第三百五十四話 審問へ
「アルシー、どちらへ?」
玄関を出ようとしているアルセリアに気付いたベアトリクスは声を掛けた。見たところ神格武装も連れていないし軽装なので、ちょっとそこまで…といった様子なのだが。
「あまり家から離れないように、と言われてるじゃありませんか」
グリードからしつこいくらいに念を押されていた。そしてそれはリュートの言いつけであるということは分かっている。
彼が、ありったけの加護を込めて作り上げた我が家の中に、彼女たちを匿おうとしているのだと。
それにどういう意味が込められているのかも、分からないはずはない。リュートは何も語ろうとはしなかったが、彼は明らかに何かを警戒している。
そしてそれは、“神託の勇者”一行では対処出来ないものだと…少なくとも魔王はそう考えていると、ベアトリクスは察していた。
「村の教会まで行くだけよ。すぐ戻るから…心配しないで」
アルセリアの口調は、普段どおりである。鍛錬のときはどこか鬼気迫った空気を見せているが、それ以外のときは特に変わったところはない。
「…そう、ですか。……お昼までには、帰ってきてくださいね」
一瞬、自分も同行しようと思ったベアトリクスだが思い直した。アルセリアがこういう言い方をするということは、一人で行きたがっている証拠だ。
長い付き合いの中で、彼女らは互いの距離感を完全に把握していた。
きっとアルセリアが今必要としているのは、一人でゆっくり考える時間なのだろう。そしてそれには教会が打ってつけだ。
そう思ったから、ベアトリクスはそれ以上アルセリアを引き留めようとはしなかった。
「それじゃ、行ってきます」
「いってらっしゃい」
玄関の扉が閉まってからリビングに戻ろうとしたベアトリクスの視界に、ヒルダとクォルスフィアの姿が入った。二人とも、様子を窺うように顔を覗かせている。
「……アルシー、おでかけ?」
「教会に行くそうですよ。………キア、貴女から見て彼女の様子はどうですか?」
付き合いの長さで言えばベアトリクスやヒルダの方がずっと上だが、クォルスフィアはアルセリアの相棒である。共に戦っているときは一心同体も同然。二人には気付かないことに気付いていてもおかしくない。
「……んー、まぁ……心配いらない…とは言えないかもだけど、こればっかりは…ねぇ」
困ったように溜息を付いて首を振るクォルスフィア。
「誰かが手を出して解決する類のものじゃないし……アルシー自身が自分の中で折り合い付けるしかないんだよ」
「……と、言うと…?」
「私たちは、見守るしか出来ないってこと」
なんとも心許ない話ではあるが、クォルスフィアの様子にそこまで深刻な感じは見られない。であれば、そこまで慌てる必要はない…もしくは慌てても無意味だということか。
「寧ろ、いつもと変わらない態度でいた方がいいと思うよ」
「……そうですね。自然体でいきましょうか」
何も出来ないのは歯がゆいが、アルセリアは“神託の勇者”である、悩みなど自力で克服してみせるだろう。今までも、彼女は様々な困難や試練を乗り越えて来たのだ、この程度で屈するような勇者ではないと彼女たちは信じていた。
「さて、と。じゃ、今日の昼食は久々に私が腕を振るっちゃおうかなー」
「…………え!?」
クォルスフィアがやる気満々で腕まくりをしてみせたので、ベアトリクスは慌てた。気合を入れれば入れるほど、クォルスフィアの料理は常軌を逸していく。
「………ん?」
「いえいえ、お昼は私が作りますよ!」
「いいよぉ。最近、いっつもビビが作ってるじゃん。悪いからさ、たまには私がやるよ」
「いえいえいえいえ、その、私こう見えてけっこうお料理好きなんですよ、キアはゆっくりしててください、ね?」
「えー……遠慮しないでいいのに……」
アルセリアの心配をしている場合ではなかった、とベアトリクスは自分たちの危機を脱することに全力を傾けることにしたのだった。
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クルーツ特任司教は、意外なくらい普通の外見をしていた。
ヨシュアとブランドンに連れられて公国に到着した司教を出迎えたとき、一瞬誰がそうなのかとキョロキョロしてしまったくらいだ。
