第三百三十二話 それぞれの思い
「……………………。承知致しました。では、即座に取り掛かるといたしましょう」
言葉の前の沈黙が、ギーヴレイの内心を物語っているような気がした。
沈黙だけじゃない。その険しい顔も、明らかに不満を持っていることを示しまくっている。
「…やはり不満か、ギーヴレイ」
「………正直に申し上げますれば、左様にございます」
……そっかーーーーー。そうだよなー。いきなり天界と相互不可侵条約を締結するために天使族のトップ連中と会談するなんて、まるで事後報告みたいに言われたら、納得出来ないよなー。
ましてや、相手は天使族。魔族である彼からしたら、顔も見たくない犬猿の仲、或いは天敵。そんな相手と正式な場で話し合うのに、自分には相談の一つもなかったこともまた、彼には面白くないのだろう。
「その……急な話になってしまってすまないと思っている。本来ならば、お前の意見も聞くべきであった」
だから、殊勝に謝っておく。ギーヴレイにまでヘソを曲げられたら、そのダメージはフォルディクスの比ではない。多分、魔界の政…俺の支配体制が、破綻をきたしてしまう。
しかし、そこでギーヴレイは慌てて訂正。
「いえ、そうではございません!私は、陛下のご決断に対し不満などは抱いておりませんし、どのような状況であろうと抱くことは決してありません。そもそも、他時空界との相互不干渉は、陛下がずっとお望みだったことではありませんか」
…おや、天使族と和睦することに不満を持ってるわけじゃない?だったら、彼の不機嫌の理由は…?
「私が納得出来ないのは、何故会談の場所が地上界なのか、ということでございます」
「仕方あるまい。此度のことは、魔界と天界との話だ。中立・公平性を考えるならば、地上界で行うのが適切だ」
サファニールから、会談は地上界でどうか、と提案されたとき、俺は願ってもないことだと思った。地上界は、表向きは魔界より天界寄りではあるが実質的に中立だし……聖教会のトップが魔王寄りだという事実はあるが……、何より地上界で魔界と天界のトップ会談が行われれば、地上界の民にもそれを広く知らしめることが出来る。
魔界と天界が、平和への第一歩を踏み出した…と。
それはデモンストレーションとしても打ってつけ。どうせなら、密室で秘密裏に行うよりも、大々的に宣伝して派手に披露した方がいいじゃないか、との俺の意見に、サファニールも同意してくれた。
「……それは承知しております。全ては陛下のご差配どおりに事を進めるが最良である、と。……しかしながら、本来ならば天使族ふぜいが陛下と同席に着くなど赦されることではございません。謁見を願い出た上で陛下の御前に跪き、その大いなる慈悲を乞い願うのが筋というもの。それを、まるで対等であるかの如く会談場所を指定してくるなどと…………」
ものすっごく悔しそうな顔で拳を握りしめるギーヴレイ。
なるほど、彼は謁見じゃなくて会談って形になったことを気にしているのか。
んー、生真面目なギーヴレイらしいと言えばそうだが、そんな深く考えなくてもいいのに。そもそも、魔王だから偉いとか、対等云々だとか、それは彼が魔族だからこその考えなのだが、別にそれが世界の常識だとか掟だとかって言うわけじゃない。…ってそんなん言ってるの魔族くらいなものだし。
それに、結果オーライならいいんじゃないかな。
「そう言うな、連中にも立場というものがあるだろう?」
「……それも、承知してはおりますが……」
なおも納得いかなそうな様子を見せつつも、それでも準備に掛かってくれるギーヴレイ。もう、いつもほんとスミマセン。
あまりギーヴレイに任せきりなのも主としてどうかと思うので、完全に丸投げするんじゃなくて俺も少しは口を出すことにする。
とは言え、俺が下手に手を出すと余計にギーヴレイに迷惑と手間をかけてしまうので、出すのは口だけ。しかも、大したことない内容に限る。
寧ろ、俺が気に掛けるべきはそこじゃない。
昔から自分勝手な気まぐれで魔族たちを振り回してきたが、今回のは今までの比ではない。魔族たちは、これまでの意識を根本から変えるよう強いられるのだ。俺は、そんな彼らをフォローしなくては。
……こういうこと、もう少し前からきちんと考えていれば、フォルディクスは俺に背を向けることはなかったのだろうか。今さら考えても詮無きことだが、ふとそんなことを思ってしまった。
もう、彼のような魔族を出すわけにはいかない。
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魔王城の一区画。玉座の間からも練武場からもほど近いその広間は、正式にではないが武王たちの詰所のように使われていた。
今も、天魔会談の準備に忙しいギーヴレイを除く四人が集まり、忌憚のない意見をぶつけ合っていた。
「……だよねぇ、確かに急すぎるよね。ちょっと頭の中身がついていかないや」
