第三百四十話 決意の行方
「アルシー、彼はもう出発しましたよ」
ルシア・デ・アルシェの大聖堂で一人座っていたアルセリアに、戻って来たベアトリクスは声をかけた。
緩慢な動きで振り返る様子は確かに、いつもの勇者らしからぬ印象を彼女に与えた。
「…どうしたんですか、一体」
その隣に腰掛けて、世間話でもするような気楽な口調で問いかけてみる。ベアトリクスには、アルセリアが抱えている悩み…悩みと言うより鬱屈とした思いに近いのではないかと思っているが…が何に対してなのか、大体の想像はついている。
だが、それでも今までの彼女と違う様子に、気掛かりがないわけではない。リュートは往々にして心配性だったり大げさだったりするところがあるが、こういう状態のアルセリアを放置するのは良くないような予感はベアトリクスも持っていた。
「んー……別に」
アルセリアの歯切れは悪い。どう答えればいいのか分からないのではなく、答えたくないからだ、とベアトリクスは気付いた。
「七翼の任務で出るんですから、見送りくらいはしてあげた方が良かったんじゃないですか?」
「……別に、私がいてもいなくても変わんないでしょ」
不貞腐れたような声には、思わず苦笑してしまう。アルセリア本人も本気で言っていないことは分かる。しかしそのまま黙り込んでしまったので、ベアトリクスは辛抱強く待った。
長い沈黙。ここでアルセリアが頑なに話すことを拒むのであれば、そっとしておこうとベアトリクスが思い始めたとき。
「……やっぱり……」
ぽつり、とアルセリアが呟いた。そしてまた沈黙。
話したい気持ちと話したくない気持ちの間で揺れ動いているようで、ベアトリクスはここでもひたすら待った。
やがて、
「………やっぱり…釣り合って……ないんだよね…」
「…って、それ……彼と、ですか?」
絞り出したアルセリアの一言に、思わずツッコんでしまう。
正直、何を今さら…という気持ちもある。そもそも、勇者と魔王なのだ、釣り合うとかいう問題でもない。
しかし彼女が悩んでいるのはそういう点ではないのだろうと思い、ベアトリクスは先を促した。
「どうして、そんな風に思うんです?」
「…ん……何て言うか………………だってあいつ、私のことなんか見てないんだもん」
「そんなことは、ありませんよ」
誤魔化しでも慰めでもなく、こればかりはベアトリクスにも断言出来た。リュートは確実に、自分たちのことを大切な存在として認識し、またそう扱っている。
しかしアルセリアが言いたいのはそういうことでもなさそうだった。
「そんなことあるのよ。私には分かるもの。なんか……目線が合わないって言うか……」
「目線?」
「時々……あいつが私の方を見て、でも私を見てないときがあるの。私を見て、一瞬間があって、それからすごく淋しそうな、打ちのめされたみたいな…途方に暮れた顔をするの………私の目の前で」
「それは……」
ベアトリクスには、ピンと来なかった。リュートはきちんとアルセリアに向かい合っていると思うのだが……彼女はそうは感じていないということか。
「あいつは、私の向こう側に私じゃない人を見てる。……なんかそれが、すっごく悔しくて堪らない」
「悔しい……ですか」
悲しいでも淋しいでも嫉妬するでもなく、悔しい。
実にアルセリアらしい物言いだとは思うが、ではその悔しさはどうすれば解消するのだろう。
アルセリアの言う「私じゃない人」。それが誰を指すのか、ベアトリクスも、そしておそらくアルセリア自身も気付いている。
リュートが…否、魔王ヴェルギリウス=イーディアが何よりも気に掛ける存在。誰よりも思いを寄せる存在。
それに張り合うなど、人の身に赦されることではない。そのこともまた、二人には分かっている。
そこまで話して、アルセリアは再び黙り込んだ。ステンドグラス越しの光が移動して、彼女らのすぐ傍らにまで差し掛かってなお、立ち上がろうとはしなかった。
「………アルシー、ビビ……なにしてんの?帰ろう」
いくら待っても戻ってこない二人に業を煮やして、ヒルダが迎えに来た。聖堂の入口から、遠慮がちに中を覗き込んでいる。
ベアトリクスは、それ以上聞き出すことを断念した…少なくともこの場所では。
「そうですね、帰りましょう……私たちの家に」
後は、我が家でのんびりしながら少しずつ聞けばいい、時間はたっぷりあるのだから。
