第三百三十一話 猫好きと猫耳好きは似て非なるものである。
天界の最高指導者、四皇天使筆頭の水天使リュシオーンは、死んだ。
彼を殺害したのは、同じく四皇天使の火天使セレニエレ。
水天使を殺害した後、火天使は何処へともなく姿を消した。
水天使殺害に遡ること数日前に、天界の独裁体制に反旗を翻しクーデターを起こした地天使ジオラディアと、秘密裏に反体制活動を指揮していた風天使グリューファスは、この非常事態に手を組むことにした。
体制が崩れたことで、叛逆者であった彼らは最早叛逆者ではなく、今や彼らこそが天界を導く責を担う指導者となる。
その結果、天界各地で起こっていた暴動を始めとしたクーデターは、ジオラディアによって終息宣言がなされた。広い天界の隅々にまでその声が届くのに時間はかかるだろうが、じきに混乱は収まるだろう。
そして突如彼らの前に現れた、二千年前を知る者……央天使サファニール。
大先輩と言っていいサファニールの協力も得て、これから風天使・地天使の両者は手探りながらも新たな天界の形を作り上げていくのだ。
その第一歩として、これまで誰も試みることのなかった、斬新かつ大胆な方策が取られることになった。
それは、魔王との会談である。
形式からすると、会談と言うより謁見と称した方が適切かもしれない。だが、彼らはその呼び名に固執した。自分たちは魔王の下に傅くものではなく、両者はあくまでも対等なのだ、と自分たちに言い聞かせるために。
決して相容れることのない相手との会談が、彼らに…そして天界に何をもたらすことになるのかは、まだ誰にも分からない。しかしそれが現状に対する非常に強力な打開策になるのだという確信は、彼らの胸に芽生えていた。
会談の日程や場所に関しては、サファニールが手配することになっている。
かくして、天使族と魔族の和睦という、成功すれば歴史的快挙となる出来事が、今まさに行われようとしていた。
……していた。
……して……いたのだが。
あーーー!ああーーーーーーーー!!
どうしよう!なんか黙って聞いてたら(だって口挟むわけにいかなかったんだもん)、なし崩し的に天使族と会談することが決まっちゃったよ!?
しかも、サファニールの奴、その場に俺がいるって分かってるもんだから、そのまま俺の了承も得たと思ってるし!!
今さら嫌だなんて言えないよ?けど、ギーヴレイに何て説明しよう!?
いや……そりゃ俺だって、これが結構理想に近いパターンだってことくらい分かってる。特に天使族は生真面目で頑固なところがあるから、一度不可侵条約を締結すれば、少なくとも数百年は安心だろう。
地上界にちょっかいかけられることも、魔界に侵攻されることもないのなら、俺も安心出来るというもの。
けど、さぁ……いくらなんでも、急すぎるよね。
出来るだけ迅速に日程を決めるということで、この場はお開きになった。多分、これからの細かいことはグリューファスとジオラディアの間で何度も話し合いが行われるのだろうけど、それは天界の内政のことなので俺の出る幕じゃない。
俺は俺で、やらなくてはならないこと、考えなくてはならないことが出来てしまった。
……まずは、ギーヴレイに相談しなきゃ。……そうだ、エルネスト!あいつに命じて、すぐさま魔界にいるルガイアに……ってそう言えばルガイア、今地上界だったっけ?
えっとそれなら…俺が帰るしかないのかな?
……あれ?エルネストと言えば………あいつら、何処行った?
「……なあ、ビビ。アルセリアたち、お前らのとこに来てないか?」
はぐれたのだし、トルテノ・タウンあたりに戻ってやしないかと思ったのだが……
「え…来てませんよ?と言うか、リュートさんと一緒だったじゃないですか」
「いや、それなんだけど……はぐれちまって」
ひとまず緊急事態は回避出来たということで、トルテノ・タウンへの帰り道。ビビはそう言う俺に、何とも言えない白けた顔を見せた。
「はぐれたって……何してるんですか、リュートさん」
「いやいや、俺のせいじゃ……」
俺のせいじゃ、ない…よな?確かに俺が連れ去られたのであって、彼女らからすればはぐれたのは俺の方ってことになるかもだけど……。
「お兄ちゃん、アルシーのこと置いてきた……?」
「むむ、薄情な奴だな」
「別にいいではありませんか。勇者さまたちも子供ではないのですから、ご自分のことはご自分で責任を持つべきですわ」
批判的な口調のヒルダとアリアに比べ、マナファリアはどちらかと言うと嬉しそうなのが怖かったりする。
……薄々気付いてたけど、この姫巫女、かなり良い性格してるよなー。
しかし、あいつらがトルテノ・タウンに戻ってないとしたら、まだロセイールにいるってこと?どうせ猫の姿のままじゃそう遠くには行けないだろうし…
仕方ない、トルテノに戻る前に、迎えに行ってやるか。
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「にーににゃー」
「にゃにゃ、んにゃ」
「んななーお」
……………………。
「まあ、それではこの猫ちゃんたちは、リュートさまのところの子たちだったのですね!」
久々の再会を喜び合ったあとで、ミシェイラは「こんな偶然もあるのですね!」と驚いていた。
俺も、驚いていた。
何がって、はぐれた後の三人(匹)が偶然ローデン家に保護されてたってのもそうだが、神託の勇者と神格武装と魔王の御用聞きが、その使命も忘れてすっかり猫生活を満喫しまくっているということ。
離れてた時間なんて、丸二日ないくらいだぞ?なのに、随分とまるまるとしちゃってませんか?
