第三百五十五話 次から次へと悪事を考え付くヤツがいるもんだから法律もどんどん改正されてややこしいんだよ全く。
審問なんてかったるいんで、このあたりは適当に読み飛ばしちゃってください。書いててもかったるかったです。すっ飛ばすと唐突感がスゴイからとりあえず挟んだ話なので。
大広間は、奇妙な静寂に包まれていた。
本物の静寂ではない。そこにいる大勢の人の、身じろぐ衣擦れの音や密やかな囁き声、張り詰めた空気に居心地の悪さを感じている者の咳払い、書類をめくる音。
一つ一つ羅列すればそれなりに音に満ちた場所ではあるのだが、それでもやはり、全体的な印象で言えば「静寂」の一言がよく似合う。
そんな空間に俺とヴィンセントが足を踏み入れたとき、一瞬だけざわめきが大きくなった。
クルーツ司教と大公夫妻、証人は既に定位置にいる。配置だけ見れば、どちらが糾弾されるべき側なのかは分からない。
先ほどは憎々し気な表情を隠そうともしなかったクルーツ司教だが、今は落ち着いた様子を見せている。疚しいことなど何もない、と言わんばかりに背を伸ばし、まっすぐに前を見据えている。
ジャクロフ五世は、安定のオロオロっぷりだ。あまりキョドキョドしていると変に疑いを掛けられかねないのだが、代わりに奥方がヘラクレスもかくやといった風格で堂々と威厳を振りまいている。
気になるのが、ジュリオの落ち着きっぷり。アマンダ女史はともかくとして、こういう場に不慣れなはずのお子様である彼…じゃなくて彼女が騒ぎもせずに大人しくしているのは、彼女の肝が据わっているからなのか状況を正しく理解出来ていないのか、どちらなのだろう。
彼女が落ち着いているので、グリオも静かにその傍らで伏せている。その巨体と風貌は場にそぐわないものなので、傍聴人たちはひどく面食らっている。
「……以上のとおり、我々はクルーツ特任司教の振舞いに係る問い合わせを何度も行いました。しかし、それに対する聖教会の返答は一度たりと為されていません。これ以上は我が国の国益を大きく害すると判断し、大公権限にて彼を国外追放とすることを決定した次第です」
…と、これは事の発端…クルーツ司教の国外追放に関しての公国側の弁明である。発言者はジャクロフ五世。実際にはこんなはきはきした感じじゃなくて、どもりまくりであったのだが。
それを受けたヴィンセントが、手にした資料を見ながら聖教会側の言い分を述べる。
「問い合わせ…と仰いましたが、確認したところ聖教会で該当する問い合わせを受けた形跡はありませんでした。問い合わせをした日時、回数、及び担当部署をお聞かせ願いたい」
グリードも、公国が特任司教の交代を求めている件については何も知らなかった。となると、どこかでそれが止まっていたか止められていたか……
「トルディス修道会大司教、ユーゴ=アエラ猊下です。回数は、問い合わせが三回、司教の交代要望書の提出が四回の、計七回です。記録されている日時に関しては、事前に提出してある資料をご確認下さい」
言われて、ヴィンセントは資料をペラペラとめくる。そこには詳細と、要望書の控えが。
「……確認いたしました。この件は、再度アエラ猊下に問い合わせすることとします。次に、公国が主張しているクルーツ特任司教の振舞いについて」
名前が出た瞬間、クルーツ司教が一瞬だけ身を固くしたのが分かった。しかしそれは僅かなもので、すぐに能面のような無表情に戻る。
ヴィンセントが、公国から提出された資料を…そこに記された司教の悪行三昧を読み上げている最中も、クルーツ司教の様子は変わらない。傍で見ている者たちには、それが全くの濡れ衣であるのか、彼が言い逃れる自信を持っているだけなのかは、判断出来ない。
俺は、ちらりとイオニセスに視線を送る。
イオニセスは軽く頷いて、彼が内心では動揺していることを教えてくれた。
彼の罪状のうち、高額の治療費を請求したことについては証拠も証人もある。逆に言えば、物的証拠があるのはそれくらいで。
しかも、治療院における施術代金は治療院が独自に設定することになっている。都会であれば市場の競争原理が働くので法外な値段を吹っかけることは難しいが、独占寡占状態においてはその限りではなく、それは公国だけに限った問題ではない。
従って、司教がどれだけ患者の足元を見ていたとしても、それだけで罪に問う事は出来ないのだ。せいぜい、人道的にどうなんだと、聖職者として名前に傷を残すくらい。
それ以外の嫌疑については、全て状況証拠…とすら呼べるか疑わしい…しか存在しない。
高額の布施の要求や贈収賄に関しては、当然のことながら領収証なんて残しているはずないし、「要求された」と主張する国民が多くいるだけだ。
そしてこれまた当然のことながら、クルーツ司教はそんなことはしていない、言っていないの一点張り。
さらに、大本命の人身売買に至っては、事の重大さから審理も慎重にならざるを得ない。
噂と、里子に出された子供たちと連絡がつかないという事実だけで彼をクロだと断定することは難しそうだった。
「火災により、子供たちの引き取り手の情報が失われたということですが、こういった場合、里親との遣り取りは継続的に行われるのが普通です。それなのに、バックアップも残していなかったということですか?」
