第三百七十四話 そもそも正義とか誰基準なんだよって話。
絶対的な正義なんてものは存在しないと、俺は思っている。
正義ってやつは言うなれば騙し絵みたいなもんで、見る角度によってコロコロとその姿を変える。
文明によって、文化・風習によって、立ち位置によって、簡単に覆ってしまうそれに、絶対とか普遍だなんて形容詞を付けるべきではないのだ。
追い求めるのは構わない。個人の自由だから勝手にしてくれという感じだ。それが自分の利になることなら応援するし、害になることなら阻止しようとはするけれども。
結局のところ、価値観の問題なのだと思う。価値観の数だけ、正義がある。
例えば。
己が身を削って人々に尽くす聖人がいるとしよう。その聖人は、自らの全財産を、百人の貧しい人々に分け与えた。聖人は全てを失ったが、百人の人々は救われた。聖人の行いにより損害を被る者は誰もいなかった。
かたや、商才に長けた資産家がいるとする。資産家は自分の富を育てることに余念がなく、市場原理により資産家が儲けた分だけ何処かの誰かは損をした。資産家は他者を蹴落として得た金で肥え太った。しかし、彼が生み出した雇用により千人の人々が救われた。
この二人の行いのうち、どちらを正義と呼ぶべきか。
敵を作らず他者を害さず、清貧を貫き百人の人々を救った聖人か、或いは敵が多く他者を出し抜いて私財を殖やし、一方で千人の人々を継続的に救う資産家か。
誰も傷つけず救うことしかしなかった聖人の方だ、という人も多いだろう。
だが、他者を傷つけもしたがその十倍の人々を救い、しかも一時的なものでなく継続して救い続ける資産家の方が結果的に正しい、という人だっているだろう。
それを論じる者が何を重んじているか、何に価値を置いているかによってそれは変わる。
だから俺は、絶対的な正義なんて存在しないし、するべきではないと思っている。
だが、どうやらアルシェは違うようだ。
彼女が目指しているのは要するに、正義が一つしかない世界。絶対で普遍の正義が存在する世界。全ての意思が、唯一の価値観を共有する世界。
当然その基準は、創世神。
ウルヴァルドから色々と話を聞いて、疑問に感じたのだ。彼女が何を基準に、魂の選別とやらを行っているのか。
最初は、単純に富の寡多なのかと思った。だって、ウルヴァルドが「富める者はそれだけの理由で」とか言ってたし、金持ちはみんな粛清対象なのかと。
けど、その後も詳しく聞いていたら、気付いた。確かに粛清された者はその理由として、「私欲に走った」とか「罪を犯した」とかが挙げられたようだけど、粛清されなかった貴族もいるらしい。
どうやら、財力は理由にはなるが基準ではないようだ。
「汚れた同胞に裁きを下すという行為も、魂の選別のために必要なことらしい」
と、ウルヴァルドは言っていた。
カルト宗教でも良く見られる理屈である。選ばれた「高潔」な人々はさらに、同胞の罪を裁くことで新世界へと上昇する資格を得る、と。
では逆に、粛清対象ではない……資格を得られた者とは、一体どんな連中でどんな基準で選ばれるのか。
それは結局、創世神が導く新たな世界に全面的に賛同し、順応しようとする意志を持つかどうか。
「そう言や、風天使は?ジオラディアはアル…創世神に付いたって話だけど、グリューファスはどうしたんだ?」
前回のゴタゴタの後、天界を牽引する大役は地天使と風天使に任された。共に、中央殿の腐敗に対し異を唱えた最高位天使であれば、ジオラディアが創世神の側近として召し抱えられたんだから、グリューファスだって似たような立場なんじゃなかろうか。
それに、あの石頭なら、盲目的に創世神に従っても不思議ではない。
「グリューファス様は、現在消息不明だ」
……へ?消息不明って……風天使まで行方不明なのかよ。
ということは……もしかして、グリューファスは…………
「あの方は、御神の描かれる未来に疑問を持っていらっしゃった。我らは元々、グリューファス様に導かれ追手から逃れていたのだが………」
ウルヴァルドの言い方からすると、やっぱりグリューファスはこっち側なのか。
ちょっと…いや、かなり意外だ。
だってグリューファスってば、以前に俺とやりあったとき、悪しき魔王と魔族を滅ぼせるなら犠牲も致し方ない、みたいなこと言ってたじゃん。
崇高な理念を実現するためならば犠牲は厭わないって言うなら、今回のアルシェの計画にも大賛成だったんじゃないの?
それとも、何か心境の変化でもあったとか……?
