第三百七十二話 気まずい再会
俺たちのいる一帯を、突然ツンドラ状態へと変化させたのは、名前は知らないがおそらく特位レベルの、氷雪系術式だった。
威力で言えばルガイアの【氷神来葉】に比べるべくもないが(あっちは超位だし)、効果範囲は桁違いに広い。
俺が連れて来た300程の部隊を、一度に全滅させてしまおうと思ったのだろう。
確かに、特位術式であれば、魔界の正規軍…しかも武王直属軍に属する兵であっても、無傷でいられる者は多くない。
だから被害が出ないように防壁を張ってやろうと思ったのだが、それには及ばなかったようだ。
襲撃者の姿は見えない。木々の向こうから攻撃を仕掛けてきたのだろう。だが、誰一人傷一つ負っていない武装集団(俺たちのことね)の姿に、遠くからでもそいつが狼狽える気配が伝わって来た。
俺が動くよりも速く、部隊全員を冷気と暴風から守ったのは、アスターシャのお気に入りの一人である。名前は確か……えっと、ジーク……ジークフリートだっけ?ジークハルトだっけ?なんか、ジークなんとかだと思った(酷い主だ)。
もともとアスターシャお気に入りだけあって能力はずば抜けている奴ではあるが、俺の加護も相まって随分と見事な魔導障壁を構築してみせた。
「見事だ」
「勿体ないお言葉にございます」
俺の言葉に、ジークなんとかは恐縮しきりで跪いた。確かこいつ、千騎長クラスの幹部だと思うんだけど、やっぱり武王以外は俺に対して委縮しすぎるきらいがある。
…なお、ほんとは名前を呼んで労ってやるべきなんだけど、間違えたら気まず過ぎるので申し訳ないが省略させていただいた。
……さて。
襲撃者さんは、一体どこのどなたでどんなつもりなのかな?
って、そりゃ武装した魔族を見れば攻撃しない天使はいないよね。逆の立場でも、魔界に武装した天使が来てたら俺だって攻撃するわ。
……けど、俺たちの動きに気付いて迎撃してきたアルシェの手先…って感じじゃないんだよなー。もしそうなら、それなりの軍勢でぶつかってくるはず。
けど、木々に隠れている気配は一つだ。奇襲を仕掛けてきたことからも分かるように、彼我の戦力差は歴然。
「……陛下!?」
ジーク某が、一人でさっさと歩きだした俺を見て慌てた声を上げた。俺は彼(と後ろの部隊全員)に軽く手を上げて制すると、そのまま一人でスタスタと歩を進める。
……しれっとエルネストがくっついてきたが、まぁいいだろう。こいつのこの程度の勝手は既に諦めた。
歩きながら、なおもその場を動かないと見える襲撃者に向かって、俺は語りかける。
「挨拶も無しとは、随分と品の無い真似をするものだな。せめて名乗りくらいはしたらどうだ?」
その襲撃者、奇襲が通用しなかったんだから、さらに自分の居場所もバレてるんだから、さっさと逃げればいいものの、何故かグズグズと留まっている。
何か、企んでいるのだろうか。
もしくは、逃げるわけにはいかない理由でも……?
