第三百五十一話 嫌な予感は八割方当たる。
思うんだけどさ。
他時空間を自由に行き来できるのが自分だけだってのは、ちょっと問題だよね。
何が問題って、俺が忙しすぎる。
ペザンテ公国で七翼の仕事をこなして、魔界に戻って魔王の仕事をこなして、また地上界に戻って……って。
おかげで、我が家に戻る時間が全然ない。
まあ、アルセリアたちに関してはグリードが引き受けてくれてるのがありがたい。おかげで、心置きなく仕事に専念できるというもの。
ペザンテ郊外で待機しているヴィンセントたちにもグリードが連絡を入れてくれてるから、そっちの方も気にしなくていい。
なので、当面は公国と魔界を行ったり来たりするだけでいいのだが……その「だけ」ってのが結構忙しかったりする。
日中は公国で仕事だから、魔界に帰れるのは夜のみ。俺にとって睡眠は不可欠なものではないからいいけど、これ普通だったらオーバーワークだよね。過労死しても労災下りるのか?つか魔王ってもしかして個人事業主?
……職務外だから七翼の方で時間外労働賃金を請求するわけにもいかないしなー…。
「陛下、どうなさいましたか?」
「あ、ああ、なんでもない」
そんなことグダグダ考えてたら、ギーヴレイに心配された。ちょっと恥ずかしい。
「それで、アレの様子はどうだ?」
「は。だいぶ魔界にも順応したようで、落ち着いております。黒幕に関する記憶が戻る気配は今のところありませんが、それでもいくつか情報は聞き出すことが出来ました。お会いになりますか?」
「……そうだな、そろそろ顔を出しておくか」
アレ、とはセレニエレのことである。目を覚ましてから数日、俺は敢えて彼女には直接会っていない。初日でそれなりに警戒を解くことは出来たと思うが、それでも魔王に対する恐怖や忌避感はそう簡単に消えるものではないだろう。なので、しばらくは他の者に彼女の面倒を任せてたわけだが。
「これは陛下、お戻りになられていたのですね」
その部屋を覗くと、ルクレティウスが俺に気付いて一礼した。その背後に半ば隠れるようにして小さな人影。
セレニエレが、半分だけ顔を覗かせてこちらの様子を窺っている。
やはり、まだ完全に警戒は解けていないということか………って。
「……随分、打ち解けている…ようだな…?」
セレニエレは、ルクレティウスの後ろにぴったりくっついて、彼の裾をキュッと握りしめている。まるで、小さな子供が父親の背に隠れるみたいに。
……或いは、おじいちゃんと孫……?
「そうですな、少しは信頼してもらえるようにはなったようです」
少しは…ってレベルじゃないと思う。俺とヒルダの距離とほぼ同じだもん。一体何をどうしたら、天使(堕天使だけど)にそこまで懐かれるんだ?さてはこいつ、野良猫にも懐かれるタイプだな。岩〇さんか。
「……そうか、ご苦労だったな」
「勿体ないお言葉にございます。が、孫のことを思い出してなかなか楽しゅうございましたぞ」
…………孫?え、ほんとに孫いたのルクレティウス?つか、結婚して子供もいたとか知らなかったんだけど(酷い上司だ)。
ってことは……俺の復活を待つために、家族と別れることになった…わけだよな。
……うぅ、ちょびっと罪悪感。あっけらかんとしてるけど、彼は辛くなかったのだろうか。
「……孫がいたのか」
「はい。この娘に似て、随分とじゃじゃ馬でした」
そう言ってセレニエレの頭を撫でるルクレティウスは、六武王随一の戦上手“不動のルクレティウス”ではなく、どこにでもいる孫思いのおじいちゃんにしか見えなかった。
で、撫でられるセレニエレのくすぐったそうな笑顔と言ったら。こいつ、こんな愛くるしい表情をする奴だったとは。
…まあ、二人の間にどんな遣り取りがあってこういう関係になったのかは知らないが、実に好都合。記憶を消されたセレニエレには拷問や尋問など無駄だが、自発的なお喋りの中に有用な情報が含まれていることだってあり得る。
肝心要の記憶は消されていても、その周辺情報が健在ならばそれを継ぎ接ぎして「あの御方」のヒントくらいは掴めるかもしれない。
「それで、セレニエレ。お前に指示を出していた者のことはまだ思い出せないのだな?」
差し向いに腰掛けて、俺はセレニエレに問う。ルクレティウスにぴったりくっついたままのセレニエレは、少しだけ怯えたような視線を俺に向け、それからルクレティウスを見上げた。