俺の問いに、クルーツ司教は殊勝な顔をしてみせた。まるで本当に恥じているように、
「…お恥ずかしい限りですが、そのとおりです。それについては、私の怠慢だったと言わせていただきます。まさか、火事が起こるなんて想像もしていなかったので……」
それを聞いたジュリオとアマンダが、クルーツ司教をキッと睨み付けた。いけしゃーしゃーと言いやがって…とでも思っているのか。
……ジュリオがイラつくとそれがグリオにも伝染するから、やめて欲しいんだけどなー…。
「なるほど、記録の控えはなかった…ということですね。…ところで、子供たちの引き取り先はどこも裕福な家庭だと聞いていますが」
「はい。子供たちには最良の環境で育って欲しいとの思いから、里親の条件はとても厳しくしてあります。それをクリアした優良な家庭が、子供たちの新たな未来の守り手となってくれているのです」
「……であれば、詳細な住所はまだしも、どの国のどのような家であるかくらいは記憶に残っているのでは?」
俺の問いに、クルーツ司教は冷や汗をタラリ。
「そこまで子供たちのことを考えているのであれば、きっと養子縁組が決まる前の遣り取りも一度や二度ではないでしょう。それなのに、記憶に残っている家が全くない…だなんてことは、ありませんよね?」
「そ……それは、そうですが……なにぶん、数が多いもので……」
「ならば、せめて引き取り先の国名だけでもお願いします。全てでなくて構いません。直近のものだけで結構なのでいくつか挙げていただければ、その国の住民登録簿で子供たちの受け入れ先を確認することが出来ます」
記録に残っていなくても、記憶に残っていないはずはない。まさか、どの国の家庭なのかも忘れた…一件も覚えていない…なんてことはなかろう、彼が健忘症でなければ。
「……ええと…………その、それに関しては記憶の整理に努めますので、後日回答させていただいてよろしいでしょうか……?」
こいつ、逃げる気か?そう思った瞬間、
「逃げる気かよ!!」
幼い怒号が飛んだ。見るまでもなく、声の主はジュリオだと分かる。
彼女の声につられるように、傍聴人もざわつき始めた。
今回は公開審問なのだが、傍聴人のほとんどは公国民である。そして彼らのほとんどが、クルーツ司教はクロだと信じている。
「証人は許可のない発言を慎んでください。傍聴人も、静粛に」
俺は、形式的に告げる。実を言うと、こういうのを期待して敢えて公開審問にしたんだけどさ。
傍聴人たちは一旦は静まったが、それまで様子を窺うように審問を見ていたのが、これをきっかけに彼らの温度が変わった。
クルーツ司教への怒りを、隠さなくなったのだ。
さてさて、クルーツ司教は自分に向けられる剥き出しの敵意の中、どこまでシラを切りとおせるかな?
「…では、それに関しては後日改めてお伺いしましょう。……次に、クルーツ特任司教の周辺の、不明瞭な資金の流れについて、お答えいただきたい」
グリードの調べによる資金洗浄の詳細が、俺の手元の資料に記されている。
「ふ…不明瞭とは、どういうことですか?」
司教の狼狽え具合が、いよいよ本格的になった。
銀行制度の未発達なこの世界では、彼らの資金洗浄はひどく革新的な手法であり、それを嗅ぎつけられるとは思ってもいなかったのだろう。
「青金月の十五日、貴方の口座に三百万イェルドの送金がありますね?」
「は……はい。トルディス修道会への寄進として、とある団体から受けたものです。きちんと収支明細にも記載して、修道会の口座に送っているはずですが」
確かに、記録はあった。クルーツ司教の個人口座から、トルディス修道会名義の口座への送金も確認してある。
だが。
「その団体ですが、活動の実態が見られません」
「…………え?」
クルーツ司教、慌てる以前に俺が…正しくはグリードだが…そこまで調べていたという事実に唖然としている。
「送金元はディネボリ共和国の漁業従事者相互扶助組合となっていますが」
「そ…そうです!かねてより、我々トルディス修道会の教義に賛同いただいている方々でして…」
「登録されている住所は、架空のものだったのですが」
この世界、金融取引における本人確認だの取引時確認だのはその概念すらまだ存在していない。適当な住所、適当な名前で申込書を書けば、それで口座は作れてしまうのだ。
だからこそ、資金洗浄には打ってつけなわけで。
「また、該当の組合がディネボリ共和国で活動している形跡もありません。これは、架空口座からの送金なのでは?」
「……そ、それに関しては、私には何がなんだか…。ただ、寄進を行いたいとの連絡があり、ありがたくお受けしただけの話ですので……」
……ふむ、そうきたか。
流石にここに来るまでの間、色々と心構えをしていたのだろう。彼は、知らぬ存ぜぬで通すつもりだ。
しかし、不明瞭な流れってのはこれだけじゃないんだな。
グリードの恐ろしいところは、自身も想定していなかったマネロンに関してもすぐに理解し徹底的に調査し結果を出してしまう規格外の優秀さ。理解力分析力において、ほんとにこいつギーヴレイと良い勝負だと思う。
いいだろう、しらばっくれるならとことん付き合ってやるよ。
どこまでボロを出さずに踏ん張れるか、見せてもらおうじゃないか。




