第三百五十三話 見た目と実際のモフレベルは乖離しがち。
「お手」
「…………」
「おかわり!」
「…………………」
「伏せ!!」
「………………………」
にゃろう、言う事聞きやがらないな。
現在、クルーツ司教待ちである。彼が公国に護送されて来るのは明日になる予定。なので公国側の証人を確保するついでに、ジュリオの相棒に芸を仕込んでみようと思ったのだが。
敵視はされてないみたいだけど、全然言う事聞いてくれない。
「でも、すげーよなリュート。そいつ、知らない人間が触ろうとしたら絶対噛みつくのに、お前にはそうしないもん」
「まあ、モフると露骨に嫌そうな顔されるけどな」
そう言いつつ、グリフォンの腹毛をモフモフ。グリフォンの体毛はダブルコートで、上っ面は固いが下毛はものすっごくフワフワなのだ。
背中側はトップコートが密集してるのでチクチクするのだが、腹側はほとんどアンダーコートなので実にモフり甲斐があるのである。
で、モフられてる当のグリフォンはと言うと、めっちゃ嫌そうな顔ではふぅ~と溜息を付くのだが、暴れたり噛みついたり振り払ったりはしない。
これはよっぽどジュリオの躾が行き届いているのかと一瞬思ったのだが、どうもそうではなさそう。
「前なんてさ、慈善家気取りの坊主がほんとは怖いクセに我慢して撫でようとしやがってさ、思いっきり頭に噛みつかれてるんでやんの」
…………それ、普通に傷害沙汰じゃん。大丈夫だったのか?犬猫ならまだしも(それでもダメだが)グリフォンだよ?頭って、即死コースだと思うんだけど…。
俺の表情に気付いたのか、ジュリオは気まずそうな薄ら笑いで頭を掻きつつ、
「あんときゃオレもビックリしたけどさ、こいつちゃんと分かってて手加減してるから歯型が付いただけで済んだよ」
「それは……随分と自制心の利いたグリフォンだな………」
すごいな、おい。グリフォンの知性って、そこまで高くないぞ。相手が軽い怪我で済む程度に手加減させるとか、多分魔族にも俺にも無理だ。
躾じゃないとしたら、こいつは人間社会のルールが分かってそれに従っているか、或いはジュリオの意思に反することはしないのか。いずれにせよ、魔獣学会とかあったら論文の一本でも書いてみたくなる案件である。
「だからさ、噛みつかれないリュートは珍しいんだって。こんなん初めてだ。お前よっぽど魔獣に好かれるんだな」
「いや…好かれてるわけじゃ、ないと思う……」
おおよそ、俺の気配にヤバ気なものを感じ取っているだけだろう。こいつ敵に回したらヤバい…みたいな。
好かれてるんだったら、もう少し愛想を振りまいてくれたっていいだろうに。
「そうか?でもグリオがこんだけ近付かせてくれるのって、他にはいないぞ」
「……グリ男?」
「そ、グリオ。こいつの名前」
「………………分かりやすい名前だな」
グリフォンだから、グリ男?それとも、ジュリオのグリフォンだから、グリオ?
まあ、他人様のネーミングセンスにケチつける趣味はないけどさ。
「にしても、なんか特別なグリフォンだったりするのかな?」
グリフォン一匹、大した問題ではないのだが純粋に気になる。地上界のみならず、魔界でも魔獣による被害ってのは馬鹿にならないのだ。魔族だからって皆が皆、一騎当千なわけじゃない。
そのとき、ずーっと直立不動で部屋の隅に控えていたイオニセスが、口を開いた。
「……特別と言うならば、グリフォンではなくジュリオ殿の方でしょう」
「……ジュリオが?」
別に、ごく普通の人間種の子供に見えるけど…特に魔力も強くないし、何か隠している気配もない。
「はい。ごく僅かにですが、彼女から“反射”の特性を感じます。おそらくは固有スキルかと思われますが、それにより魔獣に己の意思を伝え、また魔獣の意思を感じ取っているのではないか、と」
「反射……それって普通、外部からの攻撃を跳ね返す系じゃなかったっけ?」
そんなスキル…というかそれはもう職能と言うより天恵に近いのだが、聞いたことはある。
炎熱系反射なら、炎や氷雪を、雷撃系反射なら雷を、防いだり無効化するのではなく、跳ね返してしまう力。無効化の上位版と言ったところか。
「攻撃だけに限りません。精神系で、しかも本人にも自覚がないほどに微弱なもののため、このような結果が見られるのだと思います」
「へぇー…………精神系反射、か。…ふぅーん」
「……陛下?」
「あ、いや、何でもない」
………ルガイアやイオニセスには効いてないし、大公夫妻やアマンダ女史にもそういう素振りは見えなかった。
微弱だと言うので、知性レベルの高い相手には通用しないのだろう。魔獣とか獣レベルであれば、以心伝心…程度のことで。
ただ、それって要するに、自分の精神…気持ちだとか意思だとかを相手に浸透させて、自分の影響下に置いてしまう力ってわけだよな?
それって…………考えようによっては、とんでもなくヤバい能力じゃね?それがもし、知的生命体にまで通用するレベルであった場合、このガキんちょは武力や謀略無しに、他者を自分に迎合させることが出来るってことになる。
ううーん……微弱ってレベルで良かった。そうじゃなきゃ、後々のために俺はジュリオを排除しなくてはならなくなってた…かも。
いくら生意気でこまっしゃくれた小僧でも、手に掛けることに罪悪感がないわけじゃ………
…………んん?
