第三十七話 送りの篝火
ルガイア=マウレ造反事件を処理してから、二日。
俺はその後のゴタゴタ…マウレ一族や西方諸国に対する通告とそれに関する対応…やその他の細やかな雑務をなんとか片付け(実務はほとんどギーヴレイ任せだったけど)、地上界へと戻ってきた。
…実を言うと、もう勇者たちは出発していると思った。
ヒュドラも退治し、村長とエルネストの企みも露と消え、彼女らがこんな辺境の村に留まる理由はもうないはずだったから。
彼女たちは神託の勇者。いつの日か魔王を斃すため、魔王を凌駕する力を手にするため、再び修練の旅へと出るのだろう。
世界にはまだまだ、魔獣の恐怖に直面している人々も多い。
きっと彼女らは、さらなる高みを目指すため、そして苦しんでいる人々を救うため、苦難の道のりを往くのだ。
…大丈夫。寂しくはない。何故なら俺は魔王。彼女たちが諦めない限り、必ず相まみえる日は来る。
その時彼女らは俺の敵となるだろうか。だがそれが運命だとか理などではなく、彼女らの意志によるものだとすれば、俺に拒む権利などない。
そんなことを考えながら、事後の様子を確認しに村へ立ち寄った俺を待っていたのは、
「遅い!いい加減待ちくたびれちゃったじゃないの!!」
…いつかどこかで聞いたことのあるような、アルセリアからの突然の叱責。
「え…お前ら、なんでまだこんなとこにいるんだよ?」
俺は当然の疑問を口にしただけなのだが、三人娘からは、こいつふざけたこと抜かしやがって的な視線の集中砲火をくらってしまった。
「アンタねぇ…自分で言ったこと、忘れたわけ?………待ってろって、言ったくせに」
「戻ってくると、仰ったじゃないですか」
「…………お帰り、お兄ちゃん」
字面としては、なんかいいこと言ってるっぽい台詞。だがしかし、ちょっと待て。なんだその表情は。
その、獲物にようやくありついた、空腹の肉食獣のような表情は。
「あ、そうそう。村の人たちも、参加することになったから」
で、さらに唐突にそんなことを言い出す。
「あ?なんだよいきなり」
「だって、御馳走作ってくれるって言ったじゃない」
……ち、やはり覚えていやがったか。
「いや、言ったけど……なんで村の人たち?」
「送りの篝火、です」
俺の疑問に答えてくれたのはベアトリクスだが、それじゃ全然分からん。
「なんだ、それ?」
篝火?祭りか何かだろうか。
初めて聞く単語だったのだが、三人にはそれが驚きだったようだ。
「…って、知らないの?魔界じゃやらないのかな?」
「魔族は、我々とはかなり異なる考え方をしているのかもしれませんね。もっとも、地上界でも地域によっては違う形を取るところがあると聞いたこともありますよ」
アルセリアとベアトリクスが二人で話を進めている。俺、おいてかれてるんですけど。
と、そんな俺に助け船を出してくれたのがヒルダで、
「村長と、司祭さん。死んじゃったから。送るの」
何とも言葉足らずな助け船ではあったが。
ヒルダの言葉で、なんとなくの想像はついた。
「要するに、死者を送る儀式…みたいな?」
「そうそう。死んだ人の魂がきちんと冥界に行けるように、篝火を焚くの。魂が、煙に乗って運ばれるんだって。で、そのときは死者が安心して逝けるように、残された人たちで宴会を開くのよ。わざと明るく騒いで、こっちはもう心配いらないよーって、伝えてあげるんだってさ」
ようやく分かりやすく説明してくれたアルセリア。
まあ、あれか。日本で言う、葬式と送り盆とを合体させた感じか。
……あの村長だと、逆に未練が強くて戻ってきちゃいそうだけどな。
まあ、それが地上界の人々の死生観なんだろう。実際には、死者の魂は完全に分解され、その“霊素”が“霊脈”へ、最終的には“星霊核”へ還っていくだけの話なのだが、ここでそれを言うのは野暮というもの。郷に入っては郷に従え、って言うしな。
……ん?
「ちょっと待て。てことは、その、宴会…?の準備を、俺がするっていうことか?」
「準備っていうか、宴会で出される料理担当がアンタってわけ」
「ってわけ、じゃない。なんで本人のいない間に担当とか決めるんだ?」
「いない方が悪いもん」
…………これは、あれか。PTA会合で欠席したら面倒な役員を押し付けられる、とか、そういうあれか。
…まあ、どうせ御馳走つくってやるって約束はしていたわけだし、それはいいんだけど。
「………人数は?」
「さあ?村人っていっても全員来るわけじゃないみたいだし。……代表、みたいな?」
「ざっと二十人ほどと聞いていますよ」
ベアトリクスの情報に、ちょっぴり焦る俺。普段そんなに大人数の食事は作らない。せいぜい、いつだったか悠香の誕生日会でクラスメイトがうちに集まったとき以来……あのときは確か、十人前後じゃなかったか?
ざっと倍、か。段取りとか、考えておいたほうがいいな。
俺一人で、大丈夫だろうか……。
「安心しな、あんちゃん。俺が手伝う」
未知の領域におののいた俺の前に颯爽と現れたのは、宿のおっちゃん。相変わらずスキンヘッドでアイパッチな悪人顔だが、中身はナイスガイ!
