第三百三十話 魔王、丸裸にされる。
俺は懐からハリセンを取り出した。
そしていざ、地天使に全てぶちまけようと息を大きく吸い込んだところで。
廊下につながる扉が、三回ノックされた。
俺たちは皆、顔を見合わせる。後から話し合いに参加する者がいるとは誰も聞いていなかったからだ。
しかしノックされたのでそれを無視するわけにもいかず、扉から一番近くに座っていたビビが立ち上がる。
「はい、どなたでしょうか?」
万が一ということもあるので用心しながらゆっくりと扉を開けるビビ。そして扉が完全に開ききる前に、動きを止めた。
「……え、どうして貴方がここに?」
戸惑いながら訊ねるビビを尻目に、その人物は悠々と部屋へ入って来た。
黒銀の髪に、黄金を帯びた翼。その存在値は、かつての半分しかないにも関わらず、風天使や地天使に勝るとも劣らない…
「お前……サファニール!?」
俺まで、素っ頓狂な声を上げてしまった。
だって、そこにいたのは、以前にヒルダの精神世界の中で焼き尽くされた五権天使筆頭の……
いや、違うな。これは、その片割れ……白サフィーとやら…なのか。
突如現れた見慣れぬ天使…しかし纏う霊素や存在値からして自分たちと同等以上の高位体…に、グリューファスもジオラディアも、腰を浮かせて凝視していた。
ヒルダだけは落ち着いていて、「サフィー、おひさ」とか挨拶しているが…
ヒルダ以外の全員の疑問を解消するために、サファニールは穏やかな笑みを浮かべると自己紹介を始めた。
「ベアトリクス、ヒルデガルダ、久しいな。…そして他の方々よ、お初にお目にかかる。我が名はサファニール。天地大戦の折、創世神と共に戦場を駆けた戦士の端くれだ」
サファニールのプロフィールに、グリューファスとジオラディアは最初、きょとんとしていた。天地大戦なんて二千年も昔。そんなことを言われても全然ピンと来ていないようだ。
しかし、ワンテンポ遅れて言葉の意味を理解する。
「……いきなり現れて何を言い出すかと思えば……サファニールとやら、己が何を言っているか分かっているのか?」
グリューファスは、少し苛立っている。彼らの常識からしたらサファニールの言っていることは荒唐無稽すぎて、度を越えた大法螺にしか思えないのだ。
ジオラディアは…やっぱり表情が読めない。だが、愉快な気分でないことは確かだろう。
「……私の言葉が信じられないか。それもやむを得ないことではあるな。我らの時間は、あまりに遠く隔たれてしまった」
サファニールは嘆きの口調で言いながら、空中に手をかざした。
何をしたのだろう…と俺は疑問に思ったのだが、
「な……なんだこれは!?」
「………………!」
この場にいる天使連中が騒ぎ出した。グリューファスはひどく慌てた様子で立ち上がり、ジオラディアはその無表情に緊迫感を交えて部屋中を見回している。
イラリオも、地天使の部下たちも、動揺に狼狽えながらキョロキョロするばかり。
……えっと………俺だけ蚊帳の外なんですけど、何が起こったわけ?
いや、多分状況からすると、サファニールの奴が“権能”を行使したってのは分かる。が、皆が見せられている光景を俺は見ることが出来ないのだ。
だから、皆が何に驚いているのか一人だけ分からない。ちょっと仲間外れみたいで寂しい。
少しばかりいじけていると、ヒルダが俺の裾をついついと引っ張って耳打ちしてくれた。
「あのね、サフィーが、ここをすっごく豪華なお城みたいに変えちゃったの」
ヒルダってば、なんて優しい!俺だけが取り残されていることに気付いて、ちゃんと説明してくれるなんて。これがアルセリアとかだったら、多分俺が除け者になってることすら気付いてくれないだろう。
……に、しても……すっごく豪華なお城?おもてなし?いやいや……宮殿みたいな感じにしたってことかな?
