第三百三十八話 家を新築すると転勤命令が下されるというリーマンあるあるは本当なのだろうか。
俺たちの家。
誰に気兼ねすることなく、自分を曝け出せる場所。
魔王だとか勇者だとか、そういう肩書やら立場やらを全て脱ぎ捨てることが出来る場所。
せっかく手に入れた、本当の意味での、この世界での俺の居場所。
……だったのに。
「……あのさぁ、猊下。昨日入居したばっかだって、知ってるだろ?」
早朝。
俺は朝食の準備すらまだなのに自室の鏡ごしに中年のオッサンと向かい合っていた。
「当然知っているけどね。しかしこれから好きなだけそこで過ごすことが出来るのだから構わないじゃないか」
「……他人事と思いやがって……」
「こちらはそれなりに緊急事態なのだよ。悪いとは思うが、すぐにルシア・デ・アルシェに戻ってくれ」
どうあってもこちらの言い分を聞くつもりがなさそうなグリードに、俺はこれ見よがしに溜息をついた。その程度じゃ奴には無意味だと分かっているが、ただの嫌味である。
「分かったよ。……で、あいつらは?」
「今回の招集は“七翼の騎士”のみに対するものだ。アルセリアとヒルダは同行の必要はないが……」
「ビビが行くんならついてくるだろ」
「……そうだろうね。彼女らにはルシア・デ・アルシェで待機していてもらおう」
今回、早朝だというのに完璧に身支度を整えた枢機卿筆頭が俺に連絡をよこしてきた用事。
……イライザの予感が、悪い方に的中してしまったのである。
地上界は広い。そして魔界や天界と違い、大小様々な主権国家がひしめき合っている。
それらを結びつける共通項として役割を果たしているのがルーディア聖教であるのだが、それとて一枚岩というわけではない。
聖央教会や、エスティント教会、トルディス修道会といった派閥もさることながら、各国の信仰の形にもそれぞれの特徴が見られた。
枢機卿のお膝元でありながら緩やかな教義のタレイラや、厳格なロゼ・マリス、新しい信仰を模索するサン・エイルヴ、宗教家より王権の力が強いフォルヴェリア王国等々。
政教分離を掲げる国もあれば、世俗主義の国もある。
そして、信仰の形が様々だということは、その考え方も様々であり、今回の天魔会談に対する反応もまた様々だったということ。
そんな国の一つに、不穏な動きが見られると聖教会に報告が上がった。聖教会から派遣されていたその国の司教が、突然追放されてしまったのだ。
その国、ペザンテ公国は周辺諸国との交流を積極的には行っていない。鎖国というほど徹底しているわけではないのだが、民族特性として排他的な気質を持つその国にとって、ロゼ・マリスから派遣された特任司教が大使のような役割を担っていた。
その司教が追放されたのだ、意味合いとしては、他国の大使を相手国へ強制送還するのと同じ。
「……で、アンタら“七翼の騎士”の出番ってわけ?」
ルシア・デ・アルシェに向かう馬車の中で、そう言うアルセリアは不満げだった。
「ペザンテ公国が聖教会の支配から抜け出そうとしてるから、異端審問で取り締まっちゃおうっていうことなのよね?」
その言葉にはトゲがありまくりなのだが、俺に言われても困る。
なにより、せっかくの新築我が家を堪能する暇もなく招集されて、一番面白くないのは俺とビビなのだ。
「まあまあ、アルシー。まだそうと決まったわけじゃありませんよ。何か行き違いとか、他の理由があったかもしれないじゃないですか」
しかしそんなことは噯にも出さず、ビビはにこやかなものである。本心を隠す巧みさってのは、やっぱり聖職者特有の技術だったりするのだろうか。
で、そんな技術とは程遠いアルセリアは本心や感情をダダ洩れにして一向に憚る様子はない。
「そんなわけないでしょ、七翼がご指名ってことは」
「そりゃ、異端審問機関だもんね、もともとは」
アルセリアを慰めるように彼女の頭を軽くポンポンしながら、キアが同調する。思えばこの二人も、随分と仲良くなったもんだ。
ヒルダはアルセリア以上にご不満らしい。ずっと無言で、俺の膝の上で可愛らしい仏頂面を見せて拗ねている。
「ま、出来るだけ早く帰ってこれるように頑張るしかない…よな?」
「猊下からどんな指令が下されるのか、にもよりますけどね」
ビビと顔を見合わせて、揃って溜息。
俺たちの猊下は、無理難題(を部下に押し付けること)が十八番だったりするのだ。
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結局、俺たちが懸念していたとおりだった。
