第三百六十二話 vs.
散歩を続けて、川沿いから住宅地へと入った。
そこにはこじんまりとした公園があって、昼間は子供たちが砂場やらブランコやら滑り台やらで遊んでいるのだが、早朝は俺が一番乗りである。
誰もいない公園でブランコに腰掛け、ゆらゆらしながら空を見上げると、不思議と無心になれるのだ。
……うーん…なんだろなー、なんか、大事な用事を忘れてるような気がするぞ。
誰かと約束…してたっけ。悠香との約束を忘れるはずがないから、クラスの奴か?それとも…菅先輩に何か言いつけられてたことでもあったか。あの人、いっつも自分の生徒会の仕事を俺に手伝わせるんだよ。後学の為、とか社会勉強、とか、適当な理由を付けてさ。
他人を自分のペースに巻き込むことが得意で、俺はいつも振り回されてばっかり。と言うか俺、ここ最近は菅先輩だけじゃなくって、あいつらにも振り回されっぱなしな気がする。
………………あれ?
あいつら……って、誰……だっけ。
んんん?本格的に変だぞ。俺は自分で言うのもなんだが、記憶力は良い方だ。クラスメイトだけじゃなくて、隣のクラスの奴らも半分以上は顔と名前が一致する。
なのに思い出せないってことは、離れたクラスの女子かな?特進クラスとか。あそこの連中とは普段ほとんど話す機会がないし。
……ん?するってーと、振り回されるってのはどういうことだ?接点もない相手に振り回されるなんてこと、普通ないよな?
それとも、バイト仲間?短期バイトだと、バイト期間はすごく仲良い連中とも期間終了と共に音信不通になっていくものだし。
……まぁいいや。もう会うことのない連中のことは、覚えていても仕方ない。大事な用事ってのもきっと気のせいだ。本当に大事なことならそもそも忘れないだろうし、必要ならそのうち思い出すだろうから気にするのはやめよう。
そろそろ帰ろうと、ブランコを降りて公園を出る。ここから住宅地を抜けて商店街の方を回って、再び住宅地の我が家へと戻るってのが定番だ。
因みにその商店街、通学コースともかぶっていて、帰りによくお肉屋さんでコロッケを買い食いしたもんだ。あそこのメンチカツ、絶品なんだよね。
あー、考えたら食べたくなってきた。流石にこの時間は……やっぱり準備中か。中で仕込みをしている気配は感じるけど、流石に開店はまだ先っぽい。
シャッターの閉まっている肉屋を名残惜しく見つめて、それから家へ帰るべく道路を渡る。
そうそう、この交差点は結構危険地帯なのだ。小学生も通るスクールゾーンだってのに、幹線道路への抜け道になっているせいか交通量が多くて、しかも運転の荒いドライバーも多い。
道の両側は店が並んでいて、歩道は狭いから出入りする人や通行人が車道にはみ出ることもあるし、そのせいでちょくちょく接触事故も起こってる。
……ほら、横断歩道の手前に花が飾ってある。まだ新しい……けど、最近はここで死亡事故ってあったか?それとも、遺族が定期的に花を生け直しているのだろうか。
…………いつまでも花を飾っておくのって、地縛霊とかになるから良くないんじゃなかったっけ…?
