第三百四十八話 魔獣と少年
紹介された市民代表というのは、パッとしない(ように見える)中年の女性だった。
とは言え、第一印象だけで判断するのは危険である。そう思って最初から用心していたのだが、話していると中身もパッとしない感じだなー…と気付いた。
ペザンテ公国の大公ジャクロフ五世と奥方メイリーンは、早朝まだ日の出前に俺たちの部屋に突入してきた。深夜のうちに魔界から戻って来てたから良かったものの、タイミング次第ではすごく面倒なことになるところだった。
そして、戸惑う俺たちを強引に城外へ連れ出して、件の市民代表の居所へと引っ張っていったのだ。こちらのペースを乱して主導権を握ろうと考えたのだろう……おそらく奥方が。
その代表だという女性、パッとしないと言っても、無能な感じがするわけではない。突然の来訪者(しかも君主に連れられた異端審問官)に驚きつつも何とか落ち着こうとしているのが分かるし、口調は静かだがきちんと自分の意志を持ってそうだし、話は理路整然としてるし、何より大公からの信頼を得ている。多分市井レベルではとても有能な人物なのだろう。
ただ、比較対象が今まで俺が接してきた常人離れした連中(勇者とか枢機卿とか教皇とか姫巫女とか)ばかりなので、このレベルだとどうしても凡人に見えてしまうだけで。
「……サクラーヴァさん…とおっしゃいましたね。それで、聖教会は一体どうなさるおつもりなのですか?」
ジャクロフ五世ほどビクビクしてはいないが、夫人ほど開き直った様子でもなく、その女性…アマンダ=フューリーと名乗った…は探るような目つきで尋ねた。
嘆き節でこちらを戸惑わせてくる大公や主張だけを並べ立てる大公夫人よりもよっぽど現実的である。
「どう…と言われましても、それを決めるのは自分ではありません。ここで調査した結果を上に報告しまして、下された命令を遂行するだけなので」
冷たい答えだとは思ったが、それ以上に答えようがない。ただ少なくとも、今すぐに問答無用で彼らを「断罪」することはないということさえ伝わればいい。
いくらルーディア聖教会異端審問部隊と言っても、相手の言い分も聞かずに皆殺しだなんて非人道的な振舞いはしない……と、思う……と言うか、思いたい。
ヴィンセントからは、公国内の様子と彼らの主張を聞いてくるようにとしか言われてないし、多分、俺の報告内容でグリードの判断を仰ぐことになるのだろう。
グリード=ハイデマンは容赦ない男ではあるが、同時に合理主義者である。必要以上に残酷な行いで後々に禍根を残すような真似は避けたいはず。
……禍根を残さないように一人残さず皆殺し…なんて結論にならなきゃいいけど。
まぁ、そんなことしたら彼の愛娘たちが黙ってはいないだろう。
「そう…ですか。クルーツ特任司教の所業については、聖教会は把握して下さってるのでしょうか?」
アマンダ女史の疑問は俺も同じだ。聖教会も馬鹿じゃないんだから、赴任先から反感を持たれている司教を何の策もなく放置するとも思えない。
公国からの報告と陳情は、トルディス修道会あたりで止められてるんじゃないだろうか。
「その件については、再度自分の方から直接ハイデマン猊下に報告させてもらいます。そのためにも、現状を正確に、詳細に把握しておきたいのですが」
何しろ、俺の報告如何によってはペザンテ公国が滅亡してしまうかもしれないのだ。責任は重大である。
「…………分かりました。我々の主張に関しては、詳細を文書にしてお渡しいたします。それとは別に、会ってもらいたい者がいるのですが……これから一緒に来てもらえますか?」
どうやら、事情通か何かがいるらしい。民衆の生の声を直接聞けるというのは貴重な機会なので、勿論断る理由はない。
俺は、国境付近で待機しているヴィンセントのところにルガイアを報告に遣わして、イオニセスと共にアマンダ女史が紹介したいという人物に会いに行くことにした。
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アマンダ女史が俺(とジャクロフ五世と奥方)を連れて行ったのは、公国の下町だった。
小国とは言えども格差は避けられないようで、そこはスラムに毛が生えた程度の、低所得者層向けの居住地だ。
こんなところ、大公やら大公夫人やらが歩いて大丈夫なんだろうかと他人事ながら心配になってしまったのだが、どうやらそれは杞憂だったようだ。
道行く人々が、気さくな感じで大公夫妻に挨拶をする。夫妻も、同じように気さくに挨拶を返す。軽口を叩き合う姿も見られた。
貧しい下町と言っても、雰囲気が明るい。魔都イルディスのスラム街のような怪しげな感じもない。そりゃあ、決して治安がいいとは言えないかもしれないけど、玄関先で女性らが井戸端会議してたりその周りで子供たちが駆け回っていたり、休憩中の労働者たちが煙草をふかしながら賭け事に興じたり、それぞれが貧しいなりに生活を楽しんでいるように見えた。
そして、概して大公夫妻への好感度が高い。
尊敬されている…というのとは、ちょっと違う。大公に向かって、「よう大将、相変わらず嫁さんのケツの下かよ」とか、夫人に向かって「今日もいい肩してるじゃねーか奥方様よぅ」とか、揶揄する声が多い。で、それに応える二人も軽口に付き合っていて、腹を立てる様子は見られない。寧ろ、面白がってるくらいだ。
