第三百五十七話 子離れと親離れって同時に済ませないと大抵めんどい。
ひとまずのところ、異端弾圧という名目の戦は避けられそうだった。
審問の中で、クルーツ司教が限りなくクロであること、そして俺たち審問官もそう思っていることを確信した大公夫妻が、大幅に態度を軟化させたのだ。
俺と話したときは信仰からの解放…人間の人間による人間のための世界を説いた大公夫人も、流石に審問会ではそこまで無謀なことをせず、特任司教に対する不信のせいで信仰に一時的な揺らぎが出たのだという風に結論付けた。
特任司教の罪が明らかになり、代わりのちゃんとした聖職者が派遣されるのであれば新たな特任司教も受け入れるし、信仰も守るという宣言が大公ジャクロフ五世によってなされ、その件については聖列裁判で触れられるだろうが穏便に解決できるのではないかと俺は思っている。
一昔前の、厳格な信仰が蔓延していた時代においてであれば、僅かでも信仰に疑いがある者は容赦なく弾圧された。しかし時代は移り変わり信仰の在り方も多様性が認められるようになった現在では、聖教会もそこまで強硬的な手法は取らなくなっている。
問題は、もともと公国は原理主義寄りの保守的なトルディス修道会派であるということだが、今は国民の大多数が緩やかな教義を是とするエスティント教会に親近感を持っているそうなので、そのうち派閥の乗り換えとかもあるのかもしれない。
が、聖教会としては派閥などどうでもいいことで(トルディス修道会は騒ぐだろうが)。
後はルシア・デ・アルシェで開かれる聖列裁判でクルーツ司教の審判と公国の処遇が正式に言い渡されることになる。ついでに司教の上、トルディス修道会の大司教についても、グリードは権力争いから蹴落とす算段を付けているに違いない。
「リュート、もう帰るのか?」
安定の図々しさでベッドの上にゴロゴロしながらジュリオが尋ねたのは、俺と部下たちが荷物をまとめているのを見たからだ。
「そりゃ用事が終わったんだから帰るさ。こう見えても結構忙しい身なんでね」
「ふーん………なんか色々、ありがとな」
……おや、どういう風の吹き回しだろうか。
「…何が?」
「何がって……司教を追い詰めるために、色々調べてくれたんだろ?」
「追い詰めるために調べたんじゃなくて、調べた結果追い詰めることになっただけだよ」
俺自身は司教はクロだと思っていたが、仮にグリードの調査した結果が彼の潔白を示していたのであれば、それに従うしかなかった。だからこれは、なるべくしてなったこと。
「それよりも、お前こそ見事だったじゃねーか」
司教を嵌めた例の遣り取りを褒められて、ジュリオは照れたように頭を掻く。
「…ま、一か八かの賭けだったんだけどさ。そんなことよりリュート、ロゼ・マリスに帰るのか?」
「ん?いや……うちはタレイラの近くだから」
報告は遠隔通信で行えばいいし、俺自身は聖列裁判に出席する資格もつもりもない。自宅に帰って、今度こそのんびりゴロゴロしてやる。
……帰る頃にはアルセリアの様子も元に戻ってればいいんだけど……。
「なぁ、そしたらさ、俺も連れてってくれよ!」
「…………は?」
「タレイラって、すっごい都会なんだろ?オレ都会って行ったことないんだよ!」
都会に憧れるってのは古今東西若者のお決まりのパターンではあるので気持ちも分かるが、知り合ったばかりの人間にくっついて外国に行こうなどとよく考えるもんだ。今回の件で警戒心ってのは身に付かなかったのか?
