第三百八十三話 プルースト現象は世界が違っても変わらない。
「あらあら、まあまあ。これ、一体何なのですか?」
創世神が尋ねたのに、非難の意味合いはない。寧ろ、感嘆によるものだ。
彼女は今、居城のダイニングにいる。彼女そのものは食事を必要としないが、生命体の肉体を依り代に使っている以上はそれを維持するための栄養補給が必要である。
それは世界と関わるようになってからずっと変わらないことではあったのだが、彼女はそれまでにない感嘆を顕にして食卓の上を眺めている。
「それは、ポタージュというお野菜を煮込んでなめらかになるまで裏ごしした、スープの一種ですわん。お気に召していただけましたぁ?」
「ぽたあじゅ」
料理と給仕を兼任する小太りのチョビ髭男のうざったい口調の説明に、エルリアーシェは素直に頷いた。
「ええ、ええ。私、これとっても気に入りました!なんだか優しい味で、ほっとします。ヴォーノさんが考案したんですか?」
創世神の無邪気な質問に、チョビ髭男…ヴォーノ=デルス=アスは複雑そうな微笑を浮かべた。
「お褒めいただき光栄の極みでございますけどぉん、残念ながらあたくしはとある方の味を真似ているだけですわぁん」
ヴォーノ=デルス=アスは商才と美食に特化した人間だが、一つだけ趣の異なる固有スキルを有している。
それは、複写。
一度でも見たもの触れたもの味わったものは、材料さえ揃えば完全にコピーすることが出来る能力である。
これを使い、彼はかつて邪教集団で味わった至高の味を再現し、創世神の食卓へと供しているのだ。
「まぁ。そんなすごい料理人がいるんですね。今までのお料理もそうなんですか?」
「ええ、モチのロンですわん」
「なんだか不思議なお料理ですよね。どこか懐かしいと言うか、安心すると言うか、心がほっこり温かくなる気がします」
そう言って再び匙を含むエルリアーシェを見るヴォーノの表情は、どことなく寂しげだった。
「それは……きっと彼女にも、このお料理を食べてもらったことがあるから…だと思いますわん」
「彼女……ああ、この肉体のことですか?」
「ええ。勇者ちゃんも、とても気に入ってくれてましたからぁん」
ヴォーノは、創世神の後ろに音もなく控えていた央天使サファニールと頷き合った。
創世神の気まぐれで(というか魔王へのちょっとした嫌がらせで)天使族を刺激した結果彼らがやらかしたのは、地上界の一つの都市ごと魔王のお気に入りを排除してしまおうという試み。
それはそれで面白そうだとは思ったがせっかくの器を壊されても面倒だと、創世神は央天使にその保護を命じた。
央天使とヴォーノが知己であったというのはただの偶然だが、二人に保護されている間の勇者一行は、ヴォーノが再現するとある方の味を毎日堪能していた。
……尤も、ヴォーノが知らないだけで、彼女たちは既にその味に馴染みがあったのだが。
「そう。やっぱり私のための器だから、好みも似るのですかね?ねぇサフィー、勇者って、どんな子だったんですか?」
いきなり問われたサファニールは、一瞬戸惑ってから、
「勇者……ですか。…未熟で未完成なところは多かったですが……不思議と、目を離せない魅力を持っていました。魔王が気に入るのも、分かるような気がいたします」
かつてじゃがバターを巡り熾烈な戦いを繰り広げた相手を、そう評してみた。
「……ふぅん、ヴェルって、そういうの好みだったんですか?意外と言うか知らなかったと言うか」
聞かされたエルリアーシェは、何故か不服そうだった。
「未熟で未完成だなんて、ヴェルには似合わないじゃないですか。……そう思いません?」
「仰せのとおりかと」
無表情に恭しく頭を垂れる央天使に満足げな笑みを返し、創世神はすぐに上機嫌に戻って食事を再開した。
「それにしても、この味は是非とも新世界に引き継ぎたいものです。けど…職能は天恵と違って魂に付随する系じゃないから、どうしたものでしょうかねぇ……」
楽しそうに頭を捻る主に向けるサファニールとヴォーノの表情は、やはり寂しげなままだった。
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「だーかーらぁ!知らないって言ってんでしょこのスカタン!ヘボ魔王!」