「貴殿は……一体…?」
多分それだけで、サファニールの実力の程が分かったのだろう、グリューファスが態度をやや軟化させて、しかし警戒は解かないまま、尋ねる。
分かってもらえたサファニールは満足げだ。
「私はかつて、汝らと同じく天界を導く役目を負っていた。……その頃は、四皇天使ではなく、五権天使と称されていたが…」
「五権…天使………」
グリューファスの口調は、未だ疑わしげだ。秘匿された央天使の存在を彼らが知る由もなく、したがって、四皇天使はかつて五権天使と呼ばれていた…と言われても、俄かには信じ難いのだ。
グリューファスよりも現実的なのは、ジオラディアである。一早く冷静さを取り戻し、浮かせた腰を再び席へ落ち着かせた。そして、
「なるほど、貴方が只者ではないということは理解しました。それで、サファニール殿。この場に何用でしょうか」
一番重要なことを聞いてくれた。
いきなり現れて、自分は昔のお偉いさんだと主張して、彼は何をしようとしているのか。そもそも、ずーーーっと姿を隠していたのに今になって姿を見せるのは、何故なのか。
俺もそれが気になるので、黙って成り行きを見守ることにする。
「一つ、重要なことを告げに来た。汝らが最も気にかけていることだ」
サファニール、俺の方をチラッと見てから、
「汝の考え……現在の天界の有様には魔王の意思が働いているというのは、間違いだ。その件に関して、魔王は何ら関係してはいない」
……おおおおお!サフィーさんてばまさかの魔王擁護!?
いやー、助かるわマジで。けど、央天使が魔王を庇う理由なんてあるのか?
「貴方がそう考えた理由をお聞きしたい。何故、魔王は無関係だと断言できるのです?」
ジオラディアが疑問に思ってるのは俺とは違う点。けどまあ、道理でもある。天使のくせに、魔王の考えや動向を把握しているなんて普通じゃないからだ。
「魔王には、天界に干渉する理由がない、というのがその理由だ」
サファニール、再び俺をチラッ。
間違いなく、こっちのサフィー(白サフィー)も、俺の正体に気付いてる。
「それは、どういうことでしょうか?」
ジオラディアは、当然のことだがまだ納得していない。とことんサファニールを問い詰めるつもりのようだ。
「私は、現在の…復活後の魔王と直接の面識はない」
そう言いながら、「実は今対面してるけどね」って言いたげな顔で俺をチラリ。
反応に困るからあんまりチラチラ見るのやめてくれないかなー。
「しかし、魔王を直接知る者としばらく時を共に過ごし、また天界や地上界の様子を見守っていたのだ。その中で、魔王が…少なくとも現在の魔王は、世界の支配権に対し一切の興味も執着も持っていないことに気付いた。今の魔王は……下手に手を出しさえしなければ、人畜無害と言えよう」
…おおおー、サフィーさん分かってくれてる!そうそう、そうなんだよ。俺は人畜無害で紳士な魔王なんだからね、ジオラディアが挙げたような企みなんて、チラとでも考えたことないからね。
「魔王が……人畜無害、だと?世迷言を……」
そう言ったのはグリューファスだが、俺のことを(チラッとではなく)思いっきりガン見してくる。なんだよなんだよ、俺お前にそこまで酷いことしてないじゃないか。
ちょっとハリセンでどついて、ちょっと拷問方法を提案しただけじゃないか。
グリューファスの言葉に、サファニールは苦笑した。気持ちは分かるけどね、と言わんばかりの、同情的な笑みだ。
「汝の言いたいことも分かる。私とて、最初はどうしても理解出来なかった。魔王が、あのような……しょーもない輩である、などということが」
……おい、ちょっと待て。
誰が、「しょーもない輩」だって?
抗議の視線を送ってみるが、完全に無視されてしまった。絶対気付いてるくせに。
「…申し訳ありませんが、仰る意味が理解出来ません……」
ほら、ジオラディアも戸惑ってるじゃん。グリューファスだってそうだ。魔王が「しょーもない輩」だなんて、二人に限らずイラリオもジオラディアの部下たちも「何言ってんだ、こいつ?」みたいな顔になってるよ。
ヒルダたちだって……
………あれ?なんで頷いてるの?
「そう、私も理解するのにかなり時間を要した。が、気付いてみれば簡単なことだったのだよ」
またまた、俺の方をチラチラ見ながらサファニールは、
「そうだな……魔王のことは、「極めて面倒臭いかまってちゃん」とでも思っておくといい」
コラーーーーーーーーー!!
何失礼なこと言ってやがる!
こともあろうに、極めて面倒臭いかまってちゃん!?何だよソレ!!