「………イオニセス、お前今、「彼女」って言った………?」
「ジュリオ殿のことですか?はい、言いましたが」
………………。
「ジュリオ、お前、女だったのか!?」
イオニセスは盲目である。少年の声も少女の声も同じように高いので普通なら彼が勘違いしたと考えるべきなのだが、こいつに限って間違えるはずがない。
ビックリしてジュリオの方を向いたら、ジュリオもすごくビックリしていた。
「……おどろいたー。すげーな、このにーちゃん。今まで当てられたことないのに……なんで分かったん?」
……うーん…よくよく見てみれば………男にしては、優しい顔立ち…?しかしまあ、二次性徴もまだな子供ってのは男女の区別が付きにくい。髪を短く刈り上げて、よく日焼けした肌色で、少年と間違われても仕方ない…と言うか、おそらくジュリオは敢えて少年と間違われるように振舞っている。
理由は……分からなくもない。いくら治安が悪くなくてご近所の人間関係に恵まれたと言っても、グリオという心強い護衛がいたとしても、少女一人が下町のスラムで生きていくのは様々な危険を孕んでいる。
いやー、思い込みってのは怖いね。
もしかしたら、グリードも分かってたのかも。あのオッサンの観察眼は半端ないから。
……正直、ここにエルネストがいなくてほんっとーーに良かった。いたら絶対、あることないことでっち上げられて魔界で吹聴されるところだった。
ルガイア兄ちゃんが弟とは正反対に大真面目な奴で良かったー。兄弟と言っても片腹だし、ずっと離れて暮らしてたからここまで差が…
「なあ、リュート」
「……んあ?なんだ神妙な顔しやがって」
主を揶揄することに我が身を顧みず全力を注ぐ忠臣がここにいない安堵に身を浸していると、ジュリオが何やら真剣な顔をしていた。
「お前、やっぱり……偉いヤツだろ」
「なんで断定調なんだよ。つーか、そこまで偉くないって言って…」
「そこのにーちゃん、お前のこと陛下って呼んでたじゃん!!」
……………………あ。
しまったイオニセスこの野郎、あんだけ言っといたのに口滑らせやがったな。
ジロリと睨み付けると、見えないはずなのに(気配か?)イオニセスが申し訳なさそうに身を縮こませた。
「陛下って、確か王様に使う言葉だよな?だってここの大公さまだって、陛下って呼ばれてないぞ」
んー…まあ、大公につける一般的な敬称は「殿下」か「閣下」だもんなー…。そう言やジャクロフ五世は資料じゃ「閣下」って付いてたな。なんかめんどくさい歴史問題とか権力構造とかありそうだから深く考えずにスルーしたけど。
「えー…あー、いや、なんつーか………あだ名?…みたいな?」
いつぞやも使った言い訳で誤魔化す俺。そもそも、王様がこんなところいるはずないじゃん普通に考えて。
「……あだ名………本当に?なんか嘘くせー………」
う。鋭いなこいつ。大人と違って普通だとか常識だとかに囚われないからか。
しかし嘘も真も、誤魔化すしかないだろ。本当に本当のこと話しても信じないだろうしさ。
「ま、よく言われるよ?リュウトさんてば王侯貴族のように気品溢れるお姿で何処の王子かと思いましたわ♡とかって、ご婦人がたにはよく言われるよ?」
「…………あーはいはい、良かったな」
よし、狙いどおり誤魔化せた。ジュリオのものすっごく冷めた目を見れば分かる。
少し心が傷付いてしまったような気もするが、結果オーライである。
「あ、そう言えばさ、リュート。司教が取っ捕まったってほんと?」
「…耳が早いな。明日にはこっちに到着する予定だ。大公夫妻とアマンダ女史も呼んで、審問するつもりでいる」
「オレも行きたい!!」
なんとなく予想はしていたが……こいつ、とことん首を突っ込むつもりだな。
「言っとくけど、遊びじゃないんだぞ」
「分かってるって!」
「許可なく発言することは許されないし、騒いだり場を乱したりしたらすぐ追い出されるんだぞ」
「分かってるってば!」
………本当に、分かってるんだろうか。
しかしまあ、被害者に身近な証人って言うとこいつが適任なのは確か。実際に司教側の聖職者とも接触してるし、失踪した子供たちと彼らとの遣り取りも見聞きしている。
「…分かった、審問官権限で許可しよう。けど、グリオは……」
いくらなんでもグリフォンを審問の場に連れていくことは許可出来ない。そう思って、ジュリオにもそう伝えようとして、俺は思いとどまった。
「…グリオ?一緒じゃダメなのか?」
「…………………いや、別に一緒で構わない。その代わり、大人しくさせておけよ?」
俺の一言が意外だったのか、ルガイアが少しだけ目を丸くした。
「…よろしいのですか?」
“暁の飛蛇”のフリをしているが実際は魔王の臣下でしかないルガイアにとって、ルーディア聖教の異端審問などどうでもいい話である。が、こういう公の場にペットを持ち込むという行為は魔界でも非常識なのか、俺の判断に疑問を持っているようだ。
「んー…まぁ、別に……いいかな」
が、歯切れの悪い俺の口調に隠れた何かを感じ取ったのか、それ以上は何も問いただしてこなかった。