大抵のことなら面白がって済ましてしまうディアルディオですら、今回の件についてはそんな気分にもならないらしい。
「地上界となら、話は分かるけど。なんで天使連中なんかと仲良くしなきゃならないのさって」
「陛下のご判断だ」
子供らしくむくれるディアルディオを諫めるルクレティウスだが、その表情は優れない。ギーヴレイほどではないにせよ魔王の言葉には絶対服従の姿勢を崩さない彼をしても、内心はそう割り切ったものではないのだろう。
「そりゃ、陛下が選んだことなんだから、一番いい方法なんだってのは分かるけどさ。今さら第二次天地大戦とか、めんどくさいし。……けど、なーんか…なぁ。何って言うか、面白くないって言うか、上手く言えないけど………」
そんなディアルディオが卓の上で所在なさげに転がしているのは、小さな小さな木馬である。脚の代わりに四つ車輪がついていて、転がすと首が上下にぴょこぴょこ動く。以前に魔王に連れられて地上界に行った際、余暇で訪れた温泉街で何の気なしに手に入れたもの。他愛のない玩具であるのだが、彼は殊の外それを大切にしていた。
「お前は、おそらく不安なのだろうな」
アスターシャが、ディアルディオの幼い行動に目を細めながら言う。彼女自身は、ひどく冷静に見えた。
「……不安?」
「そうだ。今まで魔界にしか目を向けておられなかった陛下が、外の世界…天界にまで関心をお持ちになっていることに、危機感を抱いているのではないか?」
そう指摘され、ハッとするディアルディオ。
アスターシャとルクレティウスは、それを見てやれやれ…と肩を竦めた。
「お主も幼いの、ディアルディオ」
「………そりゃ、ルク爺と比べれば子供だもんね」
「言っておくが、ルクレティウスを比較対象とするならば私とて若造だからな?」
「………何を張り合っておる、アスターシャ」
少しほんわかとした空気の中、まったく表情が読めないのが新参の武王、イオニセス。今回の件について諸手を上げて大賛成、というようにも、複雑な思いを抱えているようにも、見えない。
それに気付いたルクレティウスが、水を向けた。
「……お主はどうだ、イオニセス。此度の陛下のご決断に対し、何か思うところはないのか?」
魔王がこの場にいないからこその無礼講なのだが、イオニセスは静かに首を横に振るばかりだった。
「いいえ、それが陛下のご命令であるならば、私が口を挟むことなどございません」
教科書どおりの返答に、先輩武王三人組が抱いたのは、一つの危惧。
それは、本心を明かさない彼の姿と、道を誤ったかつての同輩のそれが重なって見えたからだ。
フォルディクス=アゲートは、魔王への反論が赦されない魔界で、疑問や不平を溜め込んだ結果、最悪の形で自分の思いを表現するに至った。
イオニセスもまた、彼と同じようにそういった感情を溜め込んで暴発させてしまうタイプではないか、と三人は思ったのだ。
「確かに、我らが何を言ったとて陛下のご判断に影響を与えることはない。そしてそれは赦されることではない」
言いつつ、今の魔王ならば思いっきり影響されてしまうのではないか、と一瞬思ったルクレティウスだが、そこは敢えてスルー。
その上で、イオニセスの態度に何かが隠れていると察し、それを聞き出そうとする。
「しかし、今の陛下は、我々の率直な意見の具申を望んでおられる。あの方が最も厭うのは、叛意の沈黙だ。気になることがあれば、そして陛下に直接申し上げることが憚られるのであれば、ここで我らにぶつけてみるといい」
因みに上記の魔王評は、ギーヴレイから教わったものである。六武王筆頭でありながら宰相も兼任するギーヴレイ=メルディオスという魔界一の忠臣は、驚くほど短期間に魔王の全て…というのは大げさだが実際にほとんど全て…を分析し、把握していた。
そのおかげで彼ら他の武王たちも、魔王に対する姿勢を間違わずにいられる。
「……気になること…ですか…」
「単純に、賛成・反対というのでもいい。感情的な理由であっても、だ。仮に陛下のお耳に漏れ伝わったとしても、それでお気を害される方ではないから安心しろ」
「………いえ、特にそういうことではないのですが…」
ルクレティウスに促され、慎重に言葉を選びながら話し出すイオニセス。だが彼が抱いているのは、不平不満ではないようで、
「今回の件ですが…何やら奇妙な印象を受けるのです」
「まあ、最初から不可侵条約の締結と結果が決まっている会談だからな。ましてや、長く反目しあってきた天使族との和睦のようなものだ、そう感じられるのも無理はあるまい」
ルクレティウスは呑気にそう言うが、イオニセスは首を振った。
「会談そのものに、異論はございません。また、不可侵条約に関しても、我らと天使族の在り方としては最善のものであると思います」
「では、何を気にしている?」
「……そこに至るまでの、流れです」