「ふむ、言い得て妙だな」
ちょっとアリアさん、なんちゅーフォロー入れてんの!?
俺が反論出来ないのをいいことに、サファニールの失礼極まりない魔王評は、まだまだ続く。
「アレを、御神と同じように完成された存在だと考える方がそもそもの間違いだったのだ」
……俺、未完成なんですか…?
「力だけが強い幼子と同じ。我儘や気まぐれで周囲を振り回し、それに応じなければ癇癪を起こす」
……え?
そ、そんなこと……ないよ?そんな、癇癪…なんて…………
「だが、お気に入りの眼が自分に向いている限りは、奴は大人しい。逆にそれが奪われそうになれば、激しく怒り狂う」
……そんなことは……ないとは言えない自分がいる。
「魔王は地上界でお気に入りを見つけた。それらが健在なうちは、天界などに目を向けることはないだろう」
……間違いじゃない。間違いじゃ…ないんだけど。
なんか、力いっぱい否定したい気分だ。
「まるで、天地大戦は魔王の癇癪のせいで起こされたとでも言いたげですね」
「まるでも何も、そのとおりだ」
…………イヤーーーーー、容赦なく分析するのやめてーーーー!!なんかもう、丸裸にされてる気分なんですけど!?
ジオラディアは、考え込んでいた。自分のイメージとあまりに違い過ぎる魔王像に戸惑い、それが信じがたく、さりとて頭ごなしに否定してしまえないような有無を言わさぬ力が、サファニールにはあった。
これがそこいらの天使であれば、馬鹿なことを言うなとあしらわれて終わりだ。しかし、自分たちに勝るとも劣らない力を有し、理解不能な超常の力…“権能”を披露したサファニールの言葉は無下には出来ないのだ。
そして、ジオラディアが結論を出す前に、グリューファスが口を開いた。
「……分かった。汝がそう言うのであれば、我らも同調しよう」
「……グリューファス、良いのですか?」
慌てて尋ねるジオラディアに、グリューファスは頷く。
「無論、全てを信用したわけではない。だが、どのみち魔王と魔界に敵対することが出来ない以上、出来る限り奴らとの関係を穏便なものに収める必要があるだろう?」
「……そうですが…」
魔界と戦争しても勝ち目はない、とさっき自分でも言っていたジオラディアなので、グリューファスの言いたいことはわかるはず。
「信用出来ないのであれば、一度魔王と会談を行ってはどうだ?」
サファニールの奴、またまたとんでもないこと言い出した。
言われたグリューファスとジオラディアも、目を丸くしている。
「か……会談…?魔王と、公式な場で会えと仰るのですか……?」
そんなこと出来るはずない、と言わんばかりにサファニールに訊ねるジオラディアの向かい側で、グリューファスは何か言いたそうな顔で俺を見ている。
「左様。その場で魔王の真意を問いただし、必要であれば不可侵条約でも結んでしまえばいい。奴が相手となると強制力も何もあったものではないが、仮にも王を名乗るのだ、多少の誇りくらいは持ち合わせているだろう」
………もう、色々と酷すぎる。俺、怒ってもいいよね?
「ワタシも賛成だ。なに、魔王はあれでも話の分からぬ輩ではないぞ」
意外なことに、アリアが魔王を擁護してくれた。その優しさが嬉しい反面、ちょっと痛い。
………けど、サファニールってば本気なのか?本気で、魔界と天界の首脳会談を開くつもり?
ああ、でも……確かにその方が、俺としても安心出来るかもしれない。
いつまた勇者一行に危険が及ぶかと戦々恐々で過ごすより、お互いに手を出すことはしませんって約束した方が……
しばらく、誰も何も言わなかった。ジオラディアは熟慮に熟慮を重ねているようだったし、グリューファスは諦めたような表情になってて、ビビとヒルダ、アリアは別に悩む必要もないので呑気なものだし、マナファリアは全く口を挟むつもりはなさそう。
やがて、ジオラディアが深い深い溜息をつき、
「分かりました。現状を維持するより、前へ進めると信じて。……魔王と、会うことにいたしましょう」
悲痛な覚悟さえ双眸に秘めて、きっぱりと答えた。
ようやく魔王の本質を言い当ててくれる人が出てきました。書いててちょっとスッキリ。