何て言うか、腑抜け具合が外見にまで表れた…みたいな。
闇雲に探す前に、ローデン父子&エウリスの無事を確認しようと立ち寄ったミシェイラの屋敷で、俺は無事、だらけきった勇者たちと合流出来た。
が、通されたリビングでぬくぬくと寝そべる三匹を見たとき、一瞬だが人違いならぬ猫違いかと思ってしまった。
マントルピースの上で、猫ってこんなに長く伸びるんだーと感心してしまうくらい伸び切ったキア。フワフワのクッションの上で優雅に寝そべりミシェイラとエウリスにモフられまくってるアルセリア。ロッキングチェアに座るウルヴァルドの膝の上で撫でられてご満悦なエルネスト。
……お前ら、なんならこのまま猫として生きていくか?
そんなメッセージを込めて睨み付けてやったら、三匹とも慌てて俺のところに走って来た。どうやら、まだ人生を諦めるつもりはない、らしい。
「いやー、なんだかこいつらが迷惑かけちまったみたいで、ゴメンな」
にーにー鳴いて言い訳してる三匹の代わりに、ミシェイラに謝っておく。ここでこいつらの正体を明かさないあたり、俺も随分と優しいじゃないか。
「いえ、とっても愛らしくて、すごく癒されました!」
「このような緊急時だが、おかげで落ち着いていられた。小さき生き物だが、その存在は大きいものだな」
「少し、離れがたい気もするくらいです…」
三人して、猫の誘惑にやられまくっていたことが分かる。ウルヴァルドなんて、いかついオッサンのくせに猫好きか。ギャップってやつですか。
エウリスだって、普段はつーんとしてるのに、めちゃくちゃ名残惜しそうにアルセリアを見てる。
「……なあ、お前ら。いっそここのウチの子になるか?」
意地悪で三匹に尋ねてみたら、いっそう慌ててしがみついて来た。勇者やってるよりも飼い猫の方がお気楽人生だと思うけどねー。
「それじゃ、お邪魔しました。ほら、行くぞ」
俺は三匹を促して、ローデン邸を出る。
ミシェイラたち三人は門のところまで見送ってくれて、簡単な別れの挨拶をしたのだけれど、ロセイールを出た直後に気付いた。
……もしかしたら、これが本当のサヨナラになるのかもしれない、と。
これから俺は、天使族との会談に向けての準備に取り掛からなくてはならない。そうでなくとも天界に来た目的は全て果たし後顧の憂いもなくなったわけで、俺が今後天界へ赴くこともなくなるだろう。
お忍びで遊びに来ることも不可能ではないが、不可侵条約を結ぶのであれば軽率な真似は出来ない。
もう会えないかもしれないことを彼らに告げて、もう少しちゃんとした別れを告げるべきだったと思ったが、しかしこれで良かったのかもしれない。
本来ならば、会うことも関わることもないはずの人たちだったのだし……これ以上魔王と慣れ合ったって良いことばかりとは言えない…というか良くない気がする。
だから、変わらず続いていく日常の延長線上にあると思わせながら、さりげなくこれっきりにしてしまおう…と決めたのである。
「にゃにゃにゃ、にゃーにゃ!」
ガラになくちょっとしんみりしていると、アルセリアが抗議の声を上げた。キアもエルネストも、同意するように頷いている。
「うるせーよ。俺が大変だったときに呑気に惰眠を貪ってた報いだ、トルテノまでその姿でいやがれ」
報復と言うのも大人げない気がしたが、俺がセレニエレ一派と戦ったりグリューファスを説得したりギーヴレイを説得?したりアリアの暴走を止めてみたり地天使・風天使の会合に参加したりしてた間、なんにも考えずごろごろだらだらしていたのだから、このくらいの腹いせは許してもらおう。
「にゃー、にゃにゃ、にゃ」
「…んにゃ?……にゃぁーあ」
「にー、ににゃ」
うるっさいよ誰が猫耳マニアだ。エルネスト、また魔界で変な噂流しやがったら許さないからな。




