第三百七十七話 ずーっと喧嘩してた奴と些細なことであっさり仲直りしちゃうことってあるよね。
魔王が立ち去った後の聖堂で、天使と魔族は対峙する。
エルネストは、アスターシャの邪魔にならないように一歩下がって戦いを視界に収められる位置に付いた。その彼とアスターシャとの中間に、シグルキアスが立つ。特に打ち合わせをしていたわけでもないのに自然と最適なフォーメーションを取っていることに、エルネストは奇妙なものを感じた。
魔族と天使の共闘。
言葉にしてしまえばそれだけのことだが、内実それほど単純なものではない。
両者は二千年間ずっと…否、それよりも遥かに長い年月、争い反目し合ってきたのだ。
創世神に祝福された種族と、見放された種族。半魔族であり、比較的そういったしがらみには囚われないエルネストであっても、やはり天使族を前にしては内心穏やかではいられない。
今までは、主君の手前何もない風を装っていた。彼が天使族に対して抱いている反感は、せいぜい「こいつなんか気に喰わないな」程度のもので、主がそれらと親しくしているのであれば自分の些末な感情など平気で無視することも出来た。
主君が天使族を気に掛けることに、何も感じなかったわけではない。魔族だけを見てもらいたいという根源的な欲求は彼にも確かにある。が、そこで嫉妬めいた感情を抱くほど、エルネストは物事に執着する性格ではなかった。
だが、今は別だ。
自分たちの主に敵対するものは許されざる存在。彼らにとってはそれこそが悪。ましてやそれが、創世神の加護を受けた天使族ともあらば、彼が憎悪を押し隠す必要などどこにもなかった。
しかし、眼を転じればそこには味方となっている天使の姿が。
主はその天使のことをいけ好かない奴だ、と評しているが、同時にそれなりには頼りにしていることも伝わって来た。
天界にも、色々あるとは分かっている。一枚岩ではないことも、全ての天使族が創世神に絶対服従を誓っているわけではないということも(かつてはそうだと思い込んでいたが)。
ならば、天使族であれば敵である、という公式は成り立たない。
今まで彼らが天使族に抱く印象はただ一つだった。
天使族は敵、憎むべき相手。それ以外の何物でもなく、それゆえに対応もただ一つ。
天使は殺せ。
それが、魔族たちの共通認識。
だがその考え方も今や見直さなければならない時機にきているのだと、エルネストはシグルキアスの背中を見ながらそう思ったのだった。
「我が名はアスターシャ=レン。魔王陛下の忠実な下僕であり剣。名を聞かせてもらおうか、天使族の戦士よ」
律儀なアスターシャの名乗りに、ジオラディアは一瞬戸惑いを見せた。しかし、
「本来ならば魔族に名乗る名など持ち合わせてはおりませんが……いいでしょう、私はジオラディアと申します。偉大なる創造主にして地母神である御神エルリアーシェに忠誠を誓う者。貴女とはこれきりだと思いますが、どうぞよしなに」
魔族に礼儀を説かれるのが嫌だったのか、渋々ながら、そして嫌味を忘れないが、一応は名乗り返す。が、その後の両者の雰囲気から、エルネストとシグルキアスは完全放置であるらしかった。
「随分とつれないことを…と言いたいところだが、同感だ。手早く終わらせるとしようか」
「…非常に遺憾ですが、同意致します」
ニヤリと不敵に笑うアスターシャと不機嫌そうに顔を顰めたジオラディアが、同時に身構える。両者の間に吹き荒れる闘気交じりの霊素に、気圧されたシグルキアスは一歩だけ後ずさった。
「では、ゆくぞ」
最初に動いたのはアスターシャ。僅かに身を沈めたかと思うと、一瞬で間合いを詰める。舞を思わせる軽やかな踏み切りであるに関わらず、その突撃は苛烈。棒立ちになるジオラディアめがけ、刃を鞘走らせその胴を薙ぐ。
ここまでで、瞬き一回ほどの時間。後ろにいるエルネストは、最初の踏み切りしか分からなかった。アスターシャの一閃があまりに速すぎて、視覚はもとより脳内の処理も追いつかなかったのだ。
そのために、
「…………!?」
その後の状況も、理解出来なかった。
顔色を変えたのは、攻撃を仕掛けたはずのアスターシャだった。何事もなく佇むジオラディアの姿に、眼を見開く。彼女にすら、何が起こったのか理解出来なかった。
アスターシャの剣は、空を切っていた。
確かにジオラディアを捉えたはずの攻撃が、完全に外れていたのだ。
