第三百八十七話 旗印のない戦争なんて大義名分がないのとほぼ同じだと思う。
「ヴォーノ、其方はこれで良かったのか?」
デザートのアップルパイを堪能し満足げに午睡中の創世神を邪魔しないように離れた部屋で、央天使サファニールはヴォーノ=デルス=アスに訊ねた。
「私はいい。遥か昔、あの方を絶対の主として仰ぐと、身命を賭して永劫に付き従うと己に誓った。……が、其方は廉族だ。この世界に心残りもあろう。それに……聡明な其方のことだ、新たな世界では其方はもう其方として存在することはないのだと、気付いているのだろう?」
問われたヴォーノは、苦笑した。当然、そんなことは分かっている。分かっていて、彼は創世神に従うことに決めた。
それもこれも、
「そうですわねぇん……あたくしの心残りなんて、そりゃあたぁくさんありますけどぉん。けど、やぁっぱりあたくしが一番求めているのは、心の底から欲しているのは、神露に他ならないんですのよん」
「神露……か。確かに御神は、この世界の終わりに其方に神露を授けると仰せられた。だが、仮にそれにより永劫の命を得たとしても、強靭な肉体を得たとしても、土台となる世界が根本から破壊されればそんなものは何の意味も…」
「あらやだん、サフィー様ってばぁん」
ヴォーノは、サファニールのある意味当然な勘違いを一笑する。
神露を望んでいると言うと、何故か皆同じ勘違いをするのがヴォーノには可笑しくてたまらない。
どうして皆、それほどまでに永遠の命やら若さやらに拘るのか。
「あたくしは、ただそれを味わいたいだけ…なんですのよん。どんな甘露にも勝る、天上の雫……滅びの寸前にそれを味わって無上の喜びを味わって、そして死んでいければ本望ですわん」
「そ…………そういうものか……」
恍惚とした表情で身をくねらせるチョビ髭男にサファニールは一歩後ずさり、世の中色んなのがいるな…と自分を納得させた。
「けど……ねぇ」
ヴォーノは、ピタリとくねくねを止めた。その表情は、何かに思いを馳せているよう。
「あたくしはそれでいいのですけれどぉん……前途ある若い子たちには、可能性を追い求めて行って欲しいって、最近はそう思うこともありますのん……」
「ヴォーノ…………」
サファニールは、こいつ絶対外見と口調で損してるタイプだな、と思ったがそれを口に出すのはやめておくことにした。
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地上界の混乱平定は、順調に進んでいた……と途中までは思っていた。
相手は廉族、しかも武力なんて無きに等しい僻地の集落ばかり、さらに創世神と天使族の横槍も今のところ入ってないとくれば、魔族軍が苦戦する要素はどこにもなかった。
……が、現実はそう上手く転がることばかりではないというわけで。
「……ロゼ・マリスに?」
「進路からすれば、間違いないかと」
ある日、ギーヴレイを経由してルガイアから報告があった。
ロゼ・マリスに向かって進軍する武装集団が確認された…と。
「どうやら、取り逃がした使徒たちが各地より集まり、蜂起したようです」
俺たちは、創世神の言葉を受け容れて魂の選別とやらに加担した連中のことを、ルーディア聖教徒とは区別する目的で「使徒」と便宜的に呼んでいる。
で、その使徒とやら、僻地の民間人が大多数だがそれだけではなく、一国の正規兵だとかも少なからず含まれているようだった。
都市部では彼らの暴動は比較的あっさり鎮圧されたが、そのまま大人しく縄に付く奴らだけではなかったらしく、そういう連中も続々と集まっているということだ。
「……なるほど。神の名を冠しながらその意に従わないルーディア聖教の存在は、連中には看過出来ないというわけか」
「現在、地上界の秩序維持に最も大きく貢献しているのは彼の教団だということもあるでしょう」