「おお、おっちゃんありがとう!アンタは救世主だ!!」
……魔王が救世主とか言ってんじゃないわよ、とか呟くのやめてもらえませんかね、勇者さま。聞こえちゃうでしょうが。
結局、宿のおっちゃんと俺に野菜を提供してくれた畑のおばちゃん二人、計三人が、俺の助手として手伝ってくれることになったのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
肉の仕入れの都合上、ローストビーフはミートローフに変更された。
グリムボアと単角牛の合い挽き肉に、飴色になるまで炒めた玉葱とパン粉、牛乳、塩コショウ、ナツメグを加え、ゆで卵を包んで成型。ソースはトマトとオレガノでイタリア風味に。
オードブルは、新鮮野菜のテリーヌ風。あと、クラッカーを大量に焼き、ディップソースやらオリーブやらでカナッペを数種類。
白身魚のカルパッチョは、オリーブオイルとレモン果汁でさっぱりと。
マッシュポテトとペシャメルソースでグラタンも作り、勇者たちに好評だったエビフライも大量に。タルタルソースもたっぷりと添える。
スープは、根野菜のポタージュ。デザートは手軽に、りんごを使ったガトー・インビジブルにした。
これらの料理を、ざっと二十数人分。手伝ってくれる人たちが不慣れな料理だということもあって、ほぼ半日がかりの大仕事だった。
送りの篝火は、村の集会場前の広場で行われることになった。
最初に、篝火を焚いて死者の冥福を祈る。これには村中の人たちがやってきて、厳かにしめやかに、別れの儀式は執り行われた。
…泣いている人も少なくない。村長も、司祭も、村の人たちにとってはかけがえのない存在だったのだろう。つい数日前まで、村の発展に尽力してくれていた屋台骨を失って、皆消沈している。
彼らは真相を知らない。突如現れた魔獣に、二人は殺されたのだと、これは不幸な事故なのだと、そう思っている。そう思うように、仕向けられている。
仕方のないこととは言え、少し胸が痛む。
篝火が終わり、ほとんどの村人たちが広場を去っていってから、集会場で代表者たちが宴を開く。
出来るだけ明るく、さっぱりと。死者を悩ませることがないように。
「おーい、こっち皿が足りないよー」
「飲み物行き渡ってない人はいないかー?」
「この椅子グラついてるぞ。予備の持ってこい」
「取り皿も足りないんだけどー」
…ここはランチタイムのレストランか。口々に注文を出す村人たちと、それに応じて走り回る俺とお手伝いズ。
……なんで、俺?料理担当とは聞いたけど、なんで給仕まで?
「ちょっとリュートぉ、お酒足んないんだけどぉ」
「…あーもう、酒くらい自分で……って、アルセリア、お前酒飲んでんのか!?」
まだ食事は始まっていないのに、既に出来上がっている少女を見て俺は仰天する。
そりゃ、ここは二十歳未満は酒を飲んではいけないと法律で決まっている国ではないし、問題はないのかもしれない…法律上は。だが、顔を真っ赤にしてふらついているアルセリアを見ると、そういう問題でもないのだと思う。
「ぁによ、文句あんのぉ?だいたいアンタはさぁ、いぃっつもいーっつも堅っ苦しいことばーっかさあ」
ダメだ、これ、絡み酒だ。
「アルシーは、いつもこうなのですよね」
頬を仄かに染めて、ベアトリクスが微笑む。相変わらず他人事だ。
「……アルシー、お酒臭い…………」
ああ、ほら!ヒルダも嫌な顔してるじゃないか!
「おい、アルセリア!お前もう飲むな!」
「なんでよぉ。リュートのくせに指図すんじゃないわよぉ」
「酒飲んだら肉は没収だからな!」
強硬手段でアルセリアの抵抗を抑え込むと、俺は酒のグラスの代わりにお茶を押し付けた。
まったく、こんな公衆の面前で勇者が酒の醜態を晒すのはマズすぎるだろうが!
ありがたいことに、周囲も既に酔いが回っていて、勇者のみっともない姿は騒ぎの中でスルーされているようだ。
出来れば傍で、彼女が再び盃に手を伸ばさないよう見張っていたいところだが、そうもいかない。肉の魅力が酒の誘惑に打ち勝てますように、と心中で願い、俺は給仕へと戻った。
宴が始まり、集まった人々は村長と司祭の思い出話に花を咲かせる。彼らは、二人が善良な人物だったと信じて疑わない。
村長のおかげで生活に困らないようになった、子を都市部の学校に通わせることが出来た、診療所のなかった村に医者を呼んでくれた。不安なく明日を迎えることが、出来るようになった。
司祭にはいつも話をきいてもらった。大きな悩みから小さな愚痴まで、ニコニコとただ黙って聞いてくれた。最後には押しつけがましくない細やかなアドバイスを一つか二つ。それがなくても、ただお茶を飲みながら自分の話がゆっくり出来るだけで、救われた気持ちになった。何でもない日常の幸せを、感じることが出来た。
その二人に負けぬよう、恥じぬよう、残された自分たちで村を守っていかなければならないな。
そう語る村人たちを見て、複雑な気分になった俺は、アルセリアが酔いつぶれていてよかったのかも、と思う。
雑なくせに妙なところで生真面目なアイツは、割り切って彼らの話を受け止めることが出来なさそうだから。
村長は俺たちからすると、間違いなく「悪人」だったし、エルネストにしても、情状酌量の余地があるとは言え、人間に対し罪を犯そうとしたことは事実。
それでも、せめて村の人々の中にいる二人は、村思いの頼りがいのある村長と、優しい司祭、のままでいいのだろうな、とも思った。
夜も更けていき、宴は形を徐々に変えながら続いていく。
俺は追加のおつまみを作りながら、おっちゃんと二人、「彼ら」の冥福を祈って、盃を交わした。
もうすぐ一段落です。




