第三百三十七話 ただいまとおやすみの言える場所
「ここが…………」
「私たちの、家……なんですね」
「………………ここは、ずっといていいの…?」
「決まってるじゃないか、ここがこれから私たちの居場所になるんだから」
リシャール地方を彷彿とさせる丘陵地帯。いくつもの緩やかな丘が続き、その間を流れる清流には小さな橋が架かっている。
その丘の一つに、新築のログハウス。
玄関前には、テラスがある。小さなテーブルと椅子があって、天気が良い日はそこでお茶なんて良さそうだ。
家の横には、馬小屋。今はまだ何も繋がれていないが、馬がいいかポニーがいいか、意見が割れている真っ最中なので決まるまでには時間がかかるだろう。
「ねぇ、早く入ってみましょうよ!」
待ちきれないようにアルセリアがドアを開けた。止める理由があるはずもないので、当然俺たちも続く。
明るい玄関ホール。吹き抜けになっていて、天窓から光が贅沢に降り注いでいる。
入ってすぐ右手に、客間が二つ。その向こうに、洗面所と浴室。玄関ホールを挟んで反対側が、キッチンとリビング。二階へ続く階段は、玄関ホールの向こう側だ。
「すっごーい、広い!明るい!!」
子供のようにはしゃぐアルセリアとヒルダ。ヒルダなんて、リビングの大きなソファに思いっきりダイブしてる。
アルセリアはそれよりも若干(あくまでも若干)行儀よく、自分もふかふかクッションに腰を沈めた。
「とても解放感がありますね。窓が大きいからでしょうか」
「へー、サンルームまであるよ」
ビビとキアは落ち着いているように見えるが、興奮していることは間違いない。ソワソワと、あっちを開けたりこっちを覗いたり。
暖炉を中心とした温かみのあるリビングと繋がっているのが、俺の根城であるキッチンだ。
料理を始めた頃からずっと憧れていたアイランドキッチン。建売だった桜庭家では望めなかったそれが、今俺の目の前にある。
……うーん、感激だ。
ちょっと贅沢をして、魔導式の三口コンロ。使うのが俺なので、動力源は問題なし。ちゃんとオーブンもある。シンクは大きめ。これも完全に俺の好みだ。
キッチンの使い勝手を確認している間に、四人はそれぞれの部屋を覗きに行ったようだ。二階から、わいわいと騒ぐ声が聞こえる。
俺は一人リビングに戻ると、暖炉の傍の安楽椅子に腰を下ろした。いい塩梅に、目線の高さに窓がある。緑の丘の連なっているのが見えた。
キアと会った頃も、俺は地上界で静かな時間を過ごすために自分の家を作っていた。だが、落ち着くことが出来る点こそ同じだが、静けさに包まれていたあの家とは違い、ここはひどく賑やかで、明るい。
……そっか。多分、今の俺が求めてるのは、静けさなんかじゃないんだな。
感慨に耽っていると、二階からバタバタと騒がしい足音が降りて来た。誰のものなのかは見なくても分かる。
「ねえねえリュート!ちょっとただいまってやってみるから、おかえりって言ってみて!」
「…は?お前何言って…」
「いいからいいから!」
こないだまで悩んでたのは何だったんだ、というくらい無邪気な様子で玄関の外に出るアルセリア。そしてすぐにドアを開けると、
「ただいまー!」
お前は小学生か、ってくらいの勢いで明るい声を上げた。
「……おかえり」
その姿がやけに微笑ましくて、俺はお望みどおり彼女を迎える。昔を思い出して…外出から戻る悠香の姿を思い出して、なんだか胸がギュッとなってしまった。
「………………へへ」
アルセリアが照れているところを、初めて見た。おいおい何だよ、アルセリアのくせに可愛いと思ってしまったじゃないか、アルセリアのくせに。
……って、なんで照れるんだよ。こっちまでつられて赤面してしまったぞ。
「……おにいちゃん、ボクも」
何故かヒルダが対抗心を燃やし、同じように玄関に向かった。
そしてドアを開けて、しかしアルセリアとは違い少しはにかみながら、
「………ただいま…」
………………!
