第三百八十八話 愛称呼びって相手との関係を試されてる気がする。
「それは……正直言って、かなり助かるよ」
グリードに、俺が地上界に行く旨を伝えたら、素直に感謝された。彼がこういう態度を見せるのは非常に珍しい。普段のグリードであれば、一方的に借りを作るなんて真似はしないだろうから。
それだけ、彼を取り巻く状況がのっぴきならないのだということ。
「こちらの手勢は、教会騎士と各国から徴集出来た兵士の総勢で六万余名。が、その中にも御神の御言葉に従って離反した者もいる。実質としては、五万弱…といったところだろう。他の枢機卿たちが擁している実動部隊を合わせても、敵との戦力差が大きい」
彼は、攻めてくる相手を明確に「敵」と称した。
それは則ち、彼が創世神と敵対する意志を固めている、ということに他ならない。
立場的には分かるけど、ルーディア聖教会の枢機卿を名乗っておきながらなかなかの度胸である。
「つっても、魔王として軍勢を率いていくわけじゃないから、人数的な足しには大してならないけどな」
行くのは、俺とビビ、ヒルダ、キア、エルネストとイオニセス、そしてルガイアの七名。十万対五万の戦において、誤差にすらならない。
……が。
「重要なのは人数ではなく戦力だからね。君が来てくれれば千人力ならぬ万人力…と言っても足りないかな?」
「過分な評価どーも。けど、あくまで七翼の一員としての参戦だから、そこまで派手なことは出来ないぞ」
遠慮なく極位術式をぶっ放すつもりではあるが、今回の俺はあくまでも七翼の騎士の一員、リュート=サクラーヴァなので、例えば一瞬で敵全軍を蒸発させるとか、そういう真似はするつもりがない。
これは、あくまでも廉族と廉族の戦いでなければならないのだ。
「それは心得ているよ。……かなり意外ではあるけどね」
「意外?何がだよ」
なんか、俺が色々と考えてるのが意外、みたいな口振りじゃないか。失礼な。俺は結構気遣い屋さんの魔王だと自負してるってのに。
「いや……君は地上界の支配権を握ろうとは考えなかったのかね?」
「……え?」
グリードの表情は、冗談には見えなかった。さりとて、責めるような様子も、警戒の色もない。
ただただ純粋に、疑問を投げかけているだけだった。
或いは……それも悪くない、と考えているのか。
「君は確かに魔王と呼ばれてはいるが、それはあくまでも呼称に過ぎないのだろう?その本質は、創世神と同じ原初の意思。であれば、創世神に成り代わって世界を統治しようとか考えても不思議はないと思うのだけど」
……んーー、そうくるか。
グリードはさらに続ける。
「君は最初、アルセリアを取り戻す以外のことは考えない、と言っていた。その他のことは自分の知ったことではない、と。けれどもそうは言いながら、結局は聖教会の立場や戦後のことを考えたりしてくれている。そんな面倒なことは考えずに、自分が君臨してしまえばいいとは思わなかったのかい?」
グリードは、本気で言っている。
そう出来るだけの力と理由を持っているのに、何故そうしないのか、と。
魔王であれば、創世神を排除して世界を手中に収めるのが自然なのではないか…と。
確かに、それがお約束っていうものだろう。
俺だって、全く考えなかったわけではない。世界の統治なんてクッソ面倒なことは好んでしたいとは思わないけど、ここまで深く世界に関わってしまった以上、ボク知りませーん、なんてのは通用しないとも思う。
……が。
グリードのその疑問……ひょっとしたら願望かもしれない……に、即答することは出来ない理由があった。
「あー……うん、まぁ、そのことについては……ね。おいおい考えるって言うか……流石に今から考えることじゃないって言うか……」
「随分煮え切らないじゃないか。君らしいと言えばそうだけど」
……優柔不断魔王で悪かったな。
グリードは首を傾げつつ、しかしその件についてはあっさりと引き下がってくれた。彼のことだから、もしかしたら俺の考えていることを察したのかもしれない。
「ま、とりあえずビビたちを連れてそっち行くけど、あんまり浮足立たないでくれよ、猊下」
「誰に物を言っているのかね、それは余計な心配というものだよ」
「あー…さいですか」
こんな状況でもどこか余裕を失わないグリードの姿に、自分も参考にしなきゃなーと思ったりした。
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ルシア・デ・アルシェに着いた俺たちを待ち構えていたのは、グリードと七翼の面々だった。
…けど、一人足りない……?
