第三十六話 先住猫は、嫉妬する。
ルガイア=マウレに俺を殺す意図はないことくらい、分かっていた。
いや、殺せるものならそうしていたのかもしれないが、それは絶対に不可能だと彼は理解していたのだ。
なら、どうして彼は俺に刃を向けるのか。
結局のところは、誇り…というものなんだろう。と言っても、名門の、とか盟主としての、とかそういう仰々しいものではなくて、全てを失った男に、多分たった一つ残されたもの。
それを守り、貫くためにはこうするしかない、ということ。
そもそも彼は、何を望んでいたんだろう。
弟との邂逅か、地上界征服か、一族の繁栄か、はたまた魔界の支配?
そのどれにしても彼の行動は不完全で詰めが甘くて、不自然だ。
自分でも、よく分かってなかったんじゃないかな。
俺も他人のこと言えないけど、案外自分が一番求めているものって、自分じゃ見えないものなんだよな。
俺はそんなことをつらつらと考えながら、武器を…おそらく彼は魔導士系か…掲げるルガイアを見ていた。
西方諸国連合だとか一族だとか、そういう重荷を背負ったままだったら、彼はこんなことはしなかったに違いない。トップである自分が魔王に刃を向けてしまえば、申し開きなど出来なくなる。一族ごと、西方諸国ごとその責を負い、滅ぼされてしまうことは必至。彼らの認識にある「冷酷無比な魔王」はそういう存在だ。
俺はそれが分かっていて、ルガイアから盟主と当主の座を取り上げた。
こうすれば、彼は一人の魔族として戦うことが出来る。後顧の憂いなく。
「…陛下、御身への無礼、お赦しください」
ルガイアの体内を巡る魔力が高まった。
彼は立て続けに、
「【氷神来葉】」
氷雪と
「【炎神紅霊滅】」
炎熱、
「【天破来戟】」
そして雷光系のそれぞれ最高位術式を放った。
ヒルダのそれとは比べ物にならない超高出力。魔力量で言えば、軽く十倍は超えている。それらは全て、廉族には使用不可能なほど難易度の高い術式であり、無詠唱でこれを連発出来る者は、魔族の中にもそうはいない。
氷と炎の温度差による極大ダメージ、そこにとどめとばかりに打ち込まれる天堕の雷。防御なしにこれをまともにくらって、無事でいられる者など、この世界に存在しない。
常識的に考えれば、の話だが。
そして、ルガイアは、自分の前にいるのが例外中の例外であると、当然分かっている。
……無駄だと分かっていて、なお死力を尽くす。そういう考え方は、嫌いじゃない。
俺は、ルガイア=マウレに対する心象を、上方修正することにした。
雷鳴がやみ、光に覆われていた視界が回復する。
眼下には、無傷で座する俺を驚愕もなく見つめるルガイアの姿。何かをやりきったような、どことなく晴れ晴れとした表情で。
彼は、けじめをつけるためここに立っている。ならば、俺もそれに応えなくてはならない。
俺は、即席でこの場に“霊脈”を引いた。
恒常的なものではない。あくまで一時的に、“星霊核”から霊素の流れる道を開いたのだ。
「………………………」
オーロラのように虹色に揺らめく霊素の奔流に、ルガイアは見惚れたように立ちすくんでいた。
「顕現せよ、其は刺し貫くもの也」
俺の言霊に霊素が応える。魔導ですらない、世界の根源を為す理から生み出された、光の刃。エフェクト的には魔導術式のような派手さはなく、むしろ地味にも見えるそれはしかし、俺と創世神以外に防ぐ術も耐えうる力も持ちえない。
「…………………………美しい…」
ぽつりとルガイアが漏らした呟きを合図に、俺はそれを解き放つ。
一条の光が、走り抜けた。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ルガイア=マウレは、死んだ。
その魂を貫かれ、肉体を焼かれ、確かに絶命した。
ならば、ここに目覚めたそれは、一体何なのか。
彼自身、我が身に起こったことが理解出来ていないのだろう。ただ茫然と、傷一つない自分の体と眼前の俺を交互に見比べるばかり。
「陛下……これは、一体…?」
それでも、それが俺の仕業だということくらいは察しているのか、説明を求める視線を送ってくる。
「ルガイアよ、貴様は一度死んだ。今の貴様は、朽ちた魂に我が再び霊素を注いだことにより新たに誕生した生命である」
そう。それは、再生でも復活でもない、新たな誕生。
