
「……………………」
「それを一番分かってるのは、俺とお前と、そしてエルリアーシェだ。分かり切ってるのに、お前に俺を殺せ…とあいつが命令したって?」
「可能かどうかの話ではない!御神は、この身を投げうってでも貴様を討ち滅ぼせと」
「出来るのか?」
「…………!」
冷たく遮り、アリアを見下ろす。彼女の瞳の中に、忠誠と怒りの炎の奥に、恐怖がよぎった。
今の戦いだけを見れば、それなりにいい勝負だったと思われるかもしれない。後衛のフォローがなければ、俺はもっと苦戦していただろう。
だが、今の状態が俺の本質ではないのだということを、彼女はよく知っている。だからこそ、そう問われて彼女は返事をすることが出来なかった。
彼女の沈黙を受け、俺は続ける。
「あいつは、創世神は、俺とお前の関係を知ってる。俺とお前が互いを仲間だと認め合っていたことも、俺がお前を憎からず思っていたことも、お前がそれなりに俺を気に入っていたことも、全部知ってる。知ってる上で、俺にお前をぶつけたんだ。……どうしてかは、分かるよな?」
アルシェはとことん、俺を絶望させようとしている。絶望させて、この世界に見切りをつけさせようとしている。
「お前は、あいつが俺をその気にさせるための駒でしかないってことだ」
……言ってしまった。その一言が、アリアにとってどれだけ残酷なものか分かっているのに。
創世神の命に従って千年以上待ち続けていたアリア。まるでご主人さまの帰りを待ちわびる忠犬のように、期待に応えようと、ただ褒めてもらいたい一心で、自らの境遇に不満を持つこともなく、孤独の中を耐えて来たのだ。
そんな彼女に、お前は主にとってただの駒に過ぎない……などと、本来であれば、決して言ってはならない言葉だった。
だけど、彼女を深く傷つけることと殺めることと、どちらかを選ばなくてはならないのであれば、俺は前者を選ぶ。
生きてればいつか、傷も癒えるだろう。死んでしまったら、そこで終わりだ。
それが、生命なのだから。
「……………」
アリアは、何も言わない。
何の感情も読み取れなくて、もしかしたら闘争心も消えたのかもしれない……と、思った瞬間。
無言のままの彼女の牙が、俺たちに襲い掛かった。