ジオラディアに、躱した様子はない。傍目には、アスターシャが狙いを外したとしか思えない光景だったが、魔界一の剣豪である彼女がそのような無様な失敗をするはずがない。
驚愕に動きを止めたアスターシャに、ジオラディアは右手を掲げた。攻撃の兆しを感じたアスターシャは、反射的にその場を飛び退く。
間髪を入れず、彼女が立っていた場所に光の刃が降り注いだ。一つ一つは小さく攻撃範囲も非常に狭いが、それが武王をも傷つけることが出来る高位術式であることは確か。
「おや、躱されてしまいましたか」
アスターシャにダメージはない。が、互いに攻撃を外した立場は同じなれど、その内心には大きな差があった。
「貴様……何をした?」
アスターシャには、何故自分の攻撃が外れたのかが分からない。正体不明の能力に、その警戒が最大限に膨れ上がる。
ジオラディアは、三対一という状況に関わらず余裕の表情だった。創世神の加護を受けた神殿、創世神の加護を受けた自分。例え相手が魔王の側近だからとて、彼に自分の敗北は想像出来なかった。
「さて、何でしょうか。お分かりになりませんか?」
挑発するように微笑むジオラディアに、アスターシャの温度が急上昇した。普段は冷静沈着に見える…そして周囲にもそう思われている…彼女ではあるが、実のところ攻撃スタイルと似たり寄ったりの苛烈な性質を持っている。
「閣下、挑発に乗ってはいけません。まずは相手の能力を……」
一方、いつものらりくらりのひねもすのたりで激昂とは無縁のエルネストは、咄嗟にアスターシャを止めようとする。が、聞こえなかったのか無視したのか、アスターシャはその声に構わず再び攻撃。
激していても流石は武王、先ほどと同じような一直線の攻撃ではなく、フェイントを加えてジオラディアに迫る。その動きにジオラディアはついていけず、無防備になった背中にアスターシャは剣を振るった。
「…無駄ですよ」
アスターシャの剣と同時に、ジオラディアが振り向きざまに光刃を放つ。速度的にも、タイミング的にも、相討ちになるはずの両者の刃。
……しかし。
流れた血は、アスターシャのものだけだった。
「………何が起こった……?」
血の流れる肩口を抑えながら、茫然と呟くアスターシャ。またしても彼女の刃は、ジオラディアには届かなかった。
エルネストが駆け寄り、アスターシャの傷を癒す。一瞬のうちに出血が止まり、傷口が塞がった。
「かたじけない、エルネスト殿」
「…いえ。……閣下、おそらく相手は何がしかの“権能”を行使しているものかと」
エルネストに、二人の攻防はほとんど見えていない。だが、アスターシャの剣戟をこうもあっさりと無効化してしまうとすれば、それは職能や天恵、術式を超えた超常の力だとしか思えない。
創世神の消失と共に失われ、そしてその復活と共に甦った天使たちの“権能”。四皇天使であり創世神の側近である地天使ならば、当然のごとく付与されているはず。
「正解です……と言っても、簡単すぎましたか?」
言い当てられても、ジオラディアは平然としている。力の正体が知られたからと言って、それで攻略されてしまうような類の力ではないからだ。
「まぁ、正解した褒美にもう少し教えて差し上げましょう。私が慈悲深き御神に賜りし超常の力…その性質は、「流転」。本来は移りゆく世界に生命たちが順応するために授けられた奇蹟ですが、副次的にこのような使い方も出来るのですよ。敵の攻撃から逃れることなど、造作もありません」
“権能”……理への干渉権限。創世神或いは魔王が臣下に付与するその超常の力は、職能や天恵、術式とは大きく異なる。それは言わば、神の奇蹟の代行。理に直接働きかけるため、防御、回避は不可能。
しかし、特別とも言える“権能”ではあるが、その性質ゆえの欠点がある。
それは、所有者と行使対象の存在値に大きく左右される、ということ。
自分よりも存在値の勝った者であれば、その力が具現することはない。拮抗する者ならば、その効果は限定的。
だが、自分自身を「流転」させれば、攻撃を躱すことはそれこそ造作もない。
「……なるほど、「流転」…か。面白い力だ。そちらが早速手の内を披露してくれたのならば、こちらもそれに応えねばならないな」
部屋の温度が変わった、とエルネストは思った。アスターシャを中心に、冷気のようなものがじわじわと部屋を侵食していく。
「……参る」
短く宣言し、アスターシャもまた己の“権能”を解き放った。




