第三百八十二話 大切なものは失って始めて知るって言うけど要するに失わなきゃずっと気付かないままだってことだよね。
伝言役の人形を抱え、俺はアスターシャたちのところまで戻って来た。
なお、道すがらそいつはずっとぴーぴー喚いていたが、全て無視した。流石に人形相手におしゃべりを楽しむほど俺は変態ではない。
見たところ、勝敗は既に決していたようだ。アスターシャもエルネストも、ついでにシグルキアスも、みんな無事。やや疲労の色が濃いが、致命的なダメージは受けていないようで一安心。
さて、ジオラディアは……
…………あ、生首。
絶命の瞬間にしては間抜けな表情の地天使の頭は胴体と泣き別れして、それぞれが転がっている。いくら敵対しているとは言え、見知った顔の不憫な姿に、俺は心中で密かに合掌した。
やり方はちょっとアレだが、決して悪い奴ではないのだということを俺は知っている。
「ご苦労だった。大事ないか?」
「勿体ないお言葉にございます」
アスターシャを労うと(間違いなく功労賞は彼女だろう)、何故かその表情がぎこちないことに気付いた。
何だろう?ソワソワと落ち着かないと言うか、若干挙動不審と言うか……。
「何があった?」
単刀直入に聞いてやる。こういう聞き方をすれば、彼女は説明を拒むことは出来ない。
アスターシャは俺とエルネストを交互に見比べると、意を決したように重い口を開いた。
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アスターシャから一連の説明を受け、俺は困っていた。
彼女の憂慮は、エルネストの処遇。魔族…魔王の臣下でありながら神の領域へと足を踏み入れてしまった報いを、どのように与えるのか、ということ。
……なんだけど。
えええー……これ、罰さなきゃいけないようなこと?
いや、そりゃ、アスターシャの言いたいことも分かるよ。俺だって、昔だったらきっと「なんたる傲岸不遜な振舞いだ!」って怒って粛清とか与えちゃったりしたかもしれないし。
けどさぁ。今の俺の感覚って、だいぶ人間に引きずられてるんだよなー。
神ならぬ身で神の業を模倣する、とかそういうの、別に結果オーライならそれでいいじゃんって思ってしまう。
だって、エルネストだってアスターシャを助けるため、ジオラディアを倒すため、ひいては俺の命令を遂行するためにやったことだろ?
確かに彼に与えた“権能”の使用法…適用範囲とか深度とかは俺の想定外のもので、俺が許可した運用範囲からも大きく逸脱している。
そういう意味では命令違反と言えなくもないが、その罪と、それによって得られた利とのバランスを考えると、エルネストを咎めるのは理不尽なんじゃ?って気がしてならない。
第一、“権能”とは、本来神々にしか許されていない理の干渉権限を例外的に他者に付与するもの。
その時点で、神の領域(そんなものが本当にあるとするなら)への通行手形を渡したようなものなわけで。
それが嫌なら、権能なんて最初から与えなければいいじゃん、てことになる。
それに、エルネストには既に巨大な枷が付けられている。俺の眷属という楔。俺なくしては存在出来ず、俺の意思に反すれば消滅してしまう。
そんな彼が権能を使って良からぬことを企むとは思えなかったし、今回のことも自分に出来る最善を尽くしただけなのだと思う。
そんなわけで、俺はエルネストを罰する気にはどうしてもなれなかったのである。
だが、アスターシャはそうは思っていないようだ。考え込む俺の内心を読み違え、エルネストを俺の怒りから庇おうと一生懸命になっている。
「しかしながら陛下、彼なくしては勝利は有り得ませんでした。彼の権能のみならず、その治癒能力にも私は幾度となく助けられております。彼はおそらく、こうなることを予想していたはず。処罰を受けることを承知の上で、我らのために力を解放してくれたのです。それは全て、御身への忠誠ゆえ。どうか、ご寛大な処置をお願い致します!」
……珍しくアスターシャが冗長だ。なんとかして情状酌量をもぎ取ろうと必死なのだろう。俺にはもとよりエルネストを罰するつもりはないってのに。
だが、彼女が必死になればなるほど、そして傍らのエルネストは観念したように大人しく…寧ろ穏やかに沙汰を待っているのを見ると、逆にお咎めなしってわけにもいかないのかと思ってしまう。
許された範疇を超えて権能を行使することは、万死にも値する大罪。
それが、世間一般の魔族の認識なのだと改めて気付かされて。
ここで、別にいいじゃん無罪放免だよーと言ってしまうと、他者への示しがつかない、ということだ。ただでさえ俺はエルネストに甘い(と思われている)らしく、武王を除く幹部や文官がそのことについて俺のいないところで不満を漏らしているということもルガイアから聞いている。
因みに、ギーヴレイの耳に入ると間違いなく大規模粛清が始まってしまうのでルガイア兄ちゃんは俺にしかそのことを伝えていない。
うーん……他の臣下たちの手前、形だけでも何か罰を与えといた方がいいかなぁ…。
よし、決めた。
「エルネストよ。お前の処遇は今回の件が片付いたら考えるとする」
「承知いたしました」
告げられたエルネスト、流石にしゅーんとしている。彼らの常識から言うと処刑まっしぐら猫まっしぐらな状況のようだから無理もないけど、安心してくれ。
俺、とりあえずこの場は適当に凌いで後はなし崩しに有耶無耶にするつもりだから。
対創世神戦が現実のものになろうとしてる今、それ以外のことなんてうっかり忘れちゃっても仕方ないよね。
……………………予想以上にエルネストが殊勝に畏まってるのが何か気になるけど。これを機に俺への態度を少しは見直して貰えればありがたいけど、それはそれで淋しいような物足りないような気がしなくもない……ような。
もしかしたら俺、こいつの人を食ったような態度、案外嫌いじゃないのかもしれない。
って、いやいやぞんざいに扱われたいとかいうわけじゃないから。多分、普段はやたら臣下に持ち上げられまくってて、そうじゃない態度が新鮮に感じるだけなんだよ、うん。
「それで、陛下。その……………それは、一体………?」
とりあえずエルネストの件は保留となったところで、アスターシャがオズオズと問いかけてきた。何やら触れて良いものかどうか探ってる感じがありありなのはどうしてかしらん。
彼女の視線の先には、俺の小脇に抱えられたフリフリドレスのビスクドール。
………………って。
「いやいやいやいや、違うからな、別に俺の趣味じゃないからな!」
彼女が何を危惧しているのか瞬時に悟り、慌てて誤解を解く。慌てるあまりに素が出てしまった。
アスターシャはそれに関してはスルーしてくれたみたいだけど、そもそもの疑いについてはまだ胡散臭そうな表情を崩していない。
………………チラリ。
いつもだったらここでエルネストが「個人の趣味嗜好は自由なんですから隠さずとも良いのですよ陛下」とか(面白そうに)抜かして、けどそのお陰でその場は誤魔化せるはずなんだけど。
…………何にも言ってくれない。
今まで気付いていなかっただけで、実は俺、結構エルネストの冷やかしに救われることも多かったのかもしれない………?