「…………………」
「な、何よその顔は何するつもりこの変態悪魔!」
「……………………」
「言っておくけどどんな卑猥で陰惨でアレな拷問をしたところでこのドオル様の心は屈したりはしな」
ブンブンブンブンブンブンブンブン。
「あああああああやめて振り回さないで目がまわわわわ」
苛つくビスクドールの足を掴んでひとしきり振り回し、俺はそいつを黙らせる。
臣下たちの前で誤解されそうなこと言わんでくれ。つか、人形相手に卑猥って何だよ。アレって。
目を回して沈黙した人形を、逆さづりのまま持ち上げて視線を合わせる。
「さて、それでは知り得る限りのことを話してもらおうか」
「はわわわわわわわ~~~ダメ目が回っちゃって何にも分かんない~~~~」
「そうかそうか。ならば逆回しで相殺してやろう」
「あああああなんだか急に意識が明瞭に!!」
……チョロいな、こいつ。
「ならば話せ。ア…創世神は、今どこにいる?この次に奴は何を企んでいる?新世界の構築とやらに、どれだけの勢力が加担している?」
「ちょちょちょちょちょ、矢継ぎ早に質問しないでよ!ほんっと情緒ってもんを知らない魔王ね!!」
……………………。
……情緒、関係あるっけ?
「…まぁいい。ならば一つずつ聞こう。今、創世神は何処にいるか知っているのか?」
「う……うぅ……御神は、ここにはいないわ」
「そんなことは知っている。何処にいるか、と聞いているのだが」
「…………ここじゃないとこ…?」
ブンブンブンブンブンブンブンブンブンブン。
「ああああああやめて知らないって言ってんじゃん知らないんだから仕方ななななな」
「冗談に付き合っている暇はない。天界じゃない場所の、何処にいる?」
「だから知らないてばばばばばばば」
…………ふぅ。これだけブンブンしても口を割らないってことは、知らないというのは本当か。アルシェの奴も、そう簡単に情報を漏らしはしないだろうし。
「さて、次の質問だ。奴が次に計画していることは?どのようにこの世界を破壊するつもりだ?自らが手を下すのか、大規模な戦で消耗させるのか、疫病でも流行らせるのか」
「うぅ…頭の中がぐーるぐる……………御神は、旧い世界に失望していらっしゃる……だから全部終わらせて」
「だからそれも知っている。具体的な手段を答えろ」
「…………なんかすごいこと…?」
ブンブンブンブンブンブ以下略。
執拗な尋問を続けてみたが、結局人形(ドオルっていったか、安直な名前だ)が持っている情報は、俺たちが既に得ているものばかりだった。
予想していたとは言え、少し残念。
本来ならば、天界全土を支配下に置いておきたいところだが、時間がない。俺はとりあえず中央殿と主要都市…ロセイールやザナルド、ピーリアなど…を抑えたあと第四軍団の面々を駐留させ、自分はアスターシャとエルネストを連れて一旦魔界へ変えることにした。
「戻るぞ、アスターシャ…………どうかしたか?」
振り返って見たアスターシャの顔が、なんか固い。
まだ、エルネストへの処遇を心配しているのか。それとも、戦闘での消耗が酷かった…とか?
ならば少し休ませてやりたいところだが、それなら天界より魔界の方が静養に向いているだろう。
「疲れているところ悪いが、まずは早急に手を打つことが目白押しだからな。少し我慢してくれ」
「いえ……その、陛下。そうではなくて…………」
「……?ならば、なんだ?」
俺の質問に、アスターシャは答えていいものかどうか逡巡してる。
なんだなんだ?今回の件じゃなくて別のこと?褒美が欲しいとかなら、アスターシャは素直に言うだろうし………
「その……陛下がそのような遊戯を好まれるということは……あまり外聞がよろしくないと言いますか……」
「そのような……遊戯?」
アスターシャの視線を辿り、ぶら下げたままのドオルを見る。
そのような、遊戯。
人形とお喋り。人形ブンブン。
「…………いやだから、それ誤解……………」
あれ?なんだろう、ドッと疲れが出て来たような………
静養が必要なのは、俺の方か……。
新年早々、ちょっと風邪気味な感じです。寒さより乾燥が堪える…………




