第三百八十六話 食い意地は使命感に勝る。
大量の人参と玉葱を、コンソメで煮込む。
柔らかくなったら、裏ごししてペースト状に。さらに水を加えて火にかけ、塩コショウで味を整えたら出来上がり。
魔王謹製、にんたまポタージュである(くれぐれも、忍者のたまごではない。にんじんとたまねぎ、である)。
なんかもう、作ってる時点で懐かしかった。
確かあのときは、完全にバテているヒルダの体力回復のために、栄養たっぷりで魔力の補充が出来て消化にいいものを考えたんだった。
……アルセリアの奴、最終的には鍋ごと抱えて食べてたっけ。おかげで、「勇者」に対する先入観が完全に覆ったんだよな。
その後も連日、見事なまでのポンコツっぷりを見せつけられて、正直、こんな奴らが人類の救世主みたいに担ぎ上げられるのはどうかと疑問に思ったりもした。
勇者と言えば魔王、魔王と言えば勇者。そんなテンプレ設定のおかげで、俺がこいつらを一人前にしないと!だなんて謎の使命感に突き動かされたりなんかして。
ほんと、計画性皆無で考え無しで猪突猛進で無茶無謀で慎重さの欠片もなくて詰めが甘くて、そのくせ責任感ばっかり強くてさ。でもって我儘だし頑固だし理不尽なことで怒るしで、随分と振り回された。
それでも、自分の前に現れた勇者が、実直で品行方正で誠実で頭脳明晰で良識人で人々の模範となるような立派な御仁じゃなくて、アルセリア=セルデンとその仲間たちで良かったと、いつしかそう思うようになっていた。
……不完全だからこそ、愛おしい。
かつてはアルシェもそう思っていたはず。その頃の俺は、そんな彼女が理解出来ないでいたけども、今はその不完全さを否定しようとする彼女が理解出来ない。
あいつには、そういう相手がいなかったのだろうか。
長い間、天界と地上界に君臨して、支配して。そこで、一緒に飯を食ったり冗談を言い合ったりケンカしたり他愛の無いおしゃべりに花を咲かせたり心配したりされたりっていう相手が。
いたとしても、長い時を共に過ごすことは出来ない。
が、移りゆく時間の中で、そういう出逢いは一度や二度ではなかっただろうに。
考え込みながら作ってたら、いつのまにか鶏肉のトマトソース煮も完成していた。
パンはどうしようか。エルネストと研究所の連中のおかげで、小麦の品種改良も精製もバッチリ。今じゃハード系のパンからクロワッサンからフワフワ食パンまでなんでもござれ。
……うん、バゲットにしようかな。バターも沢山作らせてあるし。
久々にきちんとした料理をしたせいか、少しだけすっきりした。こういう、なんでもない作業って頭の中を落ち着かせるにはうってつけである。
平凡でありきたりの日常ってやつも、意外と役に立つものなのだ。
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「……アルシー、ちゃんとご飯食べてるでしょうか」
食事の途中で、ビビがそんなことを言い出した。
って家出中の娘かよ。
「そりゃ食べてるだろ。アル…エルリアーシェにしたって、あいつを粗末にするはずもない。自分の肉体なんだし」
創世神からしてみれば、アルセリアに恨み憎しみがあるわけがない。彼女の自我や意思はどうでもいいものかもしれないが、身体そのものは寧ろ大切に扱っているだろう。
「…そう、ですよね……」
「でもさ、ギル」
トマトソースの中からブロッコリーをサルベージしてモグモグごくんとやってから、キアがおそらくずっと気になっていただろうことを尋ねてきた。
「アルシーを取り戻すって言っても……どうやるの?創世神の精神体を肉体から引っぺがすとか出来るわけ?」
「……んーーーー、それなー」
それを問われると、実は困ってしまう。
単純に、「乗っ取っている」状態であれば、それほどの問題でもないのだ。それこそ、引っぺがすのは簡単。
だが、アルセリア=セルデンは、創世神エルリアーシェが自分の器として作った言わば専用品。アルセリアの自我や意思は、エルリアーシェが現れるまでの器の保全のために備え付けられたに過ぎない。
一度主導権が創世神に渡ってしまった時点で、その両者を引き剥がすことが可能なのか、そしてその方法は……となると、正直言って皆目見当が付かなかったりする。
「どうしたもんかなー……」
「え…ちょっと考えもなしに「アルシーを取り戻す!」なんてカッコつけてたわけ?」
「カッコつけてなんかないだろ!」
「いーや、つけてたね。めっちゃドヤ顔で、決め台詞みたいに言ってたね」
「言ってない!」
「言ってた!」
「言ってないって!」
「言ってたって!」
「はーいはいはいはいはい、くだらない喧嘩はやめましょうね」
ビビが間に入ってくれて、「言った」「言ってない」論争はあっさりと終結。
って言うか、キアが何か刺々しいんですけど。相棒が不在なせいで不安かもしれないが八つ当たりはやめて欲しい。
「リュートさんも、アルシーがいなくて不安かもしれませんがあんまりカリカリしないでくださいよ」
………って俺?