武王たちには、今回の一件はそのあらましが伝えられている。曰く、天界に潜入した魔王が天界で勃発したクーデターに遭遇し、その機に乗じて最高位天使たちとの合意に至った…と。
「具体的に言ってはもらえないか?」
ルクレティウスもアスターシャも脳筋仕様である。遠回しだったり漠然とした言い方では、その真意を掴むことが出来ない。
「と言われましても、私もどう申し上げればいいか分からないのですが…」
イオニセスにしても、何か具体的な考えがあって言っているわけではないようだった。それでも、先輩武王の求めに応じて言葉を捻り出す。
「こう……不自然さと言いますか、何故今このタイミングで…と言いますか。そもそも、天界との相互不干渉はかねてより陛下がお望みだったことと伺っておりますが、あまりにその都合よく事が運んでいるような気がしまして」
「……好都合なのは、いいことではないか」
「しかし、長い天界の歴史の中で、クーデターというのは初耳です。我らの耳に入るのは断片的な情報に過ぎないとは言っても、連中の中枢…中央殿の支配が盤石であるという認識は皆、持っていたはずです」
「まあ、確かにそのとおりだが…」
言われてルクレティウスも、魔王の封印中、同じように主を失ったに関わらず統制の崩れない天界を内心羨ましく思っていたことを思い出す。
彼ら武王は、魔王の復活を信じ自らをも封印した上で、定期的に目覚めては魔界中に睨みをきかせていたのだ。それでも、魔界の秩序を保つのは容易ではなかった。それが成功したのは、魔都イルディス近辺と支配体制の確立していた西方諸国連合くらい。辺境の混乱具合は、酷いものだった。
それに比べて、天界は全体的に平和であるように見えた…勿論、彼らには分からない混乱もあったのだろうが。
魔族と天使族との性質の違いがその理由だと思っていた。そしてそれはおそらく正解なのだが、そんな統制と秩序を好む天使族で、創世神が消滅して二千年経過した今、初めての大規模な反乱。
「魔王陛下が封印からお目覚めになり、そして天界に潜入するという極めて稀な状況で、二千年間で初めてのクーデターが起こり、そしてそのタイミングで中央殿を牛耳っていた四皇天使筆頭が殺害された…犯人は、同じ四皇天使とのことですが…」
「あ、そいつこないだギー兄が連れてきてたよ」
ディアルディオが口を挟んだ。
「なんか、肝心なところだけ記憶が消されてたってさ」
「四皇天使…最高位天使の記憶が消された…だと?」
耳を疑うルクレティウスとアスターシャ。四皇天使の前身である五権天使を知っている彼らには、とても信じられないことである。
そんなことが出来るのは、魔王と創世神以外にはありえない…というのが、彼らの見解だ。
「陛下もギー兄も、なんか気にしてる。どうも、妙な気配がそこかしこで感じられるって」
「妙な気配…か。何者かの暗躍があるようだとは、陛下から以前に聞いたことがあったが…」
アスターシャも、頷く。魔王は、自分と創世神以外に世界に干渉しうる存在があるかもしれない、と警戒していた。
「問題は、その何者かの意図がどこまでであったか…ということです」
「それは……」
「水天使殺害はそうだったとして、ではクーデターにその者が関与していないという保証は?また、同時に別の反体制組織も動いていたという話ですが、それらの活動に関してはどうなのでしょう?そして、降って湧いたような天界との会談…」
聞いているうちに、ルクレティウスの表情が険しくなってくる。
「お主、此度の会談にもその者の企みが働いていると言いたいのか?」
「いえ、その、断言するわけではないのですが……タイミングといい展開といい、都合が良すぎるような気がいたしまして……」
ルクレティウスとアスターシャはしばらく黙って考え込んでいた。それから厳しい表情のまま互いに顔を見合わせて頷く。
「イオニセス、その懸念は陛下にも奏上するべきだ」
「私が……陛下に…ですか?」
未だ魔界の最高幹部・六武王の一人であるという自身の立場に迷いを捨てきれないイオニセスは、そう言われて戸惑いを見せる。だがアスターシャも、
「お前が感じた懸念だ、率直に思うところを陛下にお伝えするといい。怖れる必要はない。お前はもう、我らと同じ武王なのだ、そして陛下御自らがそれをお認めになったのだ。陛下は必ず、お前の言葉をお聞きくださる」
そう断言し、イオニセスの背中を押す。
「不安なら、ボクがついていこうか?」
ディアルディオも、二人の意見に賛成のようだ。
先輩三人にエールを貰い、イオニセスも漸く決心を固める。
「……承知しました。これから陛下の元へ赴くこととします」
そう言って、腰かけていた椅子から立ち上がったところで。
「その必要はない」
突如かけられた主の声に、四人は一斉にその場に跪いた。
久しぶりに武王さんたちを書いてみました。