俺とエルネストはやがて、先ほどの氷雪系術式の効果が及んでいないエリアまで来た。鬱蒼とした森の光景が目の前に広がっている。
そして、襲撃者との距離もあと僅か。
このままだんまりを決め込むのなら、強引に引き摺り出してやろう。そう思ったところで。
大木の陰から、人影が姿を現した。覚悟を決めたか観念したか、ゆっくりと進み出て、俺たちの前にその容貌を晒す。
………って。
「悪しき者共よ、天界の混乱に乗じて攻め込んでくるとは、卑怯だとは思わないのか?」
静かに、強い眼差しで問いかけてくる青年天使。
「確かに我らは主の加護を失った身。しかし、だからと言って絶望に身を委ねるつもりはないのだよ。中央殿であろうと、貴様ら魔族であろうと、我らがただ無抵抗に無様を晒すとは、思わないでもらおうか!」
霊力を練り上げ、再び攻撃に移る天使。呆気に取られた俺が声をかけるよりも早く、
「【風精剣舞】!!」
風系術式をぶっ放した。
範囲は、さっきのやつより狭い。レベルは同じく特位。眼には見えない真空の刃が踊り狂い、俺たちを切り刻もうと迫りくる。の、だが。
俺が軽く手で払うと、その風の刃はあっさりと霧散した。別に特位術式くらい、まともに食らってもダメージはないんだけどさ、エルネストはそうもいかないだろうしね。
と言っても即死はしないだろうし超回復の持ち主だから少しくらい痛い思いしてもらってもいいんだけど、俺はそこまで非道な主じゃない。
……って、だからそれどころじゃなくて。
「………く……やはりこれも効かないのか……!」
歯軋りする天使を前に、俺はものすごく困っていた。
何に困っていたかと言うと、どう対応すればいいかに困ってた。
さらに具体的に言うと、相手に何て説明すればいいのか、困ってた。
で、俺を茶化したり揶揄ったりするために全身全霊をかけてしまう忠臣の中の忠臣であるところのエルネスト=マウレが、そんな場面を見逃すはずもなかった。
「陛下、ここは私にお任せくださいますか?」
任せるも何も、ここで戦闘行為を俺が許可するはずないと分かってて、尋ねたのだ。
それもこれも、相手に「陛下」という単語を聞かせるためだけに。
「へ……陛下……だと?」
ほーら、食いついちゃったじゃん。そりゃそうだ。ここで華麗なスルーを決められても、それはそれで悲しい。
エルネストは、相変わらず人を食ったような笑顔で、
「光栄に思うことですね、青年。一介の天使が魔王陛下に拝謁叶うことなど、本来は決してありえないことなのですから」
……きっちり、情報を確定させやがる。
「そ……そんな…………なぜ魔王自らが………」
愕然としてその場に崩れ落ちる青年天使。
俺は、彼の名を知っている。名前だけじゃなくて、住んでるところとか、好きなお茶の銘柄とか、好みの女性のタイプまでも。
だから、困っているのだ。
彼…シグルキアス=ウェイルードに、どう説明すればいいのか。非常に、気まずい。
…と言っても……シグルキアスの奴、俺がかつての自分の執事(短期だけど)ってことに、気付いてなさそう……?
因みに、魔王時と人間時では、俺の外見に大きな差はない。肉体のベースは同じなので、外見年齢が違うだけなのだ。
勿論、その他にも放出してる神力の量が桁違いだったりするから、そこも差と考えられなくもないが、単純な見た目に関してはそれだけ。
人間基準で言えば、リュウト=サクラバは生前?と同じ十代後半、ヴェルギリウスは二十代後半ってところ。あ、髪の長さも違うけど。
だから、よーく見れば気付くと思うんだけど、シグルキアスにそんな余裕はなさそう。
……このまま、知らんぷりで進めちゃおうかなー……。
なんて思ったのだが……
「シグルキアスさま、どうかなさったのですか!?」
慌てたような、聞き覚えのある声。あ、と思ったときには、もう一つの人影…シグルキアスよりも小柄な…が俺の前に飛び出してきた。
その人影……若い少女…は、おそらく先ほどの氷雪系術式の音か何かに驚いて、シグルキアスの様子を見に来たように思われた。
そして彼女は、目の前にいる俺たち……武装した魔族の群れにしか見えない集団……に気付き、その愛らしい顔に緊張の表情を走らせる。
そしてその直後、俺と彼女の目が合った。彼女の……ミシェイラ=ローデンの瞳が、俺をまっすぐに捉える。
「………………え……?」
俺を見るなり目を丸くして硬直したことから、彼女は気付いたのだと分かる。
何に気付いたってそりゃあ……俺の、正体に。
うっわ……めっちゃ気まずい。これ、どうしたらいい?
誤魔化すかシラを切るか黙殺するか説明するか。どれが正解なのか決めかねていると、
「ミシェイラ!外に出るなとあれだけ…………」
続いて三人目、登場。娘の身を案じている様子がありありの、ウルヴァルドパパである。
「………あ」
「………む」
「………え」
やっばーい。ウルヴァルドも気付いたっぽいよ?
けど、今の俺は明らかに彼らの知るリュウト=サクラバとは違ってるわけで…
誤魔化すか?他人の空似で、誤魔化すか!?
面倒くさいから初対面の体で話を進めようと思った矢先。
「あの………リュート…さま……ですよね?なんで、こんなところに……それにその姿は………?」
俺がリュウト=サクラバであると疑いさえもしていないミシェイラの問いかけが、俺の出鼻をきっちりと挫いてくれたのだった。