いや、聞いてた話から、よっぽど醜悪で根性悪そうな面構えなんだろうなーと、勝手に想像していたのだが。
年のころは三十代半ば、といったところ。短く刈り上げた髪に、一見誠実そうな眼差し。結構体格が良くて、スポーツマンっぽい爽やかさもある。
前情報なしに出逢ったならば、信仰心に厚い実直な聖職者だと疑いもしなかっただろう。
「では、これで引き渡しは完了ということで」
ヨシュアは、ヴィンセントの署名入りの書類を受け取ると、クルーツ司教の身柄をヴィンセントへと預けた。身体的拘束はされていないようだったが、司教は大人しくそれに従う。
が、その表情は不満一色に染まっている。
彼の視線が、様子を窺っていた大公夫妻に移ったとき、彼が歯軋りをしたのが分かった。大公は険悪な司教の眼光にビビり気味だったが、夫人は涼しい顔をしていた。
グリードを通じて、彼の嫌疑はヨシュアとブランドンにも伝えられているはず。そして彼らの態度から、クルーツ司教は自分を待ち構えているのが何なのか予想しているに違いない。
これから審問会である。裁判と違い、事実確認が今回の目的。原告も被告もなく、なぜ公国が特任司教を追放処分にしたのか、公国のルーディア聖教に対する信仰はどうなのか、クルーツ司教の嫌疑は本当なのか、本当だとしたらそれによって公国が被った被害はどれほどなのか。
そういったことを一つ一つ明らかにし、それで判明した事実を基にルシア・デ・アルシェで正式な裁判…聖列裁判が行われることになる。
則ち、今回の審問会で正式に記録された事柄は全て、裁判の証拠となるのだ。
実を言うと、ちょっぴり緊張している。
天魔会談の緊張とは、違う種類のものだ。あのときは、既に決まった内容をなぞるだけの、形式的な場だったので、単純に会場に漂う張り詰めた空気に気圧されていただけに過ぎない(魔王が気圧されてどうするって話だが)。
しかし今回は、審問会の内容・結果によって大勢の運命が決してしまうわけで。そして俺もその片棒を担ぐことになるわけで。
……責任重大ってやつだよな。
魔界のことならば、最終的には力づくで押し切ることも出来るけど、今回はそういうわけにもいかないしなー…。
俺自身はすっかり公国派だけど、もしかしたらクルーツ司教から新事実が語られるかもしれないし、彼には彼の言い分もあるだろう。それに対処出来るだけの対応力が自分にあるのか、不安なのだ。勿論、審問会にはヴィンセントも同席してくれるので(イライザは念のため国外で待機のままである)、困ったら彼に任せてしまえばいいんだけど……ここまで来て他力本願ってのも、カッコ悪い気がする。
どのみち、俺が本当に知りたいのは公国と司教とどちらの言い分が正しいかではなくて、司教の背後に「あの御方」がいるかどうかなので、そこまで審問に気負う必要もないのだが…色々抱え込んでしまうのはやっぱり性分なのだろうか。
因みにこの場合の性分とは、間違いなく桜庭柳人のものである。面倒なことは全部見て見ぬフリをし続けていた魔王ヴェルギリウスだったら、高みの見物を決め込んでいたことだろう。
……まあ、あの頃の魔王が廉族の事情に首突っ込むこと自体がありえないんだけどね。
到着したばかりで悪いとは思うが、クルーツ司教をこのまま城へと連行して、すぐに審問会の開始である。
審問対象は、クルーツ特任司教及び、ペザンテ大公夫妻。証人として、司教の従者である修道士と、アマンダ女史、そしてジュリオ。
審問官は、俺とヴィンセント(一応、立場的にヴィンセントが主席審問官である)、書記は“暁の飛蛇”の一員が務めることになっている。
あと、ルガイアとイオニセスは警護係。場所は、大公城の大広間。
そう言えば、魔界には裁判って考え方も仕組みもなかったよなー。一応法律っぽいものはあると言えばあるけど、ほとんど全て俺が出した勅令ばっかり。秩序維持にギーヴレイが提案したものも多いから形はきちんと整ってはいるのがせめてもの救いか。
そろそろ法治国家としての枠組みを確立しておいてもいいのかも。
そんなことを考えつつ、俺はヴィンセントに続いて城へと向かった。