「あれ、ヨシュアは?」
俺の問いに、他の七翼たちは互いに顔を見合わせて、俯いた。それだけで、なんとなくの事情は察してしまった。
「あー……あいつにも、御神の声が届いたんだよ」
言いにくそうに、ガーレイが言った。
「そっか……で、行っちまったわけだ」
「彼、確かに純真無垢なところがあったものね」
口を挟んできたのはイライザ。で、何故か視線の先にはヴィンセントが。
「……何が言いたい、イライザ」
「いーえ?別に誰かさんが純真じゃないなんて言ってないわよ?」
……んん?この流れってまさか………
「なぁ、ヴィンセント。まさかお前も……?」
俺の質問に、ヴィンセントは頷いた。
「ああ、私の夢の中にも、御神は顕現なされた。……が、私は神の使徒としてではなく、一人の人間として足搔くことを選んだのだ」
……ただし、なんでかドヤ顔で。
ま、こいつの場合は信仰心よりグリードへの忠誠が強いっぽいし、なんか分かる気がする。
「まぁあれだな、私の不正を憎む心は御神とて見過ごせなかったということだろう。だが、それ以上にこの世界への熱い思いがあることを御神は見過ごしておられ」
「いいからだまれうるさいうざい」
ドヤ顔のまま続けるヴィンセントを速攻で黙らせたのはヒルダ。ジロリと睨まれて身を竦ませるヴィンセント。熱い思いとやらは何処に行ったんだよ。
「そんなことより、サクラーヴァ。お主の連れて来たそいつらは何者だ?」
ブランドンが、詰問調でエルネストたちを指差した。自分がどれだけ命知らずなことをしているのか、まるで気付いていない。
「あ、こいつらは……俺の、仲間……?戦力になるから、連れて来た」
「お主の仲間……?随分と軟弱そうな連中ではないか。まあ、お主の言う戦力とやらではタカが知れているだろうがな」
……ちょっとちょっとブランドンさん。挑発するのやめてよね。
今回連れて来たのは比較的温厚な面子だけど、流石に廉族に舐められてにこやかでいられるほど広い心の持ち主じゃないよ。
「貴方とは、初対面ですね。私はエルネスト=マウレと申します。以後お見知りおきを」
あ、エルネスト偽名使うのやめたのか。地上界にいるときは、「エルネスト=レーヴェ」を使うものと思ってたのに。
……もう素性を隠す気はないってこと?密かな宣戦布告だったりする?
頼むから騒ぎは起こさないでくれよーーー。
寒気を感じさせるエルネストの穏やかな微笑に、ブランドンが怯んだのが分かった。流石に歴戦の猛者だけあって、相手が隠している爪の鋭さに気付いたか。
目を転じると、固い無表情のまま何かを押し隠しているルガイアと、全く気にしていなさそうなイオニセス。
……うん、良かった。この中で一番喧嘩っ早いのはエルネストのようだ。彼を抑えておけば、ルガイア兄ちゃんも空気を読むだろう。
……てゆーかイオニセスの平静っぷりが悟りの境地に達してそうでちょっと怖い。
「なぁ、リュート」
エルネストとブランドンの遣り取りなんてまるで眼中にない様子で、ガーレイが俺の腕を引っ張った。沈痛な面持ちで、部屋の隅まで連れてくると、
「……なんでベアトリクスたちまで連れて来たんだよ」
声を潜めて、尋ねてくる。
彼の気持ちは、よーく分かる。ビビに惚れてるこいつはきっと、俺以上に彼女の身を案じている。
「錦の御旗ってのが必要なんだよ。俺だって彼女らを危険に晒したくて連れて来たわけじゃない」
「なんだよそりゃ。矢面に立つのは普通、教皇聖下とかでいいだろ?」
……でいいだろ?って。平気で教皇を矢面に立たせようとする信徒ってどうなの?
間違いなく、ガーレイの中では ベアトリクスへの好意>ルーディア聖教への信仰心 となっている。
「じゃあ聞くけど、教皇とビビと、どっちが救世主役が似合うと思う?」
「どっちって………そりゃぁ……………」
教皇ファウスティノ十五世ってさ、良くも悪くも浮世離れし過ぎているんだよ。信徒たちの前に姿を現すのも年に数回程度だし、その実態はベールに包まれてたりして、人々の教皇に対するイメージって言うと「なんかすごく偉い人」って具合に曖昧模糊としている。
あと、穏やかなんだけど覇気に欠けるというかどこかフワフワした感じがあるというか、どう考えても戦に赴いて人々を導くなんて大役がこなせるとは思えない。
平時に神の教えを説くのはお手の物かもしれないが、荒事には徹底的に不向き。
あと単純に、おっさんより美女の方が絵になる。
以上の見解が、一瞬のうちにガーレイの脳裏によぎったのが分かった。
だがそれでも納得しきれずに、ビビの方をチラチラ見ながらモジモジしている。
……こいつ、見た目と普段は威勢の良い獣人のくせに、ビビのこととなると途端に乙女になりやがる。
「……………ちょっと待てリュート」
「んあ?」
「お前…………今、ビビって呼んだか?」
………あ、しまった。
「よ…呼んだよな、ビビって呼んだよな?い、いつの間にお前らそういう仲に……」
「落ち着けって、そういうもどういうもないって。付き合い長いんだし、愛称くらい……」
「俺はお前より彼女と付き合い長いんだよ!」
あ、そっか。
「なんだよどういうことだよ、お前まさかベアトリクスのこと……」
「だから落ち着け!そうじゃないって………てか、だったらお前もそう呼べばいいじゃねーか」
大体、ビビの方から愛称で呼べと要求してきたのだ、俺のせいではない。それに、アルセリアとは違って最初から彼女はそう呼ばれることに抵抗を見せていなかったのだから、同輩であるガーレイにビビと呼ばれても嫌がることはないだろう。
「そ…それは……………ダメだそんなこと出来ない!!」
……………恥じらってんじゃねーよ乙女か。




