第三百六十五話 考えてみれば神話級の戦争ってほとんど痴話喧嘩から発生してたりしないだろうか。
あの日、マリス神殿で、俺は確かにアルシェに会った。
アルシェ……創世神エルリアーシェ。俺の片割れ。
同格にして対極。俺が唯一、本当に心を許すことの出来る…はずだった、存在。
抱きついてきたアルシェは、懐かしい笑顔を俺に見せた。
「ああ、もうどうなるかと思ってしまいました!」
「……え、ええ?ちょ………アルシェ!?」
アルセリアの姿で満面の笑みなのも戸惑うが、それよりも気になるのは彼女の言葉。
「一体、何がどうなって……」
「ふふ、実はですね」
アルシェは、とっておきの秘密を教えるような、得意げな表情で。
「随分と、仕込みには時間がかかったんですよ」
………仕込み……?
「私の欠片と、それと一緒に散らばってしまった残留思念を繋ぎ合わせて、もう一度私自身を再構築してしまおうっていう試みです!色々と託宣も残して、器まで用意したっていうのに、誰かさんがあんまりにお寝坊なので、計画がおじゃんになってしまうかと心配しちゃいましたけど」
言いながら、俺の頬をツンツンとつつくアルシェ。その表情にも声にも、邪気はない。昔と変わらない、懐かしい彼女のまま、茶目っ気たっぷりに笑っている。
「おかげで、いくつも器を無駄にしちゃいました。けど、ようやく会えたのでそれはもういいです」
アルシェは、再び俺を強く抱きしめた。
二千年ぶりの再会。それなのに、俺はどうしても喜ぶことが出来なかった。
「…器って………もしかして、アルセリアは………」
「ええ、このときのために用意したとっておきです。予定では、ヴェルは一千年ほどで目覚めると思ってたので、その頃から一定期間を経て誕生するように設定しておいたんですけどね。いい加減待たされ過ぎて、私の力も及ばなくなってくるかも…って心配し始めた頃にようやくですから、感慨もひとしおですよ」
とっておき……とっておきって…。
「最初から……お前の計画だったのか?勇者が、聖骸を集めるのも……魔王が、それを補佐するのも…」
「まっさか!そんなはずないでしょう。私が計画したのは、勇者に聖骸を集めさせるところまでですよ。いくらなんでも、魔王がそれをサポートするなんてビックリです」
あっけらかんと笑うエルリアーシェだが、俺は笑えない。
「と言っても、貴方が介入するっていう想定外は、とっても助かりました。お寝坊さんのおかげで聖骸はすっかり眠ってしまうし、このままじゃ計画倒れに終わってしまうところでした」
計画………アルシェの、計画。
聖骸を集めさせて、再び地上に顕現して、彼女は………何を望む?
そしてその場合、アルセリアは…………?
「アルシェ……一体、何が望みだ?」
俺の声に、険しいものを感じ取ったのだろう。意外そうな顔をして、アルシェが俺から少しだけ身体を離した。
「何がって…決まってるじゃないですか。また貴方と遊びたいんですよ。前回は敵対しましたけど、今度は手を取り合って、新しい世界を創りませんか?」
「……………新しい……?」
アルシェは、俺の手を取り両手で包み込む。
「今度こそは、ちゃんと協力して下さいね。貴方と私とで、一緒に創るんです。そうですねぇ……次は、ガラッと雰囲気を変えてみませんか?今までの感じには、もう飽きてしまったので」
新しい、世界。俺と彼女の…………
「そうすれば、仲間外れになんてなりません。貴方も私も神として、君臨するんです」
俺を排除しない世界。彼女が、いつも傍らにいる世界。
かつてそれを望んで、叶わぬ絶望に自棄を起こして戦までやらかしてしまった…世界。
「きっと、とても楽しく素敵な世界になると思いませんか?」
そうしたら……どうなるんだろうか。
新しい世界で一から始めて、今度は俺もちゃんと世界創造に携わって、多くの生命を導いて、それらに愛されて、受け容れられて………
そして傍らには、いつも彼女がいて。
……そして……そして。
その世界には、あいつらがいない。