先に立ち上がってアルセリアに手を差し伸べると、彼女はその手を取って立ちながらぽつりと、
「……強く、なりたいな」
今までで一番静かに、今までで一番決意を込めて、誰にともなく呟いた。
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ペザンテ公国は、ロゼ・マリスの南隣のディートア共和国のさらに南、オーウ山脈の向こう側の小国である。大陸中央からは交通の便も悪く、距離もあるために決して交流が盛んとは言えない。
国教はルーディア聖教トルディス修道会…のはずだが、そこから派遣された神官は先日国外追放になってしまった。
人口は二十万前後、主な産業は漁業及び林業。オーウ山脈から南はけっこうな山岳地帯なので畑作に適した平地が少なく、海路を利用した木工製品の輸出が一番の収入源となっている。
決して豊かとは言えない国ではあるが、人々は素朴で質素な生活の中で助け合って暮らしている。そのため、国民の結束は強い。
同じ山岳地帯でも、部族間の争いが絶えないディートア共和国とは随分な違いだ。単一民族ということが大きいのか、或いは他に要因があるのか。
俺は、グリードから渡された資料を読みながら、「あの御方」がこの地に目を付けたとして何のメリットがあるのだろうかと考えていた。
決して力のある国じゃない。経済力、軍事力はもとより、国際的な影響力も低い。
……規模が小さいから、傀儡にしやすいということか……?しかし、天界をそうしようと画策していた奴にしては、やけに欲のない話じゃないか。
或いは、今回は「あの御方」、無関係だったりする…?もしそうなら、適当なところで切り上げてさっさと帰りたいんだけどなー。
俺たち七翼三人組と“暁の飛蛇”は、公国の手前で陣を張っていた。
いくらなんでもいきなり攻め込むのは野蛮すぎる。一旦兵を外に置いて、極小人数でペザンテに入国し公王の真意を問いただすという、実に紳士的な手段を取ることになっているのだ。
「んじゃ、俺が使者ってことで構わないか?」
構っても構わなくても強行するつもりで立候補したら、ヴィンセントからはあっさりOKが出た(今回の指揮官はヴィンセントである)。どうも彼、俺に関しては既に諦めの境地に達してるっぽい。
問題は……
「あら、一人なんて危険よ。私も行くわ」
……イライザが同行しようとしていること。
そりゃ、情報戦に強い彼女がいてくれるのは普通なら心強いことではあるんだけど…
動きにくいんだよな。なんとか上手い事、ここに残ってもらえないかな。
けど、こういうことに慣れてない新人の俺を単独で先行させるってのも不自然だろうし……
なぁヴィンセント、お前どうにかしてくんない?
ダメ元で視線で要求してみたら、なんか分からんが通じたようだ。
「イライザ、公王への質疑はリュートに任せて、お前には引きつづき情報収集を頼みたい」
「あら……そう?」
なんで付き合いの長い(ってそれほどでもないんだけど)勇者一行よりも、一緒にいる時間の少ないグリードとかヴィンセントとの方が以心伝心なんだろう。不思議だ。
イライザはあっさり引き下がってくれた。あの連中だったらゴネるところだが、やっぱりビジネスライクな関係ってのは楽チンでいい。
「相手が民衆となれば、情報操作の効果も見込める。連中の足並みを乱してくれ」
「ふふっ、お安いご用よ」
……なんか情報操作とか怖い単語も聞こえてきたけど…そっか認識操作とか大それたことしなくても、情報の扱い方一つで似たような現象は起こせるわけか。プロパガンダなんて最たる例だね。
「んじゃ、行ってくる」
「くれぐれも注意しろよ。公国の内部がどのような様子になっているのか分からないのだからな」
「何かあったらすぐに合図を寄越してね、助けにいくわ♡」
ヴィンセントとイライザに見送りを受けて、俺は一人でペザンテ公国へ向かう。
一人っつっても、ルガイアがくっついてくるし、既に内部には“戸裏の蜘蛛”が潜入してたりするんだけどね。
それに今回、こういう腹の探り合いに打ってつけの人材を連れてきているのだ。
さて、「あの御方」は今回の件絡んでるのかな?対面は果たせるかな?
期待半分不安半分で、お仕事開始である。
アルセリアは勇者なので(ポンコツだけど)、恋愛一辺倒で悶々としてるわけではありません。
が、やっぱりちょっと乙女なところもあるんですよあれで。本人はイマイチ自覚してませんが。