「べ、別に俺はカリカリだなんて……」
してない…よな?普段どおりだよな?こいつらにも臣下たちにも、普段どおりの態度で接してる……よな?
「ご自分では気付いてないかもですけど、たまに怖いときありますよ、リュートさん」
「え……マジ?」
そ…そうだったのか。知らず知らず、焦燥が表に出てた?………ってキアの「それ見たことか」顔がちょっと苛つくんですけど。
「…………ま、まぁ、話を戻すとして、アルセリアと創世神を引き剥がすってことだが、外側からだけじゃ正直キツイと思う」
「……そと?」
俺の膝の上でトマトソースから人参をサルベージして皿の外に除けているヒルダが、首を傾げた。どうでもいいけどちゃんと人参食べなさい。
「ああ。俺自身、エルリアーシェとやりあいながらアルセリアの精神を傷つけないように…なんてそんな芸当は出来ないし。なんとか、中のアルセリアに働きかける方法があればいいんだけど……」
「呼びかけたりは、出来ないんですかね?」
「普通には、難しいと思う。かなり深く眠ってるようなものだろうからな」
「……そうですか…」
ビビはがっくりと項垂れる。
「一番は、あいつの未練を刺激すること………かな」
「未練?てアルシーの?」
キアが意外そうな顔をした。…けど、アルセリアって別に聖人君子でも何でもないからな。寧ろ未練とかありまくりっぽいだろ。
「そう。結局のところ、未練ってやつが存在を確定するのに一番力を発揮するんだよ」
本来は肉体を失った状態では存在し続けられないはずの生命体が、ときに幽霊とかになってしまうのだって、未練の仕業だ。尤もそういうのは未練だけでは存在を保ちきれず、いずれ成仏するか精霊と妙な合体をして悪霊になるかだけど、アルセリアの場合は肉体を失ったわけではないのだからその心配はいらない。
「創世神の意識にアルセリアのそれが塗り潰される前に、あいつの未練を刺激して浮上させることが出来れば…なー」
そうは言いつつ、それが難しいことは分かっている。
「アルシーの未練…か。やっぱり、世界のこと?みんなのこととか…さ」
「そうですね。勇者としての使命感は、彼女にとっての未練になりうるかと」
「んー、そういうのじゃなくってさ」
キアとビビが述べる彼女のそれは、厳密に言えば未練じゃない。
未練ってのは、責任感だとか使命感だとか、世界平和だとか人類愛だとか、そういった外に向かうものではないのだ。
もっと根源的な……その人物の内側に食い込む、強い希求。
例えばアルセリアが、妄執的なまでに勇者の責務に囚われていて、それを完遂するためならば何を犠牲にしても(仲間や罪のない人々含め)厭わずに、それそのものを自分自身の欲求としているのならば話は別だが、そうではないだろう。
彼女の使命感は、確かに強固なものではあるが、そして彼女自身を支えるには充分過ぎるほどだが、未練というには綺麗過ぎる。
支えるには充分。だが、浮上させるには至らない。
なら、彼女の、創世神の意識の下に押し込められた精神を浮上させるだけの未練とは何だろう。
「…………ごはん?」
……ってヒルダ、いくらあいつでもそこまで食い意地張ってるわけじゃ………ない……こともない……か?
………いやいや、食ってのは三大欲求の一つだし……食い意地とか言うんじゃなくて、何か彼女の奥底と繋がるものがあるとしたら……だってほら、味覚とか嗅覚って、記憶と深く結びついてるって言うし……
「なんか分からなくもないけど、それってギルが創世神とやりあってる最中に彼女の口の中にご飯を突っ込むってわけ?」
「それは…………ムリだな」
「ちょっと……ありませんね」
「ごはん持ってたたかうまおうとか………ない」
全員揃って絵面を想像し、肩を落とした。
ああ、でもアルセリアに「思い出の味」とかそういうのがあって、それを食べさせることが出来ればなー。
そしたら、創世神に対抗する力を付けさせてやれるかもしれないのに。
傍にいられないから不可能なことだとは分かった上で、あいつにもにんたまポタージュとか食わせてやりたいな、と思った。