「……ダメとは言わないが、もう少し後でもいいか?ゴタついてる仕事を片付けたら、招待してやるから」
「ほんとか?グリオもだよな!?」
「もちろん、グリオも」
「やったーーーー!ありがとな、リュート!」
満面の笑顔でグリオの首に抱き付くジュリオ。そこまで嬉しいものかね?まあ、嫌な記憶の残る場所から距離を置きたいと思っているのかもしれない。
俺は部屋を出る前に、ジュリオに一つ尋ねてみることにした。
「なあ、ジュリオ。お前は、神様とかルーディア聖教とかについて、どう思う?」
それは奇しくも俺がグリードと初めて会った日に聞かれたことと同じ内容だということに、言ってから気付いた。
「…神さま?どうって………よく分かんない」
……ジュリオくらいの子供なら、仕方ないか。勉強とは無縁だったから、神学なんてもってのほかだろうし。
「だってオレ、神さまも天使さまも会ったことないもん」
「……因みに魔王は?」
「余計にないっつの。てか、魔王なんてほんとにいるのかよ?」
「……いる…と思うよ、多分……」
ルガイアの視線が何か痛いが、気にしない。
「いるかどうか分かんないものを信じろって言われても、難しいよ。そんなことよりオレたちは毎日を生きるので精一杯だしさ」
「……そっか」
信仰は捨てないと、今回の件は特任司教への不信感が引き起こしたことなのだと大公夫妻は明言したが、俺はその言葉を全面的には信用していない。
もちろん、司教の不正も一端ではあったのだろう。その他にも、天魔会談で完全悪だとされていた魔族と天使族が敵対するのをやめたという事実も、それまでの信仰の礎となっていたものに亀裂を入れる結果になったとも思う。
だが、もしそれだけだったのならば、何故原理主義に傾かなかったのか。
俺は、公国の民の中に自由を求める風潮が芽生えてきているのだと思う。
上記の出来事はきっかけに過ぎず、あるいは言い訳に過ぎず、彼らは神の手を離れようとしている。
それはあたかも、子が親から自立しようとしているが如く。
魔王としては、複雑な心境である。創世神を否定或いは拒絶するということは、魔王に対しても同様だということ。仮にこれが魔族たちのことであったなら、心中穏やかではいられなかっただろう。
しかし同時に、これは自然な流れなのかもしれないと思う自分がいることも事実。少なくとも、俺たちがその流れを阻むことは許されないのではないか…と。
こんな風に考えられるのも、俺がかつての俺とは変わってしまったからだ。桜庭柳人の自我と記憶、知識と経験が、魔王ヴェルギリウス=イーディアを変質させてしまったから。
だから、淋しく思いながらもそれが人々の選ぶ未来であれば受け容れるしかないのかな、と思う。
だけど……創世神の奴はどうなんだろうか。
自分が整えた理の上で繁栄した生命たちが、自分の下から羽ばたこうとしている姿を見て、どんな気持ちになるのだろう、一体何を思うのだろう。
子の自立を喜ぶ親の心境になってほしいと思うのは、俺のエゴなのだろうか。
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結局のところ、今回の件に「あの御方」が絡んでいる形跡は見られなかった。そのことに安堵すればいいのか尻尾を掴み損ねたことを残念に思えばいいのかは分からないが、そうとなれば長居する理由もない。
俺は一連の報告をヴィンセントに押し付けて、待機していたイライザも置いてけぼりにして、自分だけさっさと帰るつもりでいたのだが。
「ちょっと待て、リュート」
城を出て“門”を開くのに適した人目に付かない場所を探そうとしていた俺を見付けたヴィンセントに、呼び止められてしまった。
「…なんだよ、俺はもう帰るぞ」
「猊下から、ひとまずルシア・デ・アルシェに帰還するようにとのことだ」
「ルシア・デ・アルシェに?俺が?」
……何かあったのだろうか。俺が自宅に一刻も早く帰りたがっているのをグリードも知っているはずなのにわざわざ呼びつけるなんて。
通信では、話せない内容…だったりする?
「グリードは何か言ってたか?いつもと様子が違ったり…とか」
「いや、特にお変わりはなかった。『ちょっと内緒話があってね』と、そう仰っていただけだが」
……ヴィンセントの奴、グリードの物真似が上手いんでやんの。意外な特技発見。
ま、他人には聞かれたくないこととかかな。或いは……また何か無茶ブリするつもりじゃないだろーなあのオッサン。
そうは桑名の焼き蛤だっての。俺は何としてでも、愛しの我が家で惰眠を貪るのだ。例え誰であろうとそれを阻むことは許さん!
そう鼻息荒く、グリードに会ったらビシ!と言ってやると決めた俺だったのだが。
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ルシア・デ・アルシェの一角、グリード=ハイデマンの執務室で。
俺は、言葉を失っていた。
俺の目の前には、冷静さを取り繕うとしているグリードが。その表情は、愛娘を案じる気持ちと俺の暴走を怖れる気持ちでいっぱいになっている。
「今、何て………」
やっとのことで出て来た言葉も、ひどく無意味なものだった。
何度聞き返したところで、事実が変わるはずないのだから。
それでも聞き返さずにはいられなかった俺に、グリードはもう一度、噛んで含めるようにゆっくりと言った。
「頼むから、落ち着いてくれよ。……勇者アルセリア=セルデンが、姿を消してしまった」
……やはり何度聞いても、答えは同じだった。
はい、ようやく佳境に入ってきました。と言いつつ自分、脱線しやすいので…どうなることやら。