エルリアーシェが、地域民族文化関係なく声を届けたため、国という枠組みでは最早どうにもならなくなってしまっている。珍しい例だが、中には一国の王が彼女の言葉を真に受けて自分のとこの全国民に自害を唆す…なんてところもあった。純粋過ぎるのも考え物である。
そういった滅茶苦茶なところは、俺たち魔族やらルーディア聖教の教会騎士団やらが首を突っ込んで、逃げる国民を救助してたりしたのだけど、神の意志に従って新世界へ赴く準備を進めるつもりだった彼らにとって俺たちのそういう行為は極めて邪魔なものだっただろう。
魔族が敵であることは確かだが、敵はそれだけではない。人の身でありながら、神に背く世俗にまみれた聖職者こそ、粛清されるべきである。
自分たちこそが選ばれたのだ…と強烈な選民意識に支配された人々がそう思うのも、当然のことだ。
おそらく彼らは、ルーディア聖教は魔王に魂を売り渡しその軍門に下ったのだ…とか思ってるに違いない。
……あながち間違いではない…とは思うけど。
「…連中の規模は?」
「確認出来る限りでは、十万ほどです」
「…………多いな」
十万て。それこそ中堅国家の軍勢かよ。武装蜂起っていうより、それこそ戦争って呼んだ方が適切かも。
……まぁ、世界中からの寄せ集めであれば、そのくらいの軍勢にはなるのか。もしかしたら、さらに増えるかもしれない。
ここでルーディア聖教に潰れてもらっては困る。地上界のことで俺たちに出来ることなんて限りがある。彼らが屋台骨となって混乱を平定してもらわなくては。
それに、事が全て終わった後こそ、彼らの力が必要になってくる。
この調子でいけば、無事に創世神の狙いを阻むことが出来たとしても、世界は甚大な被害を受けることだろう。滅びる国も一つ二つではないだろうし、残された者の中にも加害者と被害者が入り混じる。多分、その無法具合は天地大戦直後の比ではないはずだ。
そうなったとき、地上界を先導する役割を担うことが出来るのは、ルーディア聖教くらいだ。その他の国や団体では力不足だし、権益云々で周囲との軋轢が大きすぎる。
「ご命令を頂ければ、直ちに平定して参りますが」
「……いや、待て」
即座に申し出たギーヴレイを、俺は止めた。
今までは僻地の…表現は悪いが田舎の小競り合いを力づくで抑えつけるだけだったから良かったが、十万もの廉族が武装して徒党を組み、ロゼ・マリス神聖公国に進軍しているという今回の状況は、どう考えても戦争である。
新世界を望む使徒たちと、現世界の存続を望む聖教徒との。
そこに、堂々と魔族が介入するのはちょっとマズくないだろうか。
これじゃ、やっぱりルーディア聖教は魔族の手下ですよ言いなりですよーと、公言しているようなもの。
先に挙げたように、ルーディア聖教に今後の地上界のことを任せたいのなら、彼らと魔族との関わりは極力伏せておかなくてはならない。
……関わりって言っても、実際には俺とグリードが繋がってるってだけなんだけどさ。けど、魔王と枢機卿筆頭が繋がってるってのは只事じゃない。
「………陛下?」
「お前たちは魔界で待機だ。地上界へは我が行く」
「……………………………承知致しました」
返答の前の沈黙に、ギーヴレイの苦渋がありありと浮かんで見えた。止めたい思いが強いのだろう。だが、俺の意志が固いこと、ただの気まぐれや酔狂で言っているのではないということを悟り、呑み込んでくれたのだ。
「地上界へは、エルネストとイオニセス、ルガイアを連れていく。お前は魔界と、地上界の他の地域への監視を怠るな」
「御意」
例によって例の如く、ギーヴレイに最低限の指示を与えてから(そっから先は丸投げである。出来の悪い主でほんとゴメン)、俺は居住区へと向かった。
「……おにいちゃん、どうしたの?なんかこわいかお」
「何かあったのですか?」
行き先は、彼女たちの部屋。出迎えてくれたヒルダが俺に抱き付きながら、心配そうに訊ねた。ビビも俺の様子がいつもと違うことに、戸惑っている。