「何故…私を……?」
彼の疑問は尤もだ。今までも、俺は自分に反旗を翻した魔族たちを粛清してきた。それは、二千年前だけのことではない。
結局のところは、俺の気まぐれ。我儘と言ってもいい。肉親のために道を誤った彼に、多分俺は同情しただけなのだ。
家族に会いたいという想い。
桜庭柳人には、それが痛いほどよく分かるから。
「貴様は、何かと使い勝手がよさそうだからな。我に背いた罪、これから償ってもらうこととしよう」
ルガイアは、俺のその説明だけではまだ納得出来ていないようで。
「ならば何故……精神、思考まで書き換えてしまわれれば良かったのでは?」
そう、俺は再び命を得た魂に、彼の記憶、自我をそのままそっくり転写した。結果生まれたのは、以前と何一つ変わらないルガイア=マウレその人。
生かして道具とするならば、絶対の忠誠を誓うよう精神を支配してしまえばいいのに、とルガイアが考えるのも至極当然。
ただし、唯一つ以前のルガイアと異なる点がある。それは、
「わざわざそのようなことをする必要もないのでな。ルガイアよ、貴様は我がこの手で生み出した初めての存在である。創世神エルリアーシェの構築した理の上に、対を為す我が作り出した者。その存在は極めて歪で、不安定。…我が消えることあらば、貴様もまたその存在を保てなくなり、消滅する。貴様が我を否定したときも、また然り」
世界にとって異質なもの。それが、今のルガイア=マウレ。
彼が俺に背いたとき、彼は消滅する。
たとえ俺にどんな感情を抱いていたとしても、俺は一向に構わない。殺意だろうが憎悪だろうが、たとえ侮蔑であろうが、彼の感情は彼の自由であるべきだ。
だが、それを実行に移すことは決して許されない。彼は、俺に敵意を抱きながらも忠誠を誓わされることになる。
己の意思と、行動の乖離。望むままに行動することを許されない、心の牢獄。
それが、彼への罰。
少しはショックを受けるかな、と思って告げたのだが………どうも、そうでもなさそうだ。なんか安堵したような表情をしたぞ。
え?なに、こいつМの人?
今までの態度からして、俺のこと嫌いなんだろうなーと思ってしたことなんだけど。嫌がらないなら、罰にならないじゃないか。
なんとなく、面白くない。だが、今さらこの流れをなかったことにも出来ない。ぶれぶれの魔王なんて示しがつかないことこの上ない。
もうちょっと嫌がらせしとけばよかった。何せ、このあと俺は、こいつをもっと喜ばせてしまうことをする予定なのだから。
……まあ、仕方ないよね。償いは、これからの働きできっちりしてもらうことにしよう。
見てろよ、徹底的にこき使ってやるからな。
俺は、ルガイアの想定外の反応を見なかったフリして続ける。
「…まあ、そう悲観するな。貴様と同じ境遇の者がもう一人いる。せいぜいそやつと傷を舐め合い、我に尽くす駒となれ」
ルガイアと同じ境遇の者。程度こそ違うが、同じように俺の力により存在を繋ぎ止めた者。彼もまた、俺の影響を色濃く受け、エルリアーシェの理の上にありながら、俺に依存して生きることになってしまった。
「……あの者を、ここへ」
俺は、控えていたギーヴレイに命じた。
…因みに、ギーヴレイは俺がルガイアを再構築したあたりから、ものすごく微妙な表情をしている。
合図を受けたギーヴレイが、一人の男をルガイアの元へと連れてきた。
とりたてて特徴のない、柔和な顔立ち。痩せた体躯。ぱっと見、特別なもののあるようには見えない。
ルガイアは一瞬だけ、怪訝な顔をする。見知った顔ではない。自分と何の関係があるのかと、考えたのだろう。
だが、それも一瞬。彼は、すぐにそれに気づいた。
「エル…ネスト……なのか…?」
「……はい。…ルガイア兄さん、なのですね」
エルネストは死んだと思い込んでいたルガイアは(俺はそんなこと一言も言ってないけどね)、自分の眼が信じられないようだった。
何を言っていいのか分からない様子で、ただオロオロと弟の前で立ち竦む。
が、やがて。
「本当に…エルネストなのだな…………ああ、間違いない、父上にそっくりだ…」
「本当ですか?私が、父上に…?」
父との結びつきを実感したことのないエルネストにとって、それは望外に嬉しい言葉なんだろう。
「ああ…実によく似ている。その…特徴のない平凡な顔つきも」