なんとなく手を合わせて見知らぬ誰かさんの冥福を祈ってから、俺は我が家へと帰った。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
「お初にお目にかかります、ルーディア聖教枢機卿筆頭、グリード=ハイデマンと申します」
「……魔王軍六武王、ギーヴレイ=メルディオスだ。……貴殿のことは、陛下が幾たびか話しておられた」
静かで、それでいて張り詰めた遣り取り。グリードの周りで見守るベアトリクス、ヒルダ、クォルスフィアの三名も、いつ何がどうなるやら気が気ではない。
非公式ながらも、魔界と地上界の実質的なトップ会談の様相を呈している現状だが、それが行われているのは厳粛な議場でも荘厳な宮殿でもない。
グリードが居るのは、リュートたちの家。ルガイア=マウレから連絡を受け、魔界にいる幹部と直接話をすることの出来る魔導具があると、それは魔王が持っていると聞かされた彼は、急遽ルシア・デ・アルシェからタレイラまで戻り、そして今眠り続けるリュートのすぐ横で、冷たい表情の魔族と鏡越しに向かい合っている。
鏡の向こうの青年(と言っても実質年齢はグリードよりも遥かに上だが)は、外見上は冷静に見える。だが、その双眸の奥に困惑と焦燥が渦巻いていることを、グリードは察知していた。
そしてグリードもまた平静を装ってはいるがそうではないのだと、相手も気付いていることだろう。
リュートがこうなってしまった経緯を説明した後に、互いの情報を交換しあう。余分なものを削ぎ落した会話の中で両者は、知らないうちに相互間で情報の共有が為されていたことに気付いた。
リュート=サクラーヴァ、そして魔王ヴェルギリウスは、ほとんど同じだけの情報を雇い主と臣下に明かしていたのだ。
その事実のせいで、グリード=ハイデマンとギーヴレイ=メルディオスは、否が応でも相手を認めざるを得なかったのである。
グリードにとって幸いなことに、魔界一の忠臣と呼ばれている(とルガイアが説明した)ギーヴレイが、地上界に責任を求めることはなかった。
そしてギーヴレイにとって幸いなことは、本来であれば魔王とは相容れないはずのルーディア聖教の代表であるグリードが、無防備な魔王を害することなくその身を守ろうとしていること。
横で成り行きを見守っていたベアトリクスは、もしかしたらこの二人は意外に相性が良いのではないだろうか…と思ったりもした。
地上界と魔界、二つの世界を代表する頭脳の持ち主は、同じ方向を見ている。そしてその先にあるものの正体もまた、同じように見据えていた。
「ならば、グリード=ハイデマンよ。貴殿は今回の件が何者によるものであるのか、分かっているということだな」
「…確信があるわけではございません。が、おそらくは…間違いないでしょう。そしてそれは、魔王…陛下もまたお気づきになっているはず」
グリードは、自分に全てを打ち明けたときのリュートの態度に、引っかかるものを感じた。今まであったこと、魔王をも翻弄する存在があること、そしてその手は世界中どこにでも届くであろうこと。リュートは自分の知る限りのことをグリードに伝えたが、それが全てではないとグリードは悟っていた。
話すには確信が持てなかったのかもしれない。話すことで認めることになってしまうのが怖かったのかもしれない。
リュート=サクラーヴァを良く知るグリードであれば、そこに思い至るのは必然だった。
「そもそも、簡単なことだったのですよ。神格を有する魔王を翻弄しこのような状態にすることの出来る存在など、他にはありえない……」
「………創世神エルリアーシェ……ということだな」
既に答えを導き出していた二人とは違い、寝耳に水だったのが三人娘。全員が息を呑んで、グリードを見つめる。
「猊下……それ…は、どういう………?」
思わず問いかけたベアトリクスを振り向いたグリードの表情は優しげで、だからこそベアトリクスはそれ以上何も言えなくなってしまった。
「だが、貴殿らはどうするつもりだ?地上界の民…ましてやルーディア聖教徒である貴殿らにとって、創世神は信仰の対象にして絶対の主。その思惑が何であれ、従う以外の選択肢を持ちうるのか」
ギーヴレイに問われたグリードは視線を鏡に戻す。そしてギーヴレイの目をまっすぐに見据えた。
彼の眼差しに、迷いはない。
「確かに、御神は我らが母。本来であれば、その意は絶対。……しかし……」
そこまで言うと、グリードは傍らで眠り続けるリュートを見た。
お節介で、面倒見が良くて、お人好しで、苦労性な少年。なんだかんだと不平をこぼしつつもグリードの無茶ブリに付き合い、勇者一行の我儘に振り回されながらもそれを受け容れる、そんな彼を、グリードは信用していた。
「…彼が、地上界に害をなすことなど、とても想像出来ません。寧ろ……御神の動向に、私は不穏なものを感じてしまうのです」
それは、枢機卿ではなく一人の人間としての、グリードの本心。彼はリュート=サクラーヴァをよく知っている。
そして彼は、創世神を伝承の中でしか知らない。
「…ならば、貴殿らは……」