か、可愛すぎる!!何その愛らしさ!
「おかえりー、ヒルダーー!!」
そりゃ、抱き上げて頬ずりしても仕方ないよな!
んもー、オズオズとした感じが堪らない!!
「……………リュートさん、私もよろしいですか?」
「あ、じゃあその次は私ね、ギル」
ビビとキアまで言い出した。なんだ、こいつらの中で帰宅ごっこがマイブームだったりするのか?
結局、その後全員が満足するまで三周くらい「おかえり&ただいま」を繰り返すことになったのだった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
その日、全員が就寝のため自室に引っ込んだのは、日付が変わってしばらく経った後だった。
予想どおり、リビングに固まってとりとめのない話をしていたのである。
「あーーー、家っていいわねぇ」
まだ一日も過ごしていないのだが、すっかりくつろいだ様子で長椅子に寝そべってアルセリアが言った。抱き枕代わりにしているクッションは、中の羽毛の比率からカバーの布地まで拘り抜いて彼女自身が選んだものである。
「これからは、ここを拠点に動くということになるのですよね?」
「まあ、基本的にはそうだろうな。ただ、地理的に遠いところに行くときは」
「リュートさんがいれば問題ないじゃないですか」
……ちょっとビビさん。そんな安易に“門”使わせようとしないで。
「けど、なんかいいね。何処にいても、ここに帰ってきていいんだって思える場所があるってのはさ、なんだか安心出来るって言うか」
どこでも器用に生きていけそうなキアがそんなこと言うなんて意外だ。それとも、昔はやっぱり無理をしていたのだろうか。
「ねぇ、ここから一番近い街って何処になるの?」
「確か、街道を少し下ったところに大きめの街があったと思いますよ」
「じゃあ、明日はお休みってことで、色々見て回らない?」
アルセリアはとことんはしゃいでいる。が、まだ足りない生活物資もあるわけだし、買い出しついでにプチ観光ってのもいいかもしれない。
「そうだな、近くに何があるのかは把握しておいた方がいいだろうし、そうするか」
「決まりね。それじゃ、そろそろ寝ようかな」
「ええ、ヒルダなんてもう寝ちゃってますよ」
「ギル、重くない?」
俺は、膝の上のヒルダの髪を撫でた。可愛い妹を重いと感じることなんて、あるはずがない。
三人に続いて、俺はヒルダを抱っこしたまま二階へ。まずは彼女を部屋のベッドへ寝かせる。
「……ふふ。ヒルダってばガラになくはしゃいでたから、疲れちゃったのね」
アルセリアは年上ぶってそんなこと言うが、
「……はしゃぐのはお前だって負けてなかっただろうが」
「な、何を言ってるの?子供じゃないんだから、こんなことではしゃいだりしないわよ!!」
………いーや、はしゃいでたね。多分、全員の中で一番はしゃいでいたね。
「………まあ、いいわ。ちょっと浮かれてしまったのは確かだもの」
「ちょっと……?」
「うるっさいわね!………………………それと、その………ありがと」
…………ん?どういう風の吹き回しだ?
「こういうの、多分……夢だったの。無条件で居てもいいって言ってもらえる場所。そんなの無理だって、ずっと思ってたから………」
呟くような小さな声が、少しだけ震えていたように聞こえた。
「ま、そういうことだから!アンタが気を回してくれたことには、お礼を言っとくわ!!」
しかし俺がどう答えたらいいのか迷っているうちに、すぐにいつもの調子を取り戻して笑う。
「それじゃ、おやすみなさい」
「…あ、ああ………おやすみ」
そのテンションの変わり具合についていけない俺を翻弄するように身を翻すと、アルセリアは再び微笑んだ。
「ふふっ。やっぱりいいわね、こういうの」
軽やかに自室へと向かう彼女の後姿を見送りながら、俺はと言えば、そんなアルセリアの笑顔にひどく懐かしい雰囲気を感じて、しばらくの間その場に立ち竦んでいた。
アイランドキッチン、憧れです。あとガスオーブン。
けど、自宅はスペース的に不可能…
なので妄想で楽しむことにしています。