「…え?」
「開いてるのか瞑っているのか分からない糸のような眼も」
「…ちょっと、兄さん……?」
「締まりのない口元も、覇気のない面差しも」
「……………僕、喜んでいいんですか?」
好き放題言われているエルネストだが、兄が泣きながら言うものだからどう反応していいのやら考えあぐねている。
うん、やっぱ兄弟っていいものだな。
「さて、感動の再会…いや、出会い…なのか…のところ悪いが、話を先に進めてもよいか?」
俺が口を挟むと、兄弟は弾かれたようにこちらへ向き直り、跪いた。
ルガイアからは、今まで俺に抱いていた不敬や疑念が綺麗さっぱり消えていた。誰に強制されることもなく、彼は自分に忠実に言葉を紡ぐ。
「陛下、この度の我が愚行に対し、このようなご温情、生涯忘れることはございません。このルガイア=マウレ、陛下に永劫の忠誠を…」
「その前に、言っておくことがある」
俺はルガイアの言葉を遮って、重要事項を一つ。いや、二つ。
「マウレ一族は取り潰しとなる。また、西方諸国連合は解体、再構築の上、我の直属の配下を盟主に据えることとする」
「…え?」
「なんだ?まさかこのままお咎めなし、というつもりだったわけではなかろうな?」
「い、いえ…そんなことは……しかし、先ほど私から当主、盟主の座を剥奪したのは何のためで…」
「双方とも滅ぼされなかっただけでも有難く思え」
「はっ!有難き幸せ!」
…………まあ、実を言うとそのつもりだった。今回の件はほぼルガイアの独走であり、一族や西方諸国連合は関与してなさそうだったから。
だけどさあ。なんかこれじゃルガイア・エルネスト兄弟に都合の良すぎる結末じゃないか。
ここは一つ、主としてのけじめを付けてもらわなくては。
ま、取り潰しといっても一族郎党皆殺しってわけでもないし、もともと古くからある名家だ。なんだかんだ言って存続していくだろう。西方諸国に関しても、建前上は解体・再構築だが、実際には盟主が変わるだけの話。割を食うのはマウレ一族だが、それはそれ、そもそもの元凶がエルネ=マウレ及びフォンセ=マウレなのだから承服してもらおう。
「貴様ら兄弟の身柄は、ギーヴレイの預かりとする。…よいな、ギーヴレイ」
「かしこまりました。このギーヴレイ、全身全霊をもって彼らを教育いたします」
……ん?なんか、「全身全霊をもって」のあたりがやけに強調されてなかった?
てか、ギーヴレイさん……
「ギーヴレイよ、何か腹を立ててはいないか…?」
「滅相もございません。私が御身に腹を立てるなど、世界が崩壊したとしてもあり得ません」
そうは言うけど、やっぱりなんか怒ってるっぽいよ?
「ならば、あやつら…か?」
「そんなまさか。彼らは勿体なくも御身自らがその手でお創りあそばした、この世界で他にはいない特別な存在。私如きが彼らに嫉妬するなど、決してございません」
いやいやいやいや、言ってるよ。言っちゃってるよ。嫉妬してるって、言っちゃってるよ。
…ギーヴレイからしたら、羨ましいんだろうな。この俺が、初めて自ら生み出した存在。魔王至上主義の彼にとっては、正に特別な存在。自分ではなく、他の者が……。
あ、まずい。下手すると、自分も一回殺して創り直してほしいとか言い出しそう。
「ギーヴレイ」
「…は」
「勘違いするな。誰の手によって生み出されたかなどに関わらず、我が最も信を置けるのは、貴様をおいて他にないと知れ」
要するに、お前が一番だから安心しなさい、ということ。まるで子猫を引き取ったら不貞腐れた先住猫へ、ご機嫌取りをしているみたいだ。
「…勿体ないお言葉にございます!」
…………ギーヴレイの機嫌も直ったことだし、まあいいか。
「ルガイア=マウレ、エルネスト=レーヴェ…こちらへ」
意気揚々と新入りを先導するギーヴレイ。
と、ギーヴレイに連れられて退出する直前、ずっと様子を伺っていたエルネストが、
「あの…すみません。実は地上界で意識を失ったあと気付いたらこの状況だったのですが」
これは言ってもいいのだろうか、というような表情で俺に向かい、
「……リュートさん…ですよね?一体、どういうことなのでしょうか?」
目を丸くしているギーヴレイとルガイアに、事の顛末を一から説明するのは骨の折れることだった。
ちなみに私は犬派です。が、猫も捨てがたい…!