…いい関係が築けているんだな、と感じた。
アマンダ女史が足を止めたのは、そんな下町の一角。やや崩れかけた石造りの小屋の前だった。
「ジュリオ、居ますか?」
小屋のドアは壊れていて、代わりに葦簀が掛けてある。それをめくって、アマンダ女史が中を覗いた。呼びかけに答える声が、中からしたのだけど…
「なんだよまた来たのか、おばさん」
「ぐるるるる……」
………ん?なんか今、低い唸り声みたいなのが………
アマンダ女史は中には入らず、そのままで会話を続ける。
「そりゃ、貴方たちの様子を見るのも私の仕事ですからね。…けど、今日はちょっと違う用事がありまして」
「用事……?言っとくけど、施設はもう嫌だからな」
「ぐるるるる……」
ほら、また聞こえた。ジュリオと呼ばれている少年(多分声の高さから少年だと思う)の声に重なって、ぐるるる…って。
「分かってますよ…とは言え、私は諦めたつもりはありませんのでその件についてはまた今度じっくり話し合いましょうね。ただ、今回はそれとも無関係なことなんです」
「……仕事斡旋してくれるってんなら歓迎だけど」
「ぐるるるる……」
やっぱり、間違いない。犬とか虎とかよりも野太くて凶悪そうな唸り声が、ジュリオ少年の喋るたびに一緒に聞こえてくる。
………つーか、魔力反応があるんですけど…………まさか。
「ちょっと失礼」
「あ、ちょっとサクラーヴァさん!!」
俺は、何故かいつまでも入口付近でグズグズしているアマンダ女史を押しのけて、葦簀から中を覗いた。
昼前だというのに、採光のことなんて考えていない小屋の内部は薄暗い。徐々に暗がりに目が慣れて来たところで、俺の視界に入ったのは……
一人の少年と、一頭のグリフォン。
……………………。
……………………って、え?グリフォン!?なんでこんなところにグリフォンが!?
「…なんだよ、アンタ」
「ぐるる……ぐるるるるる…」
俺を見たジュリオ少年が胡散臭そうに訊ねる。彼の横にぴったり張り付いてまるで彼を守っているかのようなグリフォンも、合わせたように警戒の唸りを高くした。
「あ、えっと…俺は、リュウト=サクラバ。色々事情があって、ルーディア聖教会から来たんだけど…」
「てめー、教会の奴か!何しに来やがった!!」
俺の自己紹介を聞いたジュリオ少年、弾かれたように立ち上がって身構えて敵意を剥き出しにして叫んだ。
グリフォンも、彼と同じように…否、彼以上に怒りを見せて立ち上がる。今にも飛び掛かりそうな姿勢で、ナイフのような牙を剥き出しにしてこちらを威嚇。
「いや、何しに…って、俺はアマンダ女史に連れてこられただけなんだけど…」
軽く両手を上げてこちらに争う意志がないことを示す。ジュリオ少年は理解してくれたみたいで握りしめた拳を下ろしたが、グリフォンは前に進み出てそんな彼を背中の後ろに隠す。
……やっぱり、このグリフォンはジュリオ少年を守るつもりのようだ。
どういうことだろう……オロチやヒュドラほどではないにせよ、れっきとした高位魔獣であるグリフォンが人に慣れるなんてこと、ありえない……と思ってたんだけど……?
「アマンダおばさん、これってどういうこと?」
「あのね、貴方のことをこの人に話してほしいの。お友達のことや、貴方の知っている司教のことについて」
アマンダの懇願に、ジュリオはしばらく考え込んでいた。グリフォンは、黙りこくる彼の顔と俺とを見比べ、ジュリオの判断を待っている。
「ジュリオ、ボクからもお願い出来ないかな?あんまり聞かれたくない話かもしれないけど、この人なら公平な判断を下してくれるかもしれない」
大公であるジャクロフ五世にまでそう言われ、ジュリオはとうとう頷いた…ただし、渋々といった様子で。
「……分かったよ、殿様がそこまで言うんなら……話してやる。けど、オレはお前ら教会の奴らを信用したりはしねーからな」
家主の許可が得られたので、俺とイオニセスは小屋の中へ足を踏み入れる。が、背後で大公夫妻とアマンダ女史が慌てたのが分かった。
「…………?」
不思議に思って振り向くと、彼らは入口のところでまごまごしている。
何をやってるんだ?確かに狭い建物だけど、三人が入ったところでそこまでぎゅうぎゅうにはならないぞ。大公ともあろう者が、庶民の家に入ることに躊躇するってのも………………
…あ、そっか。グリフォンが怖いのか。平均的な廉族からしたら驚異的な相手だもんな。
逆に、まるで気にすることなく中に入って来た俺とイオニセスが意外だったようで、ジュリオは少し戸惑っていた。
グリフォンは、そんなジュリオを勇気づけるように顔を近付けて、彼の頬をペロリと舐める。
「…大丈夫だ。オレが合図するまでは、大人しくしててくれよ」
「くるるる……きゅうん」
ジュリオに撫でられて、甘えたような声を出すグリフォン。つか、グリフォンがこんな鳴き声を上げるなんて初めて知った。魔界じゃ騎乗用にたくさん飼育してるってのに。
グリフォンを手懐けるなんて、こいつもただのお子様ではないのかもしれない。
俺はイオニセスに目配せすると、ジュリオの向かい側に腰掛ける。
「んじゃ、どこから話すかな……」
少しだけ逡巡した後、ジュリオ少年はゆっくりと語り始めた。