何はともあれ、天界は予想以上にぐちゃぐちゃな状況だ。アルシェの奴、自分のお膝元だってことでかなり無茶しやがったな。
だが、彼女の手がいずれ地上界、そして魔界にも伸びるのは確実だろう。全てを破壊し尽くして、全てを殺し尽くして、気に入った魂だけを引き連れて次の段階へと昇る。
……それは困る。正しいとか間違ってるとかそういう話ではなく、俺としては困る。
「それで、リュート殿……と、呼んでも構わぬか?」
「ん?あ、ああ。呼び方は好きにしてくれ。魔王でもリュウトでも、間違いはないから」
考え込んでると、ウルヴァルドが探るように声を掛けて来た。心なしか、険悪な空気は和らいでいる。だがその一方で、どこか苦渋に満ちたような、割り切れない思いを抱えているような、そんな様子が見られた。
「…分かった。それではリュート殿。貴殿は言っていたな、御神とは正反対の方を向いていると」
…ああ、そうか。そうだよな。
まっすぐに俺を見詰めるウルヴァルドの瞳に、葛藤と希望の両方を見て取った俺は気付く。
創世神は彼らにとって、唯一絶対の神であるはずだった。その創世神に盾突いたとなれば、彼らは言わば逆賊。精神的にも物理的にも寄る辺を失い、絶望に暮れていた彼ら「選ばれなかった者」たち。
そんな彼らの前に、創世神と対を成す魔王が現れて、しかもその立ち位置は自分たちに近いとあれば。
相手は魔王、従うどころか肯定することすら許されざる大罪だと彼らは考えてきた。だが、おそらく自分たちが助かる為の唯一の手段でもある。
そんな相反する思いが、ウルヴァルドの双眸に隠れていた。
「創世神は、新たな世界を…正しく言えば、新たな世界のための理を構築しようとしている。それは則ち、旧世界の滅亡を意味するわけだけど、俺は今の世界が結構気に入ってるから、それには賛同出来ない。……ってことは創世神にも言ったんだけどさ」
だから俺は、彼を安心させるために自分の立ち位置を、目的を、話す。
「創世神が強引に目的を果たそうとするなら、俺は対抗するつもりだ。魔界と、ありがたいことに地上界の一部も俺に追従してくれてる」
言外に、賛同してくれるなら種族は問わず受け容れることもきちんと付け加えて。
「全面戦争は極力避けたいが、そんなこと言ってられなくなるようなら、腹を括るつもりでもある。とりあえず今は、創世神の器にされちまってるアルセリアを取り戻すのが俺にとっての最優先だ」
アルセリアのことは三人とも知っているはずなのに、皆キョトンとした顔をしている。一瞬あれっ?と思い、それからすぐに気が付いた。
「えっと、アルセリアって、アルシーのことな。あいつの本名、アルセリア=セルデンっていうんだ」
考えたら、あいつ半分偽名みたいな感じで天界では愛称で通してたんだった。
「アルシーさんが、御神の…器!?」
「それは一体、どういうことなのですか!?」
それを聞いたミシェイラとシグルキアスが、続けて疑問を口にした。二人とも、狼狽っぷりが半端ない。
ミシェイラはアルセリアのことを好意的に思っていたらしいし、シグルキアスに関しては……まあ、いいや。
いや、良くはないけど。
俺は、アルシェから聞いた神託の勇者に関する真相を、話した。アルセリアが、創世神のために用意された器であることを。
「そんな……それじゃ、アルシーさんは、もう……?」
「そそそそそそんな!私はまだ、彼女に返事を聞いていないんですよ!?」
安心してくれミシェイラ。きっとあいつはまだ無事だ。今は創世神の意思に押し込められて表に出てこれないだけで、肉体の中で助けを待ってるに違いない。
根拠はないが、俺はそう確信している。あの勇者アルセリア=セルデンが、あの頑固な自我の塊が、こんなことであっさり消えてしまうはずがない。
あとシグルキアス、返事なんて待っても無駄だから。
「いや、あいつはきっと大丈夫だ。けど、グズグズしていられないから、俺はあいつを助けに行こうと思う」
「ふむ、器である彼女が肉体の支配権を取り戻せば、御神の計画も阻止出来るということだろうか?」
ウルヴァルドは察しがいい。俺は彼に頷いてみせた。
「少なくとも、世界に対し直接力を振るうことは出来なくなる」
「だだだだだだったら、早く行きましょう!すぐ行きましょう!今行きましょう!」
「落ち着けって」
冷静なウルヴァルドに対し、シグルキアスは鼻息荒く俺に迫ってくる。さっきまで話についてこれなくてまごまごしてたのに、今や勇ましい戦士の顔つきだ。
「ああ、なんて不憫なアルシー!闇の中で孤独と絶望に震える君の姿を思い浮かべるだけで身が張り裂けそうだ!待っていてくれ、すぐにこのシグルキアス=ウェイルードが君を光の下へ連れ出してみせる……!」
……………アルセリアの性格からして孤独と絶望に震えるってのが全然想像出来なかったりするのだが、何はともあれこの男、少し黙らせておいた方が良さそうだ。
俺が正義だ!……とか、一度でいいから言ってみたい。