「しかしながら、すぐに結論を出すことは出来ません。御神が我らの創造主であることには変わりないのですから。………ただ言えるのは、私個人は、彼を信じていると……それだけです」
珍しく感情的になっているグリードを、ベアトリクスは不思議な気持ちで見ていた。彼は、愛娘だと呼んで憚らないアルセリア、ベアトリクス、ヒルダに対してすらも、個人的な感情を吐露したことはないのだ。
感情などとは無縁に見えるギーヴレイだったが、グリードの言葉にはどこか納得したようだった。少なくとも、グリードに対する敵意や反感は完全に消えている。
「承知した、結論を出すのは今しばらく待とう。が、陛下をこのままにしておくことは出来ない。何としてでもお目覚めいただく方法を見付けなくては…」
「それに関しては、完全に同意です。私としましても、全力で事態解決を模索いたします」
二人の話し合いは、顔合わせ程度のものに終わった。何か新事実が出たわけでもない。
だが、地上界と魔界とで足並みを揃えるための第一歩だとグリードは評価した。
天界の出方は、正直言って不明である。地上界から連絡を取る手段がないため、様子を窺うことすら出来ない。
だが、地上界以上に創世神に傾倒している天使族が、創世神の意向に背くはずもなく。
…もしその意向が地上界にとって不利益をもたらすものであった場合……
魔界との通信を終え、グリードはそのままの姿勢で黙りこくっている。自分の懸念が実現するならば、サン・エイルヴの悲劇が再び繰り返されることとなるだろう。
そして現状、地上界にはそれを防ぐ手段などない。
「……猊下、先ほど仰っていたことは本当なのですか?」
通信も終わったことだし、心置きなく疑問を解消することにしたベアトリクスの問いに、グリードは無言のまま頷いた。
「そして、リュートさんもそのことを知っていた……?」
その問にも、首肯。
ベアトリクスは、歯がゆい思いを堪えきれずに俯いて溜息をついた。
「そんな大切なこと……どうして何も言ってくれなかったのでしょうか」
「ギルなりに、多分考えてのことだと思うよ」
クォルスフィアのフォローにも、力がない。
リュートがこのことを誰にも伝えていなかったのは、身も蓋もない言い方をしてしまえば、話しても無駄だと思っていたからだ。
話したとしても、彼女たちには何も出来ない……戦力外だと感じていたに他ならない。
「ベアトリクス、ヒルデガルダ…そしてクォルスフィア。君たちは引き続き、ここで待機していてもらいたい」
ベアトリクスの言葉を聞いていたのかいないのか、グリードは三人にそう告げた。有無を言わせぬ口調。異論は許さないと、その静かな声色が語っていた。
「しかし、猊下……私たちにも、何か出来ることが……」
ベアトリクスは食い下がる。勇者とも魔王とも近しい自分たちならば、或いは何か解決の糸口を掴むことも出来るかもしれないと、彼女は考える。
アテなどはどこにもあるはずないが、それは根拠のない自信と言うよりは使命感。何とかしなくては、してみせる…と焦りに切迫した心境からの言葉だ。
しかし、グリードの態度は、にべもなかった。
「君たちに今出来ることは、何もない。せめてこれ以上の混乱を避けるために、ここで身を隠しているように」
魔王の意識は戻らないが、この場の加護は失われず健在である。下手に動き回って彼女たちまで妙なことに巻き込まれることを考えると、このまま大人しくしてもらうのが最善であるとグリードは判断した。
「ここまで来たら、我々に出来ることは限られている。魔族たちの働きに期待するしかないだろう…」
様子見という消極的な手段しかとれないことに無力感を禁じ得ないグリードではあるが、創世神が出て来た時点で事態は既に自分たち廉族の手に負えるものではなくなっている。
「もし、本当に御神が顕現なされたというのであれば…そのうち、我ら地上界の民にも何らかの働きかけをしてくださることだろう」
「それを、大人しく待つってことですか?」
尋ねるクォルスフィアの口調は、やや刺々しい。彼女自身はルーディア聖教徒ではなく、創世神を崇拝もしていない。
「そうだ。我らの創造主にして慈悲深きかの君ならば、徒に不条理なことはなさるまい。我らの信仰と忠誠を、きっと受け容れてくださるはずだ」
本来ならば、創世神の顕現は世界にとってまさしく僥倖、感激に打ち震えて祈りを捧げ、奇蹟を待ち望むのが正しい廉族の在り方である。
だが、そう言うグリードの表情は、神の復活に歓喜する聖職者のものではなかった。
解けない疑問、消えない不安、押し寄せる焦燥。
手放しで喜んでしまうには、不可解なことが多すぎた。
そして、彼の予感は的中したのである。
その夜、一つの国が消滅した。
大陸南部、ペザンテ公国と呼ばれていた国が。
人と神との新たな関係を模索し始めた小さな国は、その日を境に地図からも歴史からも消え去ったのであった。
はい、とうとうグリードとギーヴレイの直接対決…じゃなかった対話です。
本当は、リュートのことを便利な手駒扱いしてるけどなんだかんだで息子みたいに気に入ってるグリードと、行き過ぎた魔王様LOVEのギーヴレイを対決させてみたかったんですけど、脱線も酷いことになりそうなので断念。この二人、出来ればこれからもちょいちょい絡ませたいです。