流石にキアは、落ち着いているというか先が読めているというか、そんな表情だったけど。
「創世神の手下たちが、ロゼ・マリスに侵攻を始めたっていう報せがあった」
「ロゼ・マリスに!?」
「げーか、どうなっちゃう?」
二人とも、驚きを隠せないようだった。
ロゼ・マリスは彼女らにとっても大切な場所。生まれ故郷ではないが、多くの時間を過ごした場所だ。信仰云々関係なく、親しい人々も多かろう。そこが大軍に攻め込まれるとなれば、平然としていられる方がおかしい。
「俺は、七翼に合流して迎え撃とうと思ってる。で、さ……お前らなんだけど」
「ご一緒いたします」
「いっしょにいくもん」
「いくらなんでもここで留守番はないよね、ギル?」
間髪を入れず、三人の返答。
実を言うと、俺はその答えを密かに期待していた。
彼女らを戦争という危険に巻き込むことを理解した上で、彼女らがそう言い出してくれることを予想し、期待していたのだ。
可能性は低かったが、仮に彼女らがそう言わなかったとしたら、何とか説得して連れていくつもりだった。
「……悪いな」
「何言ってるんですか。これは私たち人間の重大事ですよ、仮にも勇者一行である私たちが動かなくてどうするんですか!」
「……もうるすばんやだもん」
「ま、妥当な選択だよね」
三人はそう言ってくれるが、俺は心苦しさで一杯である。
俺は、本当なら三人だけでも安全な場所にいてもらいたいのだ。
絶対に何があっても大丈夫な結界を作って、その中に閉じ込めて、あらゆる危険や恐怖、苦難から遠ざけて、大切に大切に、真綿で包むように。
アルセリアがいなくなってから一層、その思いは強くなった。
が、今回の件には象徴が必要だ。
全てが終わりルーディア聖教が中心となって世界を立て直す際に、分かりやすい旗印が必要なのだ。
ルーディア聖教会、では漠然とし過ぎている。教皇や枢機卿では、人民から遠すぎてイメージされづらい。
だが、神託の勇者一行であり人々の認知度も高い彼女らならば、新たな希望の象徴として相応しい。
だからこそ、廉族同士の戦争であればなおのこと、彼女らには神輿となってもらわなくてはならなかった。
そう思う一方で、自分の選択に嫌悪を抱く。
いつだったか、アルセリアたち三人組を担ぎ上げて魔王討伐だなんて無謀なことをさせた教会の連中に抱いたのと同じ嫌悪感だ。
……結局は、俺もまた同じ穴の狢か。
「……ギル、またしょーもないことで悩んでるでしょ」
「へ?……いや、そんなことはない…けど……」
「ふぅん、そう?ならいいけどさ。深く考えるのやめるとか言っておいて、まーたいつものクセが出たのかと思った」
う……キアが鋭い。
「リュートさん、私たちは自分の意思と責任で行くのですよ。止めたとしても無駄だったでしょう。私たちは、アルシーの代わりにロゼ・マリスを守る使命を自分で自分に課したんですから」
「……むつかしいこと、よくわかんない。けど、おにいちゃんといっしょなのは嬉しい」
ビビとヒルダも、俺の内心におそらくは気付いてそんなフォローを入れてくれる。
こいつら……泣かせるじゃねーか。
「よっしゃ!それじゃ、今夜は壮行会といくか!!」
「あら、宴会ですか?御馳走ですか?」
「ごちそう?おにく!おにくがいい!あと甘いの!!」
「別に宴会じゃなくてもいっつも食べてるじゃんか……別にいいけど」
その夜は、武王連中も誘って賑やかにやることにした。
ギーヴレイとルクレティウスは、初めて見る俺の一面にかなり戸惑っていたようだけど、気にしなかった。今さら魔王の威厳とか、こいつらに取り繕っても仕方ないかなーという気もしたし、正直いい加減面倒になったってのもある。
ただ、取り繕うのをやめて素を見せることにしたせいなのか、アルセリアがいないという事実が余計に強く実感された。