ペザンテ公国は、聖教会が天界と魔界の橋渡しをしたことに、強い不信感を抱いているとのこと。
中立なのだから別にいいじゃん、と思うのだが、もともと地上界は創世神を信仰するという点で天界寄り。そもそも論として、「中立」なんてありえないのだ。
否、ありえないというのではなく、中立を標榜する時点で魔族寄りに舵を切ったと見なされても仕方ない、といったところか。
実際の原因は、他にもあったのだろう。それまで燻り続けて来た、聖教会に対する不平のようなものが。
そして今回の件をきっかけとして、溜まっていた諸々が噴出した…と。
現在の聖教会は、既得権益を死守することだけに力を注ぐ俗物の集まりだと、そんな教会に信仰を預けることは出来ないと、ペザンテは独自の教会組織を立ち上げて、ルシア・デ・アルシェの特任司教を追い出してしまったのである。
ルーディア聖教としては、当然認められることではない。既得権益云々の点は確かに事実で、彼らは彼らの信仰を貫くためにその権力を守らなくてはならないのだ。
はいそうですか、とペザンテの言い分を認めてしまっては、他の諸国への示しがつかなくなる。仮にペザンテに同調する国が現れたりしたら、歯止めも利かなくなってしまうだろう。
だから、事が大きくなる前に異端審問官の出番、というわけだ。
本気になった一国相手に、一機関に過ぎない“七翼の騎士”が出張ったところで意味があるのかは分からないが、聖教会はその先のこととして戦争も念頭に入れているに違いない。
何故ならば、彼らがペザンテへ派遣する人員が、ほとんど軍隊みたいなものだったからである。
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ルシア・デ・アルシェには、”七翼の騎士”の全員が集められていた。イライザとヴィンセント以外は、随分と久しぶりな感じがする。
でもって、ヴィンセントの俺を見る目がものすごーーーーく、複雑そうなのが気になる。
「今回は、ヴィンセントとイライザ、リュートに行ってもらおうと思っている。ヨシュアは追放された特任司教の保護を、ブランドンとガーレイはペザンテ近隣の国に赴いて牽制を頼む。ベアトリクスは引き続き、勇者アルセリアのフォローを頼むよ」
どうやらグリードは既に人員配置を決定していたらしい。淀みなく有無を言わせず指示を出されるもんだから、文句の一つでも言ってやろうと思ってたのに叶わなかった。
「あら、今回は一緒なのね、嬉しいわ」
イライザがしな垂れかかってくるんだけど、ちょっと……人目のあるところではやめてくんないかな。アルセリアの視線が………………あり?
……………おかしい。
いつもだったら、癇癪を起こすかヘソを曲げるかで絶対に何か言ってくるのに……
「……じゃ、私たちはウチで留守番してればいいのよね?」
「お……おう、出来るだけ急ぐようにするから…」
「大丈夫。無理しないでね」
………………。
……………………やっぱりおかしい。つか、なんか怖い!
不満げでもなく不貞腐れることもなく、さりとて笑顔で送り出すって感じでもなく、ものすっごく淡々としてるのが怖い!!
で、その視線がさりげなく俺とイライザの間を行ったり来たりしてるのがもう……
俺、何かやらかしたっけ………?心当たりが……ない、と言えば嘘になるけどでもでも最近はこれと言って……
「…リュート、聞いているかね?」
「へ?……あ、悪い悪い、…何だっけ?」
いけないいけない、グリードが伝達事項を告げていたのに全く聞いてなかった。仕事なんだからしっかりしないと。
上司に対して相変わらず馴れ馴れしい俺の態度だが、流石にヴィンセントはもう突っかかってはこなかった。
俺が任務とは別の何か…多分しょーもないこと…に気を取られていることを察して呆れた視線を向けつつ、グリードは何もなかったように話を続ける。
「…では、指揮はヴィンセント=ラムゼン。イライザとリュートは彼の指示に従うように」
多分それは、俺が色々と動きやすいように考えてくれての差配なのだが、アルセリアに気を取られて聞いてなかった部分に関しては説明を繰り返してくれなかった。
……仕方ない、後でヴィンセントにでも聞いておこう。
かくして、俺のハッピー新築ライフはたった一日で終わりを迎えてしまったのである。
それでも俺がまだ呑気でいられたのは、帰ってきたら好きなだけ我が家でのんびりすればいい、と考えていたからで。
あの家で過ごす日常…他愛も無くてちっぽけで大切な時間は、結局あの日一日限りだったのだということを、その時の俺はまだ知らなかった。