その視線に気付いたルクレティウスはまたもやセレニエレの頭を軽く撫でて、
「良いか、お主は今や、魔王陛下にお仕えする臣下の一人。畏敬の念を抱くのは大切だが、主を拒むことは決してあってはならない」
…と、台詞は厳しめだが優しく穏やかな口調で言い聞かせた。
………うん、俺のメフィストフェレスばりの甘言とは違う、誠実で安心感を抱かせるような声色だ。俺も少し見習った方がいいかも。
セレニエレはその言葉に頷くと、俺の方を向いてぽつりぽつりと答え始めた。
「……うん、全然思い出せない…」
「名前や姿などの具体的なことだけではなく、どういった者なのかということもか?」
「…………うん」
「そうか。なら質問を変えよう。お前は、「あの御方」のことが好きか?」
「……………?」
セレニエレが、怪訝そうな顔をする。その質問に何の意味があるのか、と思ったのだろう。
実際、セレニエレが「あの御方」を好いていようが嫌っていようが、それ自体には何の意味もなければ興味もない。だが、
「…どうだ?「あの御方」と会っているとき、お前は楽しかったか、それとも苦痛だったか?」
「…嬉しかった」
「ならば、お前は「あの御方」のことが好きなのだな」
「…………うん、好き。大好き」
セレニエレの表情に、一瞬光が射した。忘れてしまった「あの御方」との楽しい時間の記憶が、その片鱗だけでも甦ったか。
「ならば、リュシオーンはどうだったと思う?あやつも、「あの御方」のことを好いていたか?」
「………大好きだったと思う」
「何故そう思う?」
「だって……「あの御方」のご命令を実行するとき、いっつもすごく嬉しそうだったもん」
「お前は?お前もそういうとき、嬉しいと思ったか?」
「……うん、思った」
…ふむ、やっぱりな。「あの御方」に関する記憶を失っているとは言っても、それは具体的情報に関してのみ。名前や姿、声、正体に繋がることは忘れていても、自分が「あの御方」に対して抱いた気持ちは、失われずに残っている。
「なぜ、嬉しかった?」
「……「あの御方」に、喜んでもらえるから…お役に立てるから、嬉しくて、誇らしかった」
嬉しくて……誇らしかった、か。俺の臣下の、俺に対する気持ちと似ているな。
と、すると……セレニエレと「あの御方」を結び付けていたのは、利害ではないということ。私欲のために「あの御方」と協力していたというわけではなく、「あの御方」に忠誠を誓っていたということ。
力関係で言えば、最高位天使よりも「あの御方」の方が勝っているということ。
魔王をも翻弄し、創世神の構築した理を歪め、まるで楽しんでいるかのように世界に干渉する存在。
実に周到な輩だとは思うが、それにしては一貫性を感じない。それほどの力を持っているのであれば、例えば世界支配を望むなら実行に移せばいいだろうに、一向にそうはせずに裏でウロチョロと小細工ばかり。一体、何がしたいのか、その目的が見えてこない。
……或いは、目的などない……寧ろ、楽しむことが出来ればそれでいい…みたいな。
…………うーーーーん、これはちょっと………
「…陛下、どうなされましたか?」
俺が難しい顔をして考え込んでいたもんだから、セレニエレは怯えさせてしまったしルクレティウスには心配させてしまった。
「………いや、大したことではない、気にするな。……ルクレティウス、引き続き彼女の面倒を頼めるか?」
「御意」
ちみっ子堕天使のご機嫌伺いはこのくらいにして、俺はギーヴレイと今後のことを打ち合わせるために執務室へ。
今までは様子見だったが、そろそろ最大限に警戒態勢を取っておいた方が良さそうだ。
正直、ペザンテ公国の件にこれ以上構っていたくない。今のところ、そっちに「あの御方」の影はなさそうなので、俺にとっては時間の無駄なのだ。
人間主義か宗教改革か知らないが、そんなのはどうでもいい。法衣を纏った人非人のせいで苦しんでいる人々に同情はするが、本来彼らを救うのは魔王の仕事ではないのだ。
…と言うか、こういうときこそ「勇者」の出番なんじゃ…?
うん、ペザンテ公国に関しては多少強引でもいいからさっさと終わらせてしまおう。それが無理なら、ヴィンセントとイライザに丸投げしてやる。グリードも否やとは言わないだろうし、言わせない。
……はぁ、こんなだから忙しいんだよな。働き方改革って言葉が恋しくてならなかったりする今日この頃である。




