第三十三話 魔王だって、活躍したい。
無尽蔵に流れ込む“霊素”に体を委ね、俺はゆっくりと眼を開けた。
…ふむ。問題はなさそうだ。地上界で“星霊核”と接続した場合、その余波がとんでもないことになるのではないかと危惧したりもしたのだが。
今のところ、重大な変化はなさそうだ。
尤も、重大な変化、と言うのは、自然環境に回復不能な被害を与えてはいない、という意味であって、ちょっとした損害は考慮に入れていない。
たとえば、俺を中心に吹き荒れる“霊素”の奔流のせいで、牧場の柵が吹っ飛ばされてたりサイロがバラバラになりながら散らばっていったり(ここは村の郊外の牧場である。人が住んでないところで本当によかった)、というような。
「な……な、なな……………」
奇妙な鳴き声がするのでそっちの方向を見ると、腰を抜かした竜人がへたり込んでいた。鱗のせいで顔色は分からないが、多分真っ青か真っ白か、どちらかだろう。
圧倒的な存在値の差に、竜人はもはや戦意を彼方まで吹き飛ばされている。ついさっきまで調子よくしゃべり続けていたというのに、随分と心変わりが早いな。
とは言え、それが生物として本来あるべき姿なのだ。この俺を前にしてなお屈することのなかったアルセリアたちは、確かに“勇者”なのだろう。
「な…な…………」
なが多い。
「なんなのですか…お前…いや、貴方は……………」
今さら態度を変えたところで、俺のすることは変わらない。
「我が何者であるか、など知ってどうする?貴様に残されているのは、滅びの道のみだというのに」
冷徹に言い放つと、竜人は腰が抜けた状態ながらも、尻もちをついたまま後ずさりを始めた。気持ちは逃げているつもりだろうが、実に滑稽な姿だ。
「そう言えば、我が何を見せるのかを、楽しみにしている…と言ってはいなかったか?」
それに、身の程知らずとも言われたな。
「お、お待ちください!どうか、どうかご無礼を平に、平にお許しを!!貴方様に絶対の服従を誓います!どのようなことでもいたしますから、どうか命だけは……!」
見苦しい命乞いに、俺はわざとらしく溜息を一つ。
「実はな、つい先日も同じようなことを抜かす者がいたのだよ。だが、そやつはそう言いながらも、我の眼の届かぬところで、我の意に反する行いを続けていた。……これを、どう思う?」
「そ、そのような不届きな真似は、決して致しません!どうかお信じください!」
「そう、実に不届きな真似だな。それは裏切りだ。繊細な我は、少しばかり傷ついてしまったのだよ」
背後で、何が繊細よ、とかなんとかアルセリアがブツブツ言っている。
おい、聞こえてるからな。後で覚えとけよ。
「だからな、我は裏切りが嫌いだ。堂々と刃を向けられる方が万倍もマシというもの。ましてや、最初から裏切るつもりであるのにそれを隠し、相手に自分を信じさせるように画策する…などという真似をされたら、我であればきっと悲しくてたまらなくなってしまうであろうな」
背後で、誰の話よ、とかなんとかアルセリアがブツブツ言っている。
もう、黙っててもらえるかな。こういう演出なんだから。
エルネストに対する自分の行いを言っているのだと、竜人と化した村長も気付いたのだろう。ただでさえひどかった震えがさらに速度を増し、もうマッサージチェアなんじゃないかというところまで達している。
流石に“霊脈”に近い存在だけはある。自分が何と対峙しているのか、よく理解しているのだろう。
お気楽単細胞勇者とは、その点、雲泥の差だな。
「わ…私は………いやだ、こんなところで終わりたくない……私は、わたしはぁああああ!!」
恐怖が最高潮に達したのか、あるいは自棄になったのか、あるいはその両方か、竜人は一際高く咆哮した。
その雄たけびと共に、奴の周囲から膨大な魔力が立ち上り、渦を巻きながら上空へ。
「……何、アレ!?」
「雲……でしょうか……」
「なんか、ヤダ。……お兄ちゃん、怖い」
アルセリアたちもそれを不安げに見上げる。
本来は目に見えないはずの魔力が、あまりに凝縮されたために、まるで雲のような塊を形成していた。その塊は、それだけで既に最高位術式を軽く超えるエネルギー量を抱え込んでいる。
形成した本人でさえも、その中に突入すれば原型を留めてはいられないだろう。
なるほど。一か八かで最大出力の攻撃をぶちかますつもりか。
「ヒルダ、危ないからちょーっと離れててな。…お前らも、もちょっと下がってろ」
腕にしがみつくヒルダと、その少し後ろにいるアルセリア、ベアトリクスを下がらせる。
「この、化け物があああっ!!!」
気持ちは分からなくもないが自分のことを棚に上げ、俺を化け物呼ばわりすると、竜人はその超高密度の魔力塊を、上空から思い切り、俺に叩きつけた。
轟音、振動、爆風。
たまらず吹き飛ばされる三人娘の悲鳴が聞こえた。
まったく、下がってろって言ったのに…状況に対して距離の取り方がおかしいんだよ。
まあ、ベアトリクスの【聖守防壁】もあるし、何よりあれでれっきとした勇者だし、この程度で死ぬことはないだろう。
怪我くらいはするかもしれないが、いい勉強になったってことで。
などなど呑気に考えているうちに、竜人の放った魔力塊は見る間に薄れていった。
俺に触れた瞬間に、まるで、蒸発するかのように雲が消える。
俺を通して、竜人の魔力が“星霊核”に吸収されているのだ。先ほど、ヒルダの魔導術が無効化されたのと理屈は同じ。大きな力に、小さな力が呑み込まれているというだけ。
ただし、竜人と勇者たちの差が焚火とマッチの火、ならば、俺と竜人の差は、さしずめ太陽とマッチ。俺からすれば、比較対象にすらならない。
十秒もたたないうちに、俺の周囲にはすっかり静けさが戻っていた。
「そんな……そんなはずは…………あれだけの魔力をくらって、なんで、どうして、どうしてそんな……」
傷一つなく涼しい顔で佇む俺の姿を目の当たりにし、竜人の眼に絶望の影が降りた。全ての力を使い切ったのだろう、その姿には先ほどまでの覇気がなく、わずかな時間で随分やつれたように見える。
この状態なら、アルセリアたちにでも倒されてしまいそうな。
「い……いや…だ…………死にたくない、死にたく……ない……まだ……死にたくないぃぃ!」
先ほどと同じように吠えるが、先ほどのような力は既に残されていない。もはやこいつに出来るのは、その場を逃げ出すことだけ。
……否、逃げ出そうとすることだけ。
俺は、離れていこうとする竜人に手を伸ばす。
物理的に奴を捕らえるわけではない。
“霊脈”を介し、奴の存在そのものに、手を伸ばす。
その生命、魂そのものに触れる。
そして俺は、躊躇うことなく、それを握りつぶした。
苦悶の呻きも、断末魔の叫びもないまま、糸の切れた人形のように、竜人はその場に崩れ落ちた。
魂を破壊され、既に絶命している。
それが、強大な力に自分を見失った愚かな男の最期だった。
久々に、チート魔王です。