アルセリア、ビビ、ヒルダの、危なっかしくて放っておけないポンコツ勇者一行。
俺に人の脆さと強さを教えてくれた、キア。
腹黒いけど頼りになるグリードや、いけ好かないが憎めないヴィンセントたち七翼の面々。
食い意地の張った天空竜に、暴走超特急の姫巫女。
ミシェイラや、ウルヴァルド、一応はシグルキアスも。
他にも沢山。今まで出会った人たち。
それに何より………魔界の、俺の家族たち。
世界から爪はじきにされた俺を受け容れて、頼ってくれた連中。誰よりも俺を信じ俺に付き従ってくれるギーヴレイ、頼りになるルクレティウス、俺の気まぐれを微笑ましく見守ってくれるアスターシャ、悪戯好きだけど時折甘えん坊なディアルディオ、新参だけどすっかり頼れるイオニセス、俺のせいで運命を大きく狂わされてしまった、ルガイアとエルネスト。
新しく世界を創るということは、古いこの世界を壊してしまうということ。世界の再構築とは、破壊と創造の一連の流れを言う。
それは……そんな世界には、何の意味もない。
それじゃダメなんだ。俺が望むのは、そんな世界じゃない。
「……悪い、それには、協力出来ない……したくない」
「…ヴェル?」
アルシェには、俺の言葉が心底意外だったのだろう。
かつての俺は、まさしくそれを理由に天地大戦を引き起こしたのだから。
認めてほしくて。
受け容れてもらいたくて。
一人だけ遊びに誘ってもらえなかった幼子が癇癪を起こすが如く。
だから彼女は、俺に手を差し伸べたつもりだったのだ。
今度は一緒に遊ぼう、と言ってくれたのだ。
……だけど。
「俺は、今のこの世界が気に入ってる。好きな奴らが沢山いる。それを壊すのは嫌だ。だから……もうしばらくは、このままがいい」
「……………ヴェル……」
それに、このまま彼女の手を取ってしまったら。
「……なぁ、アルシェ。そいつ…アルセリアを、返してくれないか?」
「………………え?」
ますます意外そうに、眼を見開くアルシェ。
「何を言い出すんですか?これは、私が自分のために用意した器ですよ?そりゃ、保全のために精神や自我も備え付けてありますけど、そんなの私が目覚めたのだから無用の長物じゃありませんか」
「無用じゃない!」
叫ぶつもりはなかった。が、自分でも予想していた以上に強い調子になって、俺は失いつつあるものの価値を知る。
「あいつは、ポンコツで、単細胞で、我儘で頑固で真っ直ぐな、俺の、大切な仲間だ。俺は、あいつの…勇者の補佐役だから、あいつを支えなきゃいけないし、助けなくちゃいけない」
「……ヴェル、何を言って…………」
「あいつだけじゃない。今の世界を壊すのは嫌だ。新しい世界なんかいらない。そんなの俺は、欲しくない!」
叫ぶつもりはなかったのだが、やはり俺は叫んでいた。
だって、アルシェが、この世界をどうでもいいものみたいに言うから。古い玩具は飽きたから捨てて、新しい玩具で遊ぼうって言うから。
アルセリアを、どうでもいいものみたいに…彼女の今までがまるで何の価値もないみたいに…言うから。
それが酷く悲しくて、虚しくて、こんなはずじゃなかったのにと自分が情けなくて、叫ばずにはいられなかった。
だけど俺は、結局は自分のことばかりで。
二千年間待ち続けて、俺にこんな提案をしたアルシェの気持ちを、何一つ分かってなくて。
「なら……もういいです」
だから、そう言い放ったアルシェの声の冷たさに、自分の耳が信じられなかった。
「ヴェルが拒むなら、私一人でやります。後になって、また仲間外れにされたって駄々をこねないでくださいよ」
「アル……」
「邪魔されるのは面倒なので、寝ててください。なんなら、永遠に眠っていてくれててもいいんですよ?目を瞑るのは……得意でしょう」
そう言って俺を見上げるアルシェの双眸に、形容できない何かを感じた瞬間。
俺の意識は、深く暗い水底へと引き摺り込まれた。
いろんな神話見てると思うのが、けっこう神さまって人間臭いじゃんってことなんですよね。
え?そんなことで!?…みたいな。だから面白いんですけど。




